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June
十八歳の誕生日 Side 司 01-01話
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公園を一周して駅ビルへ戻ると、次なる目的地、本屋へ向かった。
エスカレーターで八階まで上がると、翠は目を丸くしてフロアを見回す。
「広いとは聞いていたのだけど、ワンフロア全部本屋さんなのね?」
どうやら、藤倉のデパートや楽器店に来ることがあっても、駅ビルへ立ち寄ることはなかったらしい。聞くところによると、駅ビルへ来たのはバレンタインのとき一度のみとのこと。
翠がよく行く本屋は、幸倉と藤倉の間にあるショッピングモール内の本屋。そこは趣味関連の書籍は充実しているが、そのほかは幅広く新刊が取り揃えられている程度だという。
「本屋には地域性が表れると思う。この本屋は趣味に関する本は浅く広くの取り扱い。でも、中高の参考書や専門書関連は豊富。ほか、売れてる小説は初刊から最新巻まで揃っていると思う」
フロア案内板の前でそんな説明をすると、
「ツカサが見るのは医学専門書?」
「藤倉キャンパスには医学部がないから、ここはそれほど医学書は置いてない。医学書が揃っているのは支倉駅の本屋」
「……そっか。藤倉のキャンパスには医学部がないのね。ツカサも大学に受かったら支倉でひとり暮らしをするの?」
「司も」ということは、姉さんか栞さん、兄さんあたりにひとり暮らしのことを聞いたのだろう。
「一年目は藤倉キャンパスで一般教養を中心に勉強する。二年目から支倉キャンパスに移るから、支倉でひとり暮らしをする予定」
翠は少し沈黙してから口を開いたが、何を言うこともなく口を閉じた。
「翠の進路は?」
何気なく訊いたことだったが、翠は少しの動揺を見せた。
「まだ決まってなくて、先週配られた進路調査票もまだ提出してない……。そろそろ決めないとだめだよね。……ツカサ、本屋さんは別行動にしよう? 一時間したらここで待ち合わせ」
そう言って、翠はほどよく混雑した店内に姿を消した。
別行動が始まっても俺の意識は翠へ向く。なぜなら、昨夜のうちに御園生さんから注意事項の連絡があったからだ。
翠は本屋に入ると、本に夢中になって立ちっぱなしでいることを忘れるらしい。そうして脳貧血を起こすことが多々あるという。
そんなバカな話があるか、と思いはしたが、御園生さんは正しかった。
進路の手引き書を手にしてからすでに十分。そろそろ血圧が下がり始めてもおかしくない。
俺は背後から近寄り翠に声をかけた。
「ん?」
「少しは動け。血圧が下がる」
「あ……」
翠は今気づいたふうで携帯を取り出す。ディスプレイには七十台後半の数値が並んでいた。
「ごめん……ありがとう」
「……それ、今だけ預からせてくれるなら、数値見ながら声かけるけど?」
「え? でも……それじゃツカサが本を見られないんじゃ――」
「脳貧血で倒れられるよりはいい」
翠の手から携帯を取り上げ自分の携帯を押し付けると、翠は申し訳なさそうに「ごめんね、ありがとう」と店内を歩きだした。こういうところで、「申し訳ないからいい」と拒否されなくなったあたり、少しは甘えてもらえるようになったのだろうか。
……これが「甘え」に入るか――否、「甘え」には入らないだろう。なら何か……。
「身内」を頼りにするのと同等の信頼関係――たぶん、そんなところ。
その後、翠の血圧数値が八十を切るか切らないか、というところまで落ち込むと携帯を鳴らす、という方法で翠を動かしていた。
遠目に見ていたところ、翠は趣味のカメラコーナーと進路に関係しそうな場所を交互に移動して本を物色していた。それは三十分が経過する前に終わる。
翠の手には本が二冊。繰り返し見ていた進路の手引き書と、写真集らしきサイズの本。それらを持ってレジへ向かうところを見ると、買う本を決めたのだろう。レジに並ぶ翠を見て、俺も数冊の本を手にレジへ向かった。
血圧が下がりきる前には動いていた。しかし、翠の血圧は八十を維持できなくなってきている。
本屋を出て体調を尋ねると、
