光のもとで1

葉野りるは

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第九章 化学反応

23話

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 病室に戻ってからも私の質問は続いた。
「あの、これ……これもツカサからのプレゼント?」
 携帯のストラップを指差すと、
「それは俺じゃない。たぶん後日来る」
「誰」とは言わない。きっと私の記憶にない人なのだ。
「わかった……。じゃ、その誰かが来たら訊く」
「知りたいなら教えるけど」
 意外な返事に「誰?」と反射的に訊くと、「秋兄」という返事があった。
「あき、にい……? あ――藤宮秋斗さん?」
「癖はそのままなんだな」
「癖……?」
「疑問に思うとき、顔が右に傾く」
 私ははっとして頭をもとに戻した。
 そんな会話を聞いていた蒼兄たちは、呆気に取られていたのは最初だけで、今ではクスクスと笑いながらこちらを見ている。
「ほかには?」
「秋兄って、海斗くんのお兄さん……? それなら、ツカサの――」
「秋兄は俺の従兄」
 そうだよね……。でも、どうして私はその人と知り合いなのかな……。
「……同じ学校の人? 先輩、なのかな?」
「同校卒業生だけど、秋兄は御園生さんのふたつ上」
 蒼兄よりも年上……?
 不思議に思っていると、蒼兄が補足してくれた。
「秋斗先輩は俺の先輩。翠葉の入学が決まったとき、翠葉のことをお願いしていたんだ」
 そうなのね……。
「どんな人……?」
 顔は楓先生と瓜ふたつと藤原さんが教えてくれた。きっと、脳波検査のときに脳裏に浮かんだのはツカサとその人なのだ。
「……機械マニア」
「え?」
「システムエンジニア――開発者、かな」
 よくわからないけど、すごい人、ということかな。
「翠のこれ……」
 ツカサに服の上から腕を掴まれた。そこにはさっきのバングルがはまっている。
「それ……さっき検査のときに一度外したから知っているのだけど、でも……このバングルに見覚えはないの」
 唐草模様の曲線がきれいなバングル。これはいったいなんなのだろう……。
 結局、湊先生からこれがなんなのかは聞いていない。ツカサが口にしなければ、明日になってルームウェアを着替えるときまで忘れたままだっただろう。
「これ、バイタルチェック装置。携帯を見て不思議に思わなかった?」
 携帯……?
「あの、実はディスプレイは見てなくて、手が勝手に操作を始めちゃったから……録音データしか確認していないの」
「……翠らしいけど阿呆だな」
 ずいぶんとひどい言われようだ。
 本当に私とツカサは仲が良かったのだろうか。こんなやり取りが、日常茶飯事だったのかな……。
「血圧と体温、脈拍を計測していて随時送信されている」
「……どうして?」
「翠が具合が悪いことを口にしないから。……翠を守るためのもの。それを開発したのが秋兄。……これは、翠のためだけに開発されたものだ」
 その理由に絶句していると、
「……そのくらい、翠を心配している人間」
 私を心配してくれている人……。
 こんなすごいものを作ってくれた人はどんな人なのかな。
 聞くだけじゃわからない。会ってみないとわからない。
 私はその人にいつ会うことができるのだろう。
 バングルから視線を外すと、
「今日はここまで」
「えっ?」
 立ち上がったツカサは、肩越しに私を見下ろした。
「短時間で話し切れるほど、付き合い浅くないから」
 きっぱりとした物言いと凛とした表情に息を呑む。でも――
「ツカサ、インターハイ前なのでしょうっ!?」
「前にも言ったけど、もう一度言う。ここに来るのは負担じゃないから。そこでうだうだ考えたら怒るよ」
「……あの、私ももう一度訊いてもいいかな」
「何」
 凛とした表情から一変して、ツカサは眉間にしわを寄せていた。
 私は引きつり気味の頬に手を添え、
「私とツカサは本当に仲が良かったの……?」
「御園生さんか若槻さんに訊けば? じゃ、帰るから」
 ツカサはそそくさと出口へ向かう。
「ツカサっ、来てくれてありがとうっ。それから、色々教えてくれてありがとう。それから、がんばって――じゃなくて、大丈夫だからがんばってねっ?」
 びっくりした顔が振り返り、「ありがとう」と小さな声で言われる。
 本当に、いつもこんな感じだったのだろうか。首を捻らずにはいられない。
 ツカサは笑うことがあるのかな。今日の感じからするととても想像はできないけれど――いつか笑ったところが見られたら嬉しいな。

