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第八章 自己との対峙
13話
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「翠葉ちゃん、俺は今でも変わりなく君が好きだ。本当に、結婚したいくらいにね」
秋斗さんはふわりと笑う。けれども、どこかやっぱり少し悲しそうな表情に見える。
表情のせいなのか、秋斗さんが少し痩せたように思えた。
「そのくらい大切に想ってる。……できれば抱きしめたいしキスもしたい。それ以上のこともしたいよ。それが本音。でも、今の翠葉ちゃんに求めるべきことじゃないのがわかった。……嫌悪されるかもしれない。でも、今まで、俺は身体以外の付き合いをしてきたことがなくてね、こういうのは初めてなんだ。だから、距離の取り方がつかめなかった。それで君に無理をさせた」
どうしてだろう……。どうして私が謝られているのだろう。私が悪いはずなのに、どうして? どうして秋斗さんがそんな顔をして謝るの?
違う、私が悪いの。私のキャパシティが狭いだけなの。
「秋斗さん……私、秋斗さんのことが好きです。でも、今は学校に通うことと身体を復調させること、それだけで手一杯なんです――ほかのことが考えられなくなるくらい。何度も考えようとしたんですけど、どうしても答えが出なくて……」
答えが出ないのとは少し違うかもしれない。
答えは出ている。
秋斗さんのことを考えるとほかのことに手をつけられなくなる。それくらい、私の中は秋斗さんでいっぱいになってしまう。自分ではコントロールがつかなくなるほどに――
擦過傷を作ったときは周りの人たちにたくさん心配をかけてしまった。そういうのは……そういうのは、もうやめにしたい――
「うん、そうだよね……」
「だから――」
翠葉、しっかりして。ちゃんと、最後まで話しなさいっ――
言葉にしなくてはいけないのに、喉の奥が閉じてしまったみたいに声が出てこない。
「翠葉ちゃん、付き合うとかそういうの、なしにしよう」
え……?
「でも、俺は君が好きだから。それと、君との距離の取り方は俺の課題。翠葉ちゃんが悩むことじゃない。俺がその距離を見つけるから、君は学校へ通うことと身体のことだけを考えればいい。それでいいんだよ」
どうして――
頬に涙が伝う。
自分が描いていたシナリオと違いすぎる現況にパニックを起こしそうだ。
私は呆れられて嫌われるはずだったのに。どうして……。
「ただね、ひとつだけお願いがあるんだ」
「……おね、がい?」
「そう……。これで恋愛に恐怖を抱かないでほしい。こんな形だけが恋愛じゃないから。……人を好きになること、それだけは怖がらないでほしい」
何が起っているのかわからなかった。どうして呆れられる予定の秋斗さんに謝られてこんなに気遣われているのか、意味がわからなくてなんて答えたらいいのかわからなくて――
ただ、私も伝えなくてはいけないと思った。
酸素が足りてないわけはないのに、この部屋の酸素が薄い気がする。その酸素を必死で吸って、言葉を発するためにお腹に力を入れた。
「秋斗さんを好きなことも、キスをしたことも、抱きしめてもらったことも、何ひとつ後悔なんてしていません。ただ――どうしてか、途中から怖くなっちゃっただけなの……」
口にして涙が止まらなくなる。
でも、秋斗さんから目を逸らすことはできなかった。そして、秋斗さんも目を逸らすことなく私を見ていてくれた。
「……うん、わかってる」
「だから、自分のせいだと思わないでください。私のキャパシティが足りなかっただけだから……」
目を合わせているのはここまでが限界だった。
自分の足りない部分を情けなく思う。
「翠葉ちゃん、こうしよう。俺は自分を責めない。だから、翠葉ちゃんも自分のことを責めないでほしい。それでおあいこにしよう?」
思わず、下げた視線を秋斗さんへ戻す。
どうして、なんで? 私がいけないのに――
「翠葉ちゃんに自分を責めてもらいたくない。これ以上、翠葉ちゃんに負荷をかけたくない。それでなくとも、君は自分と闘うのに全力投球だろう?」
優しすぎる気遣いに、また目から涙が零れ落ちる。
「俺のことは必要以上に気にしなくていいんだ。俺は翠葉ちゃんより九つも年上なんだよ? 一応立派に社会人で大人なんだ。処世術だってそれなりに心得ているしね。だから、大丈夫」
秋斗さんは大人だからこんな対応ができるの? 私はてっきり呆れられて嫌われてしまうかと思っていたのに……。大人だからそんなに余裕があるの?
