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第八章 自己との対峙
16話
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マンションに戻ると部屋の隅々までチェックをする。もう、粗方荷物はまとめてあった。
パソコンを引き上げなくてはいけない唯兄や蒼兄のほうが大変かな、と思っていたけれど、それらはそのままの状態で帰ることにしたらしい。それは静さんの指示だったという。
「荷物はそれで全部?」
唯兄に訊かれてコクリと頷く。
「あとはフロアハープくらい」
ハープに視線を向けると、その後ろにあるグランドピアノも視界に入った。
もっとたくさん弾きたかったけれど、今の私にはこのピアノの鍵盤は重すぎて、とてもじゃないけどこの子本来の音を鳴らすことはできなかった。
元気になったらまた弾かせてもらいたい。そういえば、間宮さんに一度もお線香あげられなかったな……。
そんなことを考えながら十階へ続く階段を見ていると、
「リィさえ戻りたいって言えば、ここにはいつでも戻ってこられるよ」
「……うん」
すると、キィ、と音がして十階のドアが開いた。階段を下りてきたのは静さんだった。
「翠葉ちゃん、ちょっと上がってこれるかい?」
「はい」
十階へ上がると、リビングへ通された。そして、戸棚の前で静さんが振り返る。
「母に会ってくれるかな」
戸棚の中にはお仏壇があった。扉を開けなければ普通の家具にしか見えない。
仏壇の中央に間宮さんと思われる人の写真が立ててあり、静さんが蝋燭に火を灯すと場所を譲られた。
「失礼します」
お線香に火をつけ立てると、手と手を合わせて目を瞑った。
はじめまして、御園生翠葉と申します。
間宮さんのピアノが好きで、間宮さんのピアノに憧れてピアノを始めました。
まだまだ間宮さんのようには弾けませんが、今では私にはなくてはならないアイテムです。
先日、間宮さんのピアノを弾かせていただきました。でも、満足には音を鳴らせませんでした。
今まで弾いたことのあるどのピアノよりも鍵盤が重くて……。
私もいつか、間宮さんのような音を鳴らすことができるでしょうか。
いつか、あのピアノと共鳴できたらいいな、と思っています。
いつかまた、あのピアノを弾かせてください。
間宮さんとの出逢い、ピアノとの出逢いにとても感謝しています。
ありがとうございます――
挨拶が済むとすぐに九階へ戻った。
実のところ、歩く振動すら身体に響く。つまるところ、それだけ痛みが出てきているのだ。
真っ直ぐキッチンへ向かい、すぐに薬を飲む。と、
「大丈夫かい?」
静さんに訊かれて苦笑を返す。
「リィ……?」
不安そうな顔をする唯兄に向かい、
「大丈夫。毎年のことだから」
目一杯気丈に振舞ったつもり。
そう、毎年のことだ。今年も乗り越えなくてはいけない――
自宅までは静さんが送ってくれた。
唯兄に家の構造を簡単に説明すると、疲れからか貧血を起こした。
「少し休むといい」
静さんに自室へ運ばれベッドへ横になると、
「今日は私が昼食を作ろう」
静さんの申し出にびっくりする。
「静さんはお料理ができるんですか?」
「それなりにね」
言いながら笑い、静さんは背後にいた唯兄に声をかけた。
「買い物に行ってくるから翠葉ちゃんを頼む」
唯兄は静さんの後ろ姿を見送りながら、
「ねぇ、リィ……。ナンバーツーだよ? ナンバーツーに料理作ってもらったら、俺たちどれだけ働かされるのかなぁ……。すんごい仕事を振られても文句言えなくなりそうで怖い」
唯兄の表情が憔悴に近いものになっていく。
……唯兄は普段どれくらいの仕事をこなしているのだろうか。そんなことが少し不安になった。
「ま、いいや。とりあえずリィは少し休みなよ」
唯兄が部屋を出るとき、ドアを閉められそうになって慌てて声をかけた。
「閉めないでっ」
「え……?」
「……あの、閉めないでほしいの……」
