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第一章 友達
27話
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ケーキを食べ終えると、藤宮先輩がみんなのお皿を片付け始めた。
「洗い物、私やります」
「翠葉ちゃんはお茶淹れてくれたから座ってて?」
秋斗さんに言われるも、なんだか落ち着かない。
手持ち無沙汰にマグカップを両手で掴みそわそわしていると、その手を秋斗さんの両手で覆われた。
「洗剤、素手で触れないでしょ?」
にっこり笑顔つき。
確かに洗剤は素手で触れない。触れたが最後、皮膚がかぶれて剥けてしまう。
でもっ、秋斗さんのこの手も苦手ですっ。
「家でも避けてることをここでやる必要はない」
こちらを振り返った先輩にも言われ、なんでも知られている状況に唸りたくなる。
そこにインターホンが鳴り、蒼兄が来たことを知らせる。
秋斗さんが大きめの声で、
「ロック解除」
すると、カチリとロックの外れる音がした。
これはいったいどういう仕掛けなのだろう……。
部屋の隅々に視線を巡らせたけれど、装置っぽいものは見当たらなかった。
蒼兄は足早にやってきて、
「先輩、この手はなんでしょう?」
口元を引きつらせ、私の手を包む両手を指差した。
「あぁ、洗い物をするって言うから、このきれいな手が荒れたら悲しいよって話をしていたところなんだ」
秋斗さんは悪びれることなく答える。
「御園生さん過保護すぎ……っていうか、病的にシスコン」
食器洗いを済ませた藤宮先輩が、
「なんて言われようと気にしないけどね」
蒼兄はにこりと笑って返した。
「いや、少しは気にしたほうがいいと思います。じゃないと、御園生さんが困ることになる。コレ、男の免疫ほとんどないんじゃないですか? ただ手を握られただけでこの赤面ですよ」
先輩が言い終わると、蒼兄と秋斗さんが顔を見合わせた。そして、ふたり揃って先輩に視線をやる。
「何……」
先輩が訝しげに訊くと、
「あのさ、俺も御園生だけど翠葉も御園生なんだけど?」
「は?」
「司、どっちのことも御園生さんって呼んでるだろ? 聞いてるこっちが混乱する」
蒼兄と秋斗さんの言葉に、
「あぁ、そういえば……」
と、言われて気づいたふうの先輩。
「翠葉ちゃんて呼べばいいのに」
秋斗さんが言うと、先輩はものすごく微妙な顔をした。
「スイハチャン……スイハサン……スイハ……スイ……」
なんだか数日前の桃華さんを見ているようだ。
……っていうか、手っ。秋斗さんいい加減手を放してくださいっ。
手を動かそうとするとカップ内のお茶がちゃぷん、と波立つ。ゆえに、それ以上の力を加えることはできなかった。
「普通に翠葉って呼べばいいだろ?」
蒼兄が「スイハ」を推奨するものの、藤宮先輩は納得がいかない模様。
納得いかなくても納得されても、私の名前は「スイハ」なのだけど……。
「……翠、って呼んでいい?」
近くまで歩いてくると、先輩が秋斗さんの手をむしり取ってくれた。
先輩に感謝っ。もうこの際なんと呼ばれてもかまわない。
「聞いてる? 翠って呼びたいんだけど」
「問題ないです。ただ、普段呼ばれ慣れていないので反応できるかは怪しい限りですけど……」
「……それ、呼称を決める意味を無にする返答だと思わない?」
「……反応できるように努力します」
「そうして」
藤宮先輩は呆れたような面持ちで、今度はお皿を拭きに簡易キッチンへと戻っていった。
今のところ、私を「スイ」と呼ぶ人はいない。反応できるかはかなり怪しいけれど、がんばることにしよう。
なんだか今日は先輩に少し近づけた気がした。
名前の呼び方が変わったからそう感じるだけなのか……。
桃華さん……この先輩、言葉の言い回しが少しおかしいけれど、そんなに怖い人でも、悪い人でもない気がします。
今日は栞さんが休みなので、てっきり電気のついていない暗い家に帰るものだと思っていた。けれど、帰ってくるとリビングには煌々と明かりが点いている。