「嘘じゃないよ。たとえばこんなふうに距離は取るけど、でも、会いに行くし話しもできる。全然会わなくなるわけじゃない。前みたいにお茶を飲んでケーキを食べて笑って話をしよう?」
「……私、わがまま――」
すごくわがままだ。好きだけど付き合えなくて、付き合えないけど嫌われたくはなくて、怖いと思っているのに会えなくなることがもっと怖いなんて――
私はひとつも口にしていないのに、どうして秋斗さんは全部わかってくれるんだろう。どうしてそんなに優しくしてくれるのだろう。私はこんなにも何も返せない状態なのに。
「好きな子のわがままはかわいいよ。どんなことでもね。前にも言ったでしょ? 君にされることならなんでも受けるって……。これもそのひとつだよ」
「……秋斗さん、ごめんなさい――」
こんなことしか言えない自分が情けない。
「翠葉ちゃん、どうせなら『ありがとう』って言って?」
どうして、ありがとう……?
「翠葉ちゃんには『ありがとう』って言ってもらいたい」
今私にできることは、その言葉を返すことのみだ。それでも許されるだろうか。
「秋斗さん、ありがとう……ございます」
「うん、こちらこそありがとう。これからもよろしくね」
満面の笑みを返され、その笑顔を見たら身体中の力が抜けた。それがわかったのか、
「少し休むといいよ。俺、今日はこれで帰るから」
秋斗さんは部屋を出ていった。ドアが閉まってからも、私はドアから目を離すことができなかった。
「翠葉、大丈夫か……?」
蒼兄の声が耳元で聞こえた。
「だめ……私、全然だめ――もっと、ちゃんと言わなくちゃいけなかったのに」
「……翠葉、先輩との約束。自分を責めすぎないこと」
そう諭される。
少しすると唯兄がお茶を持って入ってきた。
「あーあ、かわいい顔をぐちゃぐちゃにして泣いて。まったくしょうがない子だねぇ……。これ、湊さんから預かった薬。軽い睡眠薬だって」
渡された錠剤は軽い睡眠導入剤だった。
「こういうときは一度寝ちゃうのがいいらしいよ?」
寝て、私はまた現実から逃げるのだろうか……。
「とりあえず、何も考えずに寝ちゃいなよ。知ってる? 鍋は煮えたかな? どうかな? って言いながら何度も蓋を開けて見てると美味しい料理は作れないって」
なんの話……?
話についていけない私に代わって蒼兄が口を開く。
「思考整理の話しだろ?」
「そうそう。難しいことほど時間を置いてから考えたほうがいい答えが見つかるって話。料理も、一日コトコト煮詰めたほうが美味しいものができるっていう海外のたとえ話」
海外のたとえ話……。
「だからさ、少し――そうだな、一時間半したら起こすから、そしたらご飯を食べて勉強を再開しようよ」
「……はい」
唯兄の提案は不思議だ。こうしよう、と言われると自然に「はい」と返事ができる。まるで魔法でもかけられたみたいにごく自然に。
ベッドに横になると、蒼兄の大きな手が額に翳される。
「俺、五時には出かけるけど、よほどのことがない限りは七時までには帰るから。それまでは唯と一緒に勉強してな」
目を瞑ると、
「寝付くまではここにいるよ」
優しい声は唯兄のものだった。
「なんだったら手、貸そうか?」
唯兄の申し出に、思わず両手を出してしまう。すると、右手に蒼兄の手、左手に唯兄の手が伸びてきた。
ふたりがいたら安心して眠れる。もっと大丈夫な人間にならなくちゃいけない。でも、今はふたりに甘えたい――
秋斗さんはふわりと笑う。けれども、どこかやっぱり少し悲しそうな表情に見える。
表情のせいなのか、秋斗さんが少し痩せたように思えた。
「そのくらい大切に想ってる。……できれば抱きしめたいしキスもしたい。それ以上のこともしたいよ。それが本音。でも、今の翠葉ちゃんに求めるべきことじゃないのがわかった。……嫌悪されるかもしれない。でも、今まで、俺は身体以外の付き合いをしてきたことがなくてね、こういうのは初めてなんだ。だから、距離の取り方がつかめなかった。それで君に無理をさせた」
どうしてだろう……。どうして私が謝られているのだろう。私が悪いはずなのに、どうして? どうして秋斗さんがそんな顔をして謝るの?
