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October
紫苑祭準備編 Side 翠葉 07話
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日曜日――私は前日ツカサに言われたとおり、お昼ご飯を食べずに真白さんを尋ねた。
林を抜けて門柱が見えてくるとドアが開き、真白さんとハナちゃんが出迎えてくれる。
「翠葉ちゃん、いらっしゃい。七夕ぶりね」
「はい、お久しぶりです」
「さ、入って? お昼ごはんにパスタを作ったの。あとはソースとパスタを絡めるだけだから」
リビングに通されたものの、涼先生の姿はない。
「あの、涼先生は……?」
キッチンカウンターから真白さんに声をかけると、
「今日もお仕事で病院へ行っているの。夕方四時ごろには帰ってくるって仰っていたから、それまでは刺繍をして過ごしましょう」
仕事のあとにダンスの練習なんて申し訳ない気がしてしまう。
「……あの、ご迷惑じゃなかったでしょうか?」
「迷惑……?」
真白さんはきょとんとした顔で首を傾げた。
「突然刺繍とワルツの練習だなんて……」
語尾を濁すと、真白さんはクスクスと笑った。
「迷惑じゃないわ。誰かと一緒に刺繍をするのは久しぶりだから楽しみ。それに、涼さんも翠葉ちゃんが来るのを楽しみにしているのよ」
「え……?」
「だって、司ったらちっとも翠葉ちゃんを連れてこないんだもの。自分ばかりマンションに行っていてずるいわ」
「ずるい」の根拠がよくわからなかったけれど、会いたいと思ってもらえていることはなんとなくわかって、それが嬉しかった。
お昼に出されたのは明太子パスタとシーザーサラダ。
しめじと明太子のソースがとっても美味しくて、作り方を教わりながらいただいた。
食後はハーブティーをいただきながらの刺繍。
真白さんが作っている途中のものを見せてもらうと、ツカサが刺したものよりももっと上手で、芸術作品と言っても過言ではない。
思わず、自分が作っているものを見せるのが恥ずかしくてもじもじしてしまうくらいには、雲泥の差だった。
「翠葉ちゃん、慣れよ。これを作り終わるころには刺し目が揃ってきて、安定したステッチになるわ。焦らず丁寧に進めましょう?」
「はい」
針の持ち方や針の刺し方、初歩的なことをレクチャーしてもらうと、少しだけ刺し目が揃ってきたように思える。そして、難しいステッチも教えてもらうことで難なくクリアすることができた。
ハチマキの刺繍が半分を過ぎたところで休憩を取ることになった。
真白さんがお茶の準備をしてくれている間、真白さんが今まで作ってきた作品を見させてもらっていると、どれもがお花の刺繍であることに気づく。そして、いくつかは風景を描いた刺繍だった。
「それね、全部司が描いた絵をもとに刺しているのよ」
「え……?」
「あの子、小さいころからお絵描きが得意だったの。だから、よく下図を描いてもらったわ。司の絵、見る?」
「はいっ」
ツカサが絵を描くなんて初めて聞いた。しかも、こんなに上手だなんて……。
真白さんが二階から持ってきてくれたスケッチブックは五冊。
「このスケッチブックはお庭のお花や植物をメインに描いてあるの。これは数少ない風景画が描かれているスケッチブック。残りの三冊は動物のスケッチ」
動物……?
