光のもとで1

葉野りるは

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第十章 なくした宝物

06話

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 改めて電話をかけると、一コールが終わる前に応答してくれた。
「はい」と低く落ち着いた声が携帯から聞こえてきてほっとする。この声が好き……。
「今日も勝ったって楓先生から聞いたの」
 最初はそんな話をした。
 インターハイに出る選手はみんな強豪。勝ち上がると共にもっと強い相手と当たるわけで……。
「ツカサは緊張したり神経を集中させるときにはどうするの?」
『……腹式呼吸をしながら頭を空っぽにして数を数える』
 それって――
「一から十までの数……?」
『そう……』
 一から十までの数にはそんな意味があったんだ。
「やっぱり、気持ちを切り替えるためのアイテムなのね」
『……翠?』
 こちらをうかがうような声音。
「私がそれを何に使っていたのか、知ってる?」
『残念ながら知らない』
「そっか……」
『用件ってそれ?』
 私はぐ、と言葉に詰まる。
「あの、えと……今日、新しい先生が来てね、相馬先生っていうのだけど……」
『あぁ、今日だったんだ』
「うん、すごく怖い顔をしていて、喋る言葉も乱暴で、苦手意識を持っちゃったの」
『翠ならそうあってもおかしくないんじゃない?』
 ツカサは何を疑問に思うでもなく、普通のことのように言葉を返してくる。
「でもね、実はすごく優しい先生なのかもしれないってさっき気づいて……」
『そう』
 帰ってくる答えはたぶん外れない。わかっていながら私は訊く。
「ツカサはどう思う?」
『俺はまだ会ってないし話すらしていない。そんな相手にこれだけの情報でどうこう言えないだろ?』
 ほら、桃華さんと一緒。
 つい、クスリと笑ってしまった。
『何……?』
 少しだけ不機嫌そうな声。
「ううん、さっき同じことを桃華さんにも訊いたの。そしたらね――」
『いい……どうせ簾条のことだから、百聞は一見にしかず、とでも答えたんだろ?』
「すごい、当たりっ!」
『すごいっていうか、俺はかなり不愉快だけど』
「ごめんっ、怒ったっ!?」
「こんなことでいちいち怒っていたら、翠と会話なんてしてられない』
 ものすごく呆れた声だった。でも、こんな会話でもきちんと付き合ってくれる。
「ツカサ……こういう電話は迷惑かな」
『……別に』
 別に、か……。
 それはこれからもこういう電話をかけてもいいということになるのかな、ならないのかな。
『出たくなければ出なければいい問題だろ。……確かに、遠くにいる人間と話せるツールではあるけど、出る前には誰からかかってきてるのかがわかるんだ。その時点で選択する余地はある』
 付け足すようにいわれたけれど、それは――
「今、私が電話したときには、出るって選択してもらえたということ?」
『……じゃなかったら、この電話つながってないけど?』
 ツカサらしい言い回しが、どうしてかものすごく嬉しかった。
「すごく嬉しい……ありがとう」
『……どういたしまして。礼を言われるほどのことでもないけど』
 いつも憎まれ口みたいな言葉。でも、話していて嫌とは思わない。むしろ、小気味いいというか心地がいい。
「あのね、治療がなんだか効いているみたいなの。あまり痛みがなくてすごく楽。だからね――」
『遠慮しておく。直接伝えたいから約束の時間に携帯ゾーンにいなくていい。帰ったら病院まで行くから』
 言おうとしたことを先回りされてしまう。
「でも、すぐに知りたいし……。今日は七時過ぎに楓先生から教えてもらったんだよ?」
 電話が使えればもっと早くに知ることができたのに。
『治療の時間だってまだ定まってないんだろ? どのくらいのペースで施術していくのか、そのあとの身体の反応だとか、医者ならその経過観察するのも仕事だ』
 あ、そっか……。
 今日は施術後、ものすごく眠くなって眠ってしまったのだ。
『それでまた、約束が守れなかったとかうだうだ言われるほうが迷惑』
「……意地悪。でも、言われてることは間違ってないから素直に聞く」
『そうしてくれると助かる』
「……私の周りにはツカサみたいな人はツカサしかいないよね?」
 自然と笑いがこみ上げてくる。
『どういう意味? 俺は俺しかいなくて当たり前だと思うけど……』
「んー……そうじゃなくて、こういうふうに話す人、かな。たぶん、ツカサくらいだろうなって思っただけだよ」
『あぁ、そういうこと……。翠と会ったばかりのころは、俺だって翠に怖がられてた。隣に並んで歩けないって思われる程度には』
「えっ!? そうなのっ!? 今は全然そんなふうに思ってないよっ!? だって、早く会いたいものっ」
『…………』
 ――あ、れ? ……私、今何を言ったんだろう……。早く会いたい――?
「あ、えっと、その、あのねっ、病院嫌いだけど、ツカサが来てくれると病院っていうことを少し忘れられるし、屋上にも連れていってもらえるからっ――」
『……そんなの、兄さんに頼んでも連れていってもらえるだろ』
 そうなんだけど、そうじゃなくて――
『……わかった。帰ったら屋上に連れていく』
「本当っ!?』
『嘘つく意味ないだろ?』
「ありがとうっ!」
『じゃ、そろそろ切る。翠、就寝時間前には病室に戻れ』
「……はい」
『因みに、ブランケットくらいはかけてるんだろうな?』
 今日は膝にかけるようなものは何も持ってきていなかった。
 無言から察したのか、
『ペナルティ一。次から電話の最初にはそれ確認するから。持ってなかったら即刻切る。じゃ、おやすみ』
「おや――……すみなさい」
 最後まで言う前に切られてしまった。
 ブランケット、確かに持ってきてなかったけど……。
「どうしてそこまで怒るかなぁ……」
 まだまだツカサが何をどう考えているのかはわからない。
 もっと知りたいのにな……。
 電話じゃなくて、会って話して色んなことを聞いて、知りたい――
 なくした記憶も気になる。でも、私は――
 その記憶以上にツカサのことが知りたい。それはおかしいことなのかな。

