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08~11 Side 秋斗 02話
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玄関のドアを開けると、ちょっと柄の悪そうな印象を受けなくもない男が立っていた。
真っ白な調理服ではなく、アロハシャツを着せたら別の意味で似合いそうだし、黒服でもいける気がする。
「秋斗様……私、その筋の人間であったことは一度もございません」
「あ、何を考えてるのかわかった?」
「……いえ、たいていの方がそう思うらしいので」
須藤さんは三十半ばくらいの人。
どの分野の料理においても秀でており、コンクールに出ては入賞してくる。料理長曰く、コンクール荒しだそう。
こんな怖そうな顔をしていても、作り出される料理の味は繊細で、盛り付けにおいてもセンスがよく独創的だ。
カフェで働いているところを料理長自らヘッドハンティングしてきたという話を聞いたことがある。
「上がってください。キッチンは自由に使っていただいてかまわないので」
須藤さんは「失礼します」と靴を脱いだ。
リビングへ戻ると、
「わ……世界がセピア色――」
声の発信源に視線を向けると、サングラスをかけるでもなく両手で持ち、レンズの向こうを覗いている彼女がいた。
最初は部屋の中を見ていて、しばらくすると窓の外へ視線を向ける。
「……フィルター、かな?」
彼女らしい発想にクスリと笑う。と、俺の存在に気づいた彼女は、
「勝手にすみません……」
まるでいたずらがばれた子どものように謝る。
「いいよ。それにしても、セピア色のフィルターとは翠葉ちゃんらしい発想だね」
彼女の隣に座り、その手からサングラスを取る。
セピア色、ね。言われてみればそうだな……と、彼女がしていたようにレンズの向こう側を覗いてみる。
そのとき、キッチンから戸棚を開ける音が聞こえた。
瞬時に反応した彼女はひどくびっくりした顔をしている。
「シェフがキッチンで用意してくれるんだ」
「え……?」
彼女にはデリバリーとしか伝えていない。通常デリバリーといえば、出来上がったオードブルのようなものを想像するだろう。
甘いよ……。大切な君の誕生日をそんな手軽なもので済ませるわけがないだろう?
「彼がこの間のディナーを作ってくれた人だよ」
「そうなんですかっ!?」
「翠葉ちゃんが料理を気に入ってくれたみたいだから、今日もお願いして来てもらったんだ」
「挨拶、してきてもいいですか?」
この子に上目遣いをされて断れる人間がいるなら会ってみたい。
「どうぞ」
彼女はゆっくりと立ち上がり、キッチンカウンターまで行くとそっとキッチンを覗き込む。
その動作が小動物のよう。まるで森の木陰からウサギが様子をうかがって顔を出しているようだ。
須藤さんと目が合ったのか、はじかれたように声を発した。
「あのっ、先日は美味しいディナーをありがとうございました。とても美味しかったです」
カウンター内の須藤さんは面食らっている。
「喜んでいただけて何よりです」
俺が須藤さんを見てきた中では一番の特上スマイル。極悪人面ですら爽やかに見えるのだから翠葉ちゃん効果は侮れない。
少し不安になった俺は彼女の側まで行き、互いの紹介をすることにした。
「彼は須藤晴彦さん。須藤さん、彼女が御園生翠葉ちゃん」
紹介をしたあと、
「御園生翠葉です」
彼女は真っ直ぐな目で自分の名前を口にした。
「須藤晴彦と申します。これからもお嬢様のお料理を担当するようにとオーナーから直々に申し付かっておりますので、どうぞお任せください」
しばらくの間、彼女は料理をする須藤さんをじっと眺めていた。
寝室から新たなプレゼントを手に戻ってくると、それをテーブルに置く。
包みの中身はヘアアクセサリー。
仕事の合間にデザインをして作らせたもの。彼女のバングルと同じデザインで、ダイヤとエメラルドを嫌みたらしくない程度にちりばめた。
十七歳の彼女はこれから何度となくドレスを着る機会があるだろう。そのときに使ってもらえたら嬉しい。
