光のもとで1

葉野りるは

文字の大きさ
上 下
358 / 1,060
第八章 自己との対峙

23話

しおりを挟む
 静さんは一杯のお茶を飲むと席を立った。
 お父さんと静さんが話しているのをじっと見ていると、静さんは私の視線に気づいて声をかけてくれた。
「何か私に話したいことがあるのかな?」
 コクリと頷くと、
「若槻、姫君の点滴を持つように」
「イェッサー」
 蒼兄が点滴のパックを窓際から外すとそれを唯兄が持ってくれ、立ち上がる私を支えてくれた。ゆっくりと歩き開放感溢れる玄関にたどり着く。と、
「さて、話とはなんだろう?」
 静さんは玄関手前の壁に寄りかかっていた。
「あの……ありがとうございます」
「何が、かな?」
「湊先生に呼ばれていらしてくれたんじゃ――」
「そのとおりだ」
 静さんは一度言葉を区切り、
「翠葉ちゃん、どうしても人にかまわれたくないのなら私のところへ来るといい」
「え……?」
 静さんが言わんとすることがわからなくて、次に発せられる言葉を待つ。と、
「ホテルの四十一階はほとんど人の出入りがない。部屋も余っている。世話をする人間が必要なら接客要員を数名用意しよう。人間を日替わりで代えれば情が移ることもないというものだ。それくらいの人出はホテルなら十分にある。あとは医者だが、病院から医者を派遣させることも可能だ」
 私は今、何を言われているのだろう……。
「リィ、病院に入らないっていうことは詰まるところこういう問題だよ」
 すぐ隣で支えてくれている唯兄が静かに話す。
 そんなことはわかっている。でも、違う。そうじゃなくてっ――
「姫、言いたいことは口にしないと伝わらないよ」
 いつの間にか、静さんが目の前に立っていた。
「静、やめて――」
 低く静かな、それでも声に芯があるお母さんの声が聞こえた。振り返ると、廊下の中ほどでお母さんは両腕を組んで立っていた。
「私は栞ちゃんが復帰しだい現場へ戻ります。それで事は済む話でしょう?」
 私たちの前へ出たお母さんは、悠然と――または挑むように静さんを見据えていた。
「翠葉、静との話しはもういいかしら? 私も静に話すことがあるから、唯くん、悪いんだけど翠葉をお願いできる?」
 お母さんは、さっき見た無表情ではなかった。顔に笑みを浮かべてはいるけれど、それは上辺だけ。目の奥には静さんへ対する負の感情がこめられているように見えた。
 唯兄は無言で頷くと、私をリビングの方へと促した。そのすぐあと、玄関のドアチャイムが鳴り、お母さんと静さんが外へ出たことがわかった。
 振り返ったところでもうそこにふたりはいない。でも、振り返らずにはいられなかった――

 少しヒリヒリしたままの心で部屋へ戻ると、珍しいメンバーがとても楽しそうに話をしていた。
 私の心の中とは雲泥の差。
「翠葉ちゃん、どうかした?」
「いえ、何も……」
 唯兄は何も言わずに私をベッドへと導く。すると、蒼兄が点滴のパックを渡されカーテンレールに吊るしてくれた。
「少し、寝てもいいですか?」
「そうね、あと二時間半は点滴終わらないし」
 と、湊先生が腰を上げる。それを合図にみんなが部屋を出ていこうとした。
 最後に残ったのはお父さん。
「父さんは四時過ぎにはここを出る予定なんだ。だから、翠葉の側にいてもいいかな?」
 拒否されることを予想しての問いかけに思えた。
「……うん、大丈夫」
 私は断わらなかった。
 理由は、親には酷なことを望んでいる、と静さんに言われたからかもしれない。
「静に何かきついことを言われたかな?」
 お父さんはベッド脇にあるスツールに腰掛けた。
 きついことというよりは、現実を教えてくれた。そのうえで抜け道を提示してくれた。
「ううん、きついことは言われてない……」
「そうか? 静には翠葉の身体のことはあまり話していないんだ」
 そうななのね。……でも、それがいいかな。だって、同情されるのも、そういう目で見られるのも嫌だもの。
「静はきついことを言うけれど、基本的に間違ったことは言わないし、なんとも思ってない人間に言葉をかける人間でもない」
「うん……」
「学校は楽しいみたいだな」
「うん」
「友達ができたって聞いた。桃華ちゃんと飛鳥ちゃんと海斗くんと佐野くんだっけ?」
「うん、ほかにも理美ちゃんや希和ちゃん、空太くん、司先輩、いっぱいいる」
「そうだ、生徒会にも入ったって聞いたぞ。あの学校の生徒会は楽しいぞー。たくさん悪巧みしてこい!」
「……お父さんも生徒会役員だったの?」
「いんや、父さんはクラス委員サイドで静にこき使われまくってたほうだ。でも、碧は副会長やってたぞ」
 それは初耳だった。
「じゃぁ、もしかしなくても会長は静さんよね?」
「当たり。当時からかわいげなかったぞー。教師にも一目置かれちゃうようなやつだったからな」
 なんだか司先輩っぽい……。
「いつかアルバム見たいな」
「そうだな。まさか親子揃って同じ高校を出ることになるとは思わなかった」
「私はまだ入っただけだよ……」
「入ったら出ないとな? ちゃんと卒業って形で」
 お父さんは優しい表情で髪の毛がくしゃくしゃにならないように頭を撫でてくれた。そこにお母さんが入ってくる。
「私もいい?」
 どこか遠慮気味に訊かれる。私は笑みを浮かべて頷いた。
 別に嫌いだから側にいてもらいたくないわけじゃない。大好きだからだ……。
「零ばっかりずるいわよっ」
 お母さんは口を尖らせてお父さんの腰辺りにグーパンチを繰り出す。
「そんなこと言われてもなぁ……。いつもの電話は碧が独占してるじゃないか」
 と、お父さんも負けてはいなかった。
 そんなふたりを見るのも久しぶりで、幸せな気持ちになる。

