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October
紫苑祭二日目 Side 翠葉 01話
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紫苑祭二日目――支度を済ませてダイニングへ行くと、窓の外には雲が広がっていた。
雲は低い位置にあり、色も白ではなく濃い目の灰色。
つまり、今にも雨が降り出しそうな空模様。
「雨が降るのは午後からって話だけど、これはもちそうにないかな……?」
それでも、今日はすべての競技が桜林館で行われるため、雨が降ったところで困ることはない。
紅葉祭のときのようにステージが設営されることもないので、後夜祭も桜林館で行われるのだ。
ぼんやりと空を眺めていると、お茶とスプーンを持った唯兄がやってきた。
「身体、痛い?」
「ん、少し。……でも、今日からお天気が崩れることはわかっていたし、耐えられないほどの痛みじゃないよ」
「……体育祭を見学しろとは言わないけど、我慢はしない。無理もしない。いいっ?」
「うん、わかってる」
テーブルに着くと、お母さんが朝食を運んできてくれた。
いつもと変わらない、卵と長ネギが入った優しい塩味のお粥。
「今日は打ち合わせが一件入っているけど、午後過ぎにはマンションに戻ってこられると思うの。何かあれば連絡しなさいよ?」
「うん、ありがとう」
「っつーか、碧さんより俺っ! 今日はずっとマンションで仕事してるし、何かあればすぐに迎えに行くよ。病院だって連れてくしっ」
必死に主張する唯兄がおかしくて、思わず笑みが漏れた。
「ありがとう。でも、たぶん大丈夫だから」
そんな話をしながら三人で朝食を済ませた。
家を出る間際まで唯兄に念を押されていたけれど、そこまで痛みがひどいわけではない。
まだ、恐怖を覚えるような痛みではない。
それに、痛みがひどくなったとしても、病院へ行けば痛み止めの点滴を打ってもらえる。それで痛みが引かなくても、トリガーポイントのブロック注射が控えている。
そして、一度フラットな状態になればそのあとは、相馬先生が鍼やカイロプラクティックで状態維持を手伝ってくれる。
去年までとは何もかもが違うのだ。
それがわかっているだけで心を強く保つことができる。「余裕」って、大事――
待ち合わせ五分前に一階へ下りると、すでにツカサが待っていた。
「ごめんっ」
慌てて駆け寄ると、いつものように怒られる。
「走るな」
「でも、ほんの数メートルだもの」
「距離は関係ない。それに、待ち合わせに遅れたわけじゃないだろ」
「そうだけど――」
ツカサが待ち合わせ時間ぴったりに下りてきてくれたならこうはならないと思う。でも、ツカサの考えがそこにいたることはなさそうだ。
「ごめんなさい……。……おはよう?」
機嫌をうかがうように朝の挨拶を口にすると、
「はい、おはよう」
儀礼的なそれに不満を覚えつつも手をつないでもらえたことが嬉しくて、私は「いってきます」とコンシェルジュに声をかけてエントランスを通り抜けた。
外に出た途端、突風に髪を巻き上げられる。
雨はまだ降っていないものの、風はそれなりに吹いているらしい。
こんなことなら髪を結ってくれば良かった。
うっかり後悔する程度には、髪が風にもてあそばれている。
片手で格闘し、なんとか押さえつけることに成功すると、
「体調は?」
ツカサの体調チェックが始まった。
「……こんな天気だからね、ちょっと痛い。でも、ひどく痛むわけじゃないから大丈夫」
「本当に?」
「嘘はつかない」
「……無理はするなよ」
「うん」
話の流れは昨日と変わらない。そして、会話がここで終わってしまうのもいつものこと。
いつもなら、手をつないでいることに満足して無言で歩き続けるわけだけど、今日は話すことがある。むしろ、話さなくてはいけないことがある。
これは昨夜帰宅してからのこと――
ツカサに見送られてゲストルームのドアを開けると、電話の子機を持った唯兄が玄関に立っていた。
子機が電子音を奏でているところを見ると、現在進行形で誰かと通話がつながっているのだろうけれど……。
「さすがは司っち。八時ジャストだよ」
玄関に置いてある時計を見て納得するも、
「電話中じゃないの……?」
「あぁ、これ? リィに電話。音楽教室のセンバ先生から」
「仙波先生……?」
「あれ? 知らない人? それなら切っちゃうけど――」
唯兄の動作に焦りを覚え、
「知ってるっ。知っているしお世話になっている先生っ」
私は慌てて子機を取り上げた。
「なんだ。じゃ、早く出てあげな。でも、みんなご飯お預け食らってるから手短にね!」
「はい」
自室に入って通話を再開させ、
「お待たせしました、翠葉です」