ずっと使い続けてほしいから、年を選ばないデザインを考慮したつもり。
君は喜んでくれるかな……。
まだキッチンの中を観察している彼女に声をかける。と、彼女は首を傾げながら戻ってきた。
「誕生日プレゼント」
「秋斗さん、もうこれいただいてますっ」
彼女は言いながら左腕のバングルを指し示した。
「だって、それを渡してからもう一ヶ月も経ったんだよ?」
適当な理由をつけて、「とにかくプレゼントだから」と彼女の手に小箱を乗せる。
彼女はプレゼントと俺を交互に見て困った顔をしていた。
困らせようと思ったわけじゃないんだけど……。
「開けてみて? これから何度でも使ってもらえると思う」
「ありがとうございます……」
彼女はラグに座り包みを開け始める。
ヘアアクセサリーを入れる箱にもこだわった。
外側は花模様が散らしてある陶器。内側には濃紺のベルベッドを敷き詰め、ヘアアクセサリーを傷めないようにしてある。
彼女がそっと蓋を開けると、
「……髪飾り?」
「正解。これからドレスアップすることも多くなるだろうから、そのときに使ってもらえたら嬉しい」
どんな髪型にも対応できるようコーム状のものとバレッタの二種類を用意した。それを身につけている彼女を想像していると、
「――とってもきれいなのですが……」
彼女の表情に笑みは浮かばず、先ほどより困惑度合いが増していた。
「なんだろう?」
この手のプレゼントは喜ばれるとばかり思っていたけど――
「……この石、本物だったりしませんよね?」
引きつり笑いで訊かれたけれど、
「まさか、イミテーションを使うわけがないでしょう?」
俺、本気だって言ったよね? なのに、偽物や擬似用品で代用するわけがない。
「あの……これは受け取れません」
彼女は入れ物ごとテーブルに置いた。
「……どうして?」
「どうしてって――」
ごめん、これは口にしてほしい。どうして喜んでもらえないのか、そんな顔をするのかまったく想像ができない。
「理由は?」
じっと彼女の目を見ていると、
「私の身の丈にそぐわないからです」
……なるほど。
「翠葉ちゃんて謙虚だよね」
「謙虚とかそういうことじゃなくて――」
いや、君が謙虚じゃなかったら誰が謙虚なのか教えてほしいと思う。
すごく困った顔をしているけれど、俺も君にそれを受け取ってもらえないとものすごく困るんだ。
だって、君以外にあげるつもりがなければ、君以上に似合う人はいない。
何よりも、君に使ってもらいたくてデザインしたのだから。
「困ったな……。それ、翠葉ちゃんが使ってくれないと誰にも使ってもらえなくなっちゃうんだけど……」
言いながら入れ物に目を落とす。
「箪笥の肥やしにするしかないかなぁ……。ま、もらって困るものを押し付けるのもあれだし、仕方ない。クローゼットの奥にでもしまうか」
入れ物に手を伸ばしソファを立ち上がる。と、
「秋斗さんっ」
今にも泣きそうな顔で呼び止められた。
「……ごめんなさいっ、いただきますっ。使わせていただきますっ――」
ぎゅっと目を瞑って……なんてかわいいんだろう。
須藤さんがいなければ今すぐ抱きしめるのにな。
思いながら、「くっ」と笑みが漏れる。
「最初からそう言ってくれたら良かったのに。でも、『ごめんなさい』じゃなくて、『ありがとう』っていってほしいかな」
彼女は入れ物を見ながら、渋々「ありがとうございます」と口にした。そして、さっきから見えてるんだよね。このやり取りを聞いていて、出るに出れなくなっている人。
会話が一段落したところで、
「秋斗様、ランチのご用意が整いました」
笑いを必死で堪えつつの言葉。
「ありがとうございます」
とは答えたものの、須藤さんがあまりにもぷるっぷる震えてるものだから違う言葉をかけることにした。
「別に笑いたかったら笑ってもらってかまいませんよ」
須藤さんは「すみません」と断り、二、三歩下がってくつくつと笑う。
そんなふうに笑われるくらいには、傍から見たら面白いやり取りに見えたのだろう。
でも俺、彼女相手に駆け引きをしたのはこれが初めてですからね?
