465 / 1,060
第十章 なくした宝物
20話
しおりを挟む
「家に帰ってきた私は、痛みに耐えることが精一杯で、人との接点を避けることに躍起になっていたと思います」
思い出すだけでも苦い気持ちでいっぱいになる。
「とくに、両親には仕事に戻ってもらいたくて……」
ツカサは何か言いたそうだったけれど、意識して口を噤んでいるように見えた。一方、秋斗さんは完全に聞く体勢で私の言葉を待っている。
「唯兄はいつでも私の味方でいてくれて、時には嘘までついてくれて――家族だけだったら、きっともっとひどいことになっていました」
「若槻は……君たち兄妹にとってすごくいいパートナーになると思うよ」
きっと、唯兄がうちの家族に加わったことも秋斗さんは知っているのだろう。
このふたりになら話しても大丈夫。そう思ったから蒼兄と桃華さんが付き合っていることも話した。
「御園生さん、趣味悪……」
ツカサ、それはあんまりだと思うの……。
逆に秋斗さんは、
「やっとくっついたか。司、蒼樹にはああいう子が合ってるんだよ」
私はその言葉に頷く。
「私もとてもお似合いだと思います」
「あのふたりは結婚まで行くんじゃないかな? 俺、こういう勘は当たるんだ」
ツカサは何か言いたげな目で秋斗さんを見ては、ぷい、と外を見る。
「しばらくして、静さんと栞さん、湊先生が来てくれました。私は湊先生に、両親を職場に戻す協力をしてほしいとお願いをしていて、湊先生は静さんに協力を仰いでくれたのだと思います」
あの日の静さんは、それまで見たことがないくらいに厳しい大人の顔をしていた。
「静さんが帰るとき、唯兄に付き添ってもらって玄関で少し話したんですけど……」
静さんは何もかもお見通しだった。何もかも見通していたからこそ、人にかまわれたくないのなら自分のところへ来ればいい、と言ってくれたのだ。
あのときは何を言われているのか咄嗟に理解はできなかったし、言われたことを受け入れることもできなかった。でも、今ならわかる。
静さんは私に家と病院以外の選択肢を提示してくれたのだ。
その話の途中、お母さんが会話に加わった。いつもとは違うお母さんの声と表情に息を呑んだ。
あのとき、お母さんは同級生や親友、そういうすべてのものを差っぴいて、「ビジネスの話をしましょう」。そう言っているように見えた。
でも、ビジネスの会話、とは表面だけで、お母さんの怒りの感情が見え隠れしていたように思える。
あのあと、お母さんと静さんは何を話したのかな……。
「あのあと、私は碧に怒られただけだよ」
え……?
急に割り込んだ声に、三人とも病室の出入り口に目をやる。
そこには静さんが立っていた。
いつからいたの……?
「碧も零樹も、人のことを親友扱いする割に、娘の身体のことは一切話してくれなかったからね。君が、こんなにもつらい思いを毎年していることは知らずにいたんだ」
静さんが部屋の中へ入ってくると、
「おや、両手に花だね?」
両手――つまり秋斗さんとツカサが花ということなのだろう。
「静さん、こんにちは……」
回想していたこともあり、気持ちがグラグラと不安定で、声もガタガタだった。
「なんでここに……」
秋斗さんが身を引いて尋ねると、
「私が会わせると言わなかったか?」
静さんは少しきつい口調で秋斗さんに問う。秋斗さんが一言も答えずにいると、「自分が連れてきました」とツカサが口にした。
「連絡の一本くらいは欲しかったものだな。蔵元と栞から連絡が来るまで、私はひとり蚊帳の外だったわけか?」
……何? なんなの……?