『こんばんは、天川ミュージックスクールの仙波です。お兄さんが今帰ってきたって仰ってたけど、いつもこんなに遅いんですか?』
「いえ、いつもは遅くても七時までには帰宅しています。ただ、毎年この時期だけは例外なんです」
十月末に大きな行事があり、九月からの二ヶ月間、放課後という時間をすべて準備に費やすことになる旨を説明すると、
『なるほど、だから先月からレッスンがお休みだったんですね』
「はい」
『次のレッスンはしごき甲斐がありそうですね』
クスクスと笑う先生に、
「あの、先生のご用件は……?」
『あぁ、話が逸れてすみません。僕の用はちょっとしたお誘いです』
「お誘い、ですか……?」
『今週の土日、倉敷芸大の学園祭なんですが、知ってましたか?』
「いえ……」
『じゃ、学園祭に行く予定もありませんよね?』
「はい……」
『実は、知り合いから学園祭で行われるコンサートのチケットをもらってるんです。予定がなければどうかな、と思いまして』
「行きたいですっ!」
『日曜日の昼過ぎなんだけど、予定大丈夫ですか?』
日曜日の昼過ぎ――……ついさっきツカサと紅葉を見に行く約束をしたばかりだ。
でも、もう長いこと生演奏なんて聴いていないし、大学の学園祭にも興味がある。
ツカサとの約束を土曜日に変更してもらうことは可能だろうか……。
「先生……ものすごく行きたいのですが、お返事するの、明日でも大丈夫ですか?」
『かまいませんよ。柊ちゃんも一緒に行くことになっているので、返事は柊ちゃんに連絡してもらってもいいですか?』
「わかりました。お電話ありがとうございます」
『どういたしまして。御園生さんは明日で体育祭が終わるんでしたっけ?』
「はい。終わったら、ピアノの練習がんばらなくちゃです」
『そうですね。二ヶ月のブランクは大きいです。でも、根詰めすぎて腱鞘炎にならないように。それから、くれぐれも体育祭で怪我をしないように気をつけてください』
そう言われて通話は切れた。
――言わなくちゃ。
そうは思うのに、どうにもこうにも言い出しづらい。
一日ずらすだけなのにどうしてこんなにも言い出しづらいのか……。
メールで一方的にキャンセルしてしまった去年に比べたらまだいいほうなのに。
そこまで考えてはたと気づく。
つまりそれは、あくまでも「まだいい」だけで、決していいことではないから言いづらいのだろうか。
悶々と考えていると、ツカサに声をかけられた。
「何を考えてる?」
「えっ? あっ、あの――」
そのまま口にしてしまえばよかったのに、どうして口を閉じてしまったのだろう。
ツカサは、そんな私をじっと見ていた。
「昨日のことがまだ引っかかってる、とか……?」
昨日のこと……? あっ――
「違うっ。違うよっ? 全然関係ないこと考えてたっ」
「全然関係ないことって……?」
心底不思議そうな表情を見せるツカサに私は観念する。
「……あのね、日曜日に紅葉を見に行こうって約束をしたでしょう? それ、土曜日に変更してもらってもいい?」
恐る恐る尋ねると、
「別にかまわないけど……なんでそんなに言いづらそうなの?」
「……去年はキャンセルしちゃったし、今年は約束していた日を変更するし、なんだか申し訳なくて……」
「去年はともかく、日にちをずらすくらいで怒ったりしないんだけど……」
不服を申し立てられた気がして、思わず「ごめんなさい」の言葉が口をつく。
「だから、謝らなくていいし……。でも、なんで?」
「あ……実は、昨日帰宅したらピアノの先生から連絡があって、今週の土日に倉敷芸大の学園祭があることを知ったの。それで、その学園祭のコンサートチケットがあるから行きませんか、ってお誘いいただいて……」
「それ、ひとりで行くの?」
「ううん。先生と柊ちゃんも一緒」
「ヒイラギって?」
「佐野くんの従姉。支倉高校の二年生で、倉敷芸大の声楽科を受験する予定なの」
「ふーん……」
またしても沈黙が訪れ、隣を歩くツカサの様子をうかがう。
ツカサは何か考えているような表情で数メートル先に視点を定めていた。顔を上げたかと思うと、
「交通手段はバスと電車?」
「そのつもりだけど……」
「なら、俺に送迎させて」
突然の申し出に反応できないでいると、
「紫苑祭明け、立て続けに外出予定を入れるんだろ? 行き帰りくらい体力温存に努めたら?」
「それなら家族に頼むっ」
いくらなんでもツカサに送迎してもらうのは申し訳ない。
「……俺が翠に会いたいだけなんだけど」
「……え?」
「藤山の紅葉は、ゆっくり見て回っても二時間。あとは家でゆっくり休め。次の日も会えるならそれでかまわない」
「…………」
「返事」
「……ありが、とう……」
「どういたしまして」
私は少しびっくりしていた。
付き合って数ヶ月が経つけれど、「会いたい」などと言われたことはないと思う。
私、幻聴を聞いたのかな……?
