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第八章 自己との対峙
15話
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月曜日からの試験は地獄だった。試験中に激痛発作が起きて処置を受けることもあり、普通に試験を受けるのも難しい状態だったのだ。
学園長と高校長の許可のもと、試験が終わるまでほかの生徒との接触がない限り、一科目五十分以内という制限の中ならば何時までかかってもかまわないと言われ、痛みが出ては薬を飲み、それでもどうにもならなければ注射を打って試験を一度中断する。そんなことを繰り返しながら、なんとかすべての教科を受けることができた。
火曜日は午前で終わるはずのテストが四時半までかかってしまった。
身体はこんな状態で、学校には特別措置を図ってもらって、私、何をしているのかな。
こんなにがんばるほどの理由が私にはあるのだろうか。そこまでしてもらう価値が私にはあるのだろうか。
そんなことを考えながら最後まで終わらせたけれど、すべての解答欄を埋めることはできなかったし、最後の日はシャーペンでは文字が書けなかった。手が、というより、指が痛くて力を入れることができなかったのだ。仕方なくペンに持ち替えて紙の上を滑らせていたけれど、とても読みづらい字しか書くことができなかった。
テスト最終日は湊先生と川岸先生が近くにいて、シャーペンからペンに持ち替えたときには怪訝な顔をされた。これ以上、隠すことができなかった。
「御園生、少し前から気づいてはいたんだが、おまえ――」
「痛みが手にまで及んでる?」
川岸先生の言葉の先は湊先生が口にした。司先輩とそっくりの顔で眉間にしわを寄せている。
「……主には左手なんですけど、時々右手も……」
「……今何を言っても仕方がない。とりあえず試験を受けなさい」
「はい」
試験が終わるとすぐに診察が始まった。
「いつから?」
湊先生の鋭い視線を正面から受けることができず、私は手元に視線を落として質問に応じる。
「栞さんが具合悪くなった数日後くらいからです」
「場所は?」
「今までは左の上半身でしたけど、最近は鎖骨や肩、腕、手首、手にも痛みが出ます。それから、腰も……。右側が痛くなることもあって、右腕の力が……入りづらいです」
「力は入りづらいだけ?」
その目は、ごまかしは通用しないと言っていた。
「……痛みもあります」
「どんな痛み?」
「ズキンズキンって痛むときもあるし、骨が砕かれるような痛みのときも――腰は抉られるような感じです」
単なる問診のはずなのに、悪いことをした小さい子みたいに先生と目を合わせられない。
「栞の旦那、神崎昇が今月帰国する予定なの。そのときにもう一度検査をしよう」
「……でも」
今までも検査は何度となくしてきた。それでも何も悪いところはなかった。
「昇は外科医だけれど、昇が連れて帰ってくる医師は西洋医学にも東洋医学にも精通しているそうなの。司のマッサージは単なる整体に過ぎないけど、その人はカイロプラクティックという西洋の知識も東洋医学における鍼灸の知識も持っている。今までとは違うアプローチをしてもらえると思う」
「……それは痛い?」
もうこれ以上痛い思いをするのは嫌だった。受けたあと、数時間は楽になれるとわかってはいても、ペインクリニックでのブロック注射も怖い。
「そんなに怯えなくていい。鍼もカイロも痛いものじゃないから」
湊先生は子どもを宥めるように笑った。そこにノックの音がして司先輩と桃華さんが入ってきた。
珍しい組み合わせ……。
「終わった?」
桃華さんに訊かれて、コクリと頷く。
「……何かあった?」
先輩に訊かれて、
「なんでもないです。これから帰るだけ」
幸倉の家に――
まだ海斗くんたちにも話してはいなかった。今日は教室に寄らずに保健室へ来たから。
