光のもとで2

葉野りるは

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November

藤山デート Side 翠葉 02話

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「光朗庵」という名前のつく小さな庵は、表に三台の駐車スペースがある。
 私が来るときは、ベージュのクラシカルな車と黒塗りの車が停まっていることが多いけれど、今は私たちが乗ってきた涼先生の白い車が一台きり。
 庵の煙突から煙が出ていないところを見ても、主の不在がまざまざとうかがえた。
 本当に誰もいないんだな、と思いながら車を降りると、ツカサに腕を支えられ車椅子の方へと誘導される。
 実は、立ち上がるときの要領がまだつかめておらず、何かガイドになるものにつかまらないとうまく立ち上がれないのだ。
 バランス感覚がさほど悪いほうではないところからすると、片足で自分の体重を支えることが難しいほどの筋力不足なのだろうか、と悩ましく思う。
 動き出した車椅子に意識を戻すも、庵脇の通路を通り越してしまった。
「ツカサ、入り口通り過ぎちゃったよ?」
「あぁ、前に通った道は、光朗道の中でも春とか夏のルートだから」
「え……?」
「この区画、全部で四つに分かれてて、ルートが春夏秋冬に分かれてる。庵脇の通路は夏通り。藤棚を右に行くと春通り。今向かっているのは秋通り。それぞれ四季折々の花が楽しめるようになってる」
「初めて知った!」
「……秋兄あたりから聞いてるかと思ってた」
「ううん、知らないっ、初耳!」
 新たな情報に心を弾ませながら、道の先に待ち受ける植物に思いを馳せる。
 この時期ならなんのお花が咲いているだろう。
 そういえば、去年もこの時期に来たけれど、あのときは紅葉がメインで、お花と言えば小菊くらいなものだった。
 上り坂の両脇を陣取るのは――
「これ、もしかして金木犀……?」
「そう。金木犀と銀木犀が交互に植わってる。残念ながら花期は終わってるけど」
 ツカサの言うとおり、砂糖菓子のようにかわいく咲いていたであろう小花たちは、茶色い残骸となって地面へ落ちていた。
「わー……残念。すっごく残念。十月頭に来れば幸せな香りを堪能できたのに。今年は金木犀の香り、嗅ぎ逃しちゃった」
 学校に植わっている場所はちゃんとリサーチしていたのに、紫苑祭準備ですっかり忘れていた感じ。
「ツカサは今年、どこかで金木犀の香りに出逢った?」
「庭にも弓道場の周りにも植わってるから毎日嗅いでたけど……」
「羨ましい~……」
「金木犀の香り、好きなんだ?」
「あの香りを嫌いな人なんていないでしょうっ!? ……もしかして、ツカサは好きじゃないの?」
「いや――」
 その先に言葉が続かず不思議に思って振り返ると、なんだか困った顔をしたツカサがいた。
「ツカサ?」
「……秋になれば毎年香る香りってだけで、好きとか嫌いとか考えたことがなかった」
 なんだかとってもツカサらしい言い分だ。
「じゃ、今考えて? 好き? 嫌い?」
「……あのさ、そこまで期待に満ちた目で訊かれて嫌いって言える人間がいるなら会ってみたいんだけど……」
「え? 強要しているつもりはないのよ?」
 真面目に返事をすると、ツカサは少し表情を崩して笑った。
 その笑みが思いのほかどストライクで頬が熱を持つ。
 咄嗟に前を向いてしまったけれど、そんな行動を取ってしまった自分に激しく後悔。
 赤面を見られてもいいからもう少し見ていたかった。
 たぶん、再度振り返ったところであの笑顔は幻でしかなく、今は無表情に戻ってしまっているだろう。
 確認するだけ無駄なこととはわかっていても、振り返らずにはいられない。
 まだ熱い頬に右手を添えて振り返ると、ツカサは少し遠くを見ていた。
 何かに思いを馳せるような、そんな目で金木犀と空の境目を眺める様は、いつかの秋斗さんを思い出させる。
「金木犀の香りは好きでも嫌いでもない。ただ、懐かしい……かな」
「懐かしい……?」
 確かに、金木犀の香りはノスタルジックな印象を受ける。でも、ツカサは明らかに違うことを感じている気がした。
「ばあさんが花好きで、金木犀が咲くころにはこの奥にあるガーデンスペースで、よくティータイムを過ごしてた」
 車椅子を向けられた先には四方を金木犀に囲まれた空間があり、その中央には洒落たガーデンテーブルと四つの椅子が備わっていた。
「奥にこんなスペースがあるなんて知らなかった」
「「まるで隠れ家――」」
 ふたり声が重なりクスリと笑う。
「翠は桂花茶って知ってる?」
「けいか、ちゃ……?」
「そう、ジャスミンティーみたいなもの。緑茶に金木犀の花の香りを移したものが一般的だけど、紅茶でも作れるからルイボスティーでも作れると思う。お茶が二に対して、金木犀の花が一のブレンド。金木犀が咲く季節はここでよくお茶を作って飲んだんだ」
 初めて聞くお茶に好奇心を煽られていると、
「来年、ここでお茶にする?」
「するっ!」
「翠は紅葉祭準備で忙しいかもしれないけど、合間を縫ってここでお茶にしよう」
「絶対よ? 絶対だからねっ?」
 指切りをせがむように右手を差し出すと、ツカサはきっちりと小指を絡め、指きりげんまんをしてくれた。