そんなことを考えていると、
「……昨日、御園生さんと唯さんに何か話した?」
「え……?」
「あのふたりに限って、翠が泣いたことに気づかないわけがないだろ」
それはつまり、泣いたことに気づかれて、私が詳細を話したか、ということだろうか。
まじまじとツカサの顔を見つめると、「正直に」と即座に返答を求められた。
「はい。ごめんなさい……」
「別に謝らなくてもいいけど……」
そうは言うけれど、ツカサはひどくうんざりした顔をしている。
「だめ、だった……?」
「だめじゃない。けど……面倒くさい」
「え? 面倒……?」
ツカサはひとつため息をつき、
「次に唯さんと御園生さんに会ったときのことを考えると面倒でならない」
それはそれは煩わしそうに零す。
たぶん、唯兄に絡まれるとか蒼兄につるし上げられるとか、そういったことを懸念しているのだろうけれど――どうしよう……。
実のところ、その場には蒼兄と唯兄だけではなく秋斗さんもいたし、お父さんやお母さんも揃っていた。
雲は低い位置にあり、色も白ではなく濃い目の灰色。
つまり、今にも雨が降り出しそうな空模様。
「雨が降るのは午後からって話だけど、これはもちそうにないかな……?」
それでも、今日はすべての競技が桜林館で行われるため、雨が降ったところで困ることはない。
紅葉祭のときのようにステージが設営されることもないので、後夜祭も桜林館で行われるのだ。
ぼんやりと空を眺めていると、お茶とスプーンを持った唯兄がやってきた。
「身体、痛い?」
「ん、少し。……でも、今日からお天気が崩れることはわかっていたし、耐えられないほどの痛みじゃないよ」
「……体育祭を見学しろとは言わないけど、我慢はしない。無理もしない。いいっ?」
「うん、わかってる」
テーブルに着くと、お母さんが朝食を運んできてくれた。
いつもと変わらない、卵と長ネギが入った優しい塩味のお粥。
「今日は打ち合わせが一件入っているけど、午後過ぎにはマンションに戻ってこられると思うの。何かあれば連絡しなさいよ?」
「うん、ありがとう」
「っつーか、碧さんより俺っ! 今日はずっとマンションで仕事してるし、何かあればすぐに迎えに行くよ。病院だって連れてくしっ」
必死に主張する唯兄がおかしくて、思わず笑みが漏れた。
「ありがとう。でも、たぶん大丈夫だから」
そんな話をしながら三人で朝食を済ませた。
家を出る間際まで唯兄に念を押されていたけれど、そこまで痛みがひどいわけではない。
まだ、恐怖を覚えるような痛みではない。
それに、痛みがひどくなったとしても、病院へ行けば痛み止めの点滴を打ってもらえる。それで痛みが引かなくても、トリガーポイントのブロック注射が控えている。
そして、一度フラットな状態になればそのあとは、相馬先生が鍼やカイロプラクティックで状態維持を手伝ってくれる。
去年までとは何もかもが違うのだ。
それがわかっているだけで心を強く保つことができる。「余裕」って、大事――
待ち合わせ五分前に一階へ下りると、すでにツカサが待っていた。
「ごめんっ」
慌てて駆け寄ると、いつものように怒られる。
「走るな」
「でも、ほんの数メートルだもの」
「距離は関係ない。それに、待ち合わせに遅れたわけじゃないだろ」
「そうだけど――」
ツカサが待ち合わせ時間ぴったりに下りてきてくれたならこうはならないと思う。でも、ツカサの考えがそこにいたることはなさそうだ。
「ごめんなさい……。……おはよう?」
機嫌をうかがうように朝の挨拶を口にすると、
「はい、おはよう」
儀礼的なそれに不満を覚えつつも手をつないでもらえたことが嬉しくて、私は「いってきます」とコンシェルジュに声をかけてエントランスを通り抜けた。
外に出た途端、突風に髪を巻き上げられる。