「これから生徒会主催の七夕イベントがあるのだけど、大丈夫?」
桃華さんに顔を覗き込まれ、緩く首を振った。
「私、このあとマンションに戻ったら幸倉のおうちに帰るの」
「え?」
「は?」
「翠葉っ!?」
三人同じように驚いたけれど、湊先生の「翠葉っ!?」の先には、「あんた何言ってんのよ」と言葉が続きそうだった。
「……マンションはとても楽しかったし学校へ通うのも楽だったんですけど、しばらくは自宅でゆっくり過ごしたくて……」
上手に笑える自信なんてないのに、どうして笑みを添えようとしたんだろう。笑みを添える必要なんてどこにもなかったのに。
「先生……少し変な症状が出ているのはきっと環境の変化のせいだと思うんです。マンションは本当に楽しかったんですけど、色んなことがありすぎて、私、少しキャパシティオーバーみたいです。ホームグラウンドに戻ったら症状も小康状態に戻ると思います。だから、自宅へ帰ります」
そこで一度区切って桃華さんを振り返る。
「桃華さん、あと九日で夏休みだけど、私、それまで欠席しても単位足りるかな……」
気になるのはそこだった。
桃華さんはかばんからノートを取り出して数え始める。
「数学と化学と古典が一コマずつ足りなくなる。……でも、十三日の火曜日、午前の授業を受ければクリアできるわ」
その言葉にほっとしたけど、桃華さんの表情は憂いに満ちていた。ほかにかけられる言葉を探していると、
「幸倉に戻ったらマッサージできないけど?」
司先輩はドアに近い壁に寄りかかって腕を組んでいた。いつもと変わらない先輩に少し安堵する。
「わかっています。でも、それでいいと思う。先輩はインターハイが近いのだから、私のことではなくて自分のこと考えなくちゃですよ? 弓道がどういうものかはわからないけれど、やっぱり調整期間はあるのでしょう? 試合は観に行きたいですから勝ってもらわなくちゃ」
どこにも後ろめたい要素がないからか、自然と笑うことができた。
先輩の弓道をしている姿は好き。見ていると、引き込まれるほどの静謐さがあって。
急に静かになってしまった保健室。何か話さなくちゃ、と思って頭の中央に陣取っている話題を口にした。
「あのね、昨日秋斗さんと会ったの。それでね、お付き合いは解消になりました」
要約したのか端的になったのか、よくわからない文章。
桃華さんと司先輩は軽く口を開けた状態で少し放心状態。
でも、このふたりはすぐに切り返してくる人たちだ。その前に話を終わらせよう。
「以上、ご報告でした」
そこにタイミングよく唯兄が現れた。
「リィ、帰れる?」
「うん、大丈夫」
これ幸い、とゆっくりと席を立つ。
「あんた、幸倉に戻っても栞はまだ動けないのよ?」
背から鋭い一言が投げられた。でも、そんな言葉は想定済み。
「わかっています。先生、私は栞さんが来てくれてものすごく嬉しかったけれど、それは『普通』じゃないの。それが当たり前になっていたけれど、今年の二月からの出来事であって、それまでの御園生家に栞さんはいなかった。……本当の元に戻るだけです」
湊先生は何か言いたそうに口を開いたけれど、何も言わずに口を閉じた。
「リィ……俺はどうなるんだよ」
あ、そうだった……。
「唯兄も一緒に幸倉に来てくれるんです。でも、お仕事は……?」
「蔵元さんの了解得たから幸倉で仕事するよ」
当然、といった感じで言われる。
「……そう、若槻が一緒ならまぁいいか」
話が一段落つくと、
「じゃ、俺たちは生徒会があるから。簾条、行くぞ」
司先輩が保健室を出た。
「翠葉、家まで行くからっ」
桃華さんも慌しく司先輩の背を追って出ていく。
桃華さんの言葉が嬉しかった。でも、少し困惑もしている。
「そんな寂しそうな顔をするくらいならマンションにいればいいのに」
湊先生に言われたけれど、次の瞬間には白く大きな手が頭に乗った。