「先生たちは?」
「リビングで話してるわ」
 閉められたドアを指差され、この部屋に三人だけであることを再度認識する。
「栞さんは大丈夫かな?」
「家でもずっと寝たきりってわけじゃなかったみたいよ」
 お母さんの言葉に少しほっとした。
 沈黙が訪れるのが嫌で、唯兄の話や学校での話、マンションでの話をしていると、あっという間に三時になった。
「じゃ、父さんはそろそろ準備をするかな」
 立ち上がるお父さんを見て身体を起こそうとすると、
「湊先生を呼んでくるからそのまま横になってていいよ」
「え……?」
 不思議に思う私に、お母さんたちは苦笑した。
「バカね……。私たち、親なのよ? 痛いんでしょう?」
 私、全然隠せてないのかな……。
「翠葉、痛いなら痛いでいいじゃない」
「そうそう。痛いって言ったり泣いたりするのはただだぞ?」
 そんなふうにおどおけて言うのはお父さん。
 話がどこに着地するのかわからないうちに部屋のドアを開け、お母さんが湊先生を呼んでくれた。
 お父さんは、「じゃ、またあとで顔を出すよ」と湊先生と入れ替わりで部屋を出ていった。
「どこが痛いの?」
「手首……」
「どんなふうに?」
「骨が、砕かれるみたい……」
 先生が左手を診ようと手を伸ばしたとき、触れたか触れないかくらいで激痛が走った。
「いやっっっ」
「……栞、鎮痛剤を静注」
「わかったわ」
 自分の右手で手首をかなり強い力で掴んでいるというのに、人の触れる手があれほどまで痛く感じるとは思わなかった。痛みのレベルが今までとは桁違いで怖い。
 恐怖から涙が止まらない。
 来週末には梅雨が明けるというのに、私の痛みは引くどころかますますひどくなっていく。今年は例年と違う――
 それは少し前から気づいていた。そして、きっと湊先生も気づいている。
 私、こんな痛みをあとどのくらい我慢できるんだろう――
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

足りない言葉、あふれる想い〜地味子とエリート営業マンの恋愛リポグラム〜

石河 翠
現代文学
同じ会社に勤める地味子とエリート営業マン。 接点のないはずの二人が、ある出来事をきっかけに一気に近づいて……。両片思いのじれじれ恋物語。 もちろんハッピーエンドです。 リポグラムと呼ばれる特定の文字を入れない手法を用いた、いわゆる文字遊びの作品です。 タイトルのカギカッコ部分が、使用不可の文字です。濁音、半濁音がある場合には、それも使用不可です。 (例;「『とな』ー切れ」の場合には、「と」「ど」「な」が使用不可) すべての漢字にルビを振っております。本当に特定の文字が使われていないか、探してみてください。 「『あい』を失った女」(https://www.alphapolis.co.jp/novel/572212123/802162130)内に掲載していた、「『とな』ー切れ」「『めも』を捨てる」「『らり』ーの終わり」に加え、新たに三話を書き下ろし、一つの作品として投稿し直しました。文字遊びがお好きな方、「『あい』を失った女」もぜひどうぞ。 ※こちらは、小説家になろうにも投稿しております。 ※扉絵は管澤捻様に描いて頂きました。

光のもとで2

葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、 新たな気持ちで新学期を迎える。 好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。 少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。 それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。 この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。 何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい―― (10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)

姉らぶるっ!!