 携帯の時計は八時五十五分を表示していた。
「病室に戻らなくちゃ……」
 病院にいると、どうしてもひとり言が増えるな、と思いながら点滴スタンドをカラコロと押す。
 廊下に響くキャスターの音を聞きながら歩いていると、ナースセンターで相馬先生がカルテに突っ伏して寝ているのを見つけた。
 先生は今日帰国したばかりなのだ。時差の関係もあるだろうし、疲れているのだろう。
 病室に戻ってブランケットを取ってくると、ナースセンターの中へそっと足を進める。
 点滴スタンドのキャスターは相変わらずカラコロと音を立てていて、先生が起きてしまうんじゃないかとハラハラする。
 近くまで寄ってブランケットをかけると、結局は起こしてしまった。
 落胆している私に、腕時計で時間を確認した先生は、
「おい、ブランケットかけてる場合じゃねぇだろ。ヤクの時間だろ? 寝かせてねぇでとっとと起こしやがれ」
 逆に怒られてしまった。
「疲れてるのかなって思ったから……」
 反論を口にすると、
「そしたら、嬢ちゃんの就寝前のヤクはどうなるんだ?」
 悪人面で凄まれた。
「……ごめんなさい」
「……気持ちはありがてぇが、あんまよくねぇぞ? ヤクはすぐに飲むのをやめていいものもあれば、徐々に減薬しなくちゃいけないものもある。急にやめるとその反動が怖えぇんだよ」
 先生に促され病室に戻ると、薬をテーブルに置かれた。
「これも徐々に減らしてぇなぁ……」
「減らせるんですかっ!?」
「俺様の腕しだいだな」
 先生はニヤリ、と笑みを深めた。
「昇たちからは動くなって言われてたみたいだが、俺はそんなこと言わねぇよ。痛くなくて動けるなら適当に動け。じゃないと退院してからが大変だ。院内は段差っつー段差がねぇからな。けど、一歩外へ出たら段差だらけだ。そういうのひとつひとつが障害になるぞ」
 それは去年の入院で身をもって知っていた。
 家の一階はバリアフリーだけど外は違う。
「できればスリッパもやめて運動靴にしたほうがいい。スリッパだとどうしても摺り歩きになるからな。足は上げて一歩を踏み出せ。相当つらくない限りは車椅子にも乗らなくていい」
 こんな一気に自由になっていいのだろうか……。
「体重や食事量から見ても、まだこいつは外せねえけどな」
 と、先生は高カロリー輸液に目をやった。
 先生の身長とほとんど変わらないくらいの点滴スタンド。
「ま、極力経口摂取な。おら、とっととヤク飲め」
 急かされて、慌てて薬を飲んだ。
「さて、俺様も寝るかな」
「たぶん、夜中にナースコールは押さないですよ」
「痛み、ずいぶんとおとなしくしてやがるようだな」
 まるで痛みを怪獣か何かのように話すから少しおかしかった。
「このくらいの痛みなら全然大丈夫です」
「我慢は厳禁だ。いいな」
「はい」
 先生は、「おやすみ」の代わりに「とっとと寝ろや」と口にして病室を出ていこうとする。
「先生っ、おやすみなさいっ!」
 さっきツカサに言えなかった分も一緒に言った感じ。
 先生は歩みを止め、肩越しに振り返って「おやすみ」を言ってくれた。
 やっぱり――先生は優しいと思います。
 顔が怖いとか口が悪いとか、そういうのだけじゃ人はわからない。現に、ツカサなんて無表情なことが多いし、言葉なんて愛想の欠片もない。でも、優しい人だとわかる。
 ちょっと、すごく意地悪だけど……。
 人と話してその人を知るのは面白いことなのかもしれない。
 明日、ツカサが帰ってくる……。
「あ……私のバカ」
 がんばってね、って言うの忘れた。明日決勝なのに。
 朝一番でメールを送ろう。
「大丈夫だから、がんばって」と、ツカサが欲した言葉を――
 そんなことを考えていると、薬が効いてきて、穏やかな眠りに誘われた。
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