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November
初めてのライブハウス Side 司 01話
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夕方が近づくにつれ、俺は無性に後悔していた。
こんなに気になるくらいなら、昨夜翠に誘われたときに強がったりせず「行く」と言っていればよかったんだ。
今となっては後の祭り。
すでに開場時刻は過ぎているし、あと三十分もすれば開演する。
翠が帰宅するのは九時前といったところか……。
マンションで翠の帰りを待っていたとしても、話す時間がとれる時間帯じゃない。
それなら迎えに行ったほうが車の中で話せるというもの。
とはいえ、この時間に父さんが車を貸してくれるとは思えない。却下されるのがオチだ。
なら兄さんは?
兄さんの携帯を呼び出すと、留守電につながった。
これは間違いなく夜勤……。
諦めて明日を待つべきか……。
そこまで考えて、あまり頼りたくない人間が最後の選択肢として浮上する。
「秋兄には頼りたくないけど――」
でも、ほかに訊きたいこともある。
俺は夕飯を食べてから家を出た。
マンションに着くなり、秋兄たちが会社として使っている一室へ向かう。
おそらく、日曜であってもここで仕事をしているだろう。そう踏んでのことだった。
インターホンを押して十秒以上経っても応答はない。
ここにいなければ十階の自宅。次に向かう場所を考えながら二度目の呼び鈴を鳴らすと、インターホンの応答ではなく玄関ドアが開いた。
「秋兄、人の指見て指輪のサイズわかる?」
「は?」
秋兄は鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をしている。
前振りが必要かとは思ったけど、どんな言葉が適当なのかわからなくて、唐突な物言いになってしまった。
だが、訊き返されたところで違う言葉など出てこない。
「だからっ、人の指見て指輪のサイズがわかるか知りたいんだけど」
「……まぁ、女の子のサイズならだいたい当てられるかな。それが何?」
秋兄の口元が若干緩み、不自然に引き上がる。
面白がられる予感はしていたけど、最初から機嫌が悪かったからだろうか。想像以上に癇に障る。
それでも自分は依頼する側の人間で……。
「翠の指のサイズ、知りたいんだけど……」
「ふ~ん……司、人にお願いするときにはどんな言葉を添えなくちゃいけないか知ってる?」
反射的に秋兄を睨んでしまったが、「お願いします」の言葉は口にする。と、秋兄は満足そうに笑い、
「頼まれてやるよ。ちなみに、右手? 左手? 何指?」
そんなの決まってる。
「左手の薬指」
「右手じゃなくて?」
「左手でお願い」
本当はエンゲージリングを渡してしまいたい。でも、あまり高価なものは翠が受け取ってくれそうにないから、
「婚約前のプレリングとして渡すつもり」
「でも、なんで急に指輪? 俺、司は婚約するときまで指輪は贈らないと思ってた」
「そのつもりだったんだけど……」
あぁ、言いたくない……。
自分の眉間に力が入るのを感じていると、
「どうせだから全部話しちゃえよ」
秋兄の催促に、嫌々口を開く。
「……なんかいやな予感がするから」
「いやな予感?」
秋兄は心底不思議そうな顔をしている。
もしかして、秋兄は翠が今日どこへ行っているのか知らないのだろうか。
そんなことを思いながら、
「今日、翠がどこへ行っているか聞いてる?」
「え? あぁ、レッスンのあと、ライブハウスに行くって聞いてるけど、それがどうかした?」
「それ、芸大祭で知り合った男たちに渡されたチケットだから」
秋兄は「あぁ……」といった感じで、
「理解した」
「それと車……」
「車?」
「翠を迎えに行くのに貸して欲しい……」
「くっ」
秋兄は身体を折り曲げ笑いだす。
「何? 涼さんに断わられたか何か?」
「断わられるのをわかっていて訊いたりしない」
やっぱり人選をミスっただろうか。
「司なら、次は楓を頼りそうなものだけど?」
「夜勤でいなかった……」
貸してもらえるのか貸してもらえないのか改めて訊こうとしたら、
「わかったわかった。車は貸してやるし、翠葉ちゃんの指のサイズも見てやる。その代わり、翠葉ちゃんのお迎えには同乗させてもらう」
「はっ!?」
「だって俺、司の運転する車に乗ったことないし。どんな運転するのかもわからない人間に翠葉ちゃんを任せられるわけないだろ? それから、ライブハウスまでは俺ひとりで翠葉ちゃんを迎えに行かせろよ。このくらいの報酬はあってしかるべき。だろ?」
やっぱり頼む相手を間違えただろうか……。
なら、ほかに誰がいた?