そんな視線を須藤さんに投げつつ、
「さ、せっかくあたため直してくれたんだ。冷める前にいただこう」
彼女をダイニングへと促す。
「それでは、私はこれで失礼させていただきます」
須藤さんはダイニングと廊下の間で頭を下げた。
「あ、お見送り……」
立ち上がろうとした彼女を俺より先に制したのは須藤さんだった。
「お礼は先ほどいただきました」
それでも腰を浮かせたままの彼女に、
「翠葉ちゃん、できたての料理をいただくことがシェフへの礼儀だよ」
「……それじゃ、お見送りじゃなくていただくべき……?」
と、彼女がテーブルに視線を移すと同時に須藤さんは廊下へと姿を消した。
食欲が落ちている彼女のことを考え、一口で食べ切れるようなものをオーダーしていた。その要求に応えた見事な品々がテーブルに並ぶ。
さすがだな……。
目の前に座る彼女も芸術品のようなプレートを食い入るように眺め、どれから手をつけようか悩んでいる。
スプーンに盛り付けられた一品に手を伸ばし口へ運ぶ。と、「美味しい」ととても嬉しそうに口にした。俺は「そうだね」と答えながら不満を感じている。
俺がプレゼントしたものよりも、料理のほうがよっぽど嬉しそうに笑っている……。
「……どうかしましたか?」
「いや、須藤さんに負けた気がするだけ」
「……どのあたりで勝負されていたんでしょう?」
「俺からのプレゼントよりも、須藤さんの料理を嬉しそうに喜ぶあたり?」
彼女ははっとしてすぐさまうろたえる。
「……髪飾りもきれいでしたよ? それにっ、須藤さんを呼んでくださったのも秋斗さんですし、このお料理もいわば秋斗さんからのプレゼントなわけで――」
必死にフォローしてくれる様がかわいくて仕方ない。
思わず俺が吹きだすと、
「秋斗さん、それはひどいです……」
「別に困らせたいわけじゃないんだけど、つい……。コロコロ変わる表情が見たくなってだめだな」
真面目な話、からかったわけじゃないんだ。ただ、本当に悔しかっただけ……。
でも、俺は君より九歳年上だからそんなことは教えてあげない。あくまでも余裕そうに見せておく。
――君はいつか本当の俺を見つけてくれるかな……?
そんな淡い期待が胸をよぎる。
そう、しょせんは淡い期待。だって、目の前にいる彼女は素晴らしく鈍いのだから。
真っ白な調理服ではなく、アロハシャツを着せたら別の意味で似合いそうだし、黒服でもいける気がする。
「秋斗様……私、その筋の人間であったことは一度もございません」
「あ、何を考えてるのかわかった?」
「……いえ、たいていの方がそう思うらしいので」
須藤さんは三十半ばくらいの人。
どの分野の料理においても秀でており、コンクールに出ては入賞してくる。料理長曰く、コンクール荒しだそう。
こんな怖そうな顔をしていても、作り出される料理の味は繊細で、盛り付けにおいてもセンスがよく独創的だ。
カフェで働いているところを料理長自らヘッドハンティングしてきたという話を聞いたことがある。
「上がってください。キッチンは自由に使っていただいてかまわないので」
須藤さんは「失礼します」と靴を脱いだ。
リビングへ戻ると、
「わ……世界がセピア色――」
声の発信源に視線を向けると、サングラスをかけるでもなく両手で持ち、レンズの向こうを覗いている彼女がいた。
最初は部屋の中を見ていて、しばらくすると窓の外へ視線を向ける。
「……フィルター、かな?」
彼女らしい発想にクスリと笑う。と、俺の存在に気づいた彼女は、
「勝手にすみません……」
まるでいたずらがばれた子どものように謝る。
「いいよ。それにしても、セピア色のフィルターとは翠葉ちゃんらしい発想だね」
彼女の隣に座り、その手からサングラスを取る。
セピア色、ね。言われてみればそうだな……と、彼女がしていたようにレンズの向こう側を覗いてみる。
そのとき、キッチンから戸棚を開ける音が聞こえた。
瞬時に反応した彼女はひどくびっくりした顔をしている。
「シェフがキッチンで用意してくれるんだ」
「え……?」
彼女にはデリバリーとしか伝えていない。通常デリバリーといえば、出来上がったオードブルのようなものを想像するだろう。
甘いよ……。大切な君の誕生日をそんな手軽なもので済ませるわけがないだろう?
