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葉野りるは

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August

夏の思い出 Side 翠葉 12話

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 瞼の向こうに夏らしい強い光を感じていた。
 まだ意識は覚醒しきっておらず、なんとも心地よいまどろみの中、愛しい人の声が降ってくる。
 ……そう、真後ろから聞こえるとか、すぐ近くから聞こえるそれではなく、高さのある場所から声が降ってきたのだ。
 不思議に思って声の方を振り返ると、マグカップを持ったツカサがベッド脇に立っていた。
 洗いざらしの白いシャツにジーパンという飾らない出で立ちで、今日も文句なしに格好いい。
「起きられそう?」
「ん……」
 何も考えずに身体を起して、肌を撫でていく風に驚いた。
「きゃっ――」
 なんで裸っっっ!?
 現況に驚いて、一気に脳が覚醒する。
 そうだった……。
 昨夜は求められるままに抱かれたあと、ツカサの腕の中で息を整えていると、
「休憩したらもう一回、いい……?」
 まるで甘えるような声でたずねられた。
 気分的にはおねだりをされた感じ。
 たぶん、出逢ってから今まででこんなふうにねだられるのは初めてのことで、珍しいものを見たからこその高揚感なのか、単純に求められることに喜びを覚えたのか、自分の体力その他諸々省みずに応じてしまい、情事のあとにシャワーを浴びることもできずに寝落ちた結果、今起床――つまり、身体に何を纏っているわけもなく、背後の窓から注がれる陽の光に身体が晒されていた。
 咄嗟に羽毛布団を胸元まで引き上げたはいいけれど、昨夜散々抱き合ったあとなのだ。
 こんな行動をとっている自分はどれほど滑稽に見えることか――
 ツカサはクスクスと笑いながらベッドに腰を下ろし、「おはよう」のキスをこめかみにすると、手に持っていたマグカップを私の口元へ運んでくれた。
 鼻に抜けるは清涼感あるミントの香り。
 私は促されるままにカップに口をつけ、朝一番の水分を補給する。
「おいしい……」
「ゆっくり飲めばいい」
「ん……」
 何口か飲んで、
「今何時?」
「九時前」
 よく眠った実感はあるけれど、「九時」という時間に少し驚いていた。
 今の自分を鑑みれば、朝七時に起きて身支度を整え八時半に陽だまり荘の朝食の席に着くのは無理だったと思える。
 この状態を、ツカサは昨夜の夕飯後には予想して鈴子さんに「明日の朝食は別で」と申し出ていたわけで、どこまで頭が回るのか、と思わず唸りたくなってしまう。
「もう、九時なのね……」
 苦笑いを隠すように、光が差し込む窓を振り返る。
 夏の九時といえば、太陽がそれなりの高さに昇っている時間だ。
 どおりで部屋が明るいと思った。
「ツカサは何時に起きたの?」
「目が覚めたのは六時過ぎ」
「……早い、ね?」
 一番に思ったことを呑み込んでそれだけ口にすると、
「昨夜、あれだけ翠を抱いたにも関わらず?」
 口端を上げたツカサに問われる。
「~~~……その……男性って、そんなに疲れないもの……?」
 男女の差などわからないのだから、訊いてみるしかない。
 上目遣いでツカサを見ると、
「人によるんじゃない? 俺は普段から運動をしてるし、間違いなく翠よりはタフだと思うけど」
 しれっと答えられて俯いてしまう。
 今後何をどうがんばってもツカサに見合う体力は会得できないだろう。その場合、ツカサはやっぱり満足できなくて我慢しなくちゃいけないのかな……。
 普通、エッチって一度に何回するもの……?
