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15 Side 楓 01話
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今日は久しぶりに会う子がいる。
疲れのたまっている身体を押してでも会っておきたいと思う子。
それは、俺に麻酔科へ進むきっかけをくれた子でもあった。
出逢いは病院――
俺が循環器内科で紫さんに付いて研修をしている際に出逢った子、御園生翠葉ちゃん。
弟と同い年の彼女は、弟とはまったく違う雰囲気の女の子だった。
ショック状態で運ばれてきた彼女は半年以上入院していた。
もともと食は細かったらしいけど、本当にご飯を食べるのが苦手な子だった。それが気がかりで、あのころは時間が合うときには決まって一緒にお昼を食べていた。
彼女は、自分の身体をコントロールすることが非常に困難な子だった。中でも一番症状がひどかったのは低血圧だろう。
普段から血圧数値が恐ろしく低いうえに、それを維持することが難しい。ひどいときは、臥位から座位、座位から立位になるだけで、ストンと血圧が下がり失神してしまう。さらには原因不明の疼痛にも苛まれていた。
その彼女が受けていた治療のひとつが麻酔科、ペインクリニックだ。
局部麻酔を打って痛みを取り除いたり、硬膜外ブロック――随時、カテーテルから硬膜外に麻酔を流す治療も受けていた。首に打つ星状神経ブロックも一日に二度受けていたっけか……。
これは自律神経を改善するとも言われているけれど、彼女にどれほど効果があったのかは定かじゃない。
注射の針が首に迫ってくるのが見える治療は大人であっても恐怖を感じるもの。彼女は恐怖に震えながら治療に耐えていた。
首に打つブロックはいつしか慣れたようで、最後まで慣れなかったのは神経ブロック。
彼女の場合は主に左側の肋骨や鎖骨の神経、裏表合わせて六ヶ所に局部麻酔を打っていた。
ただでさえ痛い思いをしているところ、痛みを取るために注射を打つ――
治療のたびにひどい緊張を強いられ、終わったときには意識を手放してしまうほどに衰弱していた。
十五歳の女の子にはずいぶんと酷な治療に思えた。
局部麻酔で痛みが取り除かれるのは数時間のことだし、硬膜外ブロックには脊髄損傷のリスクもあれば、彼女の血圧を下げてしまうこともある。
実際、処置をして三十分と経たないうちに彼女の血圧はあっという間に六十まで下がり、緊急で昇圧剤を投与したしたこともある。
彼女の場合、麻酔科で行う治療はどれもが対症療法であり、緩和ケアでしかなかった。
もとの痛みと治療の痛みと、それらに耐える姿がひどく痛ましく思え、何度となく手を差し伸べたけれど、その手を取ってもらえるようになるまではかなりの月日を要した。
その子が今、目の前で笑っている。
弟の司や従弟の海斗、秋斗や姉さん、栞さんや静さんと一緒に話をしながら。
彼女はこれからの季節が一番不安定になる。
俺が処置をする日も近いのだろう。
そんなことを考えつつ彼女を見ていると、視線に気づいた彼女がちょこちょこと寄ってきた。
「楓先生、お久しぶりです」
「本当だね。少し見ないうちにきれいになったんじゃない?」
もともとかわいい子だけど、それに磨きがかかったようにも思える。この子はもっときれいになるだろう。何より、「本当?」って顔をしているのがかわいい。
こんな子が妹だったらどれだけ癒されることか……。司と姉さんじゃ無理。蒼樹くんがかわいがるのもわかるし、若干羨ましいとも思ってる。
そんな彼女を見ながら、
「翠葉ちゃんにとってはあまり嬉しい情報じゃないんだけど……」
「……なんでしょう?」
「翠葉ちゃんの麻酔科にかかるとき、自分が麻酔科の担当医になった」
これは病院内で唯一わがままを通させてもらったこと。
本来なら機械的に患者は割り振られるものだけど、これだけは紫さんに頼んで裏から手を回してもらった。
純粋に、この子の力になりたいと思った。何よりも、痛みの地獄から救ってあげたいと思った。
だから、色んな患者を診て少しでも多くの技術を身に付けようとこの一年間はがんばってきた。
少しでも君の恐怖心を減らしてあげたい。痛みから解放してあげたい――
幸い、今は姉さんが彼女のメインドクターだというし、バックアップには紫さんも付いている。連携上に不安要素は何もない。