 金木犀の先に待っていたのは柊の木。
 刺々しい葉っぱに寄り添うのは、まだ半分ほどが硬い蕾の白い小さな小花。
 金木犀とは違い、清楚なコサージュのような様がかわいらしい。
 その先の開けた場所には小菊が一面に咲いており、一輪一輪の可憐な佇まいにため息が漏れる。
 さらには、それらの上に見事に色づいた紅葉が広がっていて、まるで絵画のような光景に息を呑んだ。
 ここを作るとき、間違いなくこの光景を完成図として設計したのだろう。
 すごい――
「きれいっ! きれいきれいきれいっっっ!」
 まるでバカの一つ覚えのように「きれい」を連呼していると、ツカサに「喜びすぎ」と笑われた。
 それでも、私の「きれい」は留まるところを知らない。
 何度となく「きれい」を口にして落ち着いたころ、ツカサが近くのベンチに腰を下ろした。
「翠」と注意を引くように名前を呼ばれたとき、声音の変化に今までとは違う話をされる予感がした。その予感は当たり、
「翠、昨日みたいなことがないように――」
「ツカサ、あのね、私、人と行動しようと思うの」
 話の腰を折ったにも関わらず、ツカサは私の言葉を待ってくれていた。
「本当はね、昨日も佐野くんがウォーミングアップに付き合ってくれるって言ってくれたの。私はそれを断わってひとりで行動していたのだけど、もし佐野くんと一緒だったらこんなことにはならなかったよね。だから、これからは校内で人と行動するように心がけようと思うの」
 今まで、「常に人といる」という状況は避けてきた。
 どうしてかと言うなら、人と一緒にいる状況からひとりになることに耐え難いほどの恐怖を感じるから。
 今の友達が離れていってしまうとか信用していないとかそういうことではない。
 ただ、「ひとり」――「孤独」に対する言いようのない恐怖や心細さがあって、その恐怖に立ち向かうための唯一の手段が「ひとりに慣れる」ことだった。
 幸い、藤宮においては単独行動する人が多いこともあり、一年のときから今まで常に人が一緒、ということはなかった。
 でも、これから先、人と行動することに利点があるなら考えを改めなくてはいけない。
 意を決して話したわけだけど、ツカサの反応は微妙なものだった。
 じっと私を見て、口を噤んだまま。
「ツカサ……?」
「……いいと思う」
「……本当に? なんか、複雑そうな顔をしているけれど……」
「……俺は警備員や警護班の人間を動かそうと思ってたから」
 そんな気はしていた。でも、
「それは嫌」
「言うと思った」
「なら回避して」
 ツカサはものすごく困ったような表情で、
「俺には友人を頼るって考えが思い浮かばなかった。そのことに問題があるようなないような、ちょっと複雑な気になっただけ」
「納得……」
 思わず笑ってしまったけれど、会話の流れに「あれ?」と思う。
 今の会話、聞き流しちゃだめな気がする。もっと言うなら、細心の注意を払うべき内容じゃなかっただろうか。
「取り扱い注意」を意識しながら、
「今日は思ったことを全部話してくれるのね?」
 うかがうようにゆっくり話しかける。と、
「そう……?」
「うん。いつもなら、言う必要がないって教えてもらえないようなことまで聞かせてもらえてる気分」
 気をつけていても、嬉しい気持ちが滲み出てしまってつい顔がにやける。と、
「翠こそ……昨日から、なんかやけに近く感じるんだけど」
「近く……?」
 不思議に思ってツカサの顔をまじまじと見つめると、
「ボディータッチが多いというかなんというか……」
 言われたことの衝撃が大きすぎて、顔を背けることが精一杯だった。