「司は小さいころから物に対する執着心がなかったのだけれど、唯一動物だけには関心を示してね、幼稚園の遠足で行った動物園には何度も通ったのよ」
もしかして――
「葉山動物園、ですか?」
「あら、司が話したの?」
「いえ、あの……ツカサがどこへ出かけたら面白いと思うのかが知りたくて訊いたら、動物園って……。このあたりならどこにあるのかを調べようとしたら、『葉山動物園』ってすぐに教えてくれたので」
「ふふ、そうなのね。あそこには本当によく通ったわ。最初はすべての動物をスケッチするために。そのあとは、飼育員さんのお話を訊いてスケッチブックに生態や特性を書き込んでいたわね」
そう言って、動物のスケッチブックを見せてくれた。
最初の一冊はクレヨンを使って描かれたもの。しかし、クレヨンで描いたからといって雑さは感じない。むしろ特徴をきちんとつかんでいて上手な絵だ。二冊目は色鉛筆かクーピーといったより綿密に描けるもので描かれている。そして、絵自体もより細かい描写に変化していた。それらの絵の余白スペースには動物の生態に関することがびっしりと書かれている。今ほど上手ではないにしても、几帳面であることがうかがえる文字だった。
「こんなにたくさん描くほど動物が好きなんですね」
「えぇ」
スケッチブックの最後のほうにはハナちゃんの小さいころと思われるスケッチが何枚かあった。
「ハナちゃん、わかる? これ、ハナちゃんの小さいころの絵だよ?」
ハナちゃんを膝に引き寄せ問いかけると、ハナちゃんは微々たる関心も示さず膝の上に丸まって眠ってしまった。
そんなハナちゃんを笑いながら、刺繍を再開する。
最後はツカサの長ランに施す刺繍の予習。
「ちょっと難しく思えるかもしれないけれど、いくつかのステッチを組み合わせているに過ぎないから、あまり構えなくて大丈夫よ。じゃ、ひとつずつ刺していきましょう」
必要となるステッチを教えてもらったことで、長ランの刺繍もなんとかなる気がしてきた。
最後の一針を刺したところでハナちゃんがビク、と身を震わせ立ち上がる。次の瞬間には、
「ワワンっっっ!」
吼えながら玄関へ走っていった。
「きっと涼さんだわ」
真白さんが腰を上げたので、私も一緒に玄関へ迎えに出ると、玄関では涼先生がハナちゃんを抱き上げていた。
「御園生さんいらっしゃい」
「お邪魔しています」
「刺繍ははかどっていますか?」
「はい。真白さんに教えていただいたので、なんとかできる気がしてきました」
「それは良かったです。では、少し休んでからワルツの練習をしましょう」
「……お仕事からお帰りになったところなのに、申し訳ないです」
「お気になさらず。その代わり、コーヒーを一杯飲むお時間だけいただけますか?」
柔らかな笑みを向けられ、私は赤面しながら「はい」と答えた。
コーヒーを飲みながら、涼先生は時計に目をやる。
「四時半ですか……。真白さんはそろそろ夕飯の準備ですね」
「あら、もうそんな時間ですか?」
「えぇ、そんな時間です。ですので、御園生さん、今日の夕飯はうちで食べていかれませんか?」
「えっ!? でも、お昼ご飯もご馳走になってしまったので……」
「何か不都合でも?」
「いえっ、不都合なんて――ただ、ご迷惑じゃないですか?」
涼先生は真白さんを見て、
「真白さん、迷惑でしょうか?」
「いえ、そんなことありません。むしろ嬉しいです」
「だそうですよ?」
ふたりににこりと笑いかけられ、
「……では、お夕飯を作るお手伝いをさせていただいてもいいですか?」
「喜んで」
真白さんの了承を得たところでお母さんに電話をかけようとしたら、
「そのお電話、私がかけてもよろしいでしょうか?」
涼先生に申し出られて首を傾げる。
「御園生さんのご両親とは、今年始めに病院で挨拶をしたくらいなので」
言われて、お母さんが出たら代わることになった。
