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葉野りるは

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July

翠葉・十九歳の誕生日 Side 司 01話

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 翠の誕生日は相変わらずテスト期間丸被りで、ふたりで誕生日を祝うまでに十日以上の日数を要した。
 あらかじめ調べていたレストランへ行こうと思っていたら、翠たっての願いでウィステリアホテルでランチをすることに。
 その懇願具合が尋常じゃなかったこともあり、今はスーツを着てウィステリアホテルの四十階を歩いているわけだが……。
「なんでウィステリアホテル……?」
 翠はネイビーの細身のワンピースに身を包み、とても申し訳なさそうに手を合わせる。
「ごめんね? 普段あまり使わないから、こういうときくらいはって静さんに言われてて……」
 あぁ、静さんか……。
 あの人の誘いなら断りきれなくても仕方がない。ただ、
「ここだと翠がフリーパス持ってるから俺が支払いすることできないんだけど……」
 そこ一点のみ不服ではある。すると、翠は苦笑を貼り付け、
「うーん……そこはもうご馳走になっちゃおう?」
 そんな話をしていると、前を歩く澤村さんがクスリ、と笑みを零した。
「翠葉お嬢様はなかなか当ホテルをご利用くださらないので、あの手この手でご利用いただくよう皆必死です」
「そんなことを言われても……。私、まだ高校生ですよ? こんな高級ホテルに来ること自体が少ないです」
 それでも、たまには仕事の一貫で訪れてはいるだろうに。それとも受験前だから、仕事の一切を休ませてもらっているとか……?
「ですが、アンダンテのケーキはお好きでしょう? そのほか新作スイーツや限定ランチ、限定ディナーが出るたびにお便りを送らせていただいておりますが、未だ一度もいらしてくださらない。皆悲しみに暮れていますよ」
 少し冗談めかしたような話に翠は心底申し訳ない顔をしていた。
 その空気を払拭するように、澤村さんは違う話題を提供する。
「本日の料理は料理長と須藤の合作ですので、ぜひご満足いただけるかと思います」
 言い終わるタイミングで個室のドアを開けられる。と、室内にはセッティングの済んだテーブルと、ドレスがかかったスチールラック、スタンドミラーが用意されていた。
「これ、もしかして……」
 翠は思うところがあったのだろう。一歩二歩、と後ずさりをする。
「静様と湊様、園田の三人で選んだ翠葉お嬢様のドレスです。こちらはマリアージュの翠葉お嬢様専用クローゼットへ保管させていただきますので、本日はデザインをお楽しみいただけたら幸いです。それから、こちらの包みはフォトグラファー班からのプレゼントになります。電子式防湿庫とのことでしたので、ご自宅でのカメラやレンズ管理にお使いください。こちらは私が責任を持って司様のお車へ運ばせていただきます」
 そう言うと、澤村さんは一礼して、ひとつの包みをカートに乗せ、個室を出て行った。
 翠は途方に暮れた様子で、「またたくさん……」とドレスを遠目に眺めている。
 ようやくを手を伸ばしたからドレスを見るのかと思いきや、一着一着数え始める始末だ。
「ふーん。フルレングスが二着であとは膝丈やミモレ丈。これなら普段使いもできるんじゃない?」
 そんな感想を口にすると、すごい形相の翠がこちらを向いた。
「でも、ドレスだよっ!? どう見繕っても、ちょっとオシャレしてディナーへ出かけましょう的なドレス! こんなの着る機会そうそうないよ~……」
 なんというか、プレゼントをもらった側の人間が、完全に悲嘆に暮れている。
 確かに、静さんからドレスを贈られるようになって三年になる。毎年十着のドレスが贈られていたのだとしたら、すでに三十着ある勘定なわけで……。
 仕方ないな。来年は普段着られるような洋服をプレゼントするように姉さんに口添えしておくか。
 切実そうな表情の翠の気持ちを軽くしてやるべく、ドレス着用シーンをいくつか提案してみることにした。
「でも、家族で誕生日を祝うときはウィステリアホテルなんだろ?」
「うん。そうだけど……」
「じゃ、碧さんの誕生日、零樹さんの誕生日、翠たちの誕生日で三着。ほか、俺と翠の誕生日を祝うときに一着ずつ。クリスマスディナーで一着。残り四着……。じーさんの誕生パーティーでフルレングス一着。あと何かあるかな……」
 ほかに何か記念日――
「……お付き合い始めた記念日とか?」
 発想の仕方がかわいすぎた。
 口元が緩みそうになるのを我慢しながら、
「それもありじゃない?」
「あとはピアノの発表会でフルレングスが着られるかなぁ……」
「ほかだと、篠塚さんとこの新作発表会のレセプションパーティーに呼ばれることもあるから、そういう席でも着られるんじゃない?」
 ほかに何を提案できるだろうか。悩んでいると、俺を見上げる翠の視線に気づく。
「ツカサはなんでそんなに私にジュエリーを贈りたがるの?」
 どうしてって――
「似合うから……?」
「似合うからって――」
 何か俺、おかしいこと言ってるのか?
