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第七章 つながり
24話
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「かばん持ってこさせたから起きられるならお弁当でも食べなさい」
湊先生に言われ、ゆっくりとベッドを下りた。
点滴スタンドを押してカーテンを出ると、白いテーブルに自分のかばんが置かれていた。
かばんがここにあるということは、このまま帰れるということ。
それは、教室に行く必要がないということもあり、心配をかけた海斗くんや桃華さんに会うこともないことを意味していた。
そんなことを考えながら、かばんとは別のランチバッグからお弁当箱を取り出す。
久しぶりにちゃんとお弁当箱。
ちゃんとお弁当箱、という表現もおかしいけれど、ちゃんとお弁当箱。
スープが入っているタンブラーではなく、ちゃんとお弁当箱。
「相変わらず食べる分量少ないわね」
先生に言われつつ、卵焼きを口に運ぶ。
出汁巻き卵が美味しい。ほうれん草の胡麻和えが美味しい。
「でも、嫌々食べてるわけではなさそうだから栄養にはなるか」
湊先生はそんなふうに口にして、ちょっと意地悪に笑ってみせた。
「椅子、つらくない?」
「正直、少しつらいです」
「さっき床は掃除しておいた」
湊先生は席を立ち、私が使っていたベッドの隣の隣のベッドへ姿を消し、戻ってきたときには大きなクッションを手に持っていた。
あれ……? そのクッション――
「秋斗の仕事部屋から借りてきた」
やっぱり馴染みあるものだった。
クッションに移ってお弁当を食べ始めると、湊先生は難しそうな顔をしてノートパソコンと向き合う。
会話のない空間に、上の階で引き摺られた椅子の音が響く。
音や雰囲気に、学校にいるんだな、と思いながらお弁当を食べた。
五限が終わると同時くらいにお弁当を食べ終えそれらを片付けていると、廊下からものすごい音が聞こえてきた。
なんというか集団で全力ダッシュしているような音だ。
その勢いのまま保健室のドアがノックされて心臓が止まるかと思った。
入ってきたのは海斗くんと佐野くん、加納先輩と飛鳥ちゃんだった。
「「「「大丈夫なのっ!?」」」」
びっくりしすぎて静止していると、少し遅れて桃華さんがやってきて、
「ここ保健室、声が大きすぎるわよ」
と、学年関係なく四人を諭す。
その中に佐野くんが含まれていることが珍しかった。
「お弁当食べられたみたいね? 良かった」
優しく笑う桃華さんにほっとした。
「翠葉ちゃん、大丈夫っ!?」
「翠葉はっ!?」
「久ひどいっ!」
遅れてやってきたのは春日先輩と荒川先輩、里見先輩。
「ですから、ここ、保健室なんですよね……先輩方?」
微笑を貼り付けて振り返る桃華さんが怖い。
「桃っ、ちょっと聞いてよっ! 久が私を置いてったっ」
「はいはい、茜先輩は声量あるんだからもう少し抑えましょうか?」
桃華さんの声音はおとなしいくらいだったけれど、抑えられた声のほうが怖かった。
そして、窓際で眉間にしわを寄せている湊先生に向かって、
「場をわきまえないうちのメンバーがお騒がせしてすみません」
と、頭を下げる。
こういうところがとても桃華さんらしいと思う。
そして、ひたひたと廊下を歩く音が聞こえてくると、静かにドアをノックする音がしてドアが開いた。
そこに立っていたのは司先輩。
「……弁当は食べられたわけね? ならいい」
それだけを言うと、保健室に一歩も踏み入れずドアを閉めた。
「……っていうか、あいつどーにかなんないわけっ!?」
海斗くんが地団駄踏む。
「海斗、藤宮司だもの。あれが関の山でしょ?」
桃華さんが海斗くんを宥める。
「いやぁ……それにしたって、もっと何かあるだろうよ」
春日先輩も呆れたように口にした。
「でも、司だしね」
仕方ないでしょ、というように口にしたのは荒川先輩。
「……っていうかさ、藤宮先輩一歩も保健室に入らなかったよ」
飛鳥ちゃんはドアを指差して、「ねぇ、見てた?」というように同意を求めてくる。
それには佐野くんが、「だな……」と答えた。
「「でも、司だし……」」
声を揃えたのは里見先輩と加納先輩で――
一通りみんなの感想が出揃うと、窓際から一際大きな笑い声が聞こえた。
湊先生だ。
「なーんだ、司の周りにもこんな人間たちがいたのね」
と、身体を捩じらせて笑う。
「あの、心配をかけてすみませんでした。様子見に来てくれてありがとうございます」
私が座ったまま頭を下げると、
「翠葉ちゃん、違う」
と、里見先輩にびしっと否定された。
「私たちは自分が安心したいからここまで来たのであって、別に翠葉ちゃんが謝る必要はないんだからねっ」
茜先輩の言葉にどう返事をしようかと考えていると、
「茜先輩に一票」と、次々と声が上がる。
そのとき、私の携帯が鳴りだした。
「これ、どうしたらいいの……?」
普段の通話画面とは違ったため、海斗くんに助けを求めると、
「これでOK。ここに向かって普通に喋ってみ?」
「もしもし……」
『あ、出た出た。朝陽だけど、身体は大丈夫?』
ディスプレイには王子スマイル全開の美都先輩が映っていた。
「あ、大丈夫です。ご心配おかけしてすみません」
『うん、大丈夫ならいいんだけどね。……あれ? みんなそこにいるの?』
え?
