光のもとで1

葉野りるは

文字の大きさ
上 下
173 / 1,060
第五章 うつろう心

22話

しおりを挟む
「それ、もちろん司も知ってるのよね?」
「はい……」
「少し話を聞いてくるわ」
 湊先生が立ち上がると、急に焦りを覚える。
「でもっ、司先輩は助けてくれて叱ってくれただけだからっ」
「大丈夫。話を聞きに行くだけ」
 先生は私を安心させるように少し笑ってくれた。
「翠葉はもう少し蒼樹と一緒にいなさい」
「……はい」
 どうして……? ただ、声をかけられただけし、すごく怖いことだと先輩に教えられただけ。そのほかには何もなかった。なのにどうして――
「どうして過呼吸起こしちゃったんだろう……」
 自分がわからなくて涙が出てくる。
「翠葉、それっていうのはただ声をかけられるだけのナンパだったのか?」
「司先輩はそう言ってた。……ただ、ひどいときは力ずくで連れて行かれてレイプされることもあるから気をつけろって」
「そうか、秋斗先輩とは……?」
「……時々、ぎゅって抱きしめてくれるの。さっきもそうだった。いつもと違うことなんて何もなかったのに……。どうして震えちゃったんだろう――」
「……大丈夫だよ。あの人は大人だから」
 蒼兄は、労わるように私を抱きしめてくれた。
「とりあえず、俺は大丈夫みたいだな……」
「蒼兄は大丈夫。ほかの誰がだめでも蒼兄だけは絶対に大丈夫って自信がある……」
 そんな話をしているとドアがノックされた。
「翠葉、これから客間に司たちを入れる。無理なら我慢しなくていい、蒼樹にくっついてなさい」
 正直、少し怖い。身体はすでに硬直を始めている。
 ドアが開くと司先輩、海斗くん、秋斗さんの順で入ってくる。そして、最後に湊先生。
「我慢はしなくていいし無理なら無理でいい。ひとりずつ握手できるか試してみよう」
 握手……?
 私がコクリと頷くと、ベッドサイド一メートルのところまで司先輩が歩みを進め、右手を差し出した。その手に、少しずつ自分の右手を乗せる。
「握れる?」
 湊先生の声を合図に手に力を入れてみる。
「大丈夫です……」
「司、そのまま隣に座ってみて」
 その指示で司先輩がさっき湊先生が座っていた左隣に座る。
「平気ね?」
「はい……なんともないです」
 大丈夫であることにほっとした。
「次、海斗。司と同じようにして」
 差し出された右手に右手を重ね、隣に座られても何が起こるでもなかった。
 大丈夫だ……。
「じゃ、最後に秋斗」
 すぐそこに秋斗さんが来る。そしていつもと同じように手を差し出された。でも、自分の手を重ねることはできなかった。
「そこまで。あんたたちは一度出ててもらえる?」
 海斗くんたちは何も言わずに部屋を出ていった。最後に部屋を出ようとした秋斗さんに、
「あのっ、秋斗さん、あのねっ、違うのっ――嫌いとかそういうのじゃなくて……」
 誤解されたくなくて必死で言葉を口にする。でも、自分がどういう状態なのかわかっていないだけに、片言の言葉しか口にできなかった。
「翠葉ちゃん、今は湊ちゃんの診察を受けて?」
 少し憂いを帯びた視線を向けると、秋斗さんは部屋を出ていった。
 違う、あんな顔をさせたいわけじゃなくて、あんな目で見られたいわけじゃなくて、違うのに――
「翠葉、あんた今少し神経過敏になってる状態。トラウマっていうところまではいかない。ただ、自分が異性と認識している人に対しては過敏になるのかもしれない。感受性が豊かな子には稀にあることよ」
 異性――
「どうして……? 蒼兄も司先輩も海斗くんも異性です……」
「秋斗は好きな人でしょ。好きな人って必要以上に『異性』を感じるものよ。だから、今一番過敏になる相手。でも、これは一過性のものだと思うから気にしなくていい。ただ、無理をすると長引くかもしれない。だから、心のままに行動しなさい。怖いと思ったら近寄らなければいい。大丈夫そうなら近寄ってみる。そのくらいの心構えで。いいわね?」
「……はい」
 もう一度私の左側に座ると、
「たぶん、クラスメイトは問題ないと思うわ。一応海斗に牽制するようには言ってあるけど、さっきみたいなことにはならないから安心なさい」
「それから」と、先生が話を継ぎ足す。
「翠葉の警護、今朝で解除になったからもう大丈夫。だから、無理して秋斗のところへ行かなくてもいい。蒼樹を待つ場所に困るのなら保健室かうちにいていいから」
「……はい、ありがとうございます」
「今日はゆっくり休むこと、OK?」
 それにコクリと頷くと、湊先生は部屋から出ていった。

