光のもとで1

葉野りるは

文字の大きさ
上 下
407 / 1,060
第九章 化学反応

15話

しおりを挟む
 帰り際に唯兄がミニバッグの中を覗きこみ、
「ひとつ使ったんだ?」
「あ、バッテリーありがとうっ」
「うん、これ追加分ね」
「いつでも電話しておいで。メールでもいいし」
「……ありがとう」
 新しく追加されたバッテリーの数にびっくりしていると、
「唯、だから多すぎるって言っただろ?」
「でも、これからは連絡くれるようになるだろうから、そしたらすぐになくなるってば」
 これはもう、何がなんでも一日に一度は連絡しないといけない気がする。
「そんなに気負わなくてもいいわよ。連絡してこなくても、私たちが入れ替わりで来るんだもの」
 お母さんの言葉に少しほっとした。
「俺はちょっと頻度低めね」
 唯兄の言葉に首を傾げると、
「本格的に御園生家で仕事ができるように環境整えるから、しばらくちょっと忙しいんだ」
「ホテルじゃなくていいの?」
「うん、大丈夫。ま、設定にはちょっと時間かかるし秋斗さんの手も借りるようなんだけどね」
 私にはさっぱりわからない話だけれど、機械に明るい秋斗さんと唯兄が時間がかかると言う程度には大変なことなのだろう。
「……やっぱり、私だけ残ってもいい? 夕飯を食べ終わるまで」
 お母さんはまだ遠慮気味に訊いてくる。
「いいよ」
 ただ一言答えただけなのに、とても嬉しそうに笑ってくれた。
「じゃ、唯くんと俺はふたりで帰るか」
 お父さんの提案に唯兄がにこりと笑う。
「そうします。まだ配線ごっちゃだし……」
 そんな会話を聞いて思い出す。今日、急遽病院へ呼びつけたのは私だということを。
「ごめんねっ、急に呼んでっ」
「まったく、何言ってんのかな、この子は……。いいでしょ? 全然いいでしょ?」
 唯兄にわしわしと頭を撫でられた。
「俺は母さんの足ってことで一緒に残るけど……」
 蒼兄もうかがうように私を見ていた。
 自分が招いたこととわかっていても、ここまでくると苦笑せずにはいられない。
「困ったな……。本当に大丈夫だから……。もう顔色うかがわないで?」
 このわだかまりは自分が解きほぐさなくてはいけない。
「蒼兄……仲直り、しよう?」
 蒼兄は無言でベッドまでやってきて、いつものように抱きしめてくれた。
「何、これ……」
 真横で唯兄の声がする。
「仲直りの抱擁……かな?」
 蒼兄の声が身体中に伝った。
「じゃ、俺も混ぜてよ」
 と、抱擁に唯兄が加わる。
 雁字搦めで身動きは取れないのだけど、なんだかとてもくすぐったくて幸せな気持ちになった。
「なんだなんだ、微笑ましいじゃないか。真夏にはちょっと暑っ苦しそうだが……」
 そんなお父さんの言葉にお母さんもクスクスと笑う。
 久しぶりに家族が揃った時間は、とても幸せで優しさに満ちた時間だった。

 時計は五時半を指している。
「お母さん」
「何?」
「お風呂に入ったら髪の毛を乾かしてもらえる?」
「いいけど……お風呂に入れるの?」
 クローゼットの荷物を整理していたお母さんが振り返る。
「うん。七時からって言われているのだけど、今なら入れるし、出てきたら髪の毛乾かしてもらえるし……」
「いいわよ。じゃ、藤原さん呼んでくるわ」
 お母さんは病室を出ていき、蒼兄とふたりになる。
「大丈夫か?」
「……大丈夫だよ」
「ならいい」
 たぶん、きちんと納得してくれたのだと思う。
 すぐにお母さんと藤原さんが病室に入ってきて、お風呂の支度をしてくれた。
 点滴の防水処置を始めると、お母さんが不安そうに「大丈夫なんですか?」と尋ねる。
「えぇ、意外と大丈夫なものなんです」
 二日に一度はルートの消毒をすることなどを話すと、いくらかは安心してもらえたようだ。
「浴室までは車椅子ね」
 と車椅子を用意され、それに自分で移ると、
「立てるの?」
 お母さんに驚かれた。
「うん、歩くこともできるよ」
 それすら信じられないという顔だった。
 それは蒼兄も同じで、改めて、人のことを言えないくらいに自分が痩せてしまったことに気づいた。