玄関ホールと廊下は夕方六時を過ぎると勝手に点くようにタイマーがかけてあるけれど、リビングはおかしい……。
「今日、お父さんとお母さん、帰ってくる日だったっけ?」
不思議に思って蒼兄に訊くも、蒼兄のほうにも連絡は入っていないらしく、首を傾げていた。
カーポートに車も停まっているのだから、間違いなく両親が帰ってきているわけで……。
玄関を開けると、すき焼きの匂いに出迎えられた。
蒼兄とふたり、リビングへ向かうと、
「翠葉ーっ! 父さんはな、翠葉に会いたくて会いたくて寂しくて死にそうだったぞー」
お父さんが私目がけて突進してきた。
身がまえると、私とお父さんの間に蒼兄が仁王立ち。
「酒臭い身体で翠葉に寄ーるーなっ」
一喝されたお父さんは目に見えてしゅんとした。
これは、我が家でよく見られる光景だ。
「ほらほら、いつまでそこにいるの? 早く着替えていらっしゃい」
お母さんのよく通る声が三人の意識をすき焼きに戻し、私と蒼兄は手洗いうがいを済ませ、ルームウェアに着替えてダイニングテーブルに着いた。
お父さんはビールを一本飲んだだけで出来上がっている模様。対して、お母さんは日本酒を片手に鍋奉行中。
私と蒼兄はお鍋が食べられるようになるのをおとなしく待っていた。
お鍋のとき、お酒を口にしたお母さんに口出しできる人はこの家にいない。
蒼兄はそんなお母さんの相手をしつつ、上手に場を切り盛りする。
一方お酒に弱いお父さんは、缶ビール一本で気持ち良さそうに酔っ払っていた。
なんだかんだと楽しく夕飯を済ませ、食後のお茶の時間。
「翠葉、この間の写真なんだけど」
「うん?」
「先方がとても気に入ってくれてね、使わせてもらうことになると思うわ」
「そうなの?」
「えぇ。それでね、小さい写真をいくつか並べて飾ることにしたから、その写真を選ぶのに翠葉の撮った写真を見たいって言っているの。アルバム、いくつか持っていってもいいかしら?」
「……どうぞ?」
私は深く考えずに返事をした。
「その数点が決まったらポストカードとしてフロント、それからゲストルームに置きたいって言ってたわ」
「……え?」
「翠葉~、高校生にして仕事なんて生意気だなぁ」
ほろ酔い加減のお父さんの言葉は放っておく。
「そうね、すごいことね。写真の使用料が三ヶ月に一度入ってくるようになるわ」
突然の話に状況が飲み込めない私を置き去りにして、話はまだ進む。
思わず蒼兄を振り仰ぐと、
「翠葉、すごいな」
真顔で返された。
蒼兄……それ、違う。私、真面目なコメントが欲しかったわけじゃなくて、これが冗談だと言ってほしかったの……。
「正式に依頼する際にはうちに来るって言ってたから、そのときに色々と訊いたらいいと思うわ」
お母さんの何気ない一言でその話は終わった。
人の人生はどこで何が起こるか本当にわかったものじゃない――
今日は日曜日。とくに何も予定は入っていないけれど、やるべきことはたくさんある。
あと、約一ヵ月半でタイムリミットを迎える課題。そして、ここ一週間は全く触れることができなかったハープとピアノ、撮った写真の整理など――
「……まずは勉強、かな」
午前中は課題をこなすことに集中する。
現国が終わり、次に手にしたものは化学だった。化学式もパズルのようで好き。化学や生物はわからないところがあると栞さんが教えてくれたりする。さすが看護師さん。
一週間のうち、日曜日だけは栞さんが来る時間が違う。それでも七時半には朝ご飯を作り始め、八時には朝食の用意が整う。
学校が始まってからは一緒に料理をする余裕もなくて、日曜日くらいは……とささやかながらサラダを作る手伝いをした。
ドレッシングも手作り。私のお手製梅ドレッシングは家族に評判がいい。
両親は朝食を済ませると食後のコーヒーを飲む間もなく、慌てて出ていった。
相変わらず忙しいみたいで、昨夜話していたアルバムもソファの上に置かれたまま。
蒼兄もレポートの資料を探しに大学へ出かけたため、今家にいるのは私と栞さんのふたり。
栞さんとふたりのときはリビングのローテーブルで勉強をすることが多い。
お昼が近くなると、栞さんがキッチンで野菜を刻み始めた。
今日はなんだろう?
カウンター越しににそっと覗くと、
「今日はトマトのリゾットよ」
トマトのリゾットはシンプルな料理ながら、とても美味しい。
みじん切りにした玉ねぎとベーコンをフライパンでよく炒め、カットトマトとコンソメを入れてひたすら煮詰める。そこへご飯を入れ、最後にお塩で味を調える。
器に盛ってとろけるチーズを振りかけ、電子レンジで一分加熱してパセリのみじん切りを散らせば出来上がり。
「さ、食べましょう!」
栞さんがリゾットを持って行ってくれたので、私はグラスと冷蔵庫からルイボスティーを取り出し持っていく。
席に着くと、私の席にピンク色の小さなプラスチックケースが置いてあった。
それは不透明で中は見えない。
「それね、基礎体温計っていうのよ。開けてみて?」
コンパクトのようになっているそれを開けると、中には体温計の先っぽだけのものが本体につながっていて、液晶画面といくつかの操作ボタンがついていた。
「そろそろきちんと基礎体温をつけたほうがいいと思うの。遅くなっちゃったけど、私からの高校入学のプレゼント」
「栞さん、ありがとうございます」
「どういたしまして。これね、アラーム機能がついていて、毎朝アラームが鳴ったらお布団の中で横になったままの状態で計るの。舌の下側に入れて計るのよ」
ボタンを押すと時間設定画面が表示されたので、私はいつも起きる時間をセットした。
「これをつけていると生理周期もきちんと把握できるし、自分で体調管理するのにも役立つと思うわ。もちろん、毎日の血圧測定は必ずするけどね」
リゾットは、トマトの酸味と玉ねぎの甘みとベーコンのしょっぱさがとてもバランスよくて美味しかった。
「学校はどう? 格好いい人いた?」
食洗機に食器を入れながら訊かれる。
「あ、いましたよ。すごく格好いい人。二年生で生徒会役員の人」
「あら、蒼くんよりも格好いいの?」
食いつき良好な栞さんがハーブティーを持ってキッチンから出てくる。
「蒼兄とは……少しタイプが違う気がします。黒いサラサラの髪の毛で、陶器みたいに白い肌で顎が細い人。身体の線も細いかな……?」
「……すごく興味あるわ。今度学校にもぐりこんじゃおうかしら? あ、そう言えば、私の親友が今学校の校医しているのよ。以前話したことあるでしょう? 親友が女帝だったって。彼女なの」
それは、湊先生のこと……?
「もう会ったかしら? 藤宮湊」
「……お会いしてます。しかも――さっき話した格好いい人のお姉さんです」
「えっ? 楓くんはもう社会人だから司くんっ!?」
「え、あ、はい。司先輩……」
「あらぁ……翠葉ちゃんたら面食いね」
栞さんはクスクスと笑いながらお茶を飲んだ。
何か勘違いされている気がしてならない。
格好いい人とは思ったけれど、好きな人ではない。そう言おうとしたら、
「今、高校っていったら誰がいるのかしら……。秋斗くんに海斗くん、司くんに湊。それから梓と……修司おじ様と圭吾おじ様くらいかしら?」
はい……?
「あの……栞さんて、もしかして藤宮の方なんですか?」
それは藤宮学園出身ということではなく、家が、という意味で。
「あら? 話してなかったかしら? 私の旧姓は藤宮なのよ。結婚をして神崎になったの。湊たちとは曽祖父が一緒だから再従兄妹って関係」
続柄まで教えてもらってさらにびっくりした。
どうしてこんなに藤宮の縁者が多いのだろう? 藤宮学園という場所がそうさせるのだろうか。
因みに、うちはお父さんがひとりっ子でお母さんには弟がいるけれど、自由気ままな叔父は未だ結婚しておらず、従兄妹と呼べる人たちがいない。
「親族の集まりが大変そうですね」
何気なく口にした言葉だったけれど、栞さんはさもありなん、といった顔をする。
「もうね、おせっかいな人が多くって……。高校卒業したくらいから見合い話が来るのよ? それも一件や二件なんてかわいいものじゃなくて……。それから逃げるためにどれだけ手を駆使したことか。今だと秋斗くんや楓くんが大変なんじゃないかしら? そろそろ司くんにも来るかしらね」
まるで他人事のようにクスクスと笑う。
財閥の血筋ともなると大変なんだな、と私は他人事のように聞いていた。
お見合いなんて、うちではあり得ないことなだけに、別世界の出来事を聞いている感じ。
「湊先生もご結婚なさってるんですか?」
「湊は独身だけど、彼女に口出しができるのは現会長、湊のおじい様くらいなものね」
そんな会話をしていると、一時半を告げる鐘が鳴った。
「あら、もう一時半? 翠葉ちゃんと話しているとあっという間だわ」
栞さんはエプロンを外し、
「また夕方に来るけど、何かあったら連絡してね」
「はい」
「洗い物、私やります」
「翠葉ちゃんはお茶淹れてくれたから座ってて?」
秋斗さんに言われるも、なんだか落ち着かない。
手持ち無沙汰にマグカップを両手で掴みそわそわしていると、その手を秋斗さんの両手で覆われた。
「洗剤、素手で触れないでしょ?」
にっこり笑顔つき。
確かに洗剤は素手で触れない。触れたが最後、皮膚がかぶれて剥けてしまう。
でもっ、秋斗さんのこの手も苦手ですっ。
「家でも避けてることをここでやる必要はない」
こちらを振り返った先輩にも言われ、なんでも知られている状況に唸りたくなる。
そこにインターホンが鳴り、蒼兄が来たことを知らせる。
秋斗さんが大きめの声で、
「ロック解除」
すると、カチリとロックの外れる音がした。
これはいったいどういう仕掛けなのだろう……。
部屋の隅々に視線を巡らせたけれど、装置っぽいものは見当たらなかった。
蒼兄は足早にやってきて、
「先輩、この手はなんでしょう?」
口元を引きつらせ、私の手を包む両手を指差した。
「あぁ、洗い物をするって言うから、このきれいな手が荒れたら悲しいよって話をしていたところなんだ」
秋斗さんは悪びれることなく答える。
「御園生さん過保護すぎ……っていうか、病的にシスコン」
食器洗いを済ませた藤宮先輩が、
「なんて言われようと気にしないけどね」
蒼兄はにこりと笑って返した。
「いや、少しは気にしたほうがいいと思います。じゃないと、御園生さんが困ることになる。コレ、男の免疫ほとんどないんじゃないですか? ただ手を握られただけでこの赤面ですよ」
先輩が言い終わると、蒼兄と秋斗さんが顔を見合わせた。そして、ふたり揃って先輩に視線をやる。
「何……」
先輩が訝しげに訊くと、
「あのさ、俺も御園生だけど翠葉も御園生なんだけど?」
「は?」
「司、どっちのことも御園生さんって呼んでるだろ? 聞いてるこっちが混乱する」
蒼兄と秋斗さんの言葉に、
「あぁ、そういえば……」
と、言われて気づいたふうの先輩。
「翠葉ちゃんて呼べばいいのに」
秋斗さんが言うと、先輩はものすごく微妙な顔をした。
「スイハチャン……スイハサン……スイハ……スイ……」
なんだか数日前の桃華さんを見ているようだ。
……っていうか、手っ。秋斗さんいい加減手を放してくださいっ。
手を動かそうとするとカップ内のお茶がちゃぷん、と波立つ。ゆえに、それ以上の力を加えることはできなかった。
「普通に翠葉って呼べばいいだろ?」
蒼兄が「スイハ」を推奨するものの、藤宮先輩は納得がいかない模様。
納得いかなくても納得されても、私の名前は「スイハ」なのだけど……。
「……翠、って呼んでいい?」
近くまで歩いてくると、先輩が秋斗さんの手をむしり取ってくれた。
先輩に感謝っ。もうこの際なんと呼ばれてもかまわない。
「聞いてる? 翠って呼びたいんだけど」
「問題ないです。ただ、普段呼ばれ慣れていないので反応できるかは怪しい限りですけど……」
「……それ、呼称を決める意味を無にする返答だと思わない?」
「……反応できるように努力します」
「そうして」
藤宮先輩は呆れたような面持ちで、今度はお皿を拭きに簡易キッチンへと戻っていった。
今のところ、私を「スイ」と呼ぶ人はいない。反応できるかはかなり怪しいけれど、がんばることにしよう。
なんだか今日は先輩に少し近づけた気がした。
名前の呼び方が変わったからそう感じるだけなのか……。
桃華さん……この先輩、言葉の言い回しが少しおかしいけれど、そんなに怖い人でも、悪い人でもない気がします。
今日は栞さんが休みなので、てっきり電気のついていない暗い家に帰るものだと思っていた。けれど、帰ってくるとリビングには煌々と明かりが点いている。
玄関ホールと廊下は夕方六時を過ぎると勝手に点くようにタイマーがかけてあるけれど、リビングはおかしい……。
「今日、お父さんとお母さん、帰ってくる日だったっけ?」
不思議に思って蒼兄に訊くも、蒼兄のほうにも連絡は入っていないらしく、首を傾げていた。
カーポートに車も停まっているのだから、間違いなく両親が帰ってきているわけで……。
玄関を開けると、すき焼きの匂いに出迎えられた。
蒼兄とふたり、リビングへ向かうと、
「翠葉ーっ! 父さんはな、翠葉に会いたくて会いたくて寂しくて死にそうだったぞー」
お父さんが私目がけて突進してきた。
身がまえると、私とお父さんの間に蒼兄が仁王立ち。
「酒臭い身体で翠葉に寄ーるーなっ」
一喝されたお父さんは目に見えてしゅんとした。
これは、我が家でよく見られる光景だ。
「ほらほら、いつまでそこにいるの? 早く着替えていらっしゃい」
お母さんのよく通る声が三人の意識をすき焼きに戻し、私と蒼兄は手洗いうがいを済ませ、ルームウェアに着替えてダイニングテーブルに着いた。
お父さんはビールを一本飲んだだけで出来上がっている模様。対して、お母さんは日本酒を片手に鍋奉行中。
私と蒼兄はお鍋が食べられるようになるのをおとなしく待っていた。
お鍋のとき、お酒を口にしたお母さんに口出しできる人はこの家にいない。
蒼兄はそんなお母さんの相手をしつつ、上手に場を切り盛りする。
一方お酒に弱いお父さんは、缶ビール一本で気持ち良さそうに酔っ払っていた。
なんだかんだと楽しく夕飯を済ませ、食後のお茶の時間。
「翠葉、この間の写真なんだけど」
「うん?」
「先方がとても気に入ってくれてね、使わせてもらうことになると思うわ」
「そうなの?」
「えぇ。それでね、小さい写真をいくつか並べて飾ることにしたから、その写真を選ぶのに翠葉の撮った写真を見たいって言っているの。アルバム、いくつか持っていってもいいかしら?」
「……どうぞ?」
私は深く考えずに返事をした。
「その数点が決まったらポストカードとしてフロント、それからゲストルームに置きたいって言ってたわ」
「……え?」
「翠葉~、高校生にして仕事なんて生意気だなぁ」
ほろ酔い加減のお父さんの言葉は放っておく。
「そうね、すごいことね。写真の使用料が三ヶ月に一度入ってくるようになるわ」
突然の話に状況が飲み込めない私を置き去りにして、話はまだ進む。
思わず蒼兄を振り仰ぐと、
「翠葉、すごいな」
真顔で返された。
蒼兄……それ、違う。私、真面目なコメントが欲しかったわけじゃなくて、これが冗談だと言ってほしかったの……。
「正式に依頼する際にはうちに来るって言ってたから、そのときに色々と訊いたらいいと思うわ」
お母さんの何気ない一言でその話は終わった。
人の人生はどこで何が起こるか本当にわかったものじゃない――
今日は日曜日。とくに何も予定は入っていないけれど、やるべきことはたくさんある。
あと、約一ヵ月半でタイムリミットを迎える課題。そして、ここ一週間は全く触れることができなかったハープとピアノ、撮った写真の整理など――
「……まずは勉強、かな」
午前中は課題をこなすことに集中する。
現国が終わり、次に手にしたものは化学だった。化学式もパズルのようで好き。化学や生物はわからないところがあると栞さんが教えてくれたりする。さすが看護師さん。
一週間のうち、日曜日だけは栞さんが来る時間が違う。それでも七時半には朝ご飯を作り始め、八時には朝食の用意が整う。
学校が始まってからは一緒に料理をする余裕もなくて、日曜日くらいは……とささやかながらサラダを作る手伝いをした。
ドレッシングも手作り。私のお手製梅ドレッシングは家族に評判がいい。
両親は朝食を済ませると食後のコーヒーを飲む間もなく、慌てて出ていった。
相変わらず忙しいみたいで、昨夜話していたアルバムもソファの上に置かれたまま。
蒼兄もレポートの資料を探しに大学へ出かけたため、今家にいるのは私と栞さんのふたり。
栞さんとふたりのときはリビングのローテーブルで勉強をすることが多い。
お昼が近くなると、栞さんがキッチンで野菜を刻み始めた。
今日はなんだろう?