「お久しぶりです。いつも司が夜半におうかがいして申し訳ございません。何か目に余ることがございましたら、その場で叱っていただけますようお願いします。――いえ、そんなことは……。実は今日の夕飯なのですが、お嬢さんをうちの夕飯にご招待してもよろしいでしょうか。――それを仰るのなら、普段から会食だなんだとお手を煩わせているのはこちらのほうでしょう。――そうですね。次回、参加できるようなら参加させていただきます。今日の帰りは私がマンションまでお送りしますのでご安心ください。えぇ、そうですね。近いうちに会食でもいたしましょう」
電話を切ると、
「そういうわけなので、ダンスの練習は食後にしましょう」
「はい」
真白さんに案内されてキッチンへと向かうと、
「今日はね、ハンバーグなの。タネは昨日のうちに作ってあるからあとはサラダとスープを作って、お肉は形成して焼くだけ」
どうやら、パンは朝のうちに焼いてあるそう。
真白さんがコーンスープを作る傍らで、私はサラダにするレタスをちぎったり、トマトを切ったりしていた。スープができあがると、真白さんと一緒にお肉の形成を始める。
真白さんは慣れた手つきでハートの形を作っていた。
「いつもハート型なんですか?」
「えぇ。だから、翠葉ちゃんもハート型にしてね? そしたら、翠葉ちゃんが作ったのは司に食べさせましょう」
にこりと笑いかけられ、私は赤面しながら頷いた。
「今日は煮込みハンバーグだから最後まで火は通さないで途中でソースの材料を加えるの」
赤ワイン一カップに中濃ソースがカップ四分の一。ケチャップがそれよりも少し少ないくらい。お砂糖を大匙一入れてから蓋を閉め、沸騰させたら中火にしてスプーンでソースをお肉にかけながら焼いていく。ソースにとろみがついてきたらできあがり。
六時を回ると夕飯。でも、ツカサはまだ帰ってこない。
先にいただいてもいいのかな、と思いながら、真白さんと涼先生と三人の夕飯を楽しんだ。
真白さんも涼先生も、学校でのツカサがどんなふうかを話すととても喜んでくれたし、小さいころのツカサの話を聞けるのは何よりも嬉しかった。そこで、今度はツカサの小さいときの写真を見せてもらう約束をしたり……。
食後は少し休み、七時半からダンスの練習を始めたところへツカサが帰宅した。
ツカサは手洗いうがいを済ませるとリビングへ顔を出し、何かに目を留め一直線にリビングを突っ切る。
ローテーブルの上に置かれていたスケッチブックを手に取ると、
「なんでスケッチブックが出てるのか知りたいんだけど……」
「え? 翠葉ちゃんに見せたからよ?」
「ツカサ、動物がとっても好きなのね? 絵もとっても上手でびっくりしちゃった」
ツカサは何を思ったのか、スケッチブックを部屋の隅へと追いやった。
恥ずかしかったのかな……? あんなに上手なのだから、そんなに恥ずかしがることないのに……。
真白さんがご飯の用意をすると、
「今日はね、翠葉ちゃんと一緒に作ったの。司のハンバーグは翠葉ちゃんが形成したのよ」
ツカサの前にハンバーグのプレートを差し出すと、ツカサはわかりやすく赤面した。そのツカサを見て私も赤面してしまう。
真白さん、わざわざ言わなくてもいいのに……。
もじもじしていると、クスクスと笑う涼先生に練習の続きを促された。
「一、二、三、二、二、三、三、二、三、四、二、三……御園生さん、ステップはきちんと踏めています。そんなに足元ばかり見なくても大丈夫ですよ」
その声に視線を上げようとするも、視線を上げたら私の好きな顔があるのだ。
本当に好きなのはツカサなのに、顔が似ている、というだけでこのうろたえよう。本人を前にどうしたらいいというのか。
「肘と腕はもう少し高めにキープします」
ぎこちなく踊っていると、
「御園生さん、一度休んで私と真白さんのダンスを見ていてください。見る場所は真白さんの上半身。腕や肘の位置と目線です」
真白さんと涼先生が踊りだすと、今まで私が踊っていたものと同じものなのか、と思うほど優雅なダンスだった。
腕と肘は肩と同じ高さくらいにキープされており、真白さんの視線は進行方向を見ている。背筋もしなやかに反っていてとてもきれいだ。
うっかり見惚れていると、
「御園生さん、次は御園生さんが踊るんですよ」
涼先生に言われてはっとした。