「彼がこの間のディナーを作ってくれた人だよ」
「そうなんですかっ!?」
「翠葉ちゃんが料理を気に入ってくれたみたいだから、今日もお願いして来てもらったんだ」
「挨拶、してきてもいいですか?」
この子に上目遣いをされて断れる人間がいるなら会ってみたい。
「どうぞ」
彼女はゆっくりと立ち上がり、キッチンカウンターまで行くとそっとキッチンを覗き込む。
その動作が小動物のよう。まるで森の木陰からウサギが様子をうかがって顔を出しているようだ。
須藤さんと目が合ったのか、はじかれたように声を発した。
「あのっ、先日は美味しいディナーをありがとうございました。とても美味しかったです」
カウンター内の須藤さんは面食らっている。
「喜んでいただけて何よりです」
俺が須藤さんを見てきた中では一番の特上スマイル。極悪人面ですら爽やかに見えるのだから翠葉ちゃん効果は侮れない。
少し不安になった俺は彼女の側まで行き、互いの紹介をすることにした。
「彼は須藤晴彦さん。須藤さん、彼女が御園生翠葉ちゃん」
紹介をしたあと、
「御園生翠葉です」
彼女は真っ直ぐな目で自分の名前を口にした。
「須藤晴彦と申します。これからもお嬢様のお料理を担当するようにとオーナーから直々に申し付かっておりますので、どうぞお任せください」
しばらくの間、彼女は料理をする須藤さんをじっと眺めていた。
寝室から新たなプレゼントを手に戻ってくると、それをテーブルに置く。
包みの中身はヘアアクセサリー。
仕事の合間にデザインをして作らせたもの。彼女のバングルと同じデザインで、ダイヤとエメラルドを嫌みたらしくない程度にちりばめた。
十七歳の彼女はこれから何度となくドレスを着る機会があるだろう。そのときに使ってもらえたら嬉しい。
ずっと使い続けてほしいから、年を選ばないデザインを考慮したつもり。
君は喜んでくれるかな……。
まだキッチンの中を観察している彼女に声をかける。と、彼女は首を傾げながら戻ってきた。
「誕生日プレゼント」
「秋斗さん、もうこれいただいてますっ」
彼女は言いながら左腕のバングルを指し示した。
「だって、それを渡してからもう一ヶ月も経ったんだよ?」
適当な理由をつけて、「とにかくプレゼントだから」と彼女の手に小箱を乗せる。
彼女はプレゼントと俺を交互に見て困った顔をしていた。
困らせようと思ったわけじゃないんだけど……。
「開けてみて? これから何度でも使ってもらえると思う」
「ありがとうございます……」
彼女はラグに座り包みを開け始める。
ヘアアクセサリーを入れる箱にもこだわった。
外側は花模様が散らしてある陶器。内側には濃紺のベルベッドを敷き詰め、ヘアアクセサリーを傷めないようにしてある。
彼女がそっと蓋を開けると、
「……髪飾り?」
「正解。これからドレスアップすることも多くなるだろうから、そのときに使ってもらえたら嬉しい」
どんな髪型にも対応できるようコーム状のものとバレッタの二種類を用意した。それを身につけている彼女を想像していると、
「――とってもきれいなのですが……」
彼女の表情に笑みは浮かばず、先ほどより困惑度合いが増していた。
「なんだろう?」
この手のプレゼントは喜ばれるとばかり思っていたけど――
「……この石、本物だったりしませんよね?」
引きつり笑いで訊かれたけれど、
「まさか、イミテーションを使うわけがないでしょう?」
俺、本気だって言ったよね? なのに、偽物や擬似用品で代用するわけがない。
「あの……これは受け取れません」
彼女は入れ物ごとテーブルに置いた。
「……どうして?」
「どうしてって――」
ごめん、これは口にしてほしい。どうして喜んでもらえないのか、そんな顔をするのかまったく想像ができない。
「理由は?」
じっと彼女の目を見ていると、
「私の身の丈にそぐわないからです」
……なるほど。
「翠葉ちゃんて謙虚だよね」
「謙虚とかそういうことじゃなくて――」
いや、君が謙虚じゃなかったら誰が謙虚なのか教えてほしいと思う。
すごく困った顔をしているけれど、俺も君にそれを受け取ってもらえないとものすごく困るんだ。