姉さんの車は唯さんへ譲られて、静さんが姉さんのために買った車は納車前。栞さんの車もコンシェルジュの車も二十歳以上の人間じゃないと保険が適用されないし――
やっぱり迎えに行くなら秋兄を頼るしかなかった。
諦めてため息をつくと、
「でも、さすがにちょっと見たくらいじゃわからないからね。彼女の手をとるくらいの許可は欲しいところ」
調子にのってないだろうな……。
そんな視線を向けるも、「他意はない」といった視線を返される。
「それ以上は許さない」
さっきから妥協してばかり。
そんな状況に嫌気が差す。
「わかってる。何時に出る?」
「八時には支倉駅に着いていたいから、七時過ぎには出たい」
「了解。そのくらいにロータリーで落ち合おう」
「わかった」
「このあと御園生家に行くから、迎えに行く件は俺から話しておくよ。翠葉ちゃんにもこっちから連絡入れておくから、おまえが行くのはサプライズにしておけば?」
サプライズ云々は置いておくとして、御園生家に話を通してもらえるのは助かる。
俺は小さな声で、謝辞を述べた。
支倉に着くなり、
「じゃ、行ってくる」
秋兄は意気揚々と車を降りて人ごみへと見えなくなった。
「俺、何してるんだろ……」
落ち着かないから翠を迎えに来たわけだけど、そこでまたイラつく事態発生って何?
でも、指輪のサイズを知りたいって頼んだのは自分だし、俺の知らないところで秋兄が翠に接触するのは抵抗あるし……。
いっそのこと、自分でサイズを測ればよかった?
いや、どうせプレゼントするなら渡すそのときまで悟られたくはない。
自分の中に居座るものと対峙したくなくて違うことを考えていたけれど、どうやっても無視できないそれが脳を占拠する。
翠がほかの男に会いに行く。……とはいえ、ただ演奏を聴きに行くだけだ。
わかっていても、不快感が胸に渦巻く。
相手を知らないから余計に気になるのだろうか。
たかがライブに行くくらいで嫉妬とか、どれだけ狭量なのか。
そんな自分を認めたくなくて、平気な振りして翠の誘いを断わったけど、断わったら断わったでこの様……。
幼稚園児並の猜疑心しか持ち合わせない翠だが、男の誘いに乗るような軽率な人間ではない。その点は信用しているのに、何がこんなに気になるのか――
最近は男性恐怖症の気もだいぶ緩和されてきて、そういう心配はあまりしなくてよくなったものの、それが原因となりほかの不安が生じる。
男に対する警戒心が薄らいだ翠に付け込む男がいやしないか、とか。翠の好きな「音楽」という分野に精通する男に翠が惹かれないか、とか――
そんなこと、考えてもきりがないのに。
「翠が芸大へ進んだら、とか考えたくないな……」
考えたくなくとも、そんな未来はいずれやってくるわけで……。
束縛なんて格好悪いことはしたくないけれど、現実問題難しそうだ。
ふと視線を感じて助手席の方へ視線をやる。と、車の外からこちらを覗きこむ顔がふたつ。
秋兄の口が「仏頂面」と動いて舌打ちしたくなる。
その隣で、翠は困ったような顔でため息をついた。
「大丈夫、翠葉ちゃんが助手席に座れば機嫌も直るよ」
そのつもりで迎えにきたけれど、どうもそれだけではこの不機嫌は拭えそうにない。
なら、どうしたら自分の機嫌が直るのか。
翠が車に乗る際、秋兄は実に自然な動作で翠の左手を取り、指のサイズをチェックしていた。
そんな動作を横目に見ていると、
「司、無茶な運転はするなよ」
俺、無茶な運転なんてしたこともするつもりもないんだけど……。
秋兄が後部座席へ移動するのを待っていると、秋兄は松葉杖を入れただけで、乗り込みはしなかった。
「え? 秋斗さん?」
翠が疑問の声をあげると、
「そこまで野暮じゃないよ。帰りはふたりでどうぞ」
言って車から離れ、後続車へ向かって歩き出した。
ポカンと口を開けている翠に、
「後続車は警護班の車」
補足説明をすると、翠は納得したように視線を前方へ向けた。
こんなに気になるくらいなら、昨夜翠に誘われたときに強がったりせず「行く」と言っていればよかったんだ。
今となっては後の祭り。
すでに開場時刻は過ぎているし、あと三十分もすれば開演する。
翠が帰宅するのは九時前といったところか……。
マンションで翠の帰りを待っていたとしても、話す時間がとれる時間帯じゃない。
それなら迎えに行ったほうが車の中で話せるというもの。
とはいえ、この時間に父さんが車を貸してくれるとは思えない。却下されるのがオチだ。
なら兄さんは?
