光のもとで1

葉野りるは

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第十一章 トラウマ

45話

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 今日からは私とツカサと優太先輩の会計三人だけが図書室に残り仕事をしている。
 そこに、会計ではない嵐子先輩が加わるのは、優太先輩に勉強を見てもらうためらしい。
 テスト前は必ず勉強を見てもらうのだとか……。
「翠葉、ごめんね~……私だけが勉強してて」
 うな垂れつつ謝る嵐子先輩に、
「今日一日くらい先に帰ってひとりで勉強すればいいものを」
 冷たく言い放つのはツカサ。
「私が生徒会にいられるのって優太の苦労の結晶のようなものでね……」
 切々と語る嵐子先輩に、
「話をする余裕があるなら先に帰れ」
 ツカサがピシャリと締め出した。
「翠は収支報告とリトルバンクの数字が一致しているかの確認。優太と俺はすでに分配してある金の残りそうな団体の予測。こんな作業に三日もかけるつもりはない。そのつもりで。はい、始め」
 ツカサの号令で一斉に作業を始める。
 優太先輩は、隣であうあう言いながら問題を解いている嵐子先輩の勉強を見ながらの作業で、あまり捗ってはいないようだった。
 私がやっている収支報告の確認ならば、途中で作業が中断されても頭の中の考察を邪魔されるようなことはない。
「ツカサ、私、優太先輩と仕事代わってもいい?」
「あ、翠葉ちゃん、それは申し訳ないからいいよ。こっち、かなりハードだし」
「だから、です。算段しながら別のことをするの、男の人は苦手なのでしょう?」
 何かの本に書いてあった。男性の脳と女性の脳は違う、と。
 女の人は同時に複数のことをこなせるけれど、男の人は複数のことを同時進行するのが苦手な生き物だ、と。
「ウェイトがかかっていいならいい」
 ツカサはディスプレイに視線を固定したままこちらに返事をする。
 その際も手は止まることなくショートカットキーを押しては目がくらむような速さでいくつもの画面を交互に表示させ、エクセルに数字を打ち込んでいく。
 うーん……ツカサは男の人だけれど、例外なのかもしれない……。
「じゃ、お言葉に甘えて……。こことかここにある数字。これが材料調達申請時の金額よりも下回って超過申請になってるケース。それらの金額を片っ端から集めていって、どのくらいの額になるのか、それをどこに充当するのかを考える作業なんだ。エクセルのここに数値を入れていくと、勝手に計上してくれる。……大丈夫そう?」
 つまり、申請しすぎたお金をより集めていくらいなるのか。また、それを運用する場所を探し出すということよね?
 分配したお金なんて、各団体様になんとかしてもらえばいいのに……。
 とりあえず、超過分の金額を割り出すのが先決――
「はい、大丈夫です」
「わからないことがあったら――」
 優太先輩の言葉を遮る形でツカサが口を開いた。
「俺に訊け」
 視線は相変わらずディスプレイに固定されているし、右手に持つシャーペンはサラサラと筆記体のようにきれいな数字を書き連ねていた。
「ごめんねぇ……」
 嵐子先輩が申し訳なさそうにするけれど、それでもこの状況をツカサが許しているのは、嵐子先輩が生徒会に必要な人材だから……かな。

「各自進捗状況の報告を」
 ツカサの声で集中が途切れる。時計を確認すると、三時だった。
 優太先輩は嵐子先輩の勉強を見つつも大半は終わっていて、私とツカサは半分ちょっとというところ。
 それでもパソコン操作に慣れているツカサのほうがいくらかは進んでいるわけで、ちょっと悔しい……。
「嵐、今からおまえも一時会計」
「はっ!?」
 数式と睨めっこしていた嵐子先輩が顔を上げる。
「別に難しいことじゃない。優太がやっていた収支報告とリトルバンクの照らし合わせ作業だ。残り少ないから、こっちのペースに流されずにやれ。ゆっくりでいいから、絶対に間違えるな。今まで作業している人間たちの目の前で二時間は勉強したんだ、そのくらいは手伝えるよな?」
 有無を言わせない言葉に、
「わかったわよぅ……やるわよ」
 嵐子先輩は開いていた問題集を片付け、優太先輩がやっていた作業を引き継いだ。
「こっちの残りは三人でやれば二時間程度で終わらせられるだろう」
 その言葉に嵐子先輩が目を剥く。
「ええええっ!? だってそれ、去年の体育祭のよりも大変な作業なんでしょっ!?」
「最初に言った。こんな作業に三日もかけるつもりはない」
「……嵐子、このふたりの頭脳を甘く見ちゃいけない。方や未履修分野を異例の速さでパスした前代未聞の外部生。方や藤宮に入学してから一度もその座を譲らないという俺らの学年首位様だ。しかも、ふたりは各学年の理系のトップ」
 各学年の理系のトップって……何?
「あの、理系のトップってなんですか?」
「翠は見てないからな……。学期ごと、終業式の朝には文系と理系のランキング表がテスト後と同じ要領で昇降口入ってすぐの廊下に貼りだされる」
 そうなのね……。
「一年理系では翠がトップ。文系では海斗がトップ。因みに、翠は文系で十四位。期末で点数落とした割には良かったんじゃない?」
 涼しい顔をしたツカサに言われる。
「嵐子先輩……ツカサの順位は?」
「嫌みよね……。どちらも首位なの」
 はぁ、やっぱり……。
 蒼兄……蒼兄のいたところを目標とするのは難しいみたい。理系はともかく、文系においては打倒十三人みたい。