「翠葉ちゃん、翠葉ちゃんが記憶をなくす過程においては、私も一枚噛んでいるんだ」
静さんは目を伏せ、静かに口にした。
「それは話をしていけばわかることだ。そんなわけで、ここからは私も同席させてほしいんだが?」
静さんは私たち三人に視線をめぐらせる。
ツカサは面白くなさそうな顔をしていたけれど、唯一静さんの申し出に答えられた人だった。
「別にいいんじゃない? 一枚噛んでるのは間違いないし」
静さんは、「いいかな?」と私と秋斗さんを交互に見た。それに、私と秋斗さんは頷くことで了承した。
静さんが病室のソファにかけたことを合図に話の先を促された。
「家に帰ってすぐに考えたのはマンションと自宅の差。メリットとデメリット――」
「それ、普通は帰る前に考えない?」
ツカサに突っ込まれて苦笑を返す。
「そうだよね。でも、あのときはどうしてかおうちに帰ることしか考えられなかったの」
すると、秋斗さんが俯いたまま言葉を発した。
「そうさせたのは、俺の行動に一因があると思う」
顔は見えない。でも、今秋斗さんがどんな顔をしているのかはわかる気がした。
「秋斗さん……私にはその記憶がないんです。だから、そんな顔も声も、しないでください」
大きな声でしっかりと言いたいのに、声は言葉を発するごとに小さくなっていく。
「俺も翠葉ちゃんに同じことを言ったのにね。自分じゃできそうにない」
秋斗さんは軽く左右に頭を振って席を立った。
「そんなのずるいですっっっ」
左手で秋斗さんの手をぎゅっと掴んだ。握られていた手を離されたから。
今、この手を離しちゃいけないと思った。
「私もひどいことをしたのでしょう? 秋斗さんを傷つけたのでしょうっ!? 私にはひどいことをされた記憶もなければひどいことをした記憶もないっ。でも、全部聞くし……ちゃんと受け止めようと思うから――」
なんて言葉を続けたらいいんだろう……。
「秋兄、フェアじゃない。翠の言うとおり、ずるいだろ? なんのためにここへ来たんだよ」
ツカサが秋斗さんを睨みつけると同時、右手を乗せていただけの手が少し強く握られた。
私たち、ちゃんとつながってる……?
「秋斗、話すと決めたからここへ来たのだろう? 己が決めたことから逃げるような人間を私は知らない」
静さんの言葉は止めだったと思う。
まるで、そんな人間は一族にいない、とでも言うかのように……。
秋斗さんは一度私たちに背を向け、廊下の方を向いた。
後ろ姿でも深呼吸をしているのがわかる。肺に酸素を入れている感じではなく、複式呼吸のほう。
私が掴んでいるだけだった手が、ほんの少し握り返された。
「ごめん……。そうだった、俺が話そうと思って、話さなくちゃいけないと思ってここに来たんだった。……俺が逃げてたら意味ないな」
そう言ってこちらを向き、スツールに掛け直す。
「秋斗、司。今は翠葉ちゃんが話をする番なんだろう? ならばおまえたちは話の腰を折らずに聞け。そうしなければ話は最後まで終わらない」
「……悪い。俺が最初に話を中断させた」
ツカサに謝られたけど、
「だいたいにして、翠の考えが突っ込みどころ満載なのが悪い」
しっかりと文句も言われた。
「ごめん……私、痛みがあるときはどうしても建設的な考えができないの」
「そういうときことそ周りを頼ればいいだろ?」
「それはできない……というか、嫌なの。頼るというか、任せっきりというか、自分の意思がどこにもない感じというか……。どんどんできることがなくなっていって、そのうえ、考えることもやめてしまったら、自分が自分でいられないような気がして――だめなの」
「……翠葉ちゃん、そういう気持ちを全部教えてくれないかな。俺たちが会っていなかった期間、翠葉ちゃんが何をどう考えていたのか……」
「……はい」
空気が重苦しくなってきたとき、
「はいはいはい、失礼するよ」
ズカズカと病室に入ってきたのは相馬先生だった。
「おい、藤宮一族はちょっと外に出てろや」
「えっ……? 先生、何?」
相馬先生に声をかけると、先生はしれっとした顔で「空気の入れ替え」と口にした。
三人はすぐに席を立ち、病室から出ていった。
「この藤宮空気、どうにかしようぜ?」
先生は窓を開ける。そして、外の熱気に、「うぉ、あちっ」と文句を言ってすぐに窓を閉めた。
思い出すだけでも苦い気持ちでいっぱいになる。
「とくに、両親には仕事に戻ってもらいたくて……」
ツカサは何か言いたそうだったけれど、意識して口を噤んでいるように見えた。一方、秋斗さんは完全に聞く体勢で私の言葉を待っている。
「唯兄はいつでも私の味方でいてくれて、時には嘘までついてくれて――家族だけだったら、きっともっとひどいことになっていました」
「若槻は……君たち兄妹にとってすごくいいパートナーになると思うよ」
きっと、唯兄がうちの家族に加わったことも秋斗さんは知っているのだろう。