「じゃ、いってくるね」
 そう言って、藤原さんと病室を出た。
 ひとりでお風呂に入るとはいえ、湯船に浸かれるわけではない。でもシャワーを浴びられるだけで十分だった。
 きっと、今日も藤原さんが脱衣所で待っていてくれるのだろう。
「ご家族と普通に話せた?」
「はい、すごく緊張したけど大丈夫でした」
「ふふ、マックスの脈拍一〇〇を超えてたわ」
「……そのくらい緊張してたんです」
「でも、今はいい顔してるわね」
「なんだか色々とすみません……」
「別にかまわないわ」

 お風呂上り、藤原さんに渡されたものがあった。
「これ、栞ちゃんから。カップ内臓のキャミソールですって」
 お母さんが用意してくれたのは家で着ているルームウェアだ。
 確かに、下着を何もつけずにこれを着て人前に出るのはどうかと思う。でも、カップ内臓のキャミソールを着てならそんな心配もない。
「栞さんにお礼言わなくちゃ……」
 病室に戻ると、夕飯が届いていた。
 藤原さんは点滴を再開させると、「じゃ、ごゆっくり」と病室を出ていく。
 髪の毛は蒼兄が乾かしてくれるみたいで、ドライヤーは蒼兄が持っていた。
「冷めないうちに食べちゃいなさい」
 お母さんに言われてテーブルに着くと、蒼兄が髪の毛を乾かし始めた。
 いつか家でもこんなことがあったな、と思い出す。確か、あのときは唯兄が乾かしてくれたのだ。
 まだそんなに遠い過去の出来事ではないのに、いつのことだったかは不鮮明。
 月日が気になり携帯を手に取ると、ディスプレイにカレンダーを表示させた。
「あ……」
「どうした?」
 私の異変に気づいた蒼兄に訊かれる。
 私の治療が明日でストップするということは、ツカサのインターハイの日は痛みに耐えている時期ではないだろうか……。
「なんでもない……」
 そうは答えたものの、胸がざわつく。
「なんでもなくはないだろ?」
 今度は顔色をうかがわず、いつものように指摘された。
「うん……四日がツカサのインターハイの日」
「まさか行きたいとか言わないよな……」
「さすがにそれは考えてないよ」
 ただ、痛みがどんなふうに出てくるのかがわからない時期。
 私は自分で携帯が使える場所まで行くことができるだろうか。
「あのね、ツカサからの電話を待つことになっているの。でも、携帯が使える場所はこの棟の両端だから……。そこまで行けるのかなって、少し不安になっただけ」
「……あら、そんなことなら私がそこまで連れていくわよ?」
 え……?
「なんでもひとりでやろうとしないで人を頼ればいいのよ」
 お母さんに、「とても簡単なことよ」と言われた気がした。
 連れていってもらうのは簡単だろう。でも、違うのだ……。
「そのとき、どのくらいの痛みが自分にあるのかがわからないから……怖いの」
 電話なんて言ってられないような状態だったらどうしよう。
 そう思うと、約束が守れない気がしてきてしまうのだ。
「事前に司に話しておきな。あいつは自分で報告したいだけだろうから。それまでは俺たちも結果は調べないでおくし」
「うん……あとで電話してみる」
 気を取り直してご飯と向き合う。
 いつもは藤原さんが一緒にいてくれるけど、今日はお母さんと蒼兄。おうちにいる気分にはなれないけれど、なんだか雰囲気が和やかで、それが嬉しかった。