 ツカサが帰ると、蒼兄がベッド脇にやってきた。
「翠葉、明日の午前なら大丈夫そう?」
「え……何が?」
「あ、そうか……。記憶をなくす前、翠葉が桃華たちにも会いたいって言ったんだ。本当は今日来てもらう予定だったんだけど、今日はバタバタしちゃったから……」
 そんな話をした記憶があるようなないような……。
「明日の午前なら大丈夫だと思う」
 まだ痛みもさほど気にならない。だからきっと大丈夫。
「じゃ、明日の午前に来てもらえるように連絡入れてくる」
「でも、面会時間じゃないよ?」
「この階はほかに患者がいないから、って湊さんと藤原先生から許可はもらってる」
 そうなのね……。
 蒼兄が病室を出ると、今度は唯兄とお母さんがベッド脇にやってきた。
「はい、お茶」
 唯兄に差し出されたカップを受け取る。
「……これは覚えているのにな」
 このやたらめったらカラフルなマグカップにカトラリーは湊先生が買ってきてくれたもの。
「そういえば唯兄、カイバって知ってる?」
 さっきツカサが言っていた言葉を思い出した。
「あぁ、海に馬って書いてカイバでしょ? 主に脳の中で記憶を司る部分っていわれてる。うーん……そうだな、図書館の受付みたいなところだよ」
 そうなんだ……。
「えっ!? それが壊れるのは困るっ」
「……翠葉、なんの話をしているの?」
 お母さんに顔を覗き込まれ、さっきツカサとした話をした。すると、唯兄とお母さんは顔を見合わせて吹きだした。
「ねぇ……私は本当にツカサとは仲が良かったの?」
「そんなに不思議?」
 唯兄に訊かれたから、「とても」と正直に答えると、
「翠葉が男の子とあんなふうに話せることってそうそうないんじゃないかしら?」
 それは確かに……。
「リィは彼のことをえらい格好いいって褒め称えてもいたよ?」
 唯兄の言葉に、耳が熱を持つほどに赤面してしまう。
「あら、真っ赤ね?」
 だってだって、だって――
「……すごく、格好いい……でしょう?」
 お母さんをうかがい見ると、「そうね」と笑われてしまった。
「そうだな……リィ名言集の中からチョイスするなら、水も滴るいい男って言ってた。しかも、本人の前で」
「嘘っっっ」
「ホ、ン、ト」
 唯兄の弾んだ声に絶叫してしまう。
 悶える私の隣で、
「彼はなんて答えたの?」
「そんなに見られると減る」
 ツカサの真似をして唯兄が答えると、お母さんは大笑いし、私はツカサの反応に少しほっとした。
 もしかしたら、いつもこういう会話で、適当に言い合いをするような関係だったのかもしれない。
 でも、そうだよね……。私はあの顔がとても好きだと思う。ど真ん中ストライク、と思うくらいには……。
 ――いつか、誰かにそんなことを言った気がする。その場には誰がいただろう。誰と話していただろう……。
 考えたところで「誰」が見えてくることも、会話の全容を思い出すこともできなかった。

 蒼兄が戻ってくると、
「翠葉、桃華と佐野くんが明日十一時頃に来るって。佐野くんもインターハイの調整に入っているみたいで、部活の拘束時間はそこまで長くないらしい。海斗くんと飛鳥ちゃんは部活だって」
 そっか、佐野くんもインターハイ出場者だった。
 ツカサがインターハイに出ることはさっき聞いたから知っているわけだけど、もっと前から知っていたような気がしなくもない。
 ――袴姿。それはなんとなく覚えているような気がした。
 たかがそれだけのことに、ツカサは私の知っている人なのだ、と少し安堵する。
 記憶……早く戻ればいいのに。
 あとのふたりはいつ来てくれるのか……。でも、蒼兄よりも年上で、唯兄の上司ということは社会人なのだから、すぐには来られないのかもしれない。
 でも、私の身体はいつまでこんな楽な状態が続くのかな。
 できることなら、痛みがひどくないときに来てほしい。
 今も地味な痛みが続いてはいるものの、顔をしかめるほどではなく、がんばらずとも耐えられる域。
 耐えられない痛みが襲ってきたときには涙腺が壊れたんじゃないかと思うほどに涙が出る。
 夜も眠れないくらいに痛くて、精神が崩壊してしまうんじゃないかと思うほどに苦しくなる。
 あんな思いはもうしたくない……。
 でも、これからの数日間は、激痛発作が起きても相馬先生が来るまでは楽になれない。
 やっぱり、相馬先生は会う前から超サド医師決定だ――
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