光のもとで1

葉野りるは

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第六章 葛藤

33話

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 ポーチで音がしたと思ったら栞さんが帰ってきた。
 栞さんが部屋に入ってきたとき、栞さんを迎えに出たらしい秋斗さんと一瞬目が合ったけれど、ドキドキはドキドキでも、相変らず心臓に悪いほうのドキドキだった。
「翠葉ちゃん、体調はどう?」
 栞さんの手が額に伸びてくる。
「少し熱があるかしら?」
 言いながら、栞さんは枕元に置いてある私の携帯を手に取った。
「三十七度五分。でも、身体は起こせるようになったのね」
 栞さんのほっとした顔に自分もつられてほっとする。
「で、秋斗くんが廊下に座り込んでいたけれど、何かあったの?」
「「「えっ!?」」」
 三人顔を見合わせ絶句する。
 さっきまでの会話をすべて聞かれていたのだろうか。
「司、何も言わずに偵察かよ……」
 蒼兄が零すと、
「彼、淡白なだけじゃなくて意外と侮れないわけね……」
 若槻さんが顔を引きつらせた。
 栞さんは意味がわからないという顔を私に向けてくる。
「……なんでもないです」
 もう誰にも何も言いたくないし訊かれたくもなかった。そこへ、
「若槻、ちょっと付き合えよ」
 秋斗さんが少し荒っぽい口調で廊下から声を発した。
「……マジでっ!?」
 どこか引き気味の若槻さん。
「若槻さん?」
「唯?」
「あはは……いや、なんでもない。うん、なんでもないから。なんでもないようにしてくる……」
 わけのわからないことを口走って立ち上がる。
「えっ!? 秋斗くんと若槻くん、夕飯は? みんないるっていうからたくさん買ってきたのよっ!?」
 栞さんが抗議すると、
「すんません、俺と秋斗さんの分却下で……。本当にごめんなさい」
 ペコリ、と頭を下げて若槻さんは出ていった。
「……やっぱり怒ってるから、だよね」
「たぶんな」
 私と蒼兄の会話に、
「何があったの?」
 栞さんに尋ねられたけど、もう何も話せなかった。
 司先輩が開いたままのドアを軽くノックして入ってくる。
「秋兄、かなり荒れてたけど昼間何かあった?」
 話せない私の代わりに蒼兄が口を開く。
「不肖の妹が、というかなんというか……。経験値の差がネックで本日二回ほど先輩を怒らせてるんだ」
「……二回って、さっきのエレベーターホールの?」
「あぁ……それを入れちゃうと要因は三つになるかな」
 蒼兄がかいつまんでエレベーターホールでの出来事を栞さんに話すと、
「秋斗くんて嫉妬深いのね……。悪いことじゃないと思うけど――」
 栞さんは私に向き直った。
「でも、秋斗くんは面白くないと思うわ」
「どうして……?」
 私が訊くと、司先輩が「鈍感」と一言口にした。
 そんなこと言われても……恋愛において、人が何で怒るかなんてわからないもの。
 ――「自分がされて嫌なことは人にしないこと」。
 そうお母さんに何度となく言われてきた。
 私が秋斗さんだったら、もし秋斗さんに今日の私のようなことをされたらどう思うだろう。
 たとえば、秋斗さんと一緒に街中を歩いていたとして、すごくきれいな人に秋斗さんが目を奪われたら? 「きれい」って言ったら?
 ……秋斗さんが目を奪われるほどにきれいな人ならば、私も一緒になって見惚れていそうだ。
 そんなことしか想像できなかった。
 じゃぁ、秋斗さんがほかの女の子を抱っこしたら?
 秋斗さんは誰にでも優しいし……。きっと、具合の女の子が校内にいたら普通にそういう行動を取りそう。
 ……あれ?
 それはつまり、私はまったく特別待遇なんて受けていなくて、秋斗さんにとっては普通のことをされているだけなのかな。
 彼女とかそういうことではなくて……。
 だとしたら、普通にしていることに過剰反応しているのは私なのだろうか――
 でも、私にとっては全然普通のことではなくて、はるかにキャパシティを超えることで……。
 それでも……自分が普通だと思ってしていることを拒絶されたらショックなのかもしれない。だから、「慣れて」って言われるのかな。
 でも、やっぱり――そんな簡単に慣れるなんてできないし、そのたびに秋斗さんに怒られたらつらいし……。
 怒るということは不快に思うということと同義だと思えば、私がそんな態度を取るたびに不快な思いをさせるのは申し訳ないし……。
 一緒にいる意味、あるのかな――
 ただ側にいられて、普通に笑って話せるだけ。それだけで私は幸せだけど、秋斗さんは違うんだ……。
「価値観」と少し似ているかもしれない。
 私の好きと秋斗さんの好きは別物――
 そんな気がしてきた……。

「……はっ、翠葉っ!」
 ゆさゆさと身体を揺さぶられて気づく。
「考えすぎ……」
 考え、すぎ……?
「翠葉ちゃん、今にも泣きそうな顔をしているわよ?」
「栞さん……恋愛って難しい。教科書、ないのかな」
 栞さんはクスクスと笑った。
「誰もが一度は考えることね。でも、恋愛に教科書はないの。問題にぶつかるごとに自分で解決していくしかないのよ。あとは……人の経験談を聞く、かしらねぇ?」
 あ――
「司先輩っ」
 ドア口に立ったままの司先輩に声をかけると、すごくびっくりした顔をされた。
「先輩はどうしてそんなふうに想えるんですかっ!?」
 今は側にいられるだけでいい、目の届くところにいればそれでいい。
 どうして、どうしてっ!?
「相手がそういう人間だから仕方ない」
「……それはすごく我慢が必要なことですか?」
「……人によると思う。俺は自分に我慢を強いているつもりはないけど、周りの人間には我慢しているように見えるらしいから」
 先輩がベッドサイドまでやってきて真正面から見られた。
「翠は翠のペースでいいと思う。どうしてそこで人に合わせる必要がある? ……それで許容量を超えてたら翠がもたない」
 その言葉にひどく救われた気がして涙が出てくる。
「なんで泣くんだよ……」
「だって……だって、わからないんだもの」
 自分のペースでいれば鈍感な人みたいに言われるし、人のペースを見ていると目まぐるしくてとてもついていけそうにはない。
 こんなこと、体力以外では何もなかったのに……。
 それはひとえに、私が人との付き合いをしてきていないということ。
 家族以外の人と交流がなかったことを示しているようでもあった――
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