でも、できれば君は通りたくない道なんだろうね。引きつり笑いで、「そのときはよろしくお願いします」と言うくらいには。
直後、彼女は秋斗に話しかけられた。
「これ、うちに忘れていったでしょう? 確信犯?」
秋斗の手には、篠塚さんの手によると思われる小箱が乗っていた。……ということは、あの中身は間違いなく宝飾品だろう。
少しは聞いていたんだけど……。あの秋斗が本気になった相手が、まさか彼女とは思わなかった。
ま、かわい子だとは思うけどね。
姉さんの話だと司も惹かれているのだとか。そのほかだと、静さんのお気に入りという噂も聞いている。
これは血を見る争いになるのかなぁ……。
なんでまた、藤宮の人間に好かれるようなことになっちゃったんだか。彼女にはそういう血でも流れているのだろうか。
ただ、ふたりとも……彼女の負担になるようなことはしてくれるな。
それくらい、これからの彼女はつらい日々を過ごすことになる。
こんな未来、外れてしまえばいいのにね。
どうやら昨日が彼女の誕生日だったらしく、いたるところからプレゼントをもらったようだ。そして、その品々に彼女は困惑しているらしい。
話を聞いていて、おいおい、と突っ込みを入れたくなる。
秋斗はダイヤとエメラルドをあしらったヘアアクセサリーで、静さんはドレス十着――
十七歳の女の子にそのプレゼントはどうかと思う。
引かれて当然だと俺は思うんだけど……。
けれども秋斗も静さんも真面目に喜んでもらえない理由がわからない、という顔をしているのだから救えない。
蒼樹くんは話題の中心にいる彼女を穏やかな目で見ていた。
見守っているという言葉が何よりもしっくりくる。
彼女が入院しているときも、どうしても来られないとき以外は毎日顔を出していた。看護師たちにも人気の兄妹だったから、いつも噂は聞いていたな。
高等部でも間接的には知り合いだったし、何度かは話したこともあった。でも、きちんと話すようになったのは彼女の入院がきっかけ。
そんなことを思い出していると、姉さんの声が耳に鮮明に響いた。
「翠葉、くれるって言ってるんだから『ありがとう』ってにっこり笑ってもらっておけばいいのよ」
「それじゃ、自分が悪女のようです……」
「くっ……あんた、悪女って柄じゃないから大丈夫よ」
確かに、君は悪女ってタイプには見えないかな。しかし、別のところから異議申し立てが上がった。
「いや、翠は立派に悪女だと思う」
弟の司だ。すると彼女は、
「……静さん、秋斗さん、やっぱりプレゼントは受け取れません……」
おずおずと、プレゼントを固辞した。
「「司、余計なことは口にするな」」
静さんと秋斗が声を揃えるところなど、そうそう見られるものでもない。それに動じない司は、
「物がどうこう以前に、その鈍さがすでに罪だと思う」
と淡々と答え、横から海斗が「それは言えてる」と便乗した。
いつもの集りに翠葉ちゃんと蒼樹くんが加わっただけ。ただそれだけなのに、いつもよりも会話が多く和やかな光景に見える。
不思議な兄妹だよね。
とりわけ、彼女は感受性が豊かな子だ。この子に関わることで司が少しでも感化されると嬉しいんだけど……。
感化、は難しいかな? でも、すでに惹かれてるというのだから、司にもまだ伸びしろがあると思いたい。
彼女は居たたまれなくなったのか、蒼樹くんのところへ逃げてくる。そして、彼の影に隠れる様がかわいかった。
本当におかしいな。気づけば声を立てて笑っていた。
こんなふうに笑ったのはどのくらい久しぶりだろう。
テスト期間のこの会合。毎日は無理でも一日くらいは顔を出せるように努力を試みるかな。
「薬飲まなくちゃ……」
彼女は慌てて客間に行き、戻ってくるとキッチンで薬を飲む。それを見た姉さんが、
「翠葉、時間で薬を飲んでいるの?」
彼女はコクリと頷く。
「でもっ、ちゃんと六時間置きだし、一日の服用量は守っています」
「だから怒らないで」って顔……。
「……あと一日ね。よくがんばってるわ」
姉さんにしては珍しい言葉だと思った。
通常ならそんなことはさせない。
彼女は責められる言葉が返されたわけでもないのに表情を歪めた。
それを見ていた俺の視線に気づけば、「なんですか?」というように首を傾げる。
俺はなんでもないことを伝えるため、首を左右に振ってみせた。
緩和ケア、か……。
痛みを取り除いてあげるのは当然として、彼女の精神面での苦痛も取り除いてあげられたらいい。
まだ医者になったばかりだし欲張ったらいけないのはわかってる。でも、彼女のケアがひとつでも多くできるように勉強は怠らない。