「また、マンションに戻っていらっしゃい」
「……はい。夏休みが終わって二学期のテスト期間とか――きっと梅雨が明けたら楽になる」
それはどこか自分に言い聞かせるようにして口にした言葉たちだった――
学園長と高校長の許可のもと、試験が終わるまでほかの生徒との接触がない限り、一科目五十分以内という制限の中ならば何時までかかってもかまわないと言われ、痛みが出ては薬を飲み、それでもどうにもならなければ注射を打って試験を一度中断する。そんなことを繰り返しながら、なんとかすべての教科を受けることができた。
火曜日は午前で終わるはずのテストが四時半までかかってしまった。
身体はこんな状態で、学校には特別措置を図ってもらって、私、何をしているのかな。
こんなにがんばるほどの理由が私にはあるのだろうか。そこまでしてもらう価値が私にはあるのだろうか。
そんなことを考えながら最後まで終わらせたけれど、すべての解答欄を埋めることはできなかったし、最後の日はシャーペンでは文字が書けなかった。手が、というより、指が痛くて力を入れることができなかったのだ。仕方なくペンに持ち替えて紙の上を滑らせていたけれど、とても読みづらい字しか書くことができなかった。
テスト最終日は湊先生と川岸先生が近くにいて、シャーペンからペンに持ち替えたときには怪訝な顔をされた。これ以上、隠すことができなかった。
「御園生、少し前から気づいてはいたんだが、おまえ――」
「痛みが手にまで及んでる?」
川岸先生の言葉の先は湊先生が口にした。司先輩とそっくりの顔で眉間にしわを寄せている。
「……主には左手なんですけど、時々右手も……」
「……今何を言っても仕方がない。とりあえず試験を受けなさい」
「はい」
試験が終わるとすぐに診察が始まった。
「いつから?」
湊先生の鋭い視線を正面から受けることができず、私は手元に視線を落として質問に応じる。
「栞さんが具合悪くなった数日後くらいからです」
「場所は?」
「今までは左の上半身でしたけど、最近は鎖骨や肩、腕、手首、手にも痛みが出ます。それから、腰も……。右側が痛くなることもあって、右腕の力が……入りづらいです」
「力は入りづらいだけ?」
その目は、ごまかしは通用しないと言っていた。
「……痛みもあります」
「どんな痛み?」
「ズキンズキンって痛むときもあるし、骨が砕かれるような痛みのときも――腰は抉られるような感じです」
単なる問診のはずなのに、悪いことをした小さい子みたいに先生と目を合わせられない。
「栞の旦那、神崎昇が今月帰国する予定なの。そのときにもう一度検査をしよう」
「……でも」
今までも検査は何度となくしてきた。それでも何も悪いところはなかった。
「昇は外科医だけれど、昇が連れて帰ってくる医師は西洋医学にも東洋医学にも精通しているそうなの。司のマッサージは単なる整体に過ぎないけど、その人はカイロプラクティックという西洋の知識も東洋医学における鍼灸の知識も持っている。今までとは違うアプローチをしてもらえると思う」
「……それは痛い?」
もうこれ以上痛い思いをするのは嫌だった。受けたあと、数時間は楽になれるとわかってはいても、ペインクリニックでのブロック注射も怖い。
「そんなに怯えなくていい。鍼もカイロも痛いものじゃないから」
湊先生は子どもを宥めるように笑った。そこにノックの音がして司先輩と桃華さんが入ってきた。
珍しい組み合わせ……。
「終わった?」
桃華さんに訊かれて、コクリと頷く。
「……何かあった?」
先輩に訊かれて、
「なんでもないです。これから帰るだけ」
幸倉の家に――
まだ海斗くんたちにも話してはいなかった。今日は教室に寄らずに保健室へ来たから。
「これから生徒会主催の七夕イベントがあるのだけど、大丈夫?」
桃華さんに顔を覗き込まれ、緩く首を振った。