違う、私が悪いの。私のキャパシティが狭いだけなの。
「秋斗さん……私、秋斗さんのことが好きです。でも、今は学校に通うことと身体を復調させること、それだけで手一杯なんです――ほかのことが考えられなくなるくらい。何度も考えようとしたんですけど、どうしても答えが出なくて……」
答えが出ないのとは少し違うかもしれない。
答えは出ている。
秋斗さんのことを考えるとほかのことに手をつけられなくなる。それくらい、私の中は秋斗さんでいっぱいになってしまう。自分ではコントロールがつかなくなるほどに――
擦過傷を作ったときは周りの人たちにたくさん心配をかけてしまった。そういうのは……そういうのは、もうやめにしたい――
「うん、そうだよね……」
「だから――」
翠葉、しっかりして。ちゃんと、最後まで話しなさいっ――
言葉にしなくてはいけないのに、喉の奥が閉じてしまったみたいに声が出てこない。
「翠葉ちゃん、付き合うとかそういうの、なしにしよう」
え……?
「でも、俺は君が好きだから。それと、君との距離の取り方は俺の課題。翠葉ちゃんが悩むことじゃない。俺がその距離を見つけるから、君は学校へ通うことと身体のことだけを考えればいい。それでいいんだよ」
どうして――
頬に涙が伝う。
自分が描いていたシナリオと違いすぎる現況にパニックを起こしそうだ。
私は呆れられて嫌われるはずだったのに。どうして……。
「ただね、ひとつだけお願いがあるんだ」
「……おね、がい?」
「そう……。これで恋愛に恐怖を抱かないでほしい。こんな形だけが恋愛じゃないから。……人を好きになること、それだけは怖がらないでほしい」
何が起っているのかわからなかった。どうして呆れられる予定の秋斗さんに謝られてこんなに気遣われているのか、意味がわからなくてなんて答えたらいいのかわからなくて――
ただ、私も伝えなくてはいけないと思った。
酸素が足りてないわけはないのに、この部屋の酸素が薄い気がする。その酸素を必死で吸って、言葉を発するためにお腹に力を入れた。
「秋斗さんを好きなことも、キスをしたことも、抱きしめてもらったことも、何ひとつ後悔なんてしていません。ただ――どうしてか、途中から怖くなっちゃっただけなの……」
口にして涙が止まらなくなる。
でも、秋斗さんから目を逸らすことはできなかった。そして、秋斗さんも目を逸らすことなく私を見ていてくれた。
「……うん、わかってる」
「だから、自分のせいだと思わないでください。私のキャパシティが足りなかっただけだから……」
目を合わせているのはここまでが限界だった。
自分の足りない部分を情けなく思う。
「翠葉ちゃん、こうしよう。俺は自分を責めない。だから、翠葉ちゃんも自分のことを責めないでほしい。それでおあいこにしよう?」
思わず、下げた視線を秋斗さんへ戻す。
どうして、なんで? 私がいけないのに――
「翠葉ちゃんに自分を責めてもらいたくない。これ以上、翠葉ちゃんに負荷をかけたくない。それでなくとも、君は自分と闘うのに全力投球だろう?」
優しすぎる気遣いに、また目から涙が零れ落ちる。
「俺のことは必要以上に気にしなくていいんだ。俺は翠葉ちゃんより九つも年上なんだよ? 一応立派に社会人で大人なんだ。処世術だってそれなりに心得ているしね。だから、大丈夫」
秋斗さんは大人だからこんな対応ができるの? 私はてっきり呆れられて嫌われてしまうかと思っていたのに……。大人だからそんなに余裕があるの?