兄さんの携帯を呼び出すと、留守電につながった。
これは間違いなく夜勤……。
諦めて明日を待つべきか……。
そこまで考えて、あまり頼りたくない人間が最後の選択肢として浮上する。
「秋兄には頼りたくないけど――」
でも、ほかに訊きたいこともある。
俺は夕飯を食べてから家を出た。
マンションに着くなり、秋兄たちが会社として使っている一室へ向かう。
おそらく、日曜であってもここで仕事をしているだろう。そう踏んでのことだった。
インターホンを押して十秒以上経っても応答はない。
ここにいなければ十階の自宅。次に向かう場所を考えながら二度目の呼び鈴を鳴らすと、インターホンの応答ではなく玄関ドアが開いた。
「秋兄、人の指見て指輪のサイズわかる?」
「は?」
秋兄は鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をしている。
前振りが必要かとは思ったけど、どんな言葉が適当なのかわからなくて、唐突な物言いになってしまった。
だが、訊き返されたところで違う言葉など出てこない。
「だからっ、人の指見て指輪のサイズがわかるか知りたいんだけど」
「……まぁ、女の子のサイズならだいたい当てられるかな。それが何?」
秋兄の口元が若干緩み、不自然に引き上がる。
面白がられる予感はしていたけど、最初から機嫌が悪かったからだろうか。想像以上に癇に障る。
それでも自分は依頼する側の人間で……。
「翠の指のサイズ、知りたいんだけど……」
「ふ~ん……司、人にお願いするときにはどんな言葉を添えなくちゃいけないか知ってる?」
反射的に秋兄を睨んでしまったが、「お願いします」の言葉は口にする。と、秋兄は満足そうに笑い、
「頼まれてやるよ。ちなみに、右手? 左手? 何指?」
そんなの決まってる。
「左手の薬指」
「右手じゃなくて?」
「左手でお願い」
本当はエンゲージリングを渡してしまいたい。でも、あまり高価なものは翠が受け取ってくれそうにないから、
「婚約前のプレリングとして渡すつもり」
「でも、なんで急に指輪? 俺、司は婚約するときまで指輪は贈らないと思ってた」
「そのつもりだったんだけど……」
あぁ、言いたくない……。
自分の眉間に力が入るのを感じていると、
「どうせだから全部話しちゃえよ」
秋兄の催促に、嫌々口を開く。
「……なんかいやな予感がするから」
「いやな予感?」
秋兄は心底不思議そうな顔をしている。
もしかして、秋兄は翠が今日どこへ行っているのか知らないのだろうか。
そんなことを思いながら、
「今日、翠がどこへ行っているか聞いてる?」
「え? あぁ、レッスンのあと、ライブハウスに行くって聞いてるけど、それがどうかした?」
「それ、芸大祭で知り合った男たちに渡されたチケットだから」
秋兄は「あぁ……」といった感じで、
「理解した」
「それと車……」
「車?」
「翠を迎えに行くのに貸して欲しい……」
「くっ」
秋兄は身体を折り曲げ笑いだす。
「何? 涼さんに断わられたか何か?」
「断わられるのをわかっていて訊いたりしない」
やっぱり人選をミスっただろうか。
「司なら、次は楓を頼りそうなものだけど?」
「夜勤でいなかった……」
貸してもらえるのか貸してもらえないのか改めて訊こうとしたら、
「わかったわかった。車は貸してやるし、翠葉ちゃんの指のサイズも見てやる。その代わり、翠葉ちゃんのお迎えには同乗させてもらう」
「はっ!?」
「だって俺、司の運転する車に乗ったことないし。どんな運転するのかもわからない人間に翠葉ちゃんを任せられるわけないだろ? それから、ライブハウスまでは俺ひとりで翠葉ちゃんを迎えに行かせろよ。このくらいの報酬はあってしかるべき。だろ?」
やっぱり頼む相手を間違えただろうか……。
なら、ほかに誰がいた?