唯兄は不思議そうな顔をしたものの、
「うん、わかった。じゃ、開けとくね」
この部屋は大好き。でも、白い部屋にひとりきりというのはやっぱり少し苦手。
ここは病院じゃないとわかっていても、自分が病人になった途端に白い壁はどこにいても病院を彷彿とさせるのだ。
あとは、ただ人の気配が恋しいだけ――
横になったことで貧血はおさまり、寝付くこともできずに部屋を眺めていた。
部屋の外では唯兄がバタバタと走りまわっている。音から行動を想像をすると、家中の窓を開けているみたい。
湿った空気が部屋を満たす。
唯兄は開いたままのドアから顔を覗かせ、
「リィの部屋だけ除湿かけとく?」
「ううん、外の空気はなんだか懐かしい」
芝生の匂いと湿った空気。この季節にしか感じられない香りがどこか心を落ち着かせてくれる。これもアロマのようなものかな。
「ちょっとだけ掃除するから、その間だけ窓を開けさせてね」
言うと、また慌しく部屋中を走り回っていた。
少し意外……唯兄はとても家庭的な人みたい。
留守がちだった家は少しホコリっぽくもあり、気にならないわけではなかったけれど、少し体調が落ち着いたら一ヶ所ずつ掃除すればいいかな、と思っていた。
リビングではどこかで見つけてきたらしいはたきを片手にバサバサと音をさせながら家具に積もったホコリを落としている。
「掃除の手順もバッチリ……?」
少しすると掃除機のガーという音がしてきて、最後にはフロアワイパーで拭き掃除までしていた。時折ドアの前を行き来する唯兄と目が合う。
「ここ、レースカーテンとかつけたいね」
レースカーテンならありだな、と思った。レースカーテンなら人の気配は感じることができるから。
掃除が全部終わったのだろう。今度は家中の窓を閉める音がしだした。そして、ピッ、という音が聞こえたのでエアコンを入れたのだろう。
「リィ、俺二階でパソコンの設定いじってくるから、何かあったらこれ、鳴らしなよ?」
と、ナースコールまがいのファミリーコールを指差した。
「……知ってるの?」
「あんちゃんから聞いて知ってる」
唯兄は自慢げに話して部屋を出ていった。
パソコンを引き上げなくてはいけない唯兄や蒼兄のほうが大変かな、と思っていたけれど、それらはそのままの状態で帰ることにしたらしい。それは静さんの指示だったという。
「荷物はそれで全部?」
唯兄に訊かれてコクリと頷く。
「あとはフロアハープくらい」
ハープに視線を向けると、その後ろにあるグランドピアノも視界に入った。
もっとたくさん弾きたかったけれど、今の私にはこのピアノの鍵盤は重すぎて、とてもじゃないけどこの子本来の音を鳴らすことはできなかった。
元気になったらまた弾かせてもらいたい。そういえば、間宮さんに一度もお線香あげられなかったな……。
そんなことを考えながら十階へ続く階段を見ていると、
「リィさえ戻りたいって言えば、ここにはいつでも戻ってこられるよ」
「……うん」
すると、キィ、と音がして十階のドアが開いた。階段を下りてきたのは静さんだった。
「翠葉ちゃん、ちょっと上がってこれるかい?」
「はい」
十階へ上がると、リビングへ通された。そして、戸棚の前で静さんが振り返る。
「母に会ってくれるかな」
戸棚の中にはお仏壇があった。扉を開けなければ普通の家具にしか見えない。
仏壇の中央に間宮さんと思われる人の写真が立ててあり、静さんが蝋燭に火を灯すと場所を譲られた。
「失礼します」
お線香に火をつけ立てると、手と手を合わせて目を瞑った。
はじめまして、御園生翠葉と申します。
間宮さんのピアノが好きで、間宮さんのピアノに憧れてピアノを始めました。
まだまだ間宮さんのようには弾けませんが、今では私にはなくてはならないアイテムです。
先日、間宮さんのピアノを弾かせていただきました。でも、満足には音を鳴らせませんでした。
今まで弾いたことのあるどのピアノよりも鍵盤が重くて……。
私もいつか、間宮さんのような音を鳴らすことができるでしょうか。