 七時になると面会時間の終わりを告げるアナウンスが流れた。
「じゃ、帰るけど、また明日来るわね」
 お母さんに言われて、またドキリとする。
 明日――明日は秋斗さんに会わなくてはいけない。その段取りはまだ何もできてはいなかった。
 それに桃華さんたちにも会っておきたい。
 欲張りな自分に少しうんざり……。
「蒼兄、私、桃華さんたちにも会いたくて……。でも、秋斗さんにも謝らなくちゃいけない」
 そこまではいい。ただ、秋斗さんの時間の都合もあるだろうから、何時に来てもらえばいいのかがわからないのだ。
「蒼兄、秋斗さんは明日もお仕事だよね……。だとしたら、何時くらいだと思う? ……それ以前に、会ってもらえるのかもわからないのだけど……」
 そうだ――謝りたくても拒絶される恐れだってあるのだ。
 最悪のことも考えておかないと、受ける打撃は大きい。
「まずはさ、秋斗先輩に連絡してごらん。俺から桃華に連絡を入れるのはそれからでいいから」
「……うん」
 そうだよね、まずは秋斗さんに謝らなくてはいけない。
「消灯時間までには連絡するね」
「わかった、待ってる」
 頭をポンポンと二回叩かれる。それは「大丈夫だよ」の合図。
「明日、都合がわかったらそれに合わせて動くから。どんな予定でも入れちゃいなさい」
 明日で治療が打ち切られるから、それまでに……。
「いいのよ、甘えて……」
 お母さんが言うと、蒼兄も嬉しそうに笑った。
「さっき、治療が怖いって……痛みが出てくるのが怖いって、普通に話してくれて嬉しかった」
 蒼兄に言われて、そんなことを嬉しく思うなんて、なんだか申し訳なく思う。
「翠葉、少しずつ変わろう」
「え……?」
「人はさ、色んなことを経験して成長していくから……。だから、少しずつ変わろう」
 私も成長できるのかな……。前へ進めるのかな……。
「大丈夫だよ」
 蒼兄が笑ってそう言ってくれるなら、大丈夫な気がした。
 お母さんと蒼兄が病室を出てからひとり考える。
 私、少しずつ前へ進めているのかな……。
 自分ではわからない。
 同じところをぐるぐる回っている気がするし、時々後ずさりしている気もする。でも、進まなくちゃいけないとは思っていて――
 テーブルに置いた携帯が目に入る。
 ……ツカサに電話しよう。
 これからの治療のことと秋斗さんのことを聞いてもらおう。
 勉強しているかな? 邪魔になるかな……。
 でも、聞いてもらいたい――
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

光のもとで2

葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、 新たな気持ちで新学期を迎える。 好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。 少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。 それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。 この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。 何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい―― (10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしてもモテない俺に天使が降りてきた件について

塀流 通留
青春
ラブコメな青春に憧れる高校生――茂手太陽(もて たいよう)。 好きな女の子と過ごす楽しい青春を送るため、彼はひたすら努力を繰り返したのだが――モテなかった。 それはもうモテなかった。 何をどうやってもモテなかった。 呪われてるんじゃないかというくらいモテなかった。 そんな青春負け組説濃厚な彼の元に、ボクッ娘美少女天使が現れて―― モテない高校生とボクッ娘天使が送る青春ラブコメ……に見せかけた何か!? 最後の最後のどんでん返しであなたは知るだろう。 これはラブコメじゃない!――と <追記> 本作品は私がデビュー前に書いた新人賞投稿策を改訂したものです。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

可愛すぎるクラスメイトがやたら俺の部屋を訪れる件 ~事故から助けたボクっ娘が存在感空気な俺に熱い視線を送ってきている~

蒼田
青春
 人よりも十倍以上存在感が薄い高校一年生、宇治原簾 (うじはられん)は、ある日買い物へ行く。  目的のプリンを買った夜の帰り道、簾はクラスメイトの人気者、重原愛莉 (えはらあいり)を見つける。  しかしいつも教室でみる活発な表情はなくどんよりとしていた。只事ではないと目線で追っていると彼女が信号に差し掛かり、トラックに引かれそうな所を簾が助ける。  事故から助けることで始まる活発少女との関係。  愛莉が簾の家にあがり看病したり、勉強したり、時には二人でデートに行ったりと。  愛莉は簾の事が好きで、廉も愛莉のことを気にし始める。  故障で陸上が出来なくなった愛莉は目標新たにし、簾はそんな彼女を補佐し自分の目標を見つけるお話。 *本作はフィクションです。実在する人物・団体・組織名等とは関係ございません。

×一夜の過ち→◎毎晩大正解!

名乃坂
恋愛
一夜の過ちを犯した相手が不幸にもたまたまヤンデレストーカー男だったヒロインのお話です。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...