このふたりになら話しても大丈夫。そう思ったから蒼兄と桃華さんが付き合っていることも話した。
「御園生さん、趣味悪……」
ツカサ、それはあんまりだと思うの……。
逆に秋斗さんは、
「やっとくっついたか。司、蒼樹にはああいう子が合ってるんだよ」
私はその言葉に頷く。
「私もとてもお似合いだと思います」
「あのふたりは結婚まで行くんじゃないかな? 俺、こういう勘は当たるんだ」
ツカサは何か言いたげな目で秋斗さんを見ては、ぷい、と外を見る。
「しばらくして、静さんと栞さん、湊先生が来てくれました。私は湊先生に、両親を職場に戻す協力をしてほしいとお願いをしていて、湊先生は静さんに協力を仰いでくれたのだと思います」
あの日の静さんは、それまで見たことがないくらいに厳しい大人の顔をしていた。
「静さんが帰るとき、唯兄に付き添ってもらって玄関で少し話したんですけど……」
静さんは何もかもお見通しだった。何もかも見通していたからこそ、人にかまわれたくないのなら自分のところへ来ればいい、と言ってくれたのだ。
あのときは何を言われているのか咄嗟に理解はできなかったし、言われたことを受け入れることもできなかった。でも、今ならわかる。
静さんは私に家と病院以外の選択肢を提示してくれたのだ。
その話の途中、お母さんが会話に加わった。いつもとは違うお母さんの声と表情に息を呑んだ。
あのとき、お母さんは同級生や親友、そういうすべてのものを差っぴいて、「ビジネスの話をしましょう」。そう言っているように見えた。
でも、ビジネスの会話、とは表面だけで、お母さんの怒りの感情が見え隠れしていたように思える。
あのあと、お母さんと静さんは何を話したのかな……。
「あのあと、私は碧に怒られただけだよ」
え……?
急に割り込んだ声に、三人とも病室の出入り口に目をやる。
そこには静さんが立っていた。
いつからいたの……?
「碧も零樹も、人のことを親友扱いする割に、娘の身体のことは一切話してくれなかったからね。君が、こんなにもつらい思いを毎年していることは知らずにいたんだ」
静さんが部屋の中へ入ってくると、
「おや、両手に花だね?」
両手――つまり秋斗さんとツカサが花ということなのだろう。
「静さん、こんにちは……」
回想していたこともあり、気持ちがグラグラと不安定で、声もガタガタだった。
「なんでここに……」
秋斗さんが身を引いて尋ねると、
「私が会わせると言わなかったか?」
静さんは少しきつい口調で秋斗さんに問う。秋斗さんが一言も答えずにいると、「自分が連れてきました」とツカサが口にした。
「連絡の一本くらいは欲しかったものだな。蔵元と栞から連絡が来るまで、私はひとり蚊帳の外だったわけか?」
……何? なんなの……?
「翠葉ちゃん、翠葉ちゃんが記憶をなくす過程においては、私も一枚噛んでいるんだ」
静さんは目を伏せ、静かに口にした。
「それは話をしていけばわかることだ。そんなわけで、ここからは私も同席させてほしいんだが?」
静さんは私たち三人に視線をめぐらせる。
ツカサは面白くなさそうな顔をしていたけれど、唯一静さんの申し出に答えられた人だった。
「別にいいんじゃない? 一枚噛んでるのは間違いないし」
静さんは、「いいかな?」と私と秋斗さんを交互に見た。それに、私と秋斗さんは頷くことで了承した。
静さんが病室のソファにかけたことを合図に話の先を促された。
「家に帰ってすぐに考えたのはマンションと自宅の差。メリットとデメリット――」
「それ、普通は帰る前に考えない?」
ツカサに突っ込まれて苦笑を返す。
「そうだよね。でも、あのときはどうしてかおうちに帰ることしか考えられなかったの」
すると、秋斗さんが俯いたまま言葉を発した。
「そうさせたのは、俺の行動に一因があると思う」
顔は見えない。でも、今秋斗さんがどんな顔をしているのかはわかる気がした。
「秋斗さん……私にはその記憶がないんです。だから、そんな顔も声も、しないでください」
大きな声でしっかりと言いたいのに、声は言葉を発するごとに小さくなっていく。
「俺も翠葉ちゃんに同じことを言ったのにね。自分じゃできそうにない」
秋斗さんは軽く左右に頭を振って席を立った。
「そんなのずるいですっっっ」
左手で秋斗さんの手をぎゅっと掴んだ。握られていた手を離されたから。
今、この手を離しちゃいけないと思った。
「私もひどいことをしたのでしょう? 秋斗さんを傷つけたのでしょうっ!? 私にはひどいことをされた記憶もなければひどいことをした記憶もないっ。でも、全部聞くし……ちゃんと受け止めようと思うから――」
なんて言葉を続けたらいいんだろう……。
「秋兄、フェアじゃない。翠の言うとおり、ずるいだろ? なんのためにここへ来たんだよ」
ツカサが秋斗さんを睨みつけると同時、右手を乗せていただけの手が少し強く握られた。
私たち、ちゃんとつながってる……?
