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10 Side 零樹 01話
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午前中、自分の携帯に病院から連絡が入った。
『藤宮病院の神崎と申します。できましたら、人気のないところまで移動していただけないでしょうか』
なんだろうと思いつつ、自宅の電話ではなく俺の携帯に連絡が入ったことに意を解す。
「ちょっと待ってもらえる? 場所を移動しないと資料が手元にないんだ」
まるで現場からの連絡を装い、ひとりリビングから離脱して三階の仕事場へと移動した。
電話の内容は、翠葉が自分だけには会う、というもの。
どうして自分だけなのか、という理由は教えてもらわなかったけど、愛娘に会えるのは嬉しい。ただ、碧や蒼樹の気持ちを考えると、ひとり抜け駆け感が否めず、少々心苦しくもある。
「でも、悪いな……俺だって翠葉には甘いんだ。一足先に会わせてもらうことにするよ」
声はガランとした部屋に響いた。
それにしても今夜七時、か……。
なんと理由をつけて家を出ようか。車を洗車するのには時間が遅すぎるし、ケーキを買ってくると言っても時間にしたら一時間とかからない。
そこで旧友というワードが浮上する。
静をだしに使わせてもらおう。静のところへ行くともなれば仕事の話だと思うだろうし、一時間やそこらじゃ帰ってこられないことも必然。
「とりあえず、共犯になってもらうべく静にだけは伝えておくか」
静に連絡を入れ了承を得ると、今度は現場に電話を入れて様子を聞き、遠隔で指示を出した。
夕方を少し回ると、仕事場にある内線が鳴った。
『零樹さん、夕飯です』
「ありがとう、すぐに下りるよ」
ダイニングにはみんなが揃っていた。つまり、碧に蒼樹、唯くんに栞ちゃんだ。
栞ちゃんが食べやすいものを作ってくれているから、碧も経口摂取ができるようになっていたし、戻すことお腹を壊すこともなくなった。もしかしたら、紫先生が出してくれた薬が効いているのかもしれない。
翠葉がいない今、自分の斜め前に座るのは唯くん。彼は翠葉の席に座っている。
彼は、俺たち家族が翠葉の話で行き詰まると、いつも何かしら助け舟を出してくれる。
彼の生い立ちは静から聞いて知ってはいたものの、そんな不幸を背負っているようには見えなかった。しかし、兄妹ごっこなんてものをするくらいには「家族」を求めているのかもしれない。
何より助かっていたのは、碧が取り乱しそうになるとき――
彼の発する言葉は俺や蒼樹が口にするより重みがあり、碧が冷静になれてしまうほどの効果があった。
なんだか、彼が我が家にいてくれると非常にバランスがいい。
現在彼の身元引受人は蔵元くんだと言うが、蔵元くんはまだ若い。これは俺の希望というか願望なんだが――。
「唯くん、うちの子にならない?」
歓談が続いていたテーブルが、一気にしんとした。
やば、会話の流れとか空気を考えるの忘れてた……。
でも、「あぁ、それいいよ」と蒼樹が会話に乗じる。そして碧も、
「翠葉も懐いてるみたいだし……」
栞ちゃんは静観を決め込み、ただひとり、唯くんに視線が集る。
彼は椅子を引いて姿勢を正した。
断わられるか……?
「お気持ちはものすごく嬉しいのですが――ここにはリィがいません。リィの意見を聞いてからじゃないとお答えできません」
キッパリと言い切った。が、ってことはだ……。
「「翠葉がOKすればいいわけだ?」」
隣に座る蒼樹と声がかぶり、思わず顔を見合わせる。
そんな俺たちに苦笑しながら、「そうですね」と彼は答えた。
「でも、翠葉は嫌だなんて言わないんじゃないかしら? 栞ちゃん、どう思う?」
碧が訊くと、静かに場を見守っていた栞ちゃんが口を開いた。
「私が見ていた限りでも、若槻くんとはいい関係を築いていると思います」
簡潔にそれだけを述べる。
そのうえでもう一度、「どうだろう?」と尋ねると、
「リィさえOKしてくれたら、こんなに嬉しいことはありません……」
唯くんは少し俯いた。
じゃ、あとで許可を取ってくるかね……。それはまだこの場の人間には秘密だけど。
翠葉も喜んでくれるといいな。……よし、これで話題がひとつできた。
会えるとわかって喜んだのも束の間。実際には会ったら何を話せばいいか話題を探す始末だったのだ。
翠葉相手に嘘はつけないから、碧が元気だなんて言えないし、蒼樹にしたって唯くんにしたって、常に翠葉を気にしながら生活をしている。
うちは、翠葉が入院していようが家にいようが、結局はみんな翠葉が気になって仕方ないんだよ。だったらさ、やっぱり治療に適した場所にいるのが一番いいと思う。
父さんはそう思うんだ。
六時二十分――そろそろ出るか。
「碧、ちょっと静のところへ行ってくる。どうやらこの時間しか都合がつかないらしくてさ」
「あら、そうなの?」
寸分も疑わずに言葉を返されるから心苦しさが沸点を超える。
「九時までには帰ると思う」
「ま、車で行くのならお酒は飲めないでしょうし、気をつけてね」