「少し疲れたのかな……」
「なら、休憩」
翠の手を取ると、いつもよりも冷たく感じた。もしかしたら店内のエアコンで冷えたのかもしれない。手近にソファがあったがそこは通り過ぎ、一階にあるオープンカフェまで行くことにした。
カフェに入るとテラス席に翠を座らせ、二人分の飲み物をカウンターへオーダーしにいく。
自分にコーヒーと翠にホットルイボスティーを持って戻ると、テーブルに百円玉が四枚、五十円玉が一枚。それらが横一列きれいに並べられていた。計四百五十円、それはホットルイボスティーの金額と同じ。つまりは払う、ということなのだろう。
トレイを置くと、翠は「ありがとう」と言ってティーポットとカップをテーブルへ移動させた。
俺は小銭を財布に入れながら、
「血の気が下がる感じは?」
「座ったら落ち着いた。だから携帯――」
「却下。マンションに戻るまでこのままで」
翠は苦笑する。
「ツカサも過保護ね? まるで蒼兄みたい。そこまで気を遣ってくれなくても大丈夫だよ?」
「大丈夫って保証はないから却下」
翠の携帯をテーブルの端に置くと、翠は小さくため息をついて諦めたようだ。
「ツカサはなんの本を買ったの?」
「母さんに頼まれていたレシピ本と経済に関する本。翠は?」
「植物の育て方が書かれている本なのだけど、本に載っている写真がかわいくて……」
と、買ったばかりの本を見せてくれた。タイトルには「多肉植物の育て方」と書かれている。どうやら、俺が写真集だと思った本はこれだったらしい。
「この間、高崎さんに多肉植物をいただいたの。葉が水をたくさん含んでいて、ぷっくりとした感じがとてもかわいいの」
翠は本をパラパラとめくり、「あ、この子!」とひとつの植物を指差した。
「水遣りも月に数回でいいみたい」
粗方の育て方をレクチャーされたあと、
「ツカサは小さいころからお医者様になりたかったの?」
急な話題変更に、翠が買ったもう一冊を意識する。
「物心ついたころには医者になるものだと思ってた」
翠はクスクスと笑い、
「なりたい、を飛ばしてなるものだと思っていた、ってところがツカサっぽいね」
「翠は?」
「……悩んでる。将来の職業につながりそうな何か、はまだ見つかっていないの。お父さんたちは好きなことを勉強していいって言ってくれているのだけど、好きなことを職業にできるかはわからなくて」
「好きなことって?」
「勉強してみたいのは音楽とカメラ、あとは植物も気になってる。でも、その道の仕事に就けるかは別問題だから」
確かに、音楽とカメラ、という分野は特殊ではあるだろう。それでも、
「それらがほかと大きく異なるわけではないと思う。どんな職業であっても、資格が取れたところで就職が決まるわけじゃないだろ」
ごく当たり前のことを言ったつもりだった。しかし、翠は目をパチパチと瞬かせ、
「目から鱗……。そっか、そうだよね」
と、新たなことでも知ったような顔を見せる。
「それに、翠は静さんと契約しているんだ。ひとつはすでに仕事を得ているだろ」
「あ……」
この、「きれいさっぱり忘れてました」感……。静さんに言いつけたくなる。
「それならカメラの勉強をしたほうがいいのかな……」
「だからさ、そうやって選択肢を狭める必要はないだろ?」
こんな話をしながら三十分ほど休憩すると、翠が行きたがっていた雑貨屋に寄ってマンションまで帰ってきた。
まだ夕方前だったこともあり、うちでティータイムにしようと話はしたが、翠はバスに乗っているときからどこかうわの空だった。
もしかしたら、進路のことを考えているのかもしれない。
玄関を開け先に中へ入ったものの、翠は玄関先でぼーっとしたまま。
翠の手首を掴み引き寄せると、翠ははっとした表情で手を引いた。
「ツカサっ、私、高崎さんに訊きたいことがあるから今日はもう帰るねっ」
そう言って踵を返した。
俺は閉まった玄関ドアに唖然とする。
翠は今日がどんな日であるかの認識が甘すぎると思う。
今日は翠の誕生日を祝う日なのに、俺はまだ「おめでとう」も言ってなければプレゼントすら渡していない。きっと日が暮れる前にはマンションへ帰ってこられるだろう。そう思っていたからこそ、マンションにプレゼントを用意していた。さらには多少は甘い展開を期待していたわけで……。