 当初三時までの予定だった作業は、間に数回の休憩を挟み五時過ぎまでかかった。
 外は優しい茜色に染まっている。
 三日はかかるという作業を一日で終わらせたことに、嵐子先輩はひどく興奮していた。
 私も達成感はあるけれど、それ以上に目の前に広がる空がきれいで――きれいすぎて涙が出そう。
 優太先輩と嵐子先輩は電車通学のため、校門を出るとバス停へ向かって坂を下る。それに対し、私とツカサは坂を上がりマンションへ向かう。
 その坂にうちの生徒が十人ほどいて、そのうちのひとりにツカサが声をかけた。
朝霧あさぎり、今は部活動禁止期間のはずだけど?」
「学校にはちゃんと許可証発行してもらってるからお咎めなしだよ。いい感じに雲がある日の夕焼けを撮りたくてさ。藤宮たちは――あ、あのマンションか。待ってるからとっとと坂上がっちゃってね」
「翠、行こう」
「は、はい」
 ツカサの隣に並び、
「部活動?」
「あぁ、映研部の撮影らしい」
 そういえば、映像研究部が何か作るという報告書は目にしていた。どうしてこの期間なのだろう、とは思ったけれど、試験前になると部活も何もかもが休止状態になる。人通りを避けるのならこの時期のこの時間帯がベストだったのかもしれない。
 わざわざこの時間まで待っていたのに、このきれいな夕焼けを逃がすのは惜しいよね。
 こういうとき、ちょこちょこっと一〇〇メートルくらい走れたらいいのに……。
 いつもよりはスライド大きめで歩くツカサに、「体調は?」と訊かれた。
 小走りよりは少し遅めのペースで歩きながら、
「最近、ことあるごとにそればかり訊かれてる気がする」
 ほんの少しだけ不服申し立てをすると、
「俺の携帯にはもうバイタルが転送されてないんだから訊くしかないだろ」
 淡々と言い返されて唸りたくなる。
「微熱は続いてるけど、まだ大丈夫……」
 まだ動ける……。
 坂を歩く足元を見ていると、前から額をペシ、と叩かれた。
「まだ大丈夫なうちに対処が必要だって、いつになったら学習する?」
「……どうせ万年首位の人には敵いませんっ」
「そういう問題じゃないだろ……。翠はもっと自分の身体の扱い方を学ぶべきだし、もっと大切に扱うべきだ」
「……ツカサ、たとえば自分の身体の扱い方を知っていたとして、ちゃんと大切に扱うことができるとして、それで友達と別行動することになるとしたら――ツカサはどっちを取る?」
 足は自然と止まる。
「……悪い、そういうつもりで言ったわけじゃない」
 なんともいえない空気が流れる。
「うん、わかってる。ツカサが言っている意味もわかってて、自分がどうしなくちゃいけないのかもわかってて――でもね、そこが私の最大の葛藤なの。うまく折り合いをつけられる場所が見つけられない」
 高校に入ってからというものの、ずっとその迷路の中にいる。
 周りにいる友達が大好きで、一緒に行動したいと思えば思うほどにつらくなる。気持ちと、制約だらけの身体にがんじがらめにされる。
 ――「生きていることに感謝を」。
 そんなふうに思えないことがある。
 たぶん、ツカサがセーブしてくれなかったら、私はまた同じことを繰り返す。ツカサという存在はものすごくありがたくて、でも、現実を突きつけられるたびに私は葛藤する羽目になる。
「もう一度、俺の携帯にバイタルの転送してもらえるように――」
「それはだめ」
 顔を上げて笑顔で拒否。
「そんな眉間にしわを寄せてもだめ」
「なんで」
「ツカサが第二の蒼兄になっちゃうから。……帰ろう?」
 言ってツカサを追い越した。
 そして無様に躓く。
「ドジ……」
 呆れた声と共にツカサは手を差し出してくれた。
 私はなんの躊躇いもなくその手に自分の手を重ねる。
 いつ、この手が取れなくなるとも知らないで――
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