だって、君以外にあげるつもりがなければ、君以上に似合う人はいない。
何よりも、君に使ってもらいたくてデザインしたのだから。
「困ったな……。それ、翠葉ちゃんが使ってくれないと誰にも使ってもらえなくなっちゃうんだけど……」
言いながら入れ物に目を落とす。
「箪笥の肥やしにするしかないかなぁ……。ま、もらって困るものを押し付けるのもあれだし、仕方ない。クローゼットの奥にでもしまうか」
入れ物に手を伸ばしソファを立ち上がる。と、
「秋斗さんっ」
今にも泣きそうな顔で呼び止められた。
「……ごめんなさいっ、いただきますっ。使わせていただきますっ――」
ぎゅっと目を瞑って……なんてかわいいんだろう。
須藤さんがいなければ今すぐ抱きしめるのにな。
思いながら、「くっ」と笑みが漏れる。
「最初からそう言ってくれたら良かったのに。でも、『ごめんなさい』じゃなくて、『ありがとう』っていってほしいかな」
彼女は入れ物を見ながら、渋々「ありがとうございます」と口にした。そして、さっきから見えてるんだよね。このやり取りを聞いていて、出るに出れなくなっている人。
会話が一段落したところで、
「秋斗様、ランチのご用意が整いました」
笑いを必死で堪えつつの言葉。
「ありがとうございます」
とは答えたものの、須藤さんがあまりにもぷるっぷる震えてるものだから違う言葉をかけることにした。
「別に笑いたかったら笑ってもらってかまいませんよ」
須藤さんは「すみません」と断り、二、三歩下がってくつくつと笑う。
そんなふうに笑われるくらいには、傍から見たら面白いやり取りに見えたのだろう。
でも俺、彼女相手に駆け引きをしたのはこれが初めてですからね?
そんな視線を須藤さんに投げつつ、
「さ、せっかくあたため直してくれたんだ。冷める前にいただこう」
彼女をダイニングへと促す。
「それでは、私はこれで失礼させていただきます」
須藤さんはダイニングと廊下の間で頭を下げた。
「あ、お見送り……」
立ち上がろうとした彼女を俺より先に制したのは須藤さんだった。
「お礼は先ほどいただきました」
それでも腰を浮かせたままの彼女に、
「翠葉ちゃん、できたての料理をいただくことがシェフへの礼儀だよ」
「……それじゃ、お見送りじゃなくていただくべき……?」
と、彼女がテーブルに視線を移すと同時に須藤さんは廊下へと姿を消した。
食欲が落ちている彼女のことを考え、一口で食べ切れるようなものをオーダーしていた。その要求に応えた見事な品々がテーブルに並ぶ。
さすがだな……。
目の前に座る彼女も芸術品のようなプレートを食い入るように眺め、どれから手をつけようか悩んでいる。
スプーンに盛り付けられた一品に手を伸ばし口へ運ぶ。と、「美味しい」ととても嬉しそうに口にした。俺は「そうだね」と答えながら不満を感じている。
俺がプレゼントしたものよりも、料理のほうがよっぽど嬉しそうに笑っている……。
「……どうかしましたか?」
「いや、須藤さんに負けた気がするだけ」
「……どのあたりで勝負されていたんでしょう?」
「俺からのプレゼントよりも、須藤さんの料理を嬉しそうに喜ぶあたり?」
彼女ははっとしてすぐさまうろたえる。
「……髪飾りもきれいでしたよ? それにっ、須藤さんを呼んでくださったのも秋斗さんですし、このお料理もいわば秋斗さんからのプレゼントなわけで――」
必死にフォローしてくれる様がかわいくて仕方ない。
思わず俺が吹きだすと、
「秋斗さん、それはひどいです……」
「別に困らせたいわけじゃないんだけど、つい……。コロコロ変わる表情が見たくなってだめだな」
真面目な話、からかったわけじゃないんだ。ただ、本当に悔しかっただけ……。
でも、俺は君より九歳年上だからそんなことは教えてあげない。あくまでも余裕そうに見せておく。
――君はいつか本当の俺を見つけてくれるかな……?
そんな淡い期待が胸をよぎる。
そう、しょせんは淡い期待。だって、目の前にいる彼女は素晴らしく鈍いのだから。
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