「翠葉ちゃんはもう少しリラックスして踊るくらいがいいかもしれないわね。相手が司だったら緊張しない?」
いえっ、もっと緊張するのでどうかっっっ――と言うまでもなく、夕飯を終えたツカサが相手をするべく目の前に立っていた。
好きな人とダンスを踊れるのはとても嬉しいことだと思う。でも、こんなに明るい場所で、人に見られているかと思うと恥ずかしくて仕方がない。そのうえ、私はまだステップを覚えたてなのだ。時々足がもつれそうになることもあれば、相手の足を踏んでしまうこともある。
ツカサに腕をホールドされてすぐ、ツカサの指先が肩甲骨に触れて、意識がそこに集中してしまう。
涼先生のときはこんなに意識しなかったのに――
そんなことを考えていると、
「翠、顎引いて視線上げて。腰が引けてるのもどうにかして。背筋はきれいに伸ばすこと。できることなら百合の花びらみたいに少し反るくらいがベスト」
ひとつひとつ指摘されて、ようやくポジションをキープできる私はなんとも居たたまれない。
何よりも、恥ずかしがる前に基本的なことをできるようになれ、という話だった――
林を抜けて門柱が見えてくるとドアが開き、真白さんとハナちゃんが出迎えてくれる。
「翠葉ちゃん、いらっしゃい。七夕ぶりね」
「はい、お久しぶりです」
「さ、入って? お昼ごはんにパスタを作ったの。あとはソースとパスタを絡めるだけだから」
リビングに通されたものの、涼先生の姿はない。
「あの、涼先生は……?」
キッチンカウンターから真白さんに声をかけると、
「今日もお仕事で病院へ行っているの。夕方四時ごろには帰ってくるって仰っていたから、それまでは刺繍をして過ごしましょう」
仕事のあとにダンスの練習なんて申し訳ない気がしてしまう。
「……あの、ご迷惑じゃなかったでしょうか?」
「迷惑……?」
真白さんはきょとんとした顔で首を傾げた。
「突然刺繍とワルツの練習だなんて……」
語尾を濁すと、真白さんはクスクスと笑った。
「迷惑じゃないわ。誰かと一緒に刺繍をするのは久しぶりだから楽しみ。それに、涼さんも翠葉ちゃんが来るのを楽しみにしているのよ」
「え……?」
「だって、司ったらちっとも翠葉ちゃんを連れてこないんだもの。自分ばかりマンションに行っていてずるいわ」
「ずるい」の根拠がよくわからなかったけれど、会いたいと思ってもらえていることはなんとなくわかって、それが嬉しかった。
お昼に出されたのは明太子パスタとシーザーサラダ。
しめじと明太子のソースがとっても美味しくて、作り方を教わりながらいただいた。
食後はハーブティーをいただきながらの刺繍。
真白さんが作っている途中のものを見せてもらうと、ツカサが刺したものよりももっと上手で、芸術作品と言っても過言ではない。
思わず、自分が作っているものを見せるのが恥ずかしくてもじもじしてしまうくらいには、雲泥の差だった。
「翠葉ちゃん、慣れよ。これを作り終わるころには刺し目が揃ってきて、安定したステッチになるわ。焦らず丁寧に進めましょう?」
「はい」
針の持ち方や針の刺し方、初歩的なことをレクチャーしてもらうと、少しだけ刺し目が揃ってきたように思える。そして、難しいステッチも教えてもらうことで難なくクリアすることができた。
ハチマキの刺繍が半分を過ぎたところで休憩を取ることになった。
真白さんがお茶の準備をしてくれている間、真白さんが今まで作ってきた作品を見させてもらっていると、どれもがお花の刺繍であることに気づく。そして、いくつかは風景を描いた刺繍だった。
「それね、全部司が描いた絵をもとに刺しているのよ」
「え……?」
「あの子、小さいころからお絵描きが得意だったの。だから、よく下図を描いてもらったわ。司の絵、見る?」
「はいっ」
ツカサが絵を描くなんて初めて聞いた。しかも、こんなに上手だなんて……。
真白さんが二階から持ってきてくれたスケッチブックは五冊。
「このスケッチブックはお庭のお花や植物をメインに描いてあるの。これは数少ない風景画が描かれているスケッチブック。残りの三冊は動物のスケッチ」
動物……?