「秋斗、話すと決めたからここへ来たのだろう? 己が決めたことから逃げるような人間を私は知らない」
静さんの言葉は止めだったと思う。
まるで、そんな人間は一族にいない、とでも言うかのように……。
秋斗さんは一度私たちに背を向け、廊下の方を向いた。
後ろ姿でも深呼吸をしているのがわかる。肺に酸素を入れている感じではなく、複式呼吸のほう。
私が掴んでいるだけだった手が、ほんの少し握り返された。
「ごめん……。そうだった、俺が話そうと思って、話さなくちゃいけないと思ってここに来たんだった。……俺が逃げてたら意味ないな」
そう言ってこちらを向き、スツールに掛け直す。
「秋斗、司。今は翠葉ちゃんが話をする番なんだろう? ならばおまえたちは話の腰を折らずに聞け。そうしなければ話は最後まで終わらない」
「……悪い。俺が最初に話を中断させた」
ツカサに謝られたけど、
「だいたいにして、翠の考えが突っ込みどころ満載なのが悪い」
しっかりと文句も言われた。
「ごめん……私、痛みがあるときはどうしても建設的な考えができないの」
「そういうときことそ周りを頼ればいいだろ?」
「それはできない……というか、嫌なの。頼るというか、任せっきりというか、自分の意思がどこにもない感じというか……。どんどんできることがなくなっていって、そのうえ、考えることもやめてしまったら、自分が自分でいられないような気がして――だめなの」
「……翠葉ちゃん、そういう気持ちを全部教えてくれないかな。俺たちが会っていなかった期間、翠葉ちゃんが何をどう考えていたのか……」
「……はい」
空気が重苦しくなってきたとき、
「はいはいはい、失礼するよ」
ズカズカと病室に入ってきたのは相馬先生だった。
「おい、藤宮一族はちょっと外に出てろや」
「えっ……? 先生、何?」
相馬先生に声をかけると、先生はしれっとした顔で「空気の入れ替え」と口にした。
三人はすぐに席を立ち、病室から出ていった。
「この藤宮空気、どうにかしようぜ?」
先生は窓を開ける。そして、外の熱気に、「うぉ、あちっ」と文句を言ってすぐに窓を閉めた。
2
お気に入りに追加
358
あなたにおすすめの小説
天ヶ崎高校二年男子バレーボール部員本田稔、幼馴染に告白する。
山法師
青春
四月も半ばの日の放課後のこと。
高校二年になったばかりの本田稔(ほんだみのる)は、幼馴染である中野晶(なかのあきら)を、空き教室に呼び出した。
三姉妹の姉達は、弟の俺に甘すぎる!
佐々木雄太
青春
四月——
新たに高校生になった有村敦也。
二つ隣町の高校に通う事になったのだが、
そこでは、予想外の出来事が起こった。
本来、いるはずのない同じ歳の三人の姉が、同じ教室にいた。
長女・唯【ゆい】
次女・里菜【りな】
三女・咲弥【さや】
この三人の姉に甘やかされる敦也にとって、
高校デビューするはずだった、初日。
敦也の高校三年間は、地獄の運命へと導かれるのであった。
カクヨム・小説家になろうでも好評連載中!
プレッシャァー 〜農高校球児の成り上がり〜
三日月コウヤ
青春
父親の異常な教育によって一人野球同然でマウンドに登り続けた主人公赤坂輝明(あかさかてるあき)。
父の他界後母親と暮らすようになり一年。母親の母校である農業高校で個性の強いチームメイトと生活を共にしながらありきたりでありながらかけがえのないモノを取り戻しながら一緒に苦難を乗り越えて甲子園目指す。そんなお話です
*進行速度遅めですがご了承ください
*この作品はカクヨムでも投稿しております
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
男子高校生の休み時間
こへへい
青春
休み時間は10分。僅かな時間であっても、授業という試練の間隙に繰り広げられる会話は、他愛もなければ生産性もない。ただの無価値な会話である。小耳に挟む程度がちょうどいい、どうでもいいお話です。
窓を開くと
とさか
青春
17才の車椅子少女ー
『生と死の狭間で、彼女は何を思うのか。』
人間1度は訪れる道。
海辺の家から、
今の想いを手紙に書きます。
※小説家になろう、カクヨムと同時投稿しています。
☆イラスト(大空めとろ様)
○ブログ→ https://ozorametoronoblog.com/
○YouTube→ https://www.youtube.com/channel/UC6-9Cjmsy3wv04Iha0VkSWg
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる