光のもとで2+

葉野りるは

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August

夏の思い出 Side 司 09話

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 背後で翠がお茶を入れている気配を感じながらリビングのソファに腰を下ろすと、しばらくして翠がトレイにお茶を載せてやってきた。
 座るなりスマホを表示させるから、
「時間?」
「うん。この部屋、時計もないみたいだから……」
 翠の言葉に部屋を見回すも、確かにそれらしきものは見当たらなかった。
 今が何時なのかはだいたいわかるが、確認のために腕時計へ視線を落とすと、
「九時半前――でも、それがどうかした?」
 旅行中の今、門限も何も気にするものはないはずだけど……。
「うち、門限が九時でしょう? だから、マンション内じゃないのにこんな時間に一緒にいるのがちょっと不思議な気分で……」
「旅行ってそういうものだろ?」
「そうだよね。そうなんだけどね……」
 翠は何かが気になるようで少しそわそわしていた。
 この状況下で翠が気にすることといったら何がある……?
 このあと起こり得ることといえば――……あぁ、そういうこと。
 そわそわしている翠は少し顔を赤らめている。そんな翠の右手を取り、
「いきなり襲ったりしないから、そんな緊張しないでくれると嬉しいんだけど……」
「っ……!?」
「顔に出てる」
 翠は顔を真っ赤に染め、驚きの形相でこちらを見ていた。
 そんな様子を見ればこっちは肩の力が抜けるというもの。
「翠、こっちに」
 翠の手を優しく引き寄せ、翠を自分の胸にしまいこむ。と、翠は深呼吸を始めた。
 それほどまでに緊張しているというのだろうか。
「性行為、まだ怖い?」
 なんとなしにたずねると、
「……恐怖心はなくなったと思う」
「じゃ、なんでそんなに緊張する?」
「……まだ、慣れないから……かな」
「じゃ、慣れるまで繰り返そう」
 翠がリラックスした状態で俺を受け入れられるようになるまで、何回でも。
 そんな思いで笑みを向けると、翠は表情を和らげた。
「俺が触れることは?」
 翠は顔を赤らめ、けれど間を空けずに「好き」と答える。
「こうやって抱きしめられるだけでもほっとするのだけど、裸で抱き合うのはそれ以上の安心感を得られる気がして」
 恥ずかしそうに話すものの、その言葉に嘘や気遣いは含まれていない気がした。
 翠を見ると、「愛おしい」という感情しか湧いてこないわけだけど、これが普通なのだろうか。
 愛おしくて愛おしくて、頭から丸ごと食べつくしたい気分になる。
 そんな感情のままに翠を抱きしめていると、不意に翠が顔を上げた。
「ツカサは……?」
「俺……?」
「ん」
「俺は……こうやって翠を抱きしめられるだけで幸せだし、ほっとする。一年のときと比べたら少しは肉がついたとか――」
 割と真面目に話したつもりだったが翠には伝わらなかったようで、翠は俺から離れるとクッションで攻撃してきた。
「ひどいっ!」
「仕方ないだろ? 入院前のガリガリの翠を知ってるんだから。抱くたびに肉付きチェックするのは必須事項だ」
 翠は頬を膨らませてむくれたが、
「ひどいけど、好き……」
「それはよかった」
 俺はむくれたままの翠の頬に唇を寄せる。
 そのまま再度抱き寄せ、
「翠を抱くと、翠が俺の腕の中にいることを実感できて、翠が俺に好意を寄せてくれていることが実感できて、これ以上ない幸せを感じられる。願わくば、その幸せを感じたいわけだけど……」
 至近距離で翠を見つめると、
「お風呂、入ってから……」
 そう言われるのは想定済み。
 でも風呂、か……。
「バスルーム、結構広かったよな?」
「え? うん。一般家庭のそれよりはずいぶん広いつくりだったと思うけど……?」
 これは一提案なわけだけど……。
「一緒に入る?」
 翠の表情が「え?」の状態で固まる。
 翠の周りに疑問符が急浮上した感じ。
「照明の調節もできるし、脱衣所でウォーターキャンドルも見つけた」
 追加情報を与え、現況把握を促すと、翠はしばし瞬きを繰り返した。