「司は小さいころから物に対する執着心がなかったのだけれど、唯一動物だけには関心を示してね、幼稚園の遠足で行った動物園には何度も通ったのよ」
もしかして――
「葉山動物園、ですか?」
「あら、司が話したの?」
「いえ、あの……ツカサがどこへ出かけたら面白いと思うのかが知りたくて訊いたら、動物園って……。このあたりならどこにあるのかを調べようとしたら、『葉山動物園』ってすぐに教えてくれたので」
「ふふ、そうなのね。あそこには本当によく通ったわ。最初はすべての動物をスケッチするために。そのあとは、飼育員さんのお話を訊いてスケッチブックに生態や特性を書き込んでいたわね」
そう言って、動物のスケッチブックを見せてくれた。
最初の一冊はクレヨンを使って描かれたもの。しかし、クレヨンで描いたからといって雑さは感じない。むしろ特徴をきちんとつかんでいて上手な絵だ。二冊目は色鉛筆かクーピーといったより綿密に描けるもので描かれている。そして、絵自体もより細かい描写に変化していた。それらの絵の余白スペースには動物の生態に関することがびっしりと書かれている。今ほど上手ではないにしても、几帳面であることがうかがえる文字だった。
「こんなにたくさん描くほど動物が好きなんですね」
「えぇ」
スケッチブックの最後のほうにはハナちゃんの小さいころと思われるスケッチが何枚かあった。
「ハナちゃん、わかる? これ、ハナちゃんの小さいころの絵だよ?」
ハナちゃんを膝に引き寄せ問いかけると、ハナちゃんは微々たる関心も示さず膝の上に丸まって眠ってしまった。
そんなハナちゃんを笑いながら、刺繍を再開する。
最後はツカサの長ランに施す刺繍の予習。
「ちょっと難しく思えるかもしれないけれど、いくつかのステッチを組み合わせているに過ぎないから、あまり構えなくて大丈夫よ。じゃ、ひとつずつ刺していきましょう」
必要となるステッチを教えてもらったことで、長ランの刺繍もなんとかなる気がしてきた。
最後の一針を刺したところでハナちゃんがビク、と身を震わせ立ち上がる。次の瞬間には、
「ワワンっっっ!」
吼えながら玄関へ走っていった。
「きっと涼さんだわ」
真白さんが腰を上げたので、私も一緒に玄関へ迎えに出ると、玄関では涼先生がハナちゃんを抱き上げていた。
「御園生さんいらっしゃい」
「お邪魔しています」
「刺繍ははかどっていますか?」
「はい。真白さんに教えていただいたので、なんとかできる気がしてきました」
「それは良かったです。では、少し休んでからワルツの練習をしましょう」
「……お仕事からお帰りになったところなのに、申し訳ないです」
「お気になさらず。その代わり、コーヒーを一杯飲むお時間だけいただけますか?」
柔らかな笑みを向けられ、私は赤面しながら「はい」と答えた。
コーヒーを飲みながら、涼先生は時計に目をやる。
「四時半ですか……。真白さんはそろそろ夕飯の準備ですね」
「あら、もうそんな時間ですか?」
「えぇ、そんな時間です。ですので、御園生さん、今日の夕飯はうちで食べていかれませんか?」
「えっ!? でも、お昼ご飯もご馳走になってしまったので……」
「何か不都合でも?」
「いえっ、不都合なんて――ただ、ご迷惑じゃないですか?」
涼先生は真白さんを見て、
「真白さん、迷惑でしょうか?」
「いえ、そんなことありません。むしろ嬉しいです」
「だそうですよ?」
ふたりににこりと笑いかけられ、
「……では、お夕飯を作るお手伝いをさせていただいてもいいですか?」
「喜んで」
真白さんの了承を得たところでお母さんに電話をかけようとしたら、
「そのお電話、私がかけてもよろしいでしょうか?」
涼先生に申し出られて首を傾げる。
「御園生さんのご両親とは、今年始めに病院で挨拶をしたくらいなので」
言われて、お母さんが出たら代わることになった。
「お久しぶりです。いつも司が夜半におうかがいして申し訳ございません。何か目に余ることがございましたら、その場で叱っていただけますようお願いします。――いえ、そんなことは……。実は今日の夕飯なのですが、お嬢さんをうちの夕飯にご招待してもよろしいでしょうか。――それを仰るのなら、普段から会食だなんだとお手を煩わせているのはこちらのほうでしょう。――そうですね。次回、参加できるようなら参加させていただきます。今日の帰りは私がマンションまでお送りしますのでご安心ください。えぇ、そうですね。近いうちに会食でもいたしましょう」
電話を切ると、
「そういうわけなので、ダンスの練習は食後にしましょう」
「はい」
真白さんに案内されてキッチンへと向かうと、
