光のもとで1

葉野りるは

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第十一章 トラウマ

46話

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 帰宅してすぐお風呂に入った。
 お風呂に入る時間はあるけれど、一休みする時間までは取れない――そんな時間に帰ってきた。
 微熱がずっと続いているだけあり、身体はかなりだるい。
 ツカサに言われたことは間違っていない。むしろ、正しい……。
「まだ大丈夫」なうちにどうにかしておいたほうがいいのなんてわかっている。でも、テストは手を抜きたくないし、紅葉祭だって楽しみたい。
「欲張り――二兎追うもの一兎得ず……」
 わかっていてもやめられないってなんだろう……。
 今までこんなふうに思うことはなかったのに。
 学校が好き。友達が好き。
 二度と手放したくないから、ずっと一緒にいたいから――
「だから、体調とどっちを優先したらいいのかわからなくなる……」
 枕元に置いたラヴィを引き寄せぎゅ、と抱きしめると少し安心する。
 ラヴィは真っ白ウサギのぬいぐるみ。大きさはクッションくらいで、抱えて抱っこするのにちょうどいい大きさ。
 さっき学校から帰ってきたとき、エントランスフロアで真下さんに渡されたのだ。「若槻様からです」と。
 薄いピンクとショッキングピンクの二重の不織布と透明のセロハンに包まれたそれは、銀色の太いリボンがかけられていた。
 家に帰ってきて一枚一枚包装を解いていくと、中にはこの子がいた。
 メッセージカードには、「俺が帰るまではこの子を俺と思ってね。名前はラヴィ」と書かれていた。
 本当のウサギみたいに毛が細くてかわいい。
 なのに、この子はぬいぐるみというだけではなく、目覚まし時計機能までついているのだ。
 背中部分にチャックがついており、中に黒くて四角いものが入っていた。
 それはオーソドックスな音声録音タイプの目覚まし時計で、録音されていたのはもちろん唯兄の声。
『リィっっっ! 大変、起きなくちゃっっっ!』と何回も繰り返す。止めるまで延々と言っているのだ。
 携帯のメールで「ありがとう」と送ったけれど、返信はない。
 髪の毛を乾かさないで寝ると蒼兄に怒られるなぁ、と思いながらラヴィを抱えてベッドに横になっていた。
 ちょっと体力消耗気味――


「翠葉、ご飯よ」
 声が湊先生……。
 目を開けると、湊先生が仁王立ちしていた。
「髪は乾かせと何度言ったらわかるっ!? 司っ、ドライヤーっ」
 さっきのツカサとかぶる。やっぱり姉弟なんだな……。
 そんなことを考えているうちに、私の頭はゴオオオオと、ドライヤーの熱風を受けていた。
 冷たくなっていた頭が強引にあためられる感じ。気持ちよくて眠ってしまいそうだ。
 必死に抗って時計に目をやれば六時を回ったところだった。
 これから八時までは夕飯タイム。
 八時、か……。私、そのあとに勉強できるのかな。体力的にかなり怪しい気がする。
 実際、ダイニングで食卓に着いても食べ物が喉を通らなかった。
「翠葉……?」
 私の右側にあるソファに座っていた蒼兄に顔を覗き込まれる。
「食べられないか?」
「少し、疲れているだけ……」
 本当にそれだけなのだ。
 熱がひどく高いわけでも血圧が低すぎるわけでもない。
「栞さん、少し休んだらあとで食べるので、退席してもいいですか?」
 ものは食べられない、挙句、身体はすごくだるい。
 勉強をしなくてはいけないにしても、こんなコンディションではどうしたって無理だ。
「いいけど……大丈夫? 顔色も良くないわ」
「ふふ、それはいつものことです」
 私はわざとらしくならない程度の笑みを浮かべ席を立った。
「悪い……今日、強引に作業を進めすぎた」
「ううん、そのおかげで明日からは午前中で下校できるのでしょう? そっちのほうが楽だもの」
 ツカサはばつの悪そうな顔をした。
「そんな顔してたらほっぺたつねるよ?」
 左隣に座るツカサの頬をツン、としてからリビングを離れた。
 明日は鍼治療の日だ。学校が終わったらすぐに病院……。
 相馬先生の治療を受ければ少しは楽になるはず。
 自室前までたどり着くと玄関が開いた。入ってきたのは秋斗さん。
「あれ? もう会食終わっちゃった!?」
「いえ、まだ始まったばかりでみんなリビングにいます」
「翠葉ちゃんは……? 具合、悪い?」
「具合が悪いというわけではなくて――電池切れ、ですかね?」
 苦笑して答え、
「休まないことには食べるものも食べられそうにないので、一度寝ることにします」
「そう……」
「あ、そうだ。先に釘を刺しておこうかな?」
「ん?」
「もし、ツカサがバイタルの転送設定を頼んでも、聞き入れないでくださいね? 私にはそれを拒否する権利くらいはありますよね?」
 秋斗さんは少し複雑そうな顔をして、「了解」と答えてくれた。
 部屋のドアを閉め、今度こそ目覚ましをセットする。
 今は六時半――レム睡眠、ノンレム睡眠を考えるなら一時間半がいいところ。
「八時、かな……」