そんな言葉を添えられて、さらに良心が痛む。
あぁ、話の内容によっては帰ってきたら早々にカミングアウトしてしまおう。
俺は簡単に用意を済ませ、中身が空のブリーフケースを手に家を出た。
病院までは渋滞もなく二十分ちょっとで着いた。
普段なら三十分はかかるはず。
「無意識にスピード出してたか?」
ひとり呟きサイドブレーキを引く。
駐車場から娘がいる棟を眺め、車にロックをかけて面会通用口へと向かった。
……とは言っても、面会時間は終わっているわけで、俺、警備員に止められたりするのかな。
とりあえず、九階へ連絡を入れてもらえれば大丈夫だろう。
そんなことを考えながら、まだ熱気を感じる空気の中を歩く。
現場との温度差にうへぇ……となったのは数日前のこと。
「下界は暑い、空気がまずい」
そんな仙人のようなことを口にした自分を思い出す。
通用口の警備員に事情を話すと、問題なく通された。どうやら、あらかじめ神崎先生から連絡が入っていたようだ。
「慣れちゃったよなぁ……」
ぼやきつつ、見慣れた廊下を進む。
一年前のこの時期にも翠葉はここにいた。四月を迎える前から……。
翠葉が入院したくない気持ちは十分に理解できた。あんなに長い時間をここで過ごしたのだ。もう、戻りたくないと思って当たり前だろう。
今、翠葉は何を思ってここにいるのだろう。
九階に着くと、ナースセンターには麗しい女性がひとり。
こちらに気づいたところで、
「娘がお世話になっています」
「娘さん、屋上でお父様をお待ちですよ」
控え目な笑みと共に申し渡される。
「屋上、かぁ……。屋上に行ったら、次は中庭へどうぞ、とか言われませんよね?」
ほら、何かの伝言ゲームみたいにさ。
「それはないかと思いますが……何かお心あたりでも?」
「いえ、昔読んであげた絵本にそういうお話があったもので」
苦笑をしながら答える。
翠葉はあの話がえらい好きだったからなぁ……。
「数分前に上がったばかりです」
「そうですか。じゃ、行ってみます」
頭をポリポリと掻きながら、歩いてきたばかりの廊下を戻った。
『藤宮病院の神崎と申します。できましたら、人気のないところまで移動していただけないでしょうか』
なんだろうと思いつつ、自宅の電話ではなく俺の携帯に連絡が入ったことに意を解す。
「ちょっと待ってもらえる? 場所を移動しないと資料が手元にないんだ」
まるで現場からの連絡を装い、ひとりリビングから離脱して三階の仕事場へと移動した。
電話の内容は、翠葉が自分だけには会う、というもの。
どうして自分だけなのか、という理由は教えてもらわなかったけど、愛娘に会えるのは嬉しい。ただ、碧や蒼樹の気持ちを考えると、ひとり抜け駆け感が否めず、少々心苦しくもある。
「でも、悪いな……俺だって翠葉には甘いんだ。一足先に会わせてもらうことにするよ」
声はガランとした部屋に響いた。
それにしても今夜七時、か……。
なんと理由をつけて家を出ようか。車を洗車するのには時間が遅すぎるし、ケーキを買ってくると言っても時間にしたら一時間とかからない。
そこで旧友というワードが浮上する。
静をだしに使わせてもらおう。静のところへ行くともなれば仕事の話だと思うだろうし、一時間やそこらじゃ帰ってこられないことも必然。
「とりあえず、共犯になってもらうべく静にだけは伝えておくか」
静に連絡を入れ了承を得ると、今度は現場に電話を入れて様子を聞き、遠隔で指示を出した。
夕方を少し回ると、仕事場にある内線が鳴った。
『零樹さん、夕飯です』
「ありがとう、すぐに下りるよ」
ダイニングにはみんなが揃っていた。つまり、碧に蒼樹、唯くんに栞ちゃんだ。
栞ちゃんが食べやすいものを作ってくれているから、碧も経口摂取ができるようになっていたし、戻すことお腹を壊すこともなくなった。もしかしたら、紫先生が出してくれた薬が効いているのかもしれない。
翠葉がいない今、自分の斜め前に座るのは唯くん。彼は翠葉の席に座っている。
彼は、俺たち家族が翠葉の話で行き詰まると、いつも何かしら助け舟を出してくれる。
彼の生い立ちは静から聞いて知ってはいたものの、そんな不幸を背負っているようには見えなかった。しかし、兄妹ごっこなんてものをするくらいには「家族」を求めているのかもしれない。
何より助かっていたのは、碧が取り乱しそうになるとき――
彼の発する言葉は俺や蒼樹が口にするより重みがあり、碧が冷静になれてしまうほどの効果があった。
なんだか、彼が我が家にいてくれると非常にバランスがいい。
現在彼の身元引受人は蔵元くんだと言うが、蔵元くんはまだ若い。これは俺の希望というか願望なんだが――。
「唯くん、うちの子にならない?」
歓談が続いていたテーブルが、一気にしんとした。
やば、会話の流れとか空気を考えるの忘れてた……。
でも、「あぁ、それいいよ」と蒼樹が会話に乗じる。そして碧も、
「翠葉も懐いてるみたいだし……」
栞ちゃんは静観を決め込み、ただひとり、唯くんに視線が集る。
彼は椅子を引いて姿勢を正した。
断わられるか……?
「お気持ちはものすごく嬉しいのですが――ここにはリィがいません。リィの意見を聞いてからじゃないとお答えできません」
キッパリと言い切った。が、ってことはだ……。
「「翠葉がOKすればいいわけだ?」」
隣に座る蒼樹と声がかぶり、思わず顔を見合わせる。
そんな俺たちに苦笑しながら、「そうですね」と彼は答えた。
「でも、翠葉は嫌だなんて言わないんじゃないかしら? 栞ちゃん、どう思う?」
碧が訊くと、静かに場を見守っていた栞ちゃんが口を開いた。
「私が見ていた限りでも、若槻くんとはいい関係を築いていると思います」
簡潔にそれだけを述べる。
そのうえでもう一度、「どうだろう?」と尋ねると、
「リィさえOKしてくれたら、こんなに嬉しいことはありません……」
唯くんは少し俯いた。
じゃ、あとで許可を取ってくるかね……。それはまだこの場の人間には秘密だけど。
翠葉も喜んでくれるといいな。……よし、これで話題がひとつできた。
会えるとわかって喜んだのも束の間。実際には会ったら何を話せばいいか話題を探す始末だったのだ。
翠葉相手に嘘はつけないから、碧が元気だなんて言えないし、蒼樹にしたって唯くんにしたって、常に翠葉を気にしながら生活をしている。
うちは、翠葉が入院していようが家にいようが、結局はみんな翠葉が気になって仕方ないんだよ。だったらさ、やっぱり治療に適した場所にいるのが一番いいと思う。
父さんはそう思うんだ。
六時二十分――そろそろ出るか。
「碧、ちょっと静のところへ行ってくる。どうやらこの時間しか都合がつかないらしくてさ」
「あら、そうなの?」
寸分も疑わずに言葉を返されるから心苦しさが沸点を超える。
「九時までには帰ると思う」
「ま、車で行くのならお酒は飲めないでしょうし、気をつけてね」
そんな言葉を添えられて、さらに良心が痛む。
あぁ、話の内容によっては帰ってきたら早々にカミングアウトしてしまおう。
俺は簡単に用意を済ませ、中身が空のブリーフケースを手に家を出た。
病院までは渋滞もなく二十分ちょっとで着いた。
普段なら三十分はかかるはず。
「無意識にスピード出してたか?」
ひとり呟きサイドブレーキを引く。
駐車場から娘がいる棟を眺め、車にロックをかけて面会通用口へと向かった。
……とは言っても、面会時間は終わっているわけで、俺、警備員に止められたりするのかな。
とりあえず、九階へ連絡を入れてもらえれば大丈夫だろう。
そんなことを考えながら、まだ熱気を感じる空気の中を歩く。
現場との温度差にうへぇ……となったのは数日前のこと。
「下界は暑い、空気がまずい」
そんな仙人のようなことを口にした自分を思い出す。
通用口の警備員に事情を話すと、問題なく通された。どうやら、あらかじめ神崎先生から連絡が入っていたようだ。
「慣れちゃったよなぁ……」
ぼやきつつ、見慣れた廊下を進む。
一年前のこの時期にも翠葉はここにいた。四月を迎える前から……。
翠葉が入院したくない気持ちは十分に理解できた。あんなに長い時間をここで過ごしたのだ。もう、戻りたくないと思って当たり前だろう。
今、翠葉は何を思ってここにいるのだろう。
九階に着くと、ナースセンターには麗しい女性がひとり。
こちらに気づいたところで、
「娘がお世話になっています」
「娘さん、屋上でお父様をお待ちですよ」
控え目な笑みと共に申し渡される。
「屋上、かぁ……。屋上に行ったら、次は中庭へどうぞ、とか言われませんよね?」
ほら、何かの伝言ゲームみたいにさ。
「それはないかと思いますが……何かお心あたりでも?」
「いえ、昔読んであげた絵本にそういうお話があったもので」
苦笑をしながら答える。
翠葉はあの話がえらい好きだったからなぁ……。
「数分前に上がったばかりです」
「そうですか。じゃ、行ってみます」
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