「今日はね、ハンバーグなの。タネは昨日のうちに作ってあるからあとはサラダとスープを作って、お肉は形成して焼くだけ」
どうやら、パンは朝のうちに焼いてあるそう。
真白さんがコーンスープを作る傍らで、私はサラダにするレタスをちぎったり、トマトを切ったりしていた。スープができあがると、真白さんと一緒にお肉の形成を始める。
真白さんは慣れた手つきでハートの形を作っていた。
「いつもハート型なんですか?」
「えぇ。だから、翠葉ちゃんもハート型にしてね? そしたら、翠葉ちゃんが作ったのは司に食べさせましょう」
にこりと笑いかけられ、私は赤面しながら頷いた。
「今日は煮込みハンバーグだから最後まで火は通さないで途中でソースの材料を加えるの」
赤ワイン一カップに中濃ソースがカップ四分の一。ケチャップがそれよりも少し少ないくらい。お砂糖を大匙一入れてから蓋を閉め、沸騰させたら中火にしてスプーンでソースをお肉にかけながら焼いていく。ソースにとろみがついてきたらできあがり。
六時を回ると夕飯。でも、ツカサはまだ帰ってこない。
先にいただいてもいいのかな、と思いながら、真白さんと涼先生と三人の夕飯を楽しんだ。
真白さんも涼先生も、学校でのツカサがどんなふうかを話すととても喜んでくれたし、小さいころのツカサの話を聞けるのは何よりも嬉しかった。そこで、今度はツカサの小さいときの写真を見せてもらう約束をしたり……。
食後は少し休み、七時半からダンスの練習を始めたところへツカサが帰宅した。
ツカサは手洗いうがいを済ませるとリビングへ顔を出し、何かに目を留め一直線にリビングを突っ切る。
ローテーブルの上に置かれていたスケッチブックを手に取ると、
「なんでスケッチブックが出てるのか知りたいんだけど……」
「え? 翠葉ちゃんに見せたからよ?」
「ツカサ、動物がとっても好きなのね? 絵もとっても上手でびっくりしちゃった」
ツカサは何を思ったのか、スケッチブックを部屋の隅へと追いやった。
恥ずかしかったのかな……? あんなに上手なのだから、そんなに恥ずかしがることないのに……。
真白さんがご飯の用意をすると、
「今日はね、翠葉ちゃんと一緒に作ったの。司のハンバーグは翠葉ちゃんが形成したのよ」
ツカサの前にハンバーグのプレートを差し出すと、ツカサはわかりやすく赤面した。そのツカサを見て私も赤面してしまう。
真白さん、わざわざ言わなくてもいいのに……。
もじもじしていると、クスクスと笑う涼先生に練習の続きを促された。
「一、二、三、二、二、三、三、二、三、四、二、三……御園生さん、ステップはきちんと踏めています。そんなに足元ばかり見なくても大丈夫ですよ」
その声に視線を上げようとするも、視線を上げたら私の好きな顔があるのだ。
本当に好きなのはツカサなのに、顔が似ている、というだけでこのうろたえよう。本人を前にどうしたらいいというのか。
「肘と腕はもう少し高めにキープします」
ぎこちなく踊っていると、
「御園生さん、一度休んで私と真白さんのダンスを見ていてください。見る場所は真白さんの上半身。腕や肘の位置と目線です」
真白さんと涼先生が踊りだすと、今まで私が踊っていたものと同じものなのか、と思うほど優雅なダンスだった。
腕と肘は肩と同じ高さくらいにキープされており、真白さんの視線は進行方向を見ている。背筋もしなやかに反っていてとてもきれいだ。
うっかり見惚れていると、
「御園生さん、次は御園生さんが踊るんですよ」
涼先生に言われてはっとした。
「翠葉ちゃんはもう少しリラックスして踊るくらいがいいかもしれないわね。相手が司だったら緊張しない?」
いえっ、もっと緊張するのでどうかっっっ――と言うまでもなく、夕飯を終えたツカサが相手をするべく目の前に立っていた。
好きな人とダンスを踊れるのはとても嬉しいことだと思う。でも、こんなに明るい場所で、人に見られているかと思うと恥ずかしくて仕方がない。そのうえ、私はまだステップを覚えたてなのだ。時々足がもつれそうになることもあれば、相手の足を踏んでしまうこともある。
ツカサに腕をホールドされてすぐ、ツカサの指先が肩甲骨に触れて、意識がそこに集中してしまう。
涼先生のときはこんなに意識しなかったのに――
そんなことを考えていると、
「翠、顎引いて視線上げて。腰が引けてるのもどうにかして。背筋はきれいに伸ばすこと。できることなら百合の花びらみたいに少し反るくらいがベスト」
ひとつひとつ指摘されて、ようやくポジションをキープできる私はなんとも居たたまれない。
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