光のもとで1

葉野りるは

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第十章 なくした宝物

11話

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 シチューを口にしてふと窓の外へ目をやる。そこには見事な夕焼けが広がっていた。
「きれい……」
 食事中だったけれど、どうしてももう少し右側の景色が見たくてベッドを下りる。
 空にはいくつか雲が浮かんでいて、それらは虹色の貝殻みたいに発色していてとてもきれいだった。
 藤山の上には茜色の空が広がり、絵の具では表現できそうにない。こういうときこそ、写真だろうか。
 今の時間、携帯ゾーンは間違いなく一等地だろう。
「こういう季節なんだな」
 口にしたのは、意外にも相馬先生だった。
「日本の夏は久しぶりだ」
 言いながら、私の隣に並ぶ。
「私、海外の空は見たことがありません。今日の空も毎年見ている空だけど、今日は特別きれいに見えます」
「それは俺様効果だな」
 ケケケ、と笑っては背中を押され、ベッドへ戻るよう促された。
 蒼兄や唯兄、お父さんやお母さん、桃華さんやツカサもこの空を見ているだろうか。
 みんなが同じ空の下にいるって、すごいことだね……。
 このときの私は知らなかったのだ。こんなきれいな空を見る余裕もなく、唯兄が仕事に追われていたことなど――

 夕飯が終わり、歯磨きを終えたころにツカサはやってきた。
 最初になんて声をかけたらいいのかわからなくて、「おかえりなさい」と口にした。
「はい、ただいま」
 言うなり携帯の操作を始める。
「賞状やメダル、トロフィーは学校管理になってるから写真」
 と、ディスプレイを見せられた。
「あ……」
 そこには無表情なツカサが写っていて、胸元にはメダルが、手にはトロフィーと賞状を持っていた。
「二位だけど……」
「すごいっ! おめでとうっ」
「ありがとう」
 ツカサはすぐに車椅子の用意を始める。
「あっ、ツカサっ。私、歩けるのっ。歩いていいって言われたの」
 ツカサは一瞬目を見開いたけれど、「そう」と手をかけていた車椅子をもとに戻し、代わりに点滴スタンドに手をかけた。
「屋上に行くんじゃなかった?」
「行くっ」
 病室を出てナースセンターの前を通ると、受話器を片手に話している栞さんがいた。
「あ、ちょっと待って――」
 呼び止められたのはツカサだった。
「今、静兄様が病院に向かっているみたいなの。司くんに用事があるから、所在を明らかにしておくようにって」
「屋上にいると伝えてください」
「わかったわ」
 栞さんはまた受話器に向かって話し始め、私たちはナースセンターの前を通り過ぎた。
「電話で聞いて知ってはいたけど、ここまで調子がいいとは思わなかった」
 エレベーターに乗るとまじまじと見られる。
「私もびっくりしてる」
 あ、びっくりしたと言えば――
「今日ね――」
「聞いた」
「……私、まだ何も言ってない」
「家に帰ったら母さんが嬉しそうに話してきた」
 あ、そうか……。
 ツカサは私よりも先に真白さんに会っているのだ。
「ちょっと残念。珍しく大きな出来事で報告ごとだったのに」
「俺は別の意味で残念。ハナを翠に会わせるのは俺だと思ってた。まさか父さんに先を越されるとは思ってなかった」
 面白くないって顔をしているツカサが新鮮。
「ハナちゃん、すごくかわいいね?」
 エレベーターの扉が開いて、足は自然と外へ一歩踏み出す。
 次の一歩もその次の一歩も軽やかに。
 それと同じくらい自然に言葉を話せる。
「この裏に、あんなお部屋があるなんて知らなかった」
 ガラス戸を出て、その裏側を指す。
「俺たちの祖母が入院したときに急遽作ったんだ。――翠」
「何?」
 点滴スタンドはツカサが押してくれているのに、そのチューブにつながれている私のほうが前を歩いていた。
 振り返ると、首に何かを巻きつけられた。
「点滴人間なんだから、そんなに先へ行くな」
 言うのと同時、首の後ろで何か作業をしている。
「……何?」
「お土産」
 え……?
 ツカサの手が首元を離れ、髪の毛を持ち上げられた。
 すると、首に何かがぶら下がる。
 手に取ってみると、ガラス玉――
「……違う、とんぼ玉……?」
「お土産っていっても食べ物じゃないほうがいいと思ったし、でもこれといったものもなかったから、露店で見かけたとんぼ玉。悪いけど、精巧なつくりじゃないし安物だから」
 だから何……?
「すごく、すっごく嬉しいよっ!?」
 だって……。
「大好きな淡い緑だし、お花の模様がついているし、ガラス好きだし、ツカサが選んでくれたのでしょう?」
「……俺以外に誰もいないだろ」
「だから嬉しいっ」
 せっかくつけてくれたのだけど、もっとじっくりと見たくて外そうとした。でも、指先がうまく動かない。
「……外すの?」
「だって、ちゃんと見たいんだもの」
「わかった、外すから」
 また首にツカサの手が触れる。それがくすぐったくて、なんだかドキドキした。
 顔も熱い気がしたけれど、夕焼けの名残もなくなり、薄闇色に化した空の下では顔色などわからないだろう。
「ほら」
 手の平に置かれたのはシルバーのチェーンに通された淡いグリーンのとんぼ玉。赤いお花が散っていてかわいい。
 大ぶりのとんぼ玉だから、チェーンに通すだけで十分なアクセサリーだった。
「きれい……かわいい、ありがとう」
 ツカサはぷい、と後ろを向いたかと思うと、少し離れたところにあるベンチに向かって歩きだす。
 もちろん点滴スタンドも一緒だから、私もそちらへ行かなくてはいけない。
 まるでリードを付けられたペットの気分だ。
「ツカサ、まさかとは思うけど、私のことをペットみたいに扱っていたりしないよね?」
 ベンチに座り、私よりも背の低くなったツカサを見下ろすと、上を向いたツカサがニヤリ、と笑う。
「なんだ、やっと自覚したのか」
「ひどいっ! ハナちゃんはかわいいけど、私は一応人間なんだからねっ!?」
「へぇ、一応でいいんだ?」
 意地悪王子様降臨だ……。
 むぅ、とむくれていると、トントン、とツカサの横のスペースを叩かれる。
「歩きまわってもいいのかもしれないけど、立ちっぱなしは良くないだろ?」
 コクリと頷きそのスペースに腰を下ろした。
「何か聞いた?」
「え?」
「うちの両親から」
「……とくには何も」
「ふーん……」
「……だって、百聞は一見にしかず、なんでしょう?」
 ツカサは少し驚いた顔をしていた。
 どうしてそんな顔をするのか疑問に思いながら、
「私は、会って話をしてツカサを知りたいから、たぶん、誰かにツカサのことを訊こうとは思わないと思う」
 手の中にとんぼ玉を見ながら伝える。
「それ、もう一度つけようか?」
「え……?」
「音は鳴らないけど鈴みたいだし……」
 意味を理解する前に、チェーンごとツカサに奪われ、さっさと首につけられた。
「私、猫じゃないんだけど……」
「猫には鈴だよな。翠にはガラス玉?」
 そんな皮肉を言いながら笑う、その意地悪な表情も好き。
 ……もっと顔が熱くなりそう。
 そう思ったとき――ブン、と音を立ててガラス戸が開いた。
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