帰宅して早々、玄関にしゃがみこむ羽目になるとは思いもしなかった。
エスカレーターで八階まで上がると、翠は目を丸くしてフロアを見回す。
「広いとは聞いていたのだけど、ワンフロア全部本屋さんなのね?」
どうやら、藤倉のデパートや楽器店に来ることがあっても、駅ビルへ立ち寄ることはなかったらしい。聞くところによると、駅ビルへ来たのはバレンタインのとき一度のみとのこと。
翠がよく行く本屋は、幸倉と藤倉の間にあるショッピングモール内の本屋。そこは趣味関連の書籍は充実しているが、そのほかは幅広く新刊が取り揃えられている程度だという。
「本屋には地域性が表れると思う。この本屋は趣味に関する本は浅く広くの取り扱い。でも、中高の参考書や専門書関連は豊富。ほか、売れてる小説は初刊から最新巻まで揃っていると思う」
フロア案内板の前でそんな説明をすると、
「ツカサが見るのは医学専門書?」
「藤倉キャンパスには医学部がないから、ここはそれほど医学書は置いてない。医学書が揃っているのは支倉駅の本屋」
「……そっか。藤倉のキャンパスには医学部がないのね。ツカサも大学に受かったら支倉でひとり暮らしをするの?」
「司も」ということは、姉さんか栞さん、兄さんあたりにひとり暮らしのことを聞いたのだろう。
「一年目は藤倉キャンパスで一般教養を中心に勉強する。二年目から支倉キャンパスに移るから、支倉でひとり暮らしをする予定」
翠は少し沈黙してから口を開いたが、何を言うこともなく口を閉じた。
「翠の進路は?」
何気なく訊いたことだったが、翠は少しの動揺を見せた。
「まだ決まってなくて、先週配られた進路調査票もまだ提出してない……。そろそろ決めないとだめだよね。……ツカサ、本屋さんは別行動にしよう? 一時間したらここで待ち合わせ」
そう言って、翠はほどよく混雑した店内に姿を消した。
別行動が始まっても俺の意識は翠へ向く。なぜなら、昨夜のうちに御園生さんから注意事項の連絡があったからだ。
翠は本屋に入ると、本に夢中になって立ちっぱなしでいることを忘れるらしい。そうして脳貧血を起こすことが多々あるという。
そんなバカな話があるか、と思いはしたが、御園生さんは正しかった。
進路の手引き書を手にしてからすでに十分。そろそろ血圧が下がり始めてもおかしくない。
俺は背後から近寄り翠に声をかけた。
「ん?」
「少しは動け。血圧が下がる」
「あ……」
翠は今気づいたふうで携帯を取り出す。ディスプレイには七十台後半の数値が並んでいた。
「ごめん……ありがとう」
「……それ、今だけ預からせてくれるなら、数値見ながら声かけるけど?」
「え? でも……それじゃツカサが本を見られないんじゃ――」
「脳貧血で倒れられるよりはいい」
翠の手から携帯を取り上げ自分の携帯を押し付けると、翠は申し訳なさそうに「ごめんね、ありがとう」と店内を歩きだした。こういうところで、「申し訳ないからいい」と拒否されなくなったあたり、少しは甘えてもらえるようになったのだろうか。
……これが「甘え」に入るか――否、「甘え」には入らないだろう。なら何か……。
「身内」を頼りにするのと同等の信頼関係――たぶん、そんなところ。
その後、翠の血圧数値が八十を切るか切らないか、というところまで落ち込むと携帯を鳴らす、という方法で翠を動かしていた。
遠目に見ていたところ、翠は趣味のカメラコーナーと進路に関係しそうな場所を交互に移動して本を物色していた。それは三十分が経過する前に終わる。
翠の手には本が二冊。繰り返し見ていた進路の手引き書と、写真集らしきサイズの本。それらを持ってレジへ向かうところを見ると、買う本を決めたのだろう。レジに並ぶ翠を見て、俺も数冊の本を手にレジへ向かった。
血圧が下がりきる前には動いていた。しかし、翠の血圧は八十を維持できなくなってきている。
本屋を出て体調を尋ねると、
「少し疲れたのかな……」
「なら、休憩」
翠の手を取ると、いつもよりも冷たく感じた。もしかしたら店内のエアコンで冷えたのかもしれない。手近にソファがあったがそこは通り過ぎ、一階にあるオープンカフェまで行くことにした。