翠葉ちゃん、君の手助けを俺にさせてね。
疲れのたまっている身体を押してでも会っておきたいと思う子。
それは、俺に麻酔科へ進むきっかけをくれた子でもあった。
出逢いは病院――
俺が循環器内科で紫さんに付いて研修をしている際に出逢った子、御園生翠葉ちゃん。
弟と同い年の彼女は、弟とはまったく違う雰囲気の女の子だった。
ショック状態で運ばれてきた彼女は半年以上入院していた。
もともと食は細かったらしいけど、本当にご飯を食べるのが苦手な子だった。それが気がかりで、あのころは時間が合うときには決まって一緒にお昼を食べていた。
彼女は、自分の身体をコントロールすることが非常に困難な子だった。中でも一番症状がひどかったのは低血圧だろう。
普段から血圧数値が恐ろしく低いうえに、それを維持することが難しい。ひどいときは、臥位から座位、座位から立位になるだけで、ストンと血圧が下がり失神してしまう。さらには原因不明の疼痛にも苛まれていた。
その彼女が受けていた治療のひとつが麻酔科、ペインクリニックだ。
局部麻酔を打って痛みを取り除いたり、硬膜外ブロック――随時、カテーテルから硬膜外に麻酔を流す治療も受けていた。首に打つ星状神経ブロックも一日に二度受けていたっけか……。
これは自律神経を改善するとも言われているけれど、彼女にどれほど効果があったのかは定かじゃない。
注射の針が首に迫ってくるのが見える治療は大人であっても恐怖を感じるもの。彼女は恐怖に震えながら治療に耐えていた。
首に打つブロックはいつしか慣れたようで、最後まで慣れなかったのは神経ブロック。
彼女の場合は主に左側の肋骨や鎖骨の神経、裏表合わせて六ヶ所に局部麻酔を打っていた。
ただでさえ痛い思いをしているところ、痛みを取るために注射を打つ――
治療のたびにひどい緊張を強いられ、終わったときには意識を手放してしまうほどに衰弱していた。
十五歳の女の子にはずいぶんと酷な治療に思えた。
局部麻酔で痛みが取り除かれるのは数時間のことだし、硬膜外ブロックには脊髄損傷のリスクもあれば、彼女の血圧を下げてしまうこともある。
実際、処置をして三十分と経たないうちに彼女の血圧はあっという間に六十まで下がり、緊急で昇圧剤を投与したしたこともある。
彼女の場合、麻酔科で行う治療はどれもが対症療法であり、緩和ケアでしかなかった。
もとの痛みと治療の痛みと、それらに耐える姿がひどく痛ましく思え、何度となく手を差し伸べたけれど、その手を取ってもらえるようになるまではかなりの月日を要した。
その子が今、目の前で笑っている。
弟の司や従弟の海斗、秋斗や姉さん、栞さんや静さんと一緒に話をしながら。
彼女はこれからの季節が一番不安定になる。
俺が処置をする日も近いのだろう。
そんなことを考えつつ彼女を見ていると、視線に気づいた彼女がちょこちょこと寄ってきた。
「楓先生、お久しぶりです」
「本当だね。少し見ないうちにきれいになったんじゃない?」
もともとかわいい子だけど、それに磨きがかかったようにも思える。この子はもっときれいになるだろう。何より、「本当?」って顔をしているのがかわいい。
こんな子が妹だったらどれだけ癒されることか……。司と姉さんじゃ無理。蒼樹くんがかわいがるのもわかるし、若干羨ましいとも思ってる。
そんな彼女を見ながら、
「翠葉ちゃんにとってはあまり嬉しい情報じゃないんだけど……」
「……なんでしょう?」
「翠葉ちゃんの麻酔科にかかるとき、自分が麻酔科の担当医になった」
これは病院内で唯一わがままを通させてもらったこと。
本来なら機械的に患者は割り振られるものだけど、これだけは紫さんに頼んで裏から手を回してもらった。
純粋に、この子の力になりたいと思った。何よりも、痛みの地獄から救ってあげたいと思った。
だから、色んな患者を診て少しでも多くの技術を身に付けようとこの一年間はがんばってきた。
少しでも君の恐怖心を減らしてあげたい。痛みから解放してあげたい――
幸い、今は姉さんが彼女のメインドクターだというし、バックアップには紫さんも付いている。連携上に不安要素は何もない。
でも、できれば君は通りたくない道なんだろうね。引きつり笑いで、「そのときはよろしくお願いします」と言うくらいには。
直後、彼女は秋斗に話しかけられた。
「これ、うちに忘れていったでしょう? 確信犯?」