 そんなことまで授業では習わなかった。
 飛鳥ちゃんが読んでいる雑誌には体験談などがたくさん書かれていると聞いたことがあるけれど、その雑誌が取り上げているファッションは私の好みとはかけ離れたものだったし、たった数ページの情報を読むためだけに購入するのは気が進まず、そういった雑誌を手に取ることはなかった。
 飛鳥ちゃんは「貸そうか?」と言ってくれたのだけど、学校で読める内容ではないし、その雑誌を持ち帰って自室で読んでいるところを想像するだけで心臓がバクバクと鳴り出す始末で、どうしても借りるには至らなかったのだ。
「なんでそんな顔?」
 人差し指を顎に添えられ、顔を上に向けられる。
 ツカサが一度に何回エッチしたら満足するのかは知りたい気がする。でも、知ったところで私の体力を増強できるわけではない。なら、訊くことに意味はあるのか――
「何かあるなら言葉にして教えて欲しい。不安や心配事は聞けば解消できるかもしれないだろ?」
「――……ツカサは、一度に何回エッチしたら満足する……?」
「っ――」
 ひどく驚いた顔のツカサを前に、自分が何を口にしたのかを自覚する。
「ごめんっ、今のなしでっ――」
 あまりの恥ずかしさに羽毛布団を頭から被ろうとしたら、すぐにツカサの手に阻まれた。
「本当にごめんなさいっ。それを聞いたところで、今後どれだけがんばってもツカサに見合う体力は会得できないのに何訊いてるんだろ――」
 いてもたってもいられなくて、阻むツカサの手を押しのけ羽毛布団に顔を埋める。と、
「翠」
「ごめん、ただいま自己嫌悪中につき、少し放っておいてもらいたいかも……」
 ものすごく自分勝手なことを言っている自覚はある。でも、なんだか急に不安になってしまったし、自虐的になってしまったし、そんな自分を立て直すには少し時間が必要なことだけはわかっていて――
 コトリ――マグカップをサイドテーブルに置く音がすると、お布団がかかっていない背中側から抱きしめられた。さらには剥き出しの肩にキスをされる。
「最初の質問の答えだけど、満足感を得るだけなら一度で十分だと思う」
 え……? でも昨夜は――
「……ただ、思っていたよりも俺は強欲みたいだ。その満足感を何度でも得たいと思うし、多幸感に何度でも浸りたいと思う。それはたぶん、自分の精力が底を突くまで欲するのかも」
「っ……」
 勢いよく身体が縮こまると、その身体を労わるように抱きしめられた。
「だからといって、翠に俺と同等の体力は求めていないし、さっきの発言が何度もがっつく俺のことを考えてのものなら、今の翠のままで問題ない」
「……どうして?」
「インターバルをおけばいいだけだろ?」
 インターバル……休憩時間……。
「昨日も一回目と二回目の間に休憩を挟んだら大丈夫だっただろ?」
「……ん」
「そんな立て続けにしようなんて言わないし、思ってないから安心していい」
 コクリと頷くと、
「今は?」
 ツカサは後ろから回り込むようにして私の顔を覗き見た。
「え……?」
 今って……何が……?
 視線を合わせると、
「二回目からはずいぶんとインターバルあったと思うけど、三回目はだめ?」
「っ……」
 わざわざ首を傾げて少し下から見上げてくるの、本当にずるい……。
 でも、もう時刻は九時を回っているのだし、せっかく稲荷さん夫妻が用意してくれているだろう朝ご飯を食べ逃すのは悪い気がする。
 そのうえ、午後になってもみんなと合流しなかったら、唯兄や蒼兄から連絡がくるに違いない。
 もしもエッチの最中に連絡がきて、それを無視しようものなら、心配して星見荘まで様子を見にくるかも……。
 エッチしている最中に誰かが訪ねてくるのとか本当に無理っ――
 色々と理性は働くのに、ツカサのお願いはなんでも叶えてあげたくなってしまうから困る。
 真剣に悩んでいると、クスクスと笑い声が聞こえてきた。
「悪い、冗談」
「もうっっっ!」
「でも、風呂には一緒に入らない? 夜とは違って視界をオフにできるほど暗くはできないけど、真っ青な空を見ながら入れる」
 バスルームが暗くならない。イコール、また身体を晒すことになるわけで……。
「翠の身体を見て痩せすぎとか言わないから」
「……思うのも禁止っ。どうやって太らせようか考えをめぐらせるのも禁止っ」
「手厳しいな……」
「禁止ったら禁止っ」
「でも、それならいいの?」
 たずねられて、断る道もあったんじゃないか、と思ったのは私。それを悟ったツカサは素早く動き、昨夜脱いだバスローブで私を包むと、
「もう遅い」
 言って、私を抱え上げた。