 がんばって「そんなことないもの」と否定したけれど、思い当たる節がそこかしこにあって決まりが悪い。
 ツカサは「昨日から」と言うけれど、私の心当たり的にはもう少し前からだ。
 指折り数えられそうなあれこれに、「わーわーわーっっっ」と頭の中で大絶叫。あえて指摘されるとたまらなく恥ずかしい。
「あると思うんだけど……」
 追い討ちのような言葉に逃げ場を失うも、ずっと顔を背けているのもどうかと思うし、ここ数日考えていたことを話すいい機会かもしれない、とツカサの方へ視線を戻す。と、ツカサは私を見つめたままだった。
 その、真っ直ぐすぎる視線に捕まりながら、
「色々思うところがあって――」
 どうしよう。蚊のなくような声しか出てこない……。
「思うところって……?」
 静かに話すツカサの声がものすごく大きく聞こえる始末だ。
 それにしても、どこから話そう……。
 自分の中で明確になっているわけではないものを、どうしたら人に説明できるのか――
 でも、話すならここから、かな……。
「触れ合うことの大切さを少し理解したというか……」
「それ、どこら辺に何を感じてどう理解したのかが知りたいんだけど」
 要点が明確すぎる質問は、同じくらい明確で的確な返答を求められている気がしてちょっと胃が痛くなります。
 どこら辺に何を感じてどう理解したのか、か……。
 難しい……。難しいなぁ……。
「全部話さなくちゃだめ……?」
「つい先日、『話して分かり合おう』って結論に至らなかったっけ?」
 至りました……。
 さっきから逃げ道を封じられてばかり……。
 どんなふうに説明したら理解してもらえるだろう。
 考え方や感じ方は人それぞれ違う。でも、ツカサには同じものを感じてほしいと思ったり、理解してほしいと思ってしまう。
 深呼吸を何度か繰り返し、脳へ酸素供給を試みる。
「……今まではね、手をつないだりすると、嬉しかったり安心感を得られるだけだったの。でも、それとは違う感覚があったというか……」
 これじゃだめ。具体的な説明がなされていないから、及第点すらもらえる気がしない。
「……たとえば、言い合いをしたあとに手をつないだり、ツカサの身体に触れると、気持ちがしゅわってなる」
 これもだめかな……?
 ツカサの表情をうかがい見ると、無表情に拍車がかかったような様で見返されていた。
 この表情は「理解不能」だろうか。
 どうしよう、これ以上の説明って何っ!?
「しゅわ……?」
 あれ……? 食いついてくれた……?
 でも、「しゅわっ」を掘り下げるのってどうしたらいいんだろう……。
「えぇとね、入浴剤の塊が、お湯に溶けてなくなるみたいな感じ。心がしゅわってなる。昨日もそうだったの。帰宅する直前、ちょっと言い合いになっちゃったけど、でも、ツカサに触れたらしゅわって……音を立てて心が軽くなったような気がしたの」 
 あのときツカサは何を感じただろう。
 何か感じたかな……。それとも、何も感じなかった……?
 そろりそろりとツカサを見ると、ツカサは顔を真っ赤にしてそっぽを向いていた。
 ちょっと待って……。なけなしのたとえを披露したのは私だし、恥ずかしい思いをしたのも私のはずなのに、どうしてツカサが赤面して顔背けるのっ!?
「もうっ、ツカサが話せって言ったから話したのに、無言とか顔背けるとかひどいっ」
 ツカサは赤面したまま小さく口を開き、
「わからなくはない」
 せっかく同意を得られたのに、互いに赤面してしまった私たちは、恥ずかしさのあまり、これ以上のこの会話を続行することができなかった。
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