「えぇと……ひとりで入っても照明を落として星空は楽しめると思うし、ウォーターキャンドルを楽しむこともできると思うの」
「それ、ひとりで楽しむのとふたりで楽しむの、どっちが幸せを分かち合えると思う?」
 せっかく旅行に来ているのだから、なるべくなら一緒に過ごしたい。
 それとは別の下心もあるけれど……。
「どっち?」
 笑顔を作ってたずねると、
「……うぅぅ……じゃぁ、一緒に……はい、る……?」
 よし、落ちた。
 俺は提案を反故にされる前に席を立ち、早速風呂の準備をすることにした。
 バスタブはすでに洗ってあるだろうから、軽く流してお湯を張るだけでいいはずだ。
 確か翠の適温は三十八度から四十度だったと思うけど、季節によって異なるなどあるだろうか……。
「翠」
 バスルームから翠を呼びつけると、恐る恐るといったふうに翠がバスルームへ顔を出す。
「お湯の温度何度だっけ?」
「三十八度から四十度……」
「……ま、リラックスするには適温だな」
 俺は湯温設定を済ませお湯張りボタンを押す。
「脱衣所の棚にバスグッズがある。翠の好きなものを選べばいい」
 すると翠は、おとなしくバスグッズを見に行った。
 翠は右の棚から順に物色していき、三つ目の棚でようやくバスグッズにたどり着く。
 カゴの中をじっと見て、ひとつふたつ手にとっては頭を右へ左へと傾ける。
 バスグッズひとつ選ぶのに何をそんなに悩むことがあるのか。
 疑問に思いながらその姿を見ていると、
「ツカサ、香りで苦手なものってある?」
「何があるの」
「柑橘系とミント、ローズ、ラベンダー」
「ラベンダーは翠の血圧を下げるから却下。ほかならなんでもいい」
「了解」
 なるほど、香りで悩んでいたのか。
 微笑ましい思いで後姿を見ていると、くるっとこちらを向きオレンジ色のボトルを持ってやってきた。
 翠は躊躇なくそのボトルの中身をバスタブへ流し込む。
 粘度のあるそれは、お湯に混ざるとゆっくりと溶解し始めた。しかし、お湯の色が変わるわけでもなんでもない。
「それ何?」
「バスバブル。通常のお湯張り機能だと泡立たないから、こっちからに変えてもいい?」
 翠はバスタブ脇にあるコックを指差していた。
「いいけど……それだとウォーターキャンドル使えないんじゃない?」
「灯りは却下で……」
 そうきたか……。
「……真っ暗な中で身体や頭洗うの?」
 翠はそこまで考えていなかったようで、頭を抱えてしまった。
 そこで俺は、
「翠、ひとつ譲歩して」
「え?」
「キッチンからロックグラスを持ってくる」
「ロックグラス……?」
「それに水を張って、ひとつだけウォーターキャンドルを点ける」
 翠は散々悩んだあと、その提案を呑んだ。
 星が見えるとは言え、せっかく一緒に風呂に入れるというのに真っ暗で視界オフというのはいただけない。
 泡で身体が見えなくなるのなら、わずかな光で少しくらい甘い思いをさせてほしい。
 そんなことを考えつつ、バスタブにお湯が溜まるのを待っていた。

 お湯が溜まって翠を呼びに行くと、翠はパジャマと下着と思しきものを膝に乗せ、その他バスグッズを用意しているところだった。
「……なんで下着にパジャマの用意してるの?」
「え? だって――」
「風呂に入ったあとならいいんだろ?」
「そうだけど……」
「なら、脱がす手間を省くためにバスローブの着用を希望する。下着も、事後にシャワーを浴びたあと、清潔なものを身につけるほうがいいんじゃないの?」
 そのほうがいいことを前面に押し出し伝えると、
「三十分後っ」
「は……?」
「三十分待ってから入ってきてっ」
「なんで……」
「髪の毛洗ったり身体洗ってるところは見られたくないっ」
 それじゃ、一緒に入る意味の半分くらいは意味がなくなる。
 俺が反論しようとすると、
「NO! 無理、絶対だめっ。だめったらだめだからねっ!? ちゃんと三十分計ってねっ!?」
 翠は押せるだけの念を押して飛び出していった。
「……やられた。翠が髪を洗うところ見てみたかったのに……」
 寝室に虚しく自分の声が響いた。
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