カフェに入るとテラス席に翠を座らせ、二人分の飲み物をカウンターへオーダーしにいく。
自分にコーヒーと翠にホットルイボスティーを持って戻ると、テーブルに百円玉が四枚、五十円玉が一枚。それらが横一列きれいに並べられていた。計四百五十円、それはホットルイボスティーの金額と同じ。つまりは払う、ということなのだろう。
トレイを置くと、翠は「ありがとう」と言ってティーポットとカップをテーブルへ移動させた。
俺は小銭を財布に入れながら、
「血の気が下がる感じは?」
「座ったら落ち着いた。だから携帯――」
「却下。マンションに戻るまでこのままで」
翠は苦笑する。
「ツカサも過保護ね? まるで蒼兄みたい。そこまで気を遣ってくれなくても大丈夫だよ?」
「大丈夫って保証はないから却下」
翠の携帯をテーブルの端に置くと、翠は小さくため息をついて諦めたようだ。
「ツカサはなんの本を買ったの?」
「母さんに頼まれていたレシピ本と経済に関する本。翠は?」
「植物の育て方が書かれている本なのだけど、本に載っている写真がかわいくて……」
と、買ったばかりの本を見せてくれた。タイトルには「多肉植物の育て方」と書かれている。どうやら、俺が写真集だと思った本はこれだったらしい。
「この間、高崎さんに多肉植物をいただいたの。葉が水をたくさん含んでいて、ぷっくりとした感じがとてもかわいいの」
翠は本をパラパラとめくり、「あ、この子!」とひとつの植物を指差した。
「水遣りも月に数回でいいみたい」
粗方の育て方をレクチャーされたあと、
「ツカサは小さいころからお医者様になりたかったの?」
急な話題変更に、翠が買ったもう一冊を意識する。
「物心ついたころには医者になるものだと思ってた」
翠はクスクスと笑い、
「なりたい、を飛ばしてなるものだと思っていた、ってところがツカサっぽいね」
「翠は?」
「……悩んでる。将来の職業につながりそうな何か、はまだ見つかっていないの。お父さんたちは好きなことを勉強していいって言ってくれているのだけど、好きなことを職業にできるかはわからなくて」
「好きなことって?」
「勉強してみたいのは音楽とカメラ、あとは植物も気になってる。でも、その道の仕事に就けるかは別問題だから」
確かに、音楽とカメラ、という分野は特殊ではあるだろう。それでも、
「それらがほかと大きく異なるわけではないと思う。どんな職業であっても、資格が取れたところで就職が決まるわけじゃないだろ」
ごく当たり前のことを言ったつもりだった。しかし、翠は目をパチパチと瞬かせ、
「目から鱗……。そっか、そうだよね」
と、新たなことでも知ったような顔を見せる。
「それに、翠は静さんと契約しているんだ。ひとつはすでに仕事を得ているだろ」
「あ……」
この、「きれいさっぱり忘れてました」感……。静さんに言いつけたくなる。
「それならカメラの勉強をしたほうがいいのかな……」
「だからさ、そうやって選択肢を狭める必要はないだろ?」
こんな話をしながら三十分ほど休憩すると、翠が行きたがっていた雑貨屋に寄ってマンションまで帰ってきた。
まだ夕方前だったこともあり、うちでティータイムにしようと話はしたが、翠はバスに乗っているときからどこかうわの空だった。
もしかしたら、進路のことを考えているのかもしれない。
玄関を開け先に中へ入ったものの、翠は玄関先でぼーっとしたまま。
翠の手首を掴み引き寄せると、翠ははっとした表情で手を引いた。
「ツカサっ、私、高崎さんに訊きたいことがあるから今日はもう帰るねっ」
そう言って踵を返した。
俺は閉まった玄関ドアに唖然とする。
翠は今日がどんな日であるかの認識が甘すぎると思う。
今日は翠の誕生日を祝う日なのに、俺はまだ「おめでとう」も言ってなければプレゼントすら渡していない。きっと日が暮れる前にはマンションへ帰ってこられるだろう。そう思っていたからこそ、マンションにプレゼントを用意していた。さらには多少は甘い展開を期待していたわけで……。
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