「はい、いますけど……でも、なんで?」
『だって、翠葉ちゃんの後ろ、みんなが顔覗かせてるから。司はいないみたいだね? あぁ千里もいないか』
「司先輩も来てはくれたんですけど、二言話したらドアを閉めました」
『それ、日本語おかしくない? 二言話して帰ったって言うならわかるんだけど』
「それが……保健室には足を踏み入れなかったものですから……」
『くっ、司らしいけど、バカだなぁ……』
こんな会話をしていても、王子らしい品を標準装備で微笑む。
「でも、嬉しかったです」
『良かったね。でも、そろそろそこにいるメンバーに教えてやってくれる?』
「え……?」
『あと二分十八秒で六限が始まるって』
にこりと笑った王子の一言で行動を起こした人は約二名。
桃華さんと佐野くんだ。
画面に向かって、「そういうことは早く言えよっ」と噛み付いたのは加納先輩と春日先輩。
直後、みんな来たときと同じように全力疾走で帰っていった……と思う。
「……台風一過?」
そう口にすると、背後で湊先生がくつくつと笑っていた。
美都先輩との通話も切り、あと少しで点滴も終わる。
あと二十分くらいかな……。
「横になる?」
「いいえ。少しずつ身体を慣らしたいから、だから起きています。……と言っても床なんですけど」
「あんたの体力、バロメーター的にどのくらい残ってる? 少なく見積もってよ?」
いったいどんな話だろう。というよりは、何を前提での話だろうか。
「そうですね二十パーセント残っているくらいでしょうか?」
「その二十パーセント、全部若槻に使ってやって」
そう真顔で言われて思い出す。
そうだ、唯兄のことがあったのだ……。
私は――
こんなことを言ったら怒られてしまうかもしれない。でも、唯兄の支えになれるなら、体力数値がマイナスになってもがんばれる。
唯兄の支えになりたい。そのための努力なら惜しまない――
点滴が終わり針を抜くとき、今までに感じたことのない緊張を感じた。
「翠葉が無理をする必要はないけど、がんばってほしいとは思う」
そう、湊先生に言われたからだ。
「先生……」
「ん?」
窓際に立つ先生は逆光のため顔の表情が見えづらい。
けれど、こんなことを言ったらどう思われるのか――
それが気になって、先生の表情を見逃さないように見つめていた。
「私、必要とされる人になれますか?」
「……それはあんたしだいね」
「……私、しだい――」
それは単純明快な答えで、湊先生の表情は何ひとつ変わらなかったように見える。
「自分の可能性を信じることができる人間は、たいていのことをクリアするわ」
そう答えたあと、「ふ」と笑い、
「ま、時に挫折って負のループにも陥ることもあるけどね」
湊先生は力強く伸びをして、身体を反らせたまま窓の外――空を見上げた。
空は雲ひとつない青空だった。
「蒼兄にとって、私は必要な要素なんだそうです。私にはその意味がよくわからなかったけれど、今なら少しわかる気がします。唯兄は私に必要な要素だと思うから……。だから、がんばりたいです」
「うん」
「でも……本当は少し怖い。少しっていうのは見栄で、本当はすごく怖いです」
湊先生は何も言わずに聞いてくれる。
「ずっと探していたものがひょんなことから目の前に出てきたとき、人は何を思うのかな、って考えました。それが普通に探していたものなら想像ができます。驚くんだろうな、喜ぶんだろうな、って。でも、それを探すことを生きることの支えにしていたとしたら、なんてことは考えられない、想像が追いつかないんです」
「翠葉……携帯のストラップ、それがなくなって秋斗も姿を消したらどうする?」