カウンター越しににそっと覗くと、
「今日はトマトのリゾットよ」
トマトのリゾットはシンプルな料理ながら、とても美味しい。
みじん切りにした玉ねぎとベーコンをフライパンでよく炒め、カットトマトとコンソメを入れてひたすら煮詰める。そこへご飯を入れ、最後にお塩で味を調える。
器に盛ってとろけるチーズを振りかけ、電子レンジで一分加熱してパセリのみじん切りを散らせば出来上がり。
「さ、食べましょう!」
栞さんがリゾットを持って行ってくれたので、私はグラスと冷蔵庫からルイボスティーを取り出し持っていく。
席に着くと、私の席にピンク色の小さなプラスチックケースが置いてあった。
それは不透明で中は見えない。
「それね、基礎体温計っていうのよ。開けてみて?」
コンパクトのようになっているそれを開けると、中には体温計の先っぽだけのものが本体につながっていて、液晶画面といくつかの操作ボタンがついていた。
「そろそろきちんと基礎体温をつけたほうがいいと思うの。遅くなっちゃったけど、私からの高校入学のプレゼント」
「栞さん、ありがとうございます」
「どういたしまして。これね、アラーム機能がついていて、毎朝アラームが鳴ったらお布団の中で横になったままの状態で計るの。舌の下側に入れて計るのよ」
ボタンを押すと時間設定画面が表示されたので、私はいつも起きる時間をセットした。
「これをつけていると生理周期もきちんと把握できるし、自分で体調管理するのにも役立つと思うわ。もちろん、毎日の血圧測定は必ずするけどね」
リゾットは、トマトの酸味と玉ねぎの甘みとベーコンのしょっぱさがとてもバランスよくて美味しかった。
「学校はどう? 格好いい人いた?」
食洗機に食器を入れながら訊かれる。
「あ、いましたよ。すごく格好いい人。二年生で生徒会役員の人」
「あら、蒼くんよりも格好いいの?」
食いつき良好な栞さんがハーブティーを持ってキッチンから出てくる。
「蒼兄とは……少しタイプが違う気がします。黒いサラサラの髪の毛で、陶器みたいに白い肌で顎が細い人。身体の線も細いかな……?」
「……すごく興味あるわ。今度学校にもぐりこんじゃおうかしら? あ、そう言えば、私の親友が今学校の校医しているのよ。以前話したことあるでしょう? 親友が女帝だったって。彼女なの」
それは、湊先生のこと……?
「もう会ったかしら? 藤宮湊」
「……お会いしてます。しかも――さっき話した格好いい人のお姉さんです」
「えっ? 楓くんはもう社会人だから司くんっ!?」
「え、あ、はい。司先輩……」
「あらぁ……翠葉ちゃんたら面食いね」
栞さんはクスクスと笑いながらお茶を飲んだ。
何か勘違いされている気がしてならない。
格好いい人とは思ったけれど、好きな人ではない。そう言おうとしたら、
「今、高校っていったら誰がいるのかしら……。秋斗くんに海斗くん、司くんに湊。それから梓と……修司おじ様と圭吾おじ様くらいかしら?」
はい……?
「あの……栞さんて、もしかして藤宮の方なんですか?」
それは藤宮学園出身ということではなく、家が、という意味で。
「あら? 話してなかったかしら? 私の旧姓は藤宮なのよ。結婚をして神崎になったの。湊たちとは曽祖父が一緒だから再従兄妹って関係」
続柄まで教えてもらってさらにびっくりした。
どうしてこんなに藤宮の縁者が多いのだろう? 藤宮学園という場所がそうさせるのだろうか。
因みに、うちはお父さんがひとりっ子でお母さんには弟がいるけれど、自由気ままな叔父は未だ結婚しておらず、従兄妹と呼べる人たちがいない。
「親族の集まりが大変そうですね」
何気なく口にした言葉だったけれど、栞さんはさもありなん、といった顔をする。
「もうね、おせっかいな人が多くって……。高校卒業したくらいから見合い話が来るのよ? それも一件や二件なんてかわいいものじゃなくて……。それから逃げるためにどれだけ手を駆使したことか。今だと秋斗くんや楓くんが大変なんじゃないかしら? そろそろ司くんにも来るかしらね」
まるで他人事のようにクスクスと笑う。
財閥の血筋ともなると大変なんだな、と私は他人事のように聞いていた。
お見合いなんて、うちではあり得ないことなだけに、別世界の出来事を聞いている感じ。
「湊先生もご結婚なさってるんですか?」
「湊は独身だけど、彼女に口出しができるのは現会長、湊のおじい様くらいなものね」
そんな会話をしていると、一時半を告げる鐘が鳴った。
「あら、もう一時半? 翠葉ちゃんと話しているとあっという間だわ」
栞さんはエプロンを外し、
「また夕方に来るけど、何かあったら連絡してね」
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