光のもとで1

葉野りるは

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32 Side 桃華 01話

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 少し時間が経ってから、冷静になった頭で考える。
 車の中とはいえ、家の前でキスなんて大胆なことしちゃったのかしら……。
 でも――
 隣で車の運転をしている蒼樹さんの横顔を覗き見る。
「……何?」
 視線を感じたのか、蒼樹さんに尋ねられた。
「いえ、なんでもありません。久しぶりだから見貯めしておこうかな、と思って」
 笑って答えると、
「あまり連絡できてなかったし、ほとんど会えてなくて悪い」
 申し訳ない表情で謝られてしまった。
「わかってるから大丈夫です」
 自分は大まかな状況をわかっているだけで、詳細を知っているわけではない。それでも蒼樹さんが置かれている現況は理解しているつもりだった。
 蒼樹さんが少し苦笑する。
「桃華も、もう少しわがままになっていいよ」
「え……?」
「どうしても聞いてあげられないこともあるけど、桃華は俺の中でかなり優先順位高めだから」
 ……なんてずるい笑顔なのかしら。
「……それじゃ、また、キス……してくださいね」
 大きな声では言えなくて、でも、意思というか願望というか……気持ちは伝えたくて口にした。
「それはもちろん」
 信号待ちの蒼樹さんが真顔で言う。
 なんだか恥ずかしくなってしまい、
「この次の信号を左折です」
 と、スーパーへの誘導に話を戻した。

 スーパーで買い物を済ませると、真っ直ぐマンションへ向かう。
 いつ来ても贅沢なマンション。
 駐車場からは蒼樹さんと手をつないで歩いた。
 そんなことがひどく嬉しいと感じる。
 エレベーターで九階まで上がると、先日まで翠葉がいたゲストルームへと案内された。
 玄関を開けると女物の靴が二足……。
「来客……?」
 蒼樹さんが首を傾げながら口にした。
 廊下を進むと、リビングにはおば様ともうひとり女性がいた。その場の空気から、険悪なムードが伝わってくる。
 険悪というよりは、おば様ではない女性がひどく憤慨しているように見えた。
「母さん、遅くなった。美波さん、ご無沙汰しています」
「あら、出来のいいご子息のお越しですよ」
 少し嫌みを交えた言葉と嘲笑。
 おば様は、以前お会いしたときからさして日も経っていないというのに、すごく痩せたように見える。目に見えて顔色も良くない。
「美波ちゃん、あなたの言うことはもっともだと思うわ。それでも、うちにはそうできない事情があるの」
 おば様が静かに口にした。
「どんな事情があるのか知りませんけど、子どもが具合悪いっていうのに仕事でずっと家を空けているわ、息子と他人にすべて任せきりだわ、私には全然理解ができませんっ。それに、今ここに留まっている理由も理解できないっ」
 美波と呼ばれる女性はひどく気が昂ぶっているようだった。
「……美波さん、申し訳ないんですが、帰っていただけますか?」
「……本当によく出来た息子よね?」
 その言葉に蒼樹さんの顔つきが変わる。
「マンションにいた際、美波さんにはお世話になりました。本当に感謝しています。でも、うちのことをそんなふうに言われる義理はありません。さきほど母が申しましたように、うちにはうちの事情があります。それを他人のあなたにとやかく言われる筋合いはない」
「世話になったって言う割にはずいぶんな言いようね?」
「恩人なら、どんなことにでも口を出してかまわないのでしょうか……」
 自分が口を挟むとは思っていなかった。でも、言わずにはいられなかったのだ。
「あなたこそ部外者でしょう?」
 美波という女性が私に向き直る。
「目上の方に失礼かとは存じますが、あなたもまた部外者、ですよね?」
 その人は、「何を言っても無駄ね」とゲストルームを出ていった。
「母さん……」
「……ごめんなさいね」
 おば様は力なく笑った。
「ベランダに出たとき、楓先生と鉢合わせて、そのときの会話を美波ちゃんに聞かれてしまったの。翠葉が具合悪くて幸倉に戻ったのも知っていたみたいだし、なんで母親である私がここにいるんだって怒られちゃった」
 おば様はひどくつらそうだった。
「母さん、とにかく横になったほうがいい。何も食べてないの?」
「食べても戻しちゃうの。もう戻す体力も使いたくなくて……」
「ったく、翠葉みたいなこと言ってるなよな」
 蒼樹さんが身体を支えてソファに横にさせると、「本当にね」とおば様は痛々しく笑った。そして、視線は私に向く。
「桃華ちゃんはどうして……?」
「俺、先日から桃華と付き合い始めたんだ」
 蒼樹さんはさらっとそう口にした。
 え……言わないんじゃなかったのっ!?
 慌てる私に対し、おば様も驚いたように、「そうなの?」と口にした。
「……はい、まだお付き合いを始めたばかりなのですが……」
 突然のことにそれ以上の言葉は出てこなかった。
 おば様は軽くふふ、と笑い、
「嬉しいわ。蒼樹が翠葉以上に気になる子を見つけられたことも、翠葉がとても頼りにしている友達が蒼樹の彼女であることも。……これからもよろしくね」
 やつれた顔で、とても柔らかな笑顔を向けられた。
「こちらこそ……」
 そう返答するのが精一杯。
「母さん、とりあえず水分は摂ってくれるかな」
 蒼樹さんの言葉にスーパーの袋からポカリスエットを取り出し渡す。と、
「桃華、キッチンの真ん中の引き出しにストローが入ってるんだ。それ、持ってきてもらっていい?」
「はい」
 場所はすぐにわかった。
 蒼樹さんに渡すと、手際よくペットボトルにストローを挿した。
 おば様は手渡されたペットボトルを軽く持つと、少しずつ少しずつ口にする。
「いつから食べてないの?」
「……忘れたわね」
 蒼樹さんがガクリと肩を落とす。
「消化のいいものなら食べられそうですか?」
 私が尋ねると、「お粥なら少しは食べられそう」と答えてくれた。
「じゃ、すぐに作りますね」
 スーパーの袋を持ってキッチンに入る。
 料理をしながらでも蒼樹さんたちの会話は十分に聞こえた。翠葉の状態も、幸倉の家の状態も。今、秋斗先生が説得していることも。けれども、藤宮司の名前は出てこなかった。
 ……あんた、また出遅れてるわよ――
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