淡々とした声だった。
まるで、一定のリズムが拍を打つような、そんな声。
「それは――」
嫌な汗が背中を伝う。
額にも滲んでいるのがわかるくらいだ。
「若槻にとってのオルゴールってそういうものなんだと思うわ」
「……先生、どうしよう。最初から怖いって思っていたけど、もっと怖くなっちゃった――」
半分泣き笑い。
「そのうえ、妹はもう亡くなっているのよ……」
無機質な声だった。感情の入る余地がない声。
「……そんなの考えたくないっ」
秋斗さんが亡くなるなんて考えたくないっ――
「……は、翠葉」
気づけば肩を揺さぶられていた。
私は両耳に手を当てたまま目を固く閉じていたらしい。
「ごめん……」
床に膝を落とした先生は抱きしめてくれた。
「すごく怖がらせてると思うわ。でもね、若槻に会う前に、翠葉にも心の準備をさせないといけないと思った。……若槻が抱えているものはそういうものなの」
「……はい。事前に少しでも知ることができて良かったです。でも――怖い」
しゃくりあげるものをどうすることもできず、必死で抑えようとした。
「今は泣いちゃいなさい。この学校、健康優良児ばかりなうえにみんな勉強好きだから、めったに保健室に来る人間はいないのよ。おかげで私の楽園」
「……ふふ、それっていいのかな」
相変わらず泣き笑いのまま口にすると、
「いいんじゃない? 健康っていうのは悪いことじゃないわ。保健室や病院が繁盛しちゃう世の中なんてろくなものじゃないわ」
湊先生らしく、カラカラと笑う。
泣いたら少しだけすっきりした。
感情を認めて外に出すと、こんなにも気持ちが落ち着くものなのだろうか。
そんなことを考えながら、
「何ができるのかわからないけど、がんばります」
「お願い。翠葉が倒れたら私がどうにかするから、限界までがんばっていいわよ」
「……自分がやりたいところまで?」
「……そう。ストッパー外していいわ。私が許す」
「はい……」
「じゃ、若槻に連絡して迎えに来てもらいなさい」
先生から離れると、先生はとても優しい表情で私を見ていた。
この笑顔はどこかで見た気がする。
それはいったいどこでだっただろうか……。
湊先生に言われ、ゆっくりとベッドを下りた。
点滴スタンドを押してカーテンを出ると、白いテーブルに自分のかばんが置かれていた。
かばんがここにあるということは、このまま帰れるということ。
それは、教室に行く必要がないということもあり、心配をかけた海斗くんや桃華さんに会うこともないことを意味していた。
そんなことを考えながら、かばんとは別のランチバッグからお弁当箱を取り出す。
久しぶりにちゃんとお弁当箱。
ちゃんとお弁当箱、という表現もおかしいけれど、ちゃんとお弁当箱。
スープが入っているタンブラーではなく、ちゃんとお弁当箱。
「相変わらず食べる分量少ないわね」
先生に言われつつ、卵焼きを口に運ぶ。
出汁巻き卵が美味しい。ほうれん草の胡麻和えが美味しい。
「でも、嫌々食べてるわけではなさそうだから栄養にはなるか」
湊先生はそんなふうに口にして、ちょっと意地悪に笑ってみせた。
「椅子、つらくない?」
「正直、少しつらいです」
「さっき床は掃除しておいた」
湊先生は席を立ち、私が使っていたベッドの隣の隣のベッドへ姿を消し、戻ってきたときには大きなクッションを手に持っていた。
あれ……? そのクッション――
「秋斗の仕事部屋から借りてきた」
やっぱり馴染みあるものだった。
クッションに移ってお弁当を食べ始めると、湊先生は難しそうな顔をしてノートパソコンと向き合う。