「好きな女を飾り立てたいと思うのは――」
 普通だと思ってたけど……。
「普通じゃないの?」
 翠はきょとんとした顔で、
「普通かどうかはわからないのだけど……でも、秋斗さんも髪飾りをプレゼントしてくれたから、そういうものなのかなぁ……」
 無神経なやつ……。こういう場で秋兄を引き合いに出すなよな?
 でも、翠は俺と同じだから……。
 世間一般に疎くて、恋愛だって俺と秋兄としかしたことがなくて、比べるものがほかにないから秋兄を引き合いに出すほかなくなる。
 そういうの全部わかってると文句の言いようがない。
 結果俺は根こそぎスルーして、
「第一、翠は飾り甲斐がある」
 真実を告げると、翠は真っ赤になって俯いた。
 そんな翠を促しテーブルに着くと、翠は嬉しそうに顔を綻ばせる。
「須藤さんの料理、久しぶり! ちょっと楽しみ……」
 どんな料理が出てくるのか、と今から楽しそうににこにこ笑っている。
 ま、翠がこんな顔をしてくれるなら、俺が選んだレストランでなくても問題はないのかもしれない。
「翠」
「ん?」
「プレゼント」
 手に持っていた小さな手提げ袋をテーブル上で滑らせると、翠は手提げ袋を見た途端にわかりやすく顔を硬直させた。
「またジュエリー?」
 声もどこか棒読みだ。
「いやだった?」
 不安になって訊ねると、
「ううんっ、いやとかそういうわけではなくてっ――」
 でも、何かあるんだな。
 そんな思いだってスルーしてやる。
「開けてみて」
 追加して手提げ袋を翠側へ押しやると、翠は細い指先で手提げ袋のシールを剥がし、そっと中を見る。
「え? ふたつっ!?」
 今度はそこか……。
 俺はゴリ押しよろしく微笑むと、「さあ、開けろ」と言わんばかりに笑みを深めた。
 翠は遠慮気味に小さな箱から手に取った。
 白いリボンを解き、カパッと音を立てて蓋を開ける。と、
「わ……かわいい……」
 それは心からの言葉。
 翠の目に、ジューシーな青リンゴのような宝石が映りこみ、翠は愛おしそうに人差し指で触れる。
 ペリドットの周りの覆輪留め部分を一周触れたのを見てから、
「もうひとつも開けてみて」
 これを喜んでくれるのなら、もうひとつも喜んでもらえるだろう。そんな思いがあって急かすと、急ぎつつも丁寧にリボンを解き、細長い箱を開けた。
「全部指輪と同じデザイン……?」
「そう。指輪ができない際にチェーンに通して持ち歩けるようにはしてあったけど、どうせなら同じデザインのネックレスやイヤリングがあってもいいのかと思って」
「嬉しい……ありがとう!」
 そうだ、このふにゃっとしたような柔らかい笑顔が見たかった。
 見たいものを見られた満足感に浸りつつ、
「デザインに飽きたら、それらをひとつにしてブレスレットにすることも可能だって聞いた」
 使用例をスマホで見せると、翠はことさら嬉しそうに表情を緩める。
 花が綻ぶような笑顔とは、こういう顔を言うのだろう。
 その花をさらに飾り立てたくて、俺は席を立ち、ネックレスを手にとって翠の首につけてやる。ついでにイヤリングもつけると、
「似合う?」
 くるん、と翠が振り返り、長い絹糸のような髪がふわりと舞った。
 一瞬にして目を奪われたが、寸でのタイミングで反応することができた。
「文句なしに似合う。翠も来年は高校を卒業するだろ? 大学生になって私服通学するようになればアクセサリーをつける機会も増えるって姉さんに聞いたから」
 そう、事の発端は姉さんだった。
 クリスマスに大勢の前で指輪をプレゼントしたことを聞きつけてからかわれ、さらにその先のことを提示された。つまり、翠が卒業したあとのことを。
 ほかの男の手がつかないように、自分がプレゼントしたアクセサリーで武装させるのね、とかなんとか……。
 結果、それに乗せられてこういうことになってるわけだけど、今回ばかりはいいアドバイスをもらえたと思う。
「でも、出来る限り指輪はしてて」
 言いながら席に着くと、翠はクスクスと笑いだす。
「誰のことを牽制しようとしているの? 私に言い寄ってくるような人はいないよ」
「翠は色々わかってない」
 本っ当にわかっていない。
「第一、一番近しいところに秋兄がいるだろ」
 それから、あの音大ヤローも。
「でも、秋斗さんは指輪してても寄ってきそう」
「ものすごく納得できてむかつく……」
 でも、むしろそこはある程度牽制できてると思いたいし、俺が第一に牽制したいのは音大ヤローと短大にいるであろうヤローどもなわけで……。
 事実、翠が四大ではなく短大へ行くことにしたと聞いたときには胸を撫で下ろす気分だった。
 それでも、短大の二年が終わったら四大への編入を企てているあたり、心の底から安心できるわけではないわけだけど……。
 そんなことを考えている俺の正面で、翠はまだクスクスと笑っており、
「秋斗さん対策なら指輪はあってもなくてもいいんじゃない?」