雨はまだ降っていないものの、風はそれなりに吹いているらしい。
こんなことなら髪を結ってくれば良かった。
うっかり後悔する程度には、髪が風にもてあそばれている。
片手で格闘し、なんとか押さえつけることに成功すると、
「体調は?」
ツカサの体調チェックが始まった。
「……こんな天気だからね、ちょっと痛い。でも、ひどく痛むわけじゃないから大丈夫」
「本当に?」
「嘘はつかない」
「……無理はするなよ」
「うん」
話の流れは昨日と変わらない。そして、会話がここで終わってしまうのもいつものこと。
いつもなら、手をつないでいることに満足して無言で歩き続けるわけだけど、今日は話すことがある。むしろ、話さなくてはいけないことがある。
これは昨夜帰宅してからのこと――
ツカサに見送られてゲストルームのドアを開けると、電話の子機を持った唯兄が玄関に立っていた。
子機が電子音を奏でているところを見ると、現在進行形で誰かと通話がつながっているのだろうけれど……。
「さすがは司っち。八時ジャストだよ」
玄関に置いてある時計を見て納得するも、
「電話中じゃないの……?」
「あぁ、これ? リィに電話。音楽教室のセンバ先生から」
「仙波先生……?」
「あれ? 知らない人? それなら切っちゃうけど――」
唯兄の動作に焦りを覚え、
「知ってるっ。知っているしお世話になっている先生っ」
私は慌てて子機を取り上げた。
「なんだ。じゃ、早く出てあげな。でも、みんなご飯お預け食らってるから手短にね!」
「はい」
自室に入って通話を再開させ、
「お待たせしました、翠葉です」
『こんばんは、天川ミュージックスクールの仙波です。お兄さんが今帰ってきたって仰ってたけど、いつもこんなに遅いんですか?』
「いえ、いつもは遅くても七時までには帰宅しています。ただ、毎年この時期だけは例外なんです」
十月末に大きな行事があり、九月からの二ヶ月間、放課後という時間をすべて準備に費やすことになる旨を説明すると、
『なるほど、だから先月からレッスンがお休みだったんですね』
「はい」
『次のレッスンはしごき甲斐がありそうですね』
クスクスと笑う先生に、
「あの、先生のご用件は……?」
『あぁ、話が逸れてすみません。僕の用はちょっとしたお誘いです』
「お誘い、ですか……?」
『今週の土日、倉敷芸大の学園祭なんですが、知ってましたか?』
「いえ……」
『じゃ、学園祭に行く予定もありませんよね?』
「はい……」
『実は、知り合いから学園祭で行われるコンサートのチケットをもらってるんです。予定がなければどうかな、と思いまして』
「行きたいですっ!」
『日曜日の昼過ぎなんだけど、予定大丈夫ですか?』
日曜日の昼過ぎ――……ついさっきツカサと紅葉を見に行く約束をしたばかりだ。
でも、もう長いこと生演奏なんて聴いていないし、大学の学園祭にも興味がある。
ツカサとの約束を土曜日に変更してもらうことは可能だろうか……。
「先生……ものすごく行きたいのですが、お返事するの、明日でも大丈夫ですか?」
『かまいませんよ。柊ちゃんも一緒に行くことになっているので、返事は柊ちゃんに連絡してもらってもいいですか?』
「わかりました。お電話ありがとうございます」
『どういたしまして。御園生さんは明日で体育祭が終わるんでしたっけ?』
「はい。終わったら、ピアノの練習がんばらなくちゃです」
『そうですね。二ヶ月のブランクは大きいです。でも、根詰めすぎて腱鞘炎にならないように。それから、くれぐれも体育祭で怪我をしないように気をつけてください』
そう言われて通話は切れた。
――言わなくちゃ。
そうは思うのに、どうにもこうにも言い出しづらい。
一日ずらすだけなのにどうしてこんなにも言い出しづらいのか……。
メールで一方的にキャンセルしてしまった去年に比べたらまだいいほうなのに。