秋斗の手には、篠塚さんの手によると思われる小箱が乗っていた。……ということは、あの中身は間違いなく宝飾品だろう。
少しは聞いていたんだけど……。あの秋斗が本気になった相手が、まさか彼女とは思わなかった。
ま、かわい子だとは思うけどね。
姉さんの話だと司も惹かれているのだとか。そのほかだと、静さんのお気に入りという噂も聞いている。
これは血を見る争いになるのかなぁ……。
なんでまた、藤宮の人間に好かれるようなことになっちゃったんだか。彼女にはそういう血でも流れているのだろうか。
ただ、ふたりとも……彼女の負担になるようなことはしてくれるな。
それくらい、これからの彼女はつらい日々を過ごすことになる。
こんな未来、外れてしまえばいいのにね。
どうやら昨日が彼女の誕生日だったらしく、いたるところからプレゼントをもらったようだ。そして、その品々に彼女は困惑しているらしい。
話を聞いていて、おいおい、と突っ込みを入れたくなる。
秋斗はダイヤとエメラルドをあしらったヘアアクセサリーで、静さんはドレス十着――
十七歳の女の子にそのプレゼントはどうかと思う。
引かれて当然だと俺は思うんだけど……。
けれども秋斗も静さんも真面目に喜んでもらえない理由がわからない、という顔をしているのだから救えない。
蒼樹くんは話題の中心にいる彼女を穏やかな目で見ていた。
見守っているという言葉が何よりもしっくりくる。
彼女が入院しているときも、どうしても来られないとき以外は毎日顔を出していた。看護師たちにも人気の兄妹だったから、いつも噂は聞いていたな。
高等部でも間接的には知り合いだったし、何度かは話したこともあった。でも、きちんと話すようになったのは彼女の入院がきっかけ。
そんなことを思い出していると、姉さんの声が耳に鮮明に響いた。
「翠葉、くれるって言ってるんだから『ありがとう』ってにっこり笑ってもらっておけばいいのよ」
「それじゃ、自分が悪女のようです……」
「くっ……あんた、悪女って柄じゃないから大丈夫よ」
確かに、君は悪女ってタイプには見えないかな。しかし、別のところから異議申し立てが上がった。
「いや、翠は立派に悪女だと思う」
弟の司だ。すると彼女は、
「……静さん、秋斗さん、やっぱりプレゼントは受け取れません……」
おずおずと、プレゼントを固辞した。
「「司、余計なことは口にするな」」
静さんと秋斗が声を揃えるところなど、そうそう見られるものでもない。それに動じない司は、
「物がどうこう以前に、その鈍さがすでに罪だと思う」
と淡々と答え、横から海斗が「それは言えてる」と便乗した。
いつもの集りに翠葉ちゃんと蒼樹くんが加わっただけ。ただそれだけなのに、いつもよりも会話が多く和やかな光景に見える。
不思議な兄妹だよね。
とりわけ、彼女は感受性が豊かな子だ。この子に関わることで司が少しでも感化されると嬉しいんだけど……。
感化、は難しいかな? でも、すでに惹かれてるというのだから、司にもまだ伸びしろがあると思いたい。
彼女は居たたまれなくなったのか、蒼樹くんのところへ逃げてくる。そして、彼の影に隠れる様がかわいかった。
本当におかしいな。気づけば声を立てて笑っていた。
こんなふうに笑ったのはどのくらい久しぶりだろう。
テスト期間のこの会合。毎日は無理でも一日くらいは顔を出せるように努力を試みるかな。
「薬飲まなくちゃ……」
彼女は慌てて客間に行き、戻ってくるとキッチンで薬を飲む。それを見た姉さんが、
「翠葉、時間で薬を飲んでいるの?」
彼女はコクリと頷く。
「でもっ、ちゃんと六時間置きだし、一日の服用量は守っています」
「だから怒らないで」って顔……。
「……あと一日ね。よくがんばってるわ」
姉さんにしては珍しい言葉だと思った。
通常ならそんなことはさせない。
彼女は責められる言葉が返されたわけでもないのに表情を歪めた。
それを見ていた俺の視線に気づけば、「なんですか?」というように首を傾げる。
俺はなんでもないことを伝えるため、首を左右に振ってみせた。
緩和ケア、か……。
痛みを取り除いてあげるのは当然として、彼女の精神面での苦痛も取り除いてあげられたらいい。
まだ医者になったばかりだし欲張ったらいけないのはわかってる。でも、彼女のケアがひとつでも多くできるように勉強は怠らない。
翠葉ちゃん、君の手助けを俺にさせてね。
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