「嘘じゃないよ。たとえばこんなふうに距離は取るけど、でも、会いに行くし話しもできる。全然会わなくなるわけじゃない。前みたいにお茶を飲んでケーキを食べて笑って話をしよう?」
「……私、わがまま――」
すごくわがままだ。好きだけど付き合えなくて、付き合えないけど嫌われたくはなくて、怖いと思っているのに会えなくなることがもっと怖いなんて――
私はひとつも口にしていないのに、どうして秋斗さんは全部わかってくれるんだろう。どうしてそんなに優しくしてくれるのだろう。私はこんなにも何も返せない状態なのに。
「好きな子のわがままはかわいいよ。どんなことでもね。前にも言ったでしょ? 君にされることならなんでも受けるって……。これもそのひとつだよ」
「……秋斗さん、ごめんなさい――」
こんなことしか言えない自分が情けない。
「翠葉ちゃん、どうせなら『ありがとう』って言って?」
どうして、ありがとう……?
「翠葉ちゃんには『ありがとう』って言ってもらいたい」
今私にできることは、その言葉を返すことのみだ。それでも許されるだろうか。
「秋斗さん、ありがとう……ございます」
「うん、こちらこそありがとう。これからもよろしくね」
満面の笑みを返され、その笑顔を見たら身体中の力が抜けた。それがわかったのか、
「少し休むといいよ。俺、今日はこれで帰るから」
秋斗さんは部屋を出ていった。ドアが閉まってからも、私はドアから目を離すことができなかった。
「翠葉、大丈夫か……?」
蒼兄の声が耳元で聞こえた。
「だめ……私、全然だめ――もっと、ちゃんと言わなくちゃいけなかったのに」
「……翠葉、先輩との約束。自分を責めすぎないこと」
そう諭される。
少しすると唯兄がお茶を持って入ってきた。
「あーあ、かわいい顔をぐちゃぐちゃにして泣いて。まったくしょうがない子だねぇ……。これ、湊さんから預かった薬。軽い睡眠薬だって」
渡された錠剤は軽い睡眠導入剤だった。
「こういうときは一度寝ちゃうのがいいらしいよ?」
寝て、私はまた現実から逃げるのだろうか……。
「とりあえず、何も考えずに寝ちゃいなよ。知ってる? 鍋は煮えたかな? どうかな? って言いながら何度も蓋を開けて見てると美味しい料理は作れないって」
なんの話……?
話についていけない私に代わって蒼兄が口を開く。
「思考整理の話しだろ?」
「そうそう。難しいことほど時間を置いてから考えたほうがいい答えが見つかるって話。料理も、一日コトコト煮詰めたほうが美味しいものができるっていう海外のたとえ話」
海外のたとえ話……。
「だからさ、少し――そうだな、一時間半したら起こすから、そしたらご飯を食べて勉強を再開しようよ」
「……はい」
唯兄の提案は不思議だ。こうしよう、と言われると自然に「はい」と返事ができる。まるで魔法でもかけられたみたいにごく自然に。
ベッドに横になると、蒼兄の大きな手が額に翳される。
「俺、五時には出かけるけど、よほどのことがない限りは七時までには帰るから。それまでは唯と一緒に勉強してな」
目を瞑ると、
「寝付くまではここにいるよ」
優しい声は唯兄のものだった。
「なんだったら手、貸そうか?」
唯兄の申し出に、思わず両手を出してしまう。すると、右手に蒼兄の手、左手に唯兄の手が伸びてきた。
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