「私、このあとマンションに戻ったら幸倉のおうちに帰るの」
「え?」
「は?」
「翠葉っ!?」
三人同じように驚いたけれど、湊先生の「翠葉っ!?」の先には、「あんた何言ってんのよ」と言葉が続きそうだった。
「……マンションはとても楽しかったし学校へ通うのも楽だったんですけど、しばらくは自宅でゆっくり過ごしたくて……」
上手に笑える自信なんてないのに、どうして笑みを添えようとしたんだろう。笑みを添える必要なんてどこにもなかったのに。
「先生……少し変な症状が出ているのはきっと環境の変化のせいだと思うんです。マンションは本当に楽しかったんですけど、色んなことがありすぎて、私、少しキャパシティオーバーみたいです。ホームグラウンドに戻ったら症状も小康状態に戻ると思います。だから、自宅へ帰ります」
そこで一度区切って桃華さんを振り返る。
「桃華さん、あと九日で夏休みだけど、私、それまで欠席しても単位足りるかな……」
気になるのはそこだった。
桃華さんはかばんからノートを取り出して数え始める。
「数学と化学と古典が一コマずつ足りなくなる。……でも、十三日の火曜日、午前の授業を受ければクリアできるわ」
その言葉にほっとしたけど、桃華さんの表情は憂いに満ちていた。ほかにかけられる言葉を探していると、
「幸倉に戻ったらマッサージできないけど?」
司先輩はドアに近い壁に寄りかかって腕を組んでいた。いつもと変わらない先輩に少し安堵する。
「わかっています。でも、それでいいと思う。先輩はインターハイが近いのだから、私のことではなくて自分のこと考えなくちゃですよ? 弓道がどういうものかはわからないけれど、やっぱり調整期間はあるのでしょう? 試合は観に行きたいですから勝ってもらわなくちゃ」
どこにも後ろめたい要素がないからか、自然と笑うことができた。
先輩の弓道をしている姿は好き。見ていると、引き込まれるほどの静謐さがあって。
急に静かになってしまった保健室。何か話さなくちゃ、と思って頭の中央に陣取っている話題を口にした。
「あのね、昨日秋斗さんと会ったの。それでね、お付き合いは解消になりました」
要約したのか端的になったのか、よくわからない文章。
桃華さんと司先輩は軽く口を開けた状態で少し放心状態。
でも、このふたりはすぐに切り返してくる人たちだ。その前に話を終わらせよう。
「以上、ご報告でした」
そこにタイミングよく唯兄が現れた。
「リィ、帰れる?」
「うん、大丈夫」
これ幸い、とゆっくりと席を立つ。
「あんた、幸倉に戻っても栞はまだ動けないのよ?」
背から鋭い一言が投げられた。でも、そんな言葉は想定済み。
「わかっています。先生、私は栞さんが来てくれてものすごく嬉しかったけれど、それは『普通』じゃないの。それが当たり前になっていたけれど、今年の二月からの出来事であって、それまでの御園生家に栞さんはいなかった。……本当の元に戻るだけです」
湊先生は何か言いたそうに口を開いたけれど、何も言わずに口を閉じた。
「リィ……俺はどうなるんだよ」
あ、そうだった……。
「唯兄も一緒に幸倉に来てくれるんです。でも、お仕事は……?」
「蔵元さんの了解得たから幸倉で仕事するよ」
当然、といった感じで言われる。
「……そう、若槻が一緒ならまぁいいか」
話が一段落つくと、
「じゃ、俺たちは生徒会があるから。簾条、行くぞ」
司先輩が保健室を出た。
「翠葉、家まで行くからっ」
桃華さんも慌しく司先輩の背を追って出ていく。
桃華さんの言葉が嬉しかった。でも、少し困惑もしている。
「そんな寂しそうな顔をするくらいならマンションにいればいいのに」
湊先生に言われたけれど、次の瞬間には白く大きな手が頭に乗った。
「また、マンションに戻っていらっしゃい」
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