「えっ!? あのっ、お風呂の準備はっ!?」
「してないとでも思ってるの?」
「えっ!? だってっ――」
「さっきシャワー浴びたついでにバスタブも洗ってきた。で、さっきお茶を淹れるときにお湯張りボタンも押してある」
 やっぱり用意周到だ……。
 脱衣所で下ろされるとツカサは私の背後へ回り、髪の毛にブラシを通し始めた。
「どうしてブラッシング……?」
「そのまま入ったらまた髪を洗う羽目になるだろ?」
 ツカサは高い位置でポニーテールを作り、テール部分を三つ編みにすると頭の上でお団子を作り、コンパクトにまとめてはクリップで留めてくれた。
 いざバスローブを脱ぐときになっても、恥ずかしさからなかなか脱げずにいると、
「俺はさっきシャワー浴びてるから先に入ってバスタブに浸かってる。ちゃんと壁側向いてるから、翠は心行くまでシャワーを浴びればいい」
 そう言うと、先にバスルームへ入ったツカサは軽くシャワーを浴びてからバスタブに浸かり、約束したとおり、きちんと壁の方を向いていてくれた。
 そこまでしてもらっても往生際の悪い私は、フェイスタオルを持ってバスルームへ入る。
 タオルを棚に置いてから鏡の前に立つと、胸元にいくつかのキスマークがついていて、思わず頬が熱を持つ。
 恥ずかしい思いもあるけれど、心に灯るのは「嬉しい」という感情。
 秋斗さんには首の後ろという目に入らない場所につけられたにも関わらず、受け入れられなかった。でもツカサのキスマークは違う。目の入る場所にあってもいやじゃないし、目に入る場所にあることが嬉しく思える。
 不思議というか現金というか――私、どれだけツカサのことが好きなのかな……。
 俯きながらシャワーのコックを捻り、温めのシャワーを満遍なく浴び、顔を洗い、身体を隅々まで洗ったあと、棚に置いていたフェイスタオルを手に取り、タオルを縦に使って身体を隠した。
「お邪魔します……」
 右足からバスタブに踏み入ると、壁側を向いていたツカサがくるりとこちらを向いて、私を視界に捉えるや否や、ものすごく不本意そうな表情になる。
「何も考えないって約束までさせたくせにそういう小道具使うんだ?」
「だって……やっぱり明るいところで見られるのはまだ恥ずかしいんだもの……」
「じゃ、翠が慣れるまで、ここにいる間はずっと裸で過ごす?」
「えっ!?」
 タオルで胸元を隠しながらツカサを見ると、本気とも冗談ともとれない表情に困惑する。
「で、でもっ、稲荷さんが朝ご飯を届けてくれるのなら、洋服はきちんと着ていないとだめだと思うのっ」
「着替えた俺が、玄関で受け取ればいい話じゃない?」
「でもっ、午後になっても陽だまり荘に顔を出さなかったらみんなに――」
「みんなに?」
「――……~~~」
「星見荘で何してるのか想像されるのがいや?」
「っ――わかってて訊かないでっっっ!」
 ツカサはクスクスと笑いながら、私の頬に唇を寄せる。そして左手で私の右手を取ると、ツカサの右手が腕に触れる。
「確かにまだ細い。でも、翠はきれいだ。ネガティブになる必要なんてないと思うけど?」
「それでも、恥ずかしいもの……」
「……ま、しばらくはこのままでもいいか」
 そう言うと、ツカサは仰ぐように空を見た。
「翠」
「ん?」
「空が青い」
 つられて空を見ると、そこには真四角に切り取られた雲ひとつない空があった。
 長期入院していた十六のころ、窓から見える空や、撮影者によって切り取られた美しすぎる風景を見るのはひどく苦痛だった。そのときに芽生えた苦手意識は未だ残っているはずなのに、今はこんなにも美しく見え、愛おしく思える。
 その変化に、自然と涙が零れた。
「翠……?」
「本当ね? 空が、青い……」
 涙がじわじわと溢れてきて少し困っていると、
「空が青くて泣く理由は?」
「……前に話したことがあるでしょう? 窓から見える四角い風景が嫌いだったり、雑誌に載っている切り取られた美しすぎる風景が苦手だったって」
 ツカサが静かに頷くと、
「でもね、今空を見たら苦手なはずの風景がすごくきれいに見えて、ものすごく愛おしく感じたの。それが嬉しくて……」
 私は胸元を隠していたタオルで涙を拭くとツカサに向き直り、「ちゅ」と唇にキスをした。
「ツカサ、ありがとう。ツカサといたら、苦手なものも何もかも、全部上書きされて彩り豊かできれいな世界になっていく。本当にすごい。ツカサは魔法使いみたいね」
 そう言うと、私はもう一度感謝をこめたキスをした――
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