 その言葉は、秋兄のことはもう本当に寸分も気にしてないという気持ちの表れでもあったと思う。しかし翠は自分のことを過小評価しすぎだ。
「翠は本当に自分のことをわかってないよな。三年も連続で姫になったくせに」
 そう、こいつは今年も「姫」に選ばれた。王子には海斗が選ばれたらしい。
 その組み合わせなら何を危惧する必要もないわけだが、翠が全校生徒から注目されていることに変わりはなく……。
「それを言うなら、ツカサだって十四年連続で王子だったのでしょう? それなら私だってツカサに何かつけてて欲しい」
 思わぬ意見に虚をつかれた。
「何かって……?」
 翠は宙を見ながら、
「そうだなぁ……指輪がいいけど、男性で指輪って言ったらマリッジリングになっちゃうのかな……?」
「別に、ペアリングって手もあるんじゃないの?」
 翠はどこか不安そうに、
「いやじゃない?」
 なんでそんなことを思うんだか。
「いやなわけないだろ? むしろ、女避けになるなら欲しいくらいだ」
 本音を零すと、
「本当に?」
 くどい……。
「指輪ひとつで女が寄ってこなくなるなら面倒くさいことが減っていいに決まってる」
 父親譲りのこの顔は、たいていの女のストライクゾーンに入るらしく、新入生挨拶をしてからというもの、あちらこちらから視線を感じるようになった。さらには藤宮グループ会長の孫と知れ渡ったら、高校からの持ち上がり組以外の人間にさえ注目されるようになった。
 本当、生まれてくる家は選べないというが、迷惑極まりない。
「っ……じゃ、あとで買いに行こうっ?」
 翠の弾んだ声に思考を寸断され、少し驚く。
「やけに乗り気……」
「女の子避けになるなら、余計に持っていてもらいたいもの……」
 翠は珍しく唇を少し尖らせて言う。
「そのあたりを心配されるような行いはしてきたつもりないんだけど……」
「そーれーでーもっ! 私だってやきもちくらい妬くんですからねっ」
「……へぇ」
 嬉しいことを言ってくれる。
 だからといって不安にさせるつもりはさらさらないが。
「でもペアリングか……。それならもうマリッジリングでいいんじゃない?」
 たかだか六年間のためにペアリングを買うならマリッジリングでなんら問題はない気がする。
 それこそ、ひとつのものをずっと大切に持ち続けたいという翠の性格を鑑みれば、こっちが妥当。
 けれど翠は、
「結婚してないのに……?」
「普通のペアリング買うよりも効果ありそうだし……。指につけるのが抵抗あるなら、それこそ結婚するまではチェーンに通しておけばいいわけで……」
「それもそうね……? ね、あとはショップへ行って実物を見て決めない?」
「了解」
 そんな話が終わると前菜が運ばれてきて、ひとつが食べ終わるタイミングでスムーズに料理が運ばれてくることもあり、一時間半ほどをかけておいしい料理を堪能した。
 途中静さんがやってきて、
「翠葉ちゃん、数日遅れだが誕生日おめでとう!」
「ありがとうございます! それから、またたくさんのドレスを本当にありがとうございます」
 静さんはデレデレと目尻を下げ、
「湊と園田が張り切って選んでいたから、ふたりに感想を伝えてやると喜ぶだろう。料理はどうだい?」
「とってもおいしいです!」
「それはよかった。須藤と料理長も喜ぶだろう。今日は少しおとなっぽい格好をしているね? ネイビーのワンピースはシエルダジュールのものかい?」
 服を見ただけでブランドがわかるってどれだけ……。
「すごいっ! よくおわかりですね?」
 翠はまったく悪いほうに取らない。こういうところ、本当に天然すぎてもう何を言う気すら起きなくなる。
「あそこは碧の好きなブランドだからな。それとそのジュエリーはペリドット……?」
「ツカサからのプレゼントなんです」
「よく似合っている。司、いい趣味してるな」
 俺の機嫌まで取ろうとするあたり、本当に食えない男なのに。
「デザインしてるのは篠塚さんだから、センスがよくて当たり前なんじゃないですか?」
「まったくおまえというやつは……。結婚するときにはマリッジリングをうちで選ぶといい。ジュエリー篠塚のものも数多く揃えているし、他ブランドも相応にあるぞ」
 そう言われてみれば、ウィステリアホテルには式場がある都合上、ジュエリー篠塚のマリッジリングとエンゲージリングがフルラインアップで揃っていると聞いたことがある。
「それ、ランチのあとに見せてもらうことできますか?」
「おいおい、結婚は六年後だろう? 少し早すぎないか?」
「早急にペアリングが欲しいんです」
 静さんはくつくつと笑い、
「なんだ、女避けに男避けか?」
 やけに的をついた言葉に辟易とした。
 俺はそっぽを向いて、
「そんなようなものです」
「なら、あとで園田に案内させよう」
 そう言うと、静さんはおかしそうに笑いながら部屋を出て行った。
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