「俺、明日から学会でいないけど……大丈夫か? もしだめなようなら一緒に連れて行くこともできる」
「ううん……そこまでしてくれなくて大丈夫。ほら、湊先生も一過性のものだって言っていたし。……大丈夫だよ」
「無理だけはしないでくれ」
「うん。しないから、大丈夫だよ」
 寝付くまで側にいる、という蒼兄の申し出は断わった。
 明日の午後前には出かけるというのなら準備だってあるだろうし、期日間際のレポートもあるかもしれない。それを思えば今は甘えていいときじゃないことくらいは判断できる。
「痛みも出ていないし平気」
 笑顔を添えて見上げると、髪の毛をくしゃくしゃとされた。
「じゃ、帰るけど……。何かあったり話したいことがあれば電話くれていいから」
「うん」
 玄関まで見送りに出たいのに、どうしてか身体が思うように動かなかった。
「そのまま横になっちゃいな。見送りはいいから」
 蒼兄は私を横にすると、静かに部屋から出ていった。
 自分に起きたわけのわからない現象が怖かった。びっくりする以上に怖かった。
 リビングにはまだみんな残っているのだろうか……。
 気になるのは秋斗さん。あんな対応をされて傷つかない人はいない。
 そのとき、ふと携帯が目に入った。メールなら……メールなら大丈夫。
 すぐにメール作成画面を起動させる。


件名 :さっきはごめんなさい
本文 :本当に嫌いとかではないんです。
   でも、傷つけてしまったと思うから……。
   だから、ごめんなさい。

   明日、お昼ご飯を作りに仕事部屋へ
   うかがってもいいですか?
   もし、お邪魔でなければ、一緒にいたいです。



 気を遣って書いた文章ではない。ただ、思ったことをそのまま文字にしただけ。
 六日までは一緒にいたい。その気持ちに嘘はない。
 メールを送って三分ほど立つと携帯が鳴り始めた。
 美女と野獣――秋斗さんからのメールだ。


件名 :無理、してない?
本文 :警護は解除されたから、
   無理に来なくても大丈夫だよ。
   無理でなければ来てほしいけど、
   無理だけはしてもらいたくない。


 無理なんてしていないのに……。身体と心が切り離されてしまったみたいだ。
 さっきの感覚はとても怖い。でも、それでもあと二日しかないから――


件名 :気持ち上では無理じゃないんです
本文 :一緒にいたいです……。
   でも、身体が拒否反応を起こす……。
   それでも、やっぱり側にいたいです。
   だから、明日はお邪魔させてください。


 今度はすぐに返信がきた。


件名 :了解
本文 :材料はどうする?
   言ってくれれば揃えておくよ。


 何を作ろうか少し悩み、先日栞さんが作ってくれた和風シーフードチャーハンに決めた。それにワカメと玉ねぎのコンソメスープ。
 秋斗さんが材料の調達をしているところが想像できなかったけれど、材料を書いたメールを送ると、最後の返事が届いた。


件名 :用意しておく
本文 :料理、楽しみにしてるね。
   それと、明日明後日は俺からは
   翠葉ちゃんに触れないし近寄らない。
   翠葉ちゃんが大丈夫だと思うなら
   翠葉ちゃんから寄ってきてほしい。

   どんな君でも好きだよ。
   今日はゆっくり休んでね。


 メールが嬉しかった。「どんな君でも好きだよ」の一言がひどく嬉しかった。
 蒼兄、やっぱり秋斗さんは大人なのね……。
 でも、このままずっとは一緒にいられない――
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

天ヶ崎高校二年男子バレーボール部員本田稔、幼馴染に告白する。

山法師
青春
 四月も半ばの日の放課後のこと。  高校二年になったばかりの本田稔(ほんだみのる)は、幼馴染である中野晶(なかのあきら)を、空き教室に呼び出した。

三姉妹の姉達は、弟の俺に甘すぎる!

佐々木雄太
青春
四月—— 新たに高校生になった有村敦也。 二つ隣町の高校に通う事になったのだが、 そこでは、予想外の出来事が起こった。 本来、いるはずのない同じ歳の三人の姉が、同じ教室にいた。 長女・唯【ゆい】 次女・里菜【りな】 三女・咲弥【さや】 この三人の姉に甘やかされる敦也にとって、 高校デビューするはずだった、初日。 敦也の高校三年間は、地獄の運命へと導かれるのであった。 カクヨム・小説家になろうでも好評連載中!

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

バレー部入部物語〜それぞれの断髪

S.H.L
青春
バレーボール強豪校に入学した女の子たちの断髪物語

男子高校生の休み時間

こへへい
青春
休み時間は10分。僅かな時間であっても、授業という試練の間隙に繰り広げられる会話は、他愛もなければ生産性もない。ただの無価値な会話である。小耳に挟む程度がちょうどいい、どうでもいいお話です。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

窓を開くと

とさか
青春
17才の車椅子少女ー 『生と死の狭間で、彼女は何を思うのか。』 人間1度は訪れる道。 海辺の家から、 今の想いを手紙に書きます。 ※小説家になろう、カクヨムと同時投稿しています。 ☆イラスト(大空めとろ様) ○ブログ→ https://ozorametoronoblog.com/ ○YouTube→ https://www.youtube.com/channel/UC6-9Cjmsy3wv04Iha0VkSWg

夏休み、隣の席の可愛いオバケと恋をしました。

みっちゃん
青春
『俺の隣の席はいつも空いている。』 俺、九重大地の左隣の席は本格的に夏休みが始まる今日この日まで埋まることは無かった。 しかしある日、授業中に居眠りして目を覚ますと隣の席に女の子が座っていた。 「私、、オバケだもん!」 出会って直ぐにそんなことを言っている彼女の勢いに乗せられて友達となってしまった俺の夏休みは色濃いものとなっていく。 信じること、友達の大切さ、昔の事で出来なかったことが彼女の影響で出来るようになるのか。 ちょっぴり早い夏の思い出を一緒に作っていく。

処理中です...