姉さんの車は唯さんへ譲られて、静さんが姉さんのために買った車は納車前。栞さんの車もコンシェルジュの車も二十歳以上の人間じゃないと保険が適用されないし――
やっぱり迎えに行くなら秋兄を頼るしかなかった。
諦めてため息をつくと、
「でも、さすがにちょっと見たくらいじゃわからないからね。彼女の手をとるくらいの許可は欲しいところ」
調子にのってないだろうな……。
そんな視線を向けるも、「他意はない」といった視線を返される。
「それ以上は許さない」
さっきから妥協してばかり。
そんな状況に嫌気が差す。
「わかってる。何時に出る?」
「八時には支倉駅に着いていたいから、七時過ぎには出たい」
「了解。そのくらいにロータリーで落ち合おう」
「わかった」
「このあと御園生家に行くから、迎えに行く件は俺から話しておくよ。翠葉ちゃんにもこっちから連絡入れておくから、おまえが行くのはサプライズにしておけば?」
サプライズ云々は置いておくとして、御園生家に話を通してもらえるのは助かる。
俺は小さな声で、謝辞を述べた。
支倉に着くなり、
「じゃ、行ってくる」
秋兄は意気揚々と車を降りて人ごみへと見えなくなった。
「俺、何してるんだろ……」
落ち着かないから翠を迎えに来たわけだけど、そこでまたイラつく事態発生って何?
でも、指輪のサイズを知りたいって頼んだのは自分だし、俺の知らないところで秋兄が翠に接触するのは抵抗あるし……。
いっそのこと、自分でサイズを測ればよかった?
いや、どうせプレゼントするなら渡すそのときまで悟られたくはない。
自分の中に居座るものと対峙したくなくて違うことを考えていたけれど、どうやっても無視できないそれが脳を占拠する。
翠がほかの男に会いに行く。……とはいえ、ただ演奏を聴きに行くだけだ。
わかっていても、不快感が胸に渦巻く。
相手を知らないから余計に気になるのだろうか。
たかがライブに行くくらいで嫉妬とか、どれだけ狭量なのか。
そんな自分を認めたくなくて、平気な振りして翠の誘いを断わったけど、断わったら断わったでこの様……。
幼稚園児並の猜疑心しか持ち合わせない翠だが、男の誘いに乗るような軽率な人間ではない。その点は信用しているのに、何がこんなに気になるのか――
最近は男性恐怖症の気もだいぶ緩和されてきて、そういう心配はあまりしなくてよくなったものの、それが原因となりほかの不安が生じる。
男に対する警戒心が薄らいだ翠に付け込む男がいやしないか、とか。翠の好きな「音楽」という分野に精通する男に翠が惹かれないか、とか――
そんなこと、考えてもきりがないのに。
「翠が芸大へ進んだら、とか考えたくないな……」
考えたくなくとも、そんな未来はいずれやってくるわけで……。
束縛なんて格好悪いことはしたくないけれど、現実問題難しそうだ。
ふと視線を感じて助手席の方へ視線をやる。と、車の外からこちらを覗きこむ顔がふたつ。
秋兄の口が「仏頂面」と動いて舌打ちしたくなる。
その隣で、翠は困ったような顔でため息をついた。
「大丈夫、翠葉ちゃんが助手席に座れば機嫌も直るよ」
そのつもりで迎えにきたけれど、どうもそれだけではこの不機嫌は拭えそうにない。
なら、どうしたら自分の機嫌が直るのか。
翠が車に乗る際、秋兄は実に自然な動作で翠の左手を取り、指のサイズをチェックしていた。
そんな動作を横目に見ていると、
「司、無茶な運転はするなよ」
俺、無茶な運転なんてしたこともするつもりもないんだけど……。
秋兄が後部座席へ移動するのを待っていると、秋兄は松葉杖を入れただけで、乗り込みはしなかった。
「え? 秋斗さん?」
翠が疑問の声をあげると、
「そこまで野暮じゃないよ。帰りはふたりでどうぞ」
言って車から離れ、後続車へ向かって歩き出した。
ポカンと口を開けている翠に、
「後続車は警護班の車」
補足説明をすると、翠は納得したように視線を前方へ向けた。
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