『リィっっっ! 大変、起きなくちゃっっっ! リィっっっ! 大変、起きなくちゃっっっ! リィっっっ! 大変、起きなくちゃっっっ!』
 びっくりして飛び起きたら目の前がぐらついた。
「地震っ!?」
 まだ後方の枕元で唯兄の声が延々と鳴り響いている。
 違う――地震じゃない。
「あれは目覚まし時計でこれは眩暈……」
 わぁ……すごい失敗。すごい迂闊――
 こんな起き方をしたら眩暈を起こして当然。
 傾いた身体をそのまま前方に倒すと、ゴツ、と壁に右側頭部をぶつけた。
 痛い……。
 右手で頭を押さえていると、
「翠葉、入るわよ」
 と、湊先生の声がした。
 同時に人が複数人が入ってくる音。
「あんた、何やってんのよ……」
 呆れたような先生の声。
 マットからの振動で、私の近くに腰掛けたのがわかる。
 ラヴィから聞こえる唯兄の声が近くなった。
「何これ……」
 きっとラヴィのことだろう。
「唯兄からのプレゼントで目覚まし時計です。……慣れない目覚まし時計に起こされてびっくりしちゃいました……」
「なるほどね……。飛び起きて眩暈のコースね」
 情けなさすぎる……。
 唯兄、できればもう少し穏やかな目覚めを希望します。
「翠葉にこんな目覚まし贈るだなんて、若槻ったら私にケンカ売ってんのかしら」
 えぇと、それはどういう解釈でしょうか……。もしかして、私がこういうバカをすることが前提?
「その目覚ましはちょっとやめておけば? ぬいぐるみとしてだけで十分にいい仕事してる思うし」
 苦笑混じりの蒼兄の声。
 視界が戻って顔を上げると、蒼兄の後ろで秋斗さんがお腹を抱えて笑っていた。

 リビングへ行くと、海斗くんがソファに横になって眠っており、ツカサと栞さんは片づけをしていた。
 少しすると、栞さんが私に取り分けてくれていたプレートを持ってきてくれた。
「消化にはいいものを選んでるから、消化代謝とか気にせずに食べて大丈夫よ」
「ありがとうございます」
 正直助かる……。消化にもエネルギーを持っていかれたら、それこそ頭の働きが悪くなってどうにもならない。
 そういえば――
「今日、楓先生と静さんはいらしてないんですね?」
「楓は夜勤だって。でも、会食期間に一、二度は顔を出したいようなことを言ってたわ」
 湊先生が教えてくれたあと、栞さんが口を開いた。
「お兄様はお仕事が忙しいみたいだけど、合間に顔を出せたら……って。そのときにはアンダンテのケーキを持ってきてって頼んじゃったわ」
 静さん――あの電話のあとは一度も会っていないし連絡もとっていない。
 どんな顔をして会えばいいのかな……。
「海斗、起きろ。上に戻って勉強」
「んー? 夕飯のあとはここじゃないのー?」
 海斗くんが私とツカサを交互に見る。
「それは明日から」
 そう言って静かにツカサが立ち上がる。
 前もってツカサとそんな話をしていたわけじゃない。ただ、察してくれただけ。
 今日は自分のペースで勉強をしたいということを。
 さすがに、ツカサが用意してくれる優しさの欠片も含まない問題にこの頭で挑むのは無謀だと思うの……。
 今の私にできること。それはきっと、数学の問題集をさらうことくらいだろう。
「海斗くん、ごめんね」
「ま、今日一日くらいはゆっくり休んで、明日からは一緒にしごかれよーぜ」
 海斗くんはニッ、と笑ってツカサのあとを追った。
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