いつか、あのピアノと共鳴できたらいいな、と思っています。
いつかまた、あのピアノを弾かせてください。
間宮さんとの出逢い、ピアノとの出逢いにとても感謝しています。
ありがとうございます――
挨拶が済むとすぐに九階へ戻った。
実のところ、歩く振動すら身体に響く。つまるところ、それだけ痛みが出てきているのだ。
真っ直ぐキッチンへ向かい、すぐに薬を飲む。と、
「大丈夫かい?」
静さんに訊かれて苦笑を返す。
「リィ……?」
不安そうな顔をする唯兄に向かい、
「大丈夫。毎年のことだから」
目一杯気丈に振舞ったつもり。
そう、毎年のことだ。今年も乗り越えなくてはいけない――
自宅までは静さんが送ってくれた。
唯兄に家の構造を簡単に説明すると、疲れからか貧血を起こした。
「少し休むといい」
静さんに自室へ運ばれベッドへ横になると、
「今日は私が昼食を作ろう」
静さんの申し出にびっくりする。
「静さんはお料理ができるんですか?」
「それなりにね」
言いながら笑い、静さんは背後にいた唯兄に声をかけた。
「買い物に行ってくるから翠葉ちゃんを頼む」
唯兄は静さんの後ろ姿を見送りながら、
「ねぇ、リィ……。ナンバーツーだよ? ナンバーツーに料理作ってもらったら、俺たちどれだけ働かされるのかなぁ……。すんごい仕事を振られても文句言えなくなりそうで怖い」
唯兄の表情が憔悴に近いものになっていく。
……唯兄は普段どれくらいの仕事をこなしているのだろうか。そんなことが少し不安になった。
「ま、いいや。とりあえずリィは少し休みなよ」
唯兄が部屋を出るとき、ドアを閉められそうになって慌てて声をかけた。
「閉めないでっ」
「え……?」
「……あの、閉めないでほしいの……」
唯兄は不思議そうな顔をしたものの、
「うん、わかった。じゃ、開けとくね」
この部屋は大好き。でも、白い部屋にひとりきりというのはやっぱり少し苦手。
ここは病院じゃないとわかっていても、自分が病人になった途端に白い壁はどこにいても病院を彷彿とさせるのだ。
あとは、ただ人の気配が恋しいだけ――
横になったことで貧血はおさまり、寝付くこともできずに部屋を眺めていた。
部屋の外では唯兄がバタバタと走りまわっている。音から行動を想像をすると、家中の窓を開けているみたい。
湿った空気が部屋を満たす。
唯兄は開いたままのドアから顔を覗かせ、
「リィの部屋だけ除湿かけとく?」
「ううん、外の空気はなんだか懐かしい」
芝生の匂いと湿った空気。この季節にしか感じられない香りがどこか心を落ち着かせてくれる。これもアロマのようなものかな。
「ちょっとだけ掃除するから、その間だけ窓を開けさせてね」
言うと、また慌しく部屋中を走り回っていた。
少し意外……唯兄はとても家庭的な人みたい。
留守がちだった家は少しホコリっぽくもあり、気にならないわけではなかったけれど、少し体調が落ち着いたら一ヶ所ずつ掃除すればいいかな、と思っていた。
リビングではどこかで見つけてきたらしいはたきを片手にバサバサと音をさせながら家具に積もったホコリを落としている。
「掃除の手順もバッチリ……?」
少しすると掃除機のガーという音がしてきて、最後にはフロアワイパーで拭き掃除までしていた。時折ドアの前を行き来する唯兄と目が合う。
「ここ、レースカーテンとかつけたいね」
レースカーテンならありだな、と思った。レースカーテンなら人の気配は感じることができるから。
掃除が全部終わったのだろう。今度は家中の窓を閉める音がしだした。そして、ピッ、という音が聞こえたのでエアコンを入れたのだろう。
「リィ、俺二階でパソコンの設定いじってくるから、何かあったらこれ、鳴らしなよ?」
と、ナースコールまがいのファミリーコールを指差した。
「……知ってるの?」
「あんちゃんから聞いて知ってる」
唯兄は自慢げに話して部屋を出ていった。
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