光のもとで1

葉野りるは

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第十一章 トラウマ

03話

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 朝、基礎体温計のアラームで目を覚ます。それが日課だったはずなのに、私の身体は病院にいたときに、すっかり六時起きの習慣がついてしまっていた。
 仕方なく、六時四十五分にセットしてあった基礎体温計のアラーム時間を変更して体温を測る。
 三十五度八分──低温期が始まった。たぶん、今日の夜か明日には生理がくる。それを思うと憂鬱になる。
 「生理痛」も全身の痛みを誘発する「痛み」であることには違いない、と相馬先生に教えられた。
 生理痛を軽くするためのお灸ポイントを教えてもらい、市販で売っているお灸も常備してあるけれど――やっぱり痛いんだろうな、と思えば気分も重くなる。
 カタン、と外のポーチが開く音がして、蒼兄がランニングから帰ってきたことに気づく。
 ベッドを抜け出し部屋から顔を覗かせ、「おかえり」と声をかけると、蒼兄は爽やかな笑顔で「おはよう」と返してくれた。
「体調は?」
「今は痛みが少しだけ……。でも、今日の夜か明日には生理が来ちゃうから、また痛い人になってる」
 苦笑いで答えると、
「そればかりはなぁ……男の俺にはわからない痛みだからな」
 私と同じように苦笑いが返ってきた。
「今日は学校が終わったら病院だろ?」
「うん。できれば自分で歩いて行きたいのだけど、無理ならお母さんに送ってもらう」
「この時間ですらかなり暑いからな……。翠葉ひとりで歩かせるのはちょっと不安かな」
 言いながら、蒼兄はシャワーを浴びに洗面所へ入っていった。
 私も髪の毛をまとめて洗顔の準備をする。蒼兄がバスルームに入ったのを確認してから洗面所に入ると、鏡に映った自分にため息をつきたくなる。
 痩せこけた自分の頬を両手で包み込み、
「しばらく髪の毛は結べないなぁ……」
 改めて自分の顔を見て思うことはだたひとつ。やつれている。とても貧相に……。
 制服を着ればごまかせる部分はごまかせる。でも、顔だけは隠しようがない。
 それを見られるのが嫌だから、と学校へ行かないのは違う。それでは夏休みにがんばった意味がなくなってしまう。
「……私は私。そう思わなくちゃだめだよね……」
 少し考えれば、「何を今さら」というツカサの声が聞こえてきそうだった。

 洗顔を済ませ制服に着替えてリビングへ行くと、すでにお母さんが朝食の用意をしていた。
「おはようっ!」
 元気な声をかけられると、それだけで活力を分けてもらえた気分になる。
「おはよう」
「今日は痛みはなさそうね?」
 こんな会話も普通にできるようになってきた。
「うん。でも、夜か明日には生理だと思う。だから、また痛み止めと冷や汗コースかな」
「そっか……。出産すると変わるんだけどね。翠葉にはまだ早い話だし……それに、翠葉はまだ生理が始まって数年だもの。二十歳を超えれば少しは楽になるかもしれないわ」
 お母さんも学生のころは生理痛がひどかったらしい。けれども、蒼兄を産んでからはとても軽くなったという。
 ――「女の身体って変わるのよ」。
 そう教えてくれたけれど、まだ私にはわかりそうもない。

 朝食の席には唯兄だけがいなかった。
 昨夜、みんなで夕飯を食べたあと、秋斗さんに拉致されてそのまま帰ってこなかったのだ。
 きっと、夜通し仕事していたのだろう。
 そう思えば、ついつい天井を見上げてしまう。
 お母さんに見送られて蒼兄と家を出るとき、入れ替わりで唯兄が帰ってきた。
 どうしたことか、一晩でげっそりとやつれたように見える。
「リィ、気をつけてね」
 一言口にすると、唯兄は吸い込まれるように自室へ入っていった。お母さんが、
「唯くん、朝食は?」
「碧さん、エネルギーを入れるためには睡眠が必要……」
 不思議な答えを述べてから唯兄はドアを閉めた。

 一階のロータリーではお父さんが車に乗って待っていてくれる。
「お父さん、学校はすぐそこだよ?」
「でも、この暑い中を歩かせるのはなぁ……。それに、父さんは午後には現場に戻らなくちゃいけないし、このくらいはさせてほしい」
 たぶん、「暑い中を歩かせたくない」というのは嘘ではないだろう。それから、「自分にできることをさせてほしい」という気持ちも。でも、それ以上に「一緒にいたい」という気持ちを強く感じてしまうから、何も言えなくなってしまう。
 次、お父さんに会えるのはいつかな……。

 昇降口の前で降ろしてもらうと、ちょうどツカサが部室棟からこちらに向かって歩いてくるところだった。
 蒼兄は軽く手を上げて挨拶を交わし、「じゃ、俺は行くから」と大学へつながる通路を歩き始めた。
 その背中を見て思う。
 こうやって別々に行動することが増えて、いずれは蒼兄と違う道を歩くことになるのだろう、と。
「体調は?」
 昇降口にたどり着いたツカサは開口一番にそう口にした。私はむっとして、
「朝の挨拶は『おはよう』だよっ!?」
「おはよう。で、体調は?」
 もう……。
「大丈夫……じゃなくて、今日は大丈夫だと思う。今日は始業式とホームルーム、それから生徒会の打ち合わせだけでしょう?」
「そう」
「そのあとは病院で治療だから大丈夫」
「最近少しだけ、『大丈夫』の信憑性が上がった」
 ツカサはそれだけ口にして昇降口の中へ入っていく。
 上履きに履き替えると、階段の手前でツカサが待っていてくれた。たぶん、待っていてくれたのだと思う。
 私が隣に並ぶと一緒に階段を上がり始め、
「始業式、桜林館の空調をフル稼働するように秋兄に言ってあるけど、少しでも血圧が下がり始めたら座れよ?」
「うん」
「それから、図書棟に移動するときは簾条か海斗と――」
「ツカサっ。私、そこまで子どもじゃないっ」
「……わかった。俺が連れて行くのが手っ取り早い。教室で待ってろ」
「ちょっとっっっ!?」
 ツカサは私の言葉を気に留めず、三階へと続く階段を上っていってしまった。
「悔しいなぁ……」
「翠葉……?」
 背後から階段を上がってきたのは桃華さん。
「もしかして、今の藤宮司?」
 すでに姿はない階段を桃華さんは凝視していた。
「ん? うん。ツカサと昇降口で一緒になったの。もうね、ひどいんだよ? 血圧が下がったらすぐに座れとか、図書棟に移動するときは海斗くんか桃華さんと一緒に行けとか……」
 言いながら教室のドアを開けると、まだ教室には誰もいなかった。
 クラスメイトがたくさんいて賑やかなのも好きだけど、この整然と並ぶ机を見るのがとても好き。それから、午後の西日が入る教室も。
「藤宮司、喋るようになったわね……」
 ぼそり、と桃華さんが言う。
「あのね、夏休み中に言われたの。思っていることを話せって。私が話すように心がけていたら、ツカサも同じように話してくれるようになった」
 桃華さんは一瞬だけフリーズして、次の瞬間にはにこり、ときれいに笑みを深めた。
「夏休み中に何があったのか、しっかりみっちり報告してもらおうかしら?」
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