会話のない空間に、上の階で引き摺られた椅子の音が響く。
音や雰囲気に、学校にいるんだな、と思いながらお弁当を食べた。
五限が終わると同時くらいにお弁当を食べ終えそれらを片付けていると、廊下からものすごい音が聞こえてきた。
なんというか集団で全力ダッシュしているような音だ。
その勢いのまま保健室のドアがノックされて心臓が止まるかと思った。
入ってきたのは海斗くんと佐野くん、加納先輩と飛鳥ちゃんだった。
「「「「大丈夫なのっ!?」」」」
びっくりしすぎて静止していると、少し遅れて桃華さんがやってきて、
「ここ保健室、声が大きすぎるわよ」
と、学年関係なく四人を諭す。
その中に佐野くんが含まれていることが珍しかった。
「お弁当食べられたみたいね? 良かった」
優しく笑う桃華さんにほっとした。
「翠葉ちゃん、大丈夫っ!?」
「翠葉はっ!?」
「久ひどいっ!」
遅れてやってきたのは春日先輩と荒川先輩、里見先輩。
「ですから、ここ、保健室なんですよね……先輩方?」
微笑を貼り付けて振り返る桃華さんが怖い。
「桃っ、ちょっと聞いてよっ! 久が私を置いてったっ」
「はいはい、茜先輩は声量あるんだからもう少し抑えましょうか?」
桃華さんの声音はおとなしいくらいだったけれど、抑えられた声のほうが怖かった。
そして、窓際で眉間にしわを寄せている湊先生に向かって、
「場をわきまえないうちのメンバーがお騒がせしてすみません」
と、頭を下げる。
こういうところがとても桃華さんらしいと思う。
そして、ひたひたと廊下を歩く音が聞こえてくると、静かにドアをノックする音がしてドアが開いた。
そこに立っていたのは司先輩。
「……弁当は食べられたわけね? ならいい」
それだけを言うと、保健室に一歩も踏み入れずドアを閉めた。
「……っていうか、あいつどーにかなんないわけっ!?」
海斗くんが地団駄踏む。
「海斗、藤宮司だもの。あれが関の山でしょ?」
桃華さんが海斗くんを宥める。
「いやぁ……それにしたって、もっと何かあるだろうよ」
春日先輩も呆れたように口にした。
「でも、司だしね」
仕方ないでしょ、というように口にしたのは荒川先輩。
「……っていうかさ、藤宮先輩一歩も保健室に入らなかったよ」
飛鳥ちゃんはドアを指差して、「ねぇ、見てた?」というように同意を求めてくる。
それには佐野くんが、「だな……」と答えた。
「「でも、司だし……」」
声を揃えたのは里見先輩と加納先輩で――
一通りみんなの感想が出揃うと、窓際から一際大きな笑い声が聞こえた。
湊先生だ。
「なーんだ、司の周りにもこんな人間たちがいたのね」
と、身体を捩じらせて笑う。
「あの、心配をかけてすみませんでした。様子見に来てくれてありがとうございます」
私が座ったまま頭を下げると、
「翠葉ちゃん、違う」
と、里見先輩にびしっと否定された。
「私たちは自分が安心したいからここまで来たのであって、別に翠葉ちゃんが謝る必要はないんだからねっ」
茜先輩の言葉にどう返事をしようかと考えていると、
「茜先輩に一票」と、次々と声が上がる。
そのとき、私の携帯が鳴りだした。
「これ、どうしたらいいの……?」
普段の通話画面とは違ったため、海斗くんに助けを求めると、
「これでOK。ここに向かって普通に喋ってみ?」
「もしもし……」
『あ、出た出た。朝陽だけど、身体は大丈夫?』
ディスプレイには王子スマイル全開の美都先輩が映っていた。
「あ、大丈夫です。ご心配おかけしてすみません」
『うん、大丈夫ならいいんだけどね。……あれ? みんなそこにいるの?』
え?