そこまで考えてはたと気づく。
つまりそれは、あくまでも「まだいい」だけで、決していいことではないから言いづらいのだろうか。
悶々と考えていると、ツカサに声をかけられた。
「何を考えてる?」
「えっ? あっ、あの――」
そのまま口にしてしまえばよかったのに、どうして口を閉じてしまったのだろう。
ツカサは、そんな私をじっと見ていた。
「昨日のことがまだ引っかかってる、とか……?」
昨日のこと……? あっ――
「違うっ。違うよっ? 全然関係ないこと考えてたっ」
「全然関係ないことって……?」
心底不思議そうな表情を見せるツカサに私は観念する。
「……あのね、日曜日に紅葉を見に行こうって約束をしたでしょう? それ、土曜日に変更してもらってもいい?」
恐る恐る尋ねると、
「別にかまわないけど……なんでそんなに言いづらそうなの?」
「……去年はキャンセルしちゃったし、今年は約束していた日を変更するし、なんだか申し訳なくて……」
「去年はともかく、日にちをずらすくらいで怒ったりしないんだけど……」
不服を申し立てられた気がして、思わず「ごめんなさい」の言葉が口をつく。
「だから、謝らなくていいし……。でも、なんで?」
「あ……実は、昨日帰宅したらピアノの先生から連絡があって、今週の土日に倉敷芸大の学園祭があることを知ったの。それで、その学園祭のコンサートチケットがあるから行きませんか、ってお誘いいただいて……」
「それ、ひとりで行くの?」
「ううん。先生と柊ちゃんも一緒」
「ヒイラギって?」
「佐野くんの従姉。支倉高校の二年生で、倉敷芸大の声楽科を受験する予定なの」
「ふーん……」
またしても沈黙が訪れ、隣を歩くツカサの様子をうかがう。
ツカサは何か考えているような表情で数メートル先に視点を定めていた。顔を上げたかと思うと、
「交通手段はバスと電車?」
「そのつもりだけど……」
「なら、俺に送迎させて」
突然の申し出に反応できないでいると、
「紫苑祭明け、立て続けに外出予定を入れるんだろ? 行き帰りくらい体力温存に努めたら?」
「それなら家族に頼むっ」
いくらなんでもツカサに送迎してもらうのは申し訳ない。
「……俺が翠に会いたいだけなんだけど」
「……え?」
「藤山の紅葉は、ゆっくり見て回っても二時間。あとは家でゆっくり休め。次の日も会えるならそれでかまわない」
「…………」
「返事」
「……ありが、とう……」
「どういたしまして」
私は少しびっくりしていた。
付き合って数ヶ月が経つけれど、「会いたい」などと言われたことはないと思う。
私、幻聴を聞いたのかな……?
そんなことを考えていると、
「……昨日、御園生さんと唯さんに何か話した?」
「え……?」
「あのふたりに限って、翠が泣いたことに気づかないわけがないだろ」
それはつまり、泣いたことに気づかれて、私が詳細を話したか、ということだろうか。
まじまじとツカサの顔を見つめると、「正直に」と即座に返答を求められた。
「はい。ごめんなさい……」
「別に謝らなくてもいいけど……」
そうは言うけれど、ツカサはひどくうんざりした顔をしている。
「だめ、だった……?」
「だめじゃない。けど……面倒くさい」
「え? 面倒……?」
ツカサはひとつため息をつき、
「次に唯さんと御園生さんに会ったときのことを考えると面倒でならない」
それはそれは煩わしそうに零す。
たぶん、唯兄に絡まれるとか蒼兄につるし上げられるとか、そういったことを懸念しているのだろうけれど――どうしよう……。
実のところ、その場には蒼兄と唯兄だけではなく秋斗さんもいたし、お父さんやお母さんも揃っていた。
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