藍染惣右介兵衛
青春
 俺には二人の容姿端麗な姉がいる。 自慢そうに聞こえただろうか?  それは少しばかり誤解だ。 この二人の姉、どちらも重大な欠陥があるのだ…… 次女の青山花穂は高校二年で生徒会長。 外見上はすべて完璧に見える花穂姉ちゃん…… 「花穂姉ちゃん! 下着でウロウロするのやめろよなっ!」 「んじゃ、裸ならいいってことねっ!」 ▼物語概要 【恋愛感情欠落、解離性健忘というトラウマを抱えながら、姉やヒロインに囲まれて成長していく話です】 47万字以上の大長編になります。(2020年11月現在) 【※不健全ラブコメの注意事項】  この作品は通常のラブコメより下品下劣この上なく、ドン引き、ドシモ、変態、マニアック、陰謀と陰毛渦巻くご都合主義のオンパレードです。  それをウリにして、ギャグなどをミックスした作品です。一話(1部分)1800~3000字と短く、四コマ漫画感覚で手軽に読めます。  全編47万字前後となります。読みごたえも初期より増し、ガッツリ読みたい方にもお勧めです。  また、執筆・原作・草案者が男性と女性両方なので、主人公が男にもかかわらず、男性目線からややずれている部分があります。 【元々、小説家になろうで連載していたものを大幅改訂して連載します】 【なろう版から一部、ストーリー展開と主要キャラの名前が変更になりました】 【2017年4月、本幕が完結しました】 序幕・本幕であらかたの謎が解け、メインヒロインが確定します。 【2018年1月、真幕を開始しました】 ここから読み始めると盛大なネタバレになります(汗)

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

彼氏と親友が思っていた以上に深い仲になっていたようなので縁を切ったら、彼らは別の縁を見つけたようです

珠宮さくら
青春
親の転勤で、引っ越しばかりをしていた佐久間凛。でも、高校の間は転校することはないと約束してくれていたこともあり、凛は友達を作って親友も作り、更には彼氏を作って青春を謳歌していた。 それが、再び転勤することになったと父に言われて現状を見つめるいいきっかけになるとは、凛自身も思ってもいなかった。

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

クラスでバカにされてるオタクなぼくが、気づいたら不良たちから崇拝されててガクブル

諏訪錦
青春
アルファポリスから書籍版が発売中です。皆様よろしくお願いいたします! 6月中旬予定で、『クラスでバカにされてるオタクなぼくが、気づいたら不良たちから崇拝されててガクブル』のタイトルで文庫化いたします。よろしくお願いいたします! 間久辺比佐志(まくべひさし)。自他共に認めるオタク。ひょんなことから不良たちに目をつけられた主人公は、オタクが高じて身に付いた絵のスキルを用いて、グラフィティライターとして不良界に関わりを持つようになる。 グラフィティとは、街中にスプレーインクなどで描かれた落書きのことを指し、不良文化の一つとしての認識が強いグラフィティに最初は戸惑いながらも、主人公はその魅力にとりつかれていく。 グラフィティを通じてアンダーグラウンドな世界に身を投じることになる主人公は、やがて夜の街の代名詞とまで言われる存在になっていく。主人公の身に、果たしてこの先なにが待ち構えているのだろうか。 書籍化に伴い設定をいくつか変更しております。 一例 チーム『スペクター』       ↓    チーム『マサムネ』 ※イラスト頂きました。夕凪様より。 http://15452.mitemin.net/i192768/

Bグループの少年

櫻井春輝
青春
 クラスや校内で目立つグループをA(目立つ)のグループとして、目立たないグループはC(目立たない)とすれば、その中間のグループはB(普通)となる。そんなカテゴリー分けをした少年はAグループの悪友たちにふりまわされた穏やかとは言いにくい中学校生活と違い、高校生活は穏やかに過ごしたいと考え、高校ではB(普通)グループに入り、その中でも特に目立たないよう存在感を薄く生活し、平穏な一年を過ごす。この平穏を逃すものかと誓う少年だが、ある日、特A(特に目立つ)の美少女を助けたことから変化を始める。少年は地味で平穏な生活を守っていけるのか……?

処理中です...