「はい、いますけど……でも、なんで?」
『だって、翠葉ちゃんの後ろ、みんなが顔覗かせてるから。司はいないみたいだね? あぁ千里もいないか』
「司先輩も来てはくれたんですけど、二言話したらドアを閉めました」
『それ、日本語おかしくない? 二言話して帰ったって言うならわかるんだけど』
「それが……保健室には足を踏み入れなかったものですから……」
『くっ、司らしいけど、バカだなぁ……』
こんな会話をしていても、王子らしい品を標準装備で微笑む。
「でも、嬉しかったです」
『良かったね。でも、そろそろそこにいるメンバーに教えてやってくれる?』
「え……?」
『あと二分十八秒で六限が始まるって』
にこりと笑った王子の一言で行動を起こした人は約二名。
桃華さんと佐野くんだ。
画面に向かって、「そういうことは早く言えよっ」と噛み付いたのは加納先輩と春日先輩。
直後、みんな来たときと同じように全力疾走で帰っていった……と思う。
「……台風一過?」
そう口にすると、背後で湊先生がくつくつと笑っていた。
美都先輩との通話も切り、あと少しで点滴も終わる。
あと二十分くらいかな……。
「横になる?」
「いいえ。少しずつ身体を慣らしたいから、だから起きています。……と言っても床なんですけど」
「あんたの体力、バロメーター的にどのくらい残ってる? 少なく見積もってよ?」
いったいどんな話だろう。というよりは、何を前提での話だろうか。
「そうですね二十パーセント残っているくらいでしょうか?」
「その二十パーセント、全部若槻に使ってやって」
そう真顔で言われて思い出す。
そうだ、唯兄のことがあったのだ……。
私は――
こんなことを言ったら怒られてしまうかもしれない。でも、唯兄の支えになれるなら、体力数値がマイナスになってもがんばれる。
唯兄の支えになりたい。そのための努力なら惜しまない――
点滴が終わり針を抜くとき、今までに感じたことのない緊張を感じた。
「翠葉が無理をする必要はないけど、がんばってほしいとは思う」
そう、湊先生に言われたからだ。
「先生……」
「ん?」
窓際に立つ先生は逆光のため顔の表情が見えづらい。
けれど、こんなことを言ったらどう思われるのか――
それが気になって、先生の表情を見逃さないように見つめていた。
「私、必要とされる人になれますか?」
「……それはあんたしだいね」
「……私、しだい――」
それは単純明快な答えで、湊先生の表情は何ひとつ変わらなかったように見える。
「自分の可能性を信じることができる人間は、たいていのことをクリアするわ」
そう答えたあと、「ふ」と笑い、
「ま、時に挫折って負のループにも陥ることもあるけどね」
湊先生は力強く伸びをして、身体を反らせたまま窓の外――空を見上げた。
空は雲ひとつない青空だった。
「蒼兄にとって、私は必要な要素なんだそうです。私にはその意味がよくわからなかったけれど、今なら少しわかる気がします。唯兄は私に必要な要素だと思うから……。だから、がんばりたいです」
「うん」
「でも……本当は少し怖い。少しっていうのは見栄で、本当はすごく怖いです」
湊先生は何も言わずに聞いてくれる。
「ずっと探していたものがひょんなことから目の前に出てきたとき、人は何を思うのかな、って考えました。それが普通に探していたものなら想像ができます。驚くんだろうな、喜ぶんだろうな、って。でも、それを探すことを生きることの支えにしていたとしたら、なんてことは考えられない、想像が追いつかないんです」
「翠葉……携帯のストラップ、それがなくなって秋斗も姿を消したらどうする?」
淡々とした声だった。
まるで、一定のリズムが拍を打つような、そんな声。
「それは――」
嫌な汗が背中を伝う。
額にも滲んでいるのがわかるくらいだ。
「若槻にとってのオルゴールってそういうものなんだと思うわ」
「……先生、どうしよう。最初から怖いって思っていたけど、もっと怖くなっちゃった――」
半分泣き笑い。
「そのうえ、妹はもう亡くなっているのよ……」
無機質な声だった。感情の入る余地がない声。
「……そんなの考えたくないっ」
秋斗さんが亡くなるなんて考えたくないっ――
「……は、翠葉」
気づけば肩を揺さぶられていた。
私は両耳に手を当てたまま目を固く閉じていたらしい。
「ごめん……」
床に膝を落とした先生は抱きしめてくれた。
「すごく怖がらせてると思うわ。でもね、若槻に会う前に、翠葉にも心の準備をさせないといけないと思った。……若槻が抱えているものはそういうものなの」
「……はい。事前に少しでも知ることができて良かったです。でも――怖い」
しゃくりあげるものをどうすることもできず、必死で抑えようとした。
「今は泣いちゃいなさい。この学校、健康優良児ばかりなうえにみんな勉強好きだから、めったに保健室に来る人間はいないのよ。おかげで私の楽園」
「……ふふ、それっていいのかな」
相変わらず泣き笑いのまま口にすると、
「いいんじゃない? 健康っていうのは悪いことじゃないわ。保健室や病院が繁盛しちゃう世の中なんてろくなものじゃないわ」
湊先生らしく、カラカラと笑う。
泣いたら少しだけすっきりした。
感情を認めて外に出すと、こんなにも気持ちが落ち着くものなのだろうか。
そんなことを考えながら、
「何ができるのかわからないけど、がんばります」
「お願い。翠葉が倒れたら私がどうにかするから、限界までがんばっていいわよ」
「……自分がやりたいところまで?」
「……そう。ストッパー外していいわ。私が許す」
「はい……」
「じゃ、若槻に連絡して迎えに来てもらいなさい」
先生から離れると、先生はとても優しい表情で私を見ていた。
この笑顔はどこかで見た気がする。
それはいったいどこでだっただろうか……。
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