光のもとで2

葉野りるは

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April(翠葉:高校2年生)

メール友達 Side 司 01話

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 合同会議が終わって翠に声をかけようとしたとき、翠は何かに気づいたような素振りで携帯を手に取った。いくつかの操作をしたあと、ディスプレイを見てわずかに表情を緩める。
 俺には、とても嬉しそうに笑っているように見えた。
 友達からのメールかもしれない。けれど、秋兄からのメールだろうか、と勘繰る自分もいた。
「翠、図書室に戻って明日の賞状の枚数チェック」
「あ、はいっ」
「メール?」
「うん」
「……秋兄から?」
「ううん、鎌田くんから」
 意表をつかれるとはこのことか……。
 鎌田とは、翠の中学の同級生。去年、紅葉祭に来て再会を果たしたようだが、初めて会う俺ですらわかった。翠のことが好きなのだと。
 だが、翠がそのことに気づいているかは怪しい限りだ。
「見て? 猫の餌付けに成功したんだって」
 無邪気に笑って携帯を見せてくる様に、「怪しい」を上回るかもしれない、と思う。
 見せられたディスプレイには人の手と煮干、トラ猫が写っていた。たったそれだけの写真を翠は嬉しそうに眺めて話す。
「なんの用があって?」
「え? 用……?」
 その表情から察する。これといった用もなくメールのやり取りをしているのだと。
「用があるからメールのやり取りしてるんじゃないの?」
 わかっていながら訊くのはなぜか――……決まっている。単なる嫉妬だ。
「用はない、かな? いつもお互いの近況報告みたいな感じだし……」
「……それ、楽しい?」
「うん。鎌田くん、写真を添付してくれたりするから」
 翠があまりにも屈託なく笑うものだから、俺は素っ気ない態度で翠を置き去りにした。
 ……近況報告で何をそんなに話すことがあるのか。
 思考をめぐらせようとするものの、めぐらせるものが何ひとつ出てこない。
 それどころか、メールのやり取りは頻繁なのか、と些細なことまで気になる始末だ。
 俺はむしゃくしゃした気持ちを抱えたまま図書室へ戻った。

 今の時期、まだ一年のメンバーが就任していないため、図書室で作業するのは二年と三年の生徒会メンバーのみ。
 先日のミーティングで一年の選出は粗方決まった。あとは五月半ばにある中間考査の結果を見て確定する。
 飛翔と飛竜には打診済み。残るひとりを外部生にするか内進生にするかで少し迷っている。
 内進生なら小暮こぐれが濃厚。進級試験の順位は二十位以内だったが、今までの小暮からすると点数が低めだ。中間考査で持ち直せば問題ないが、このまま下がっていくようならば他者を推薦する必要が出てくる。
 この時期の中間考査は外部生を強く意識するため、内進生はピリピリしている。その状況下で結果を出せるかどうか――

 俺はなるべく関係ないことを考えながら球技大会の準備をしていた。粗方準備が済むと、
「優太はこのあと部活?」
「そう、大会までもう日がないからね」
 嵐と優太の会話に顔を上げた翠が、
「ツカサも? ツカサも弓道の試合ある?」
 食いつくような勢いで俺に話を振ってきた。
「去年と同じ」
「試合、見にいってもいい?」
「別にかまわない。時間と場所も去年と同じ」
 翠を見るとどうしてもメールのことを思い出してしまう。結果、俺は早々に部活へ行くことにした。

 部活が終わって部室棟へ戻ってくると、テニス部の引き上げ時間と重なった。
「あ、司! このあと着替えたら帰るんだろ?」
「そうだけど」
「じゃ、たまには一緒に帰ろうぜ。着替えたら外で待ってるからさ」
 海斗は俺の返事を聞かずにテニス部の部室へと姿を消した。
 どうせ帰る方向は同じだし、返事をしてもしなくても海斗が待っているのなら必然と一緒に帰ることになるだろう。
 着替えを済ませ部室棟を出ると、階段の下で海斗が待っていた。
「うっす、お疲れ! 帰ろうぜ!」
「言われなくても帰る」
「……司、俺が待ってなかったら俺のこと置いて帰るつもりだっただろ?」
「さぁな……」
 自転車に跨り芝生広場を走り始めると、海斗がひょんなことを言いだした。
「おまえさ、翠葉と連絡取ってるの?」
「は?」
 並走する海斗の言わんとすることがわからない。
 連絡など取らなくても学校へ行けば会うわけで、そのときに話せば事足りることが大半だ。
「最近、翠葉とどうよ?」
 質問の意図が汲み取れない。
「別にどうもしないけど……」
 海斗はこの返答では納得しないらしい。少しいらっとした様子で、
「デートは? した?」
 取り立ててどこかへ出かけるということはしていない。翠との会話でそんな話題があがったこともない。でも、それに何か問題があるのだろうか。
「その顔……。デートもしてないって感じ? しかも、俺何も悪いことしてないし、問題ないだろって顔」
 海斗は呆れた顔でため息をついてみせた。
 事実、何も悪いことはしていないし、問題だって起きてはいない。
「もし翠葉がほかの男好きになったらどうすんの?」
 少し混乱し始めた頭を整理するために無言を保つ。と、
「まさか、そういうこと考えてなかった口?」
「いや、秋兄に対する危機感なら常日ごろから考えてはいるけど……」
「おまえさ、男が秋兄だけと思うなよ? 学校には男なんていくらでもいるんだから。さらには、翠葉にはメール友達だっているんだからな? おまえらメールや電話してるの?」
「必要があれば」
「はぁ……あれだな。翠葉が司のもとを去る日も近いかもな……」
 どうしてそうなる……?
「司と翠葉、コミュニケーション足りてないんじゃない? もう少し翠葉のことかまってみたら?」
「……かまうって何」
「つまり、電話かけたりメール送ったり、休みの日にデートしたり」
 海斗が言わんとすることを理解できないまま家に着いた。

「おかえりなさい」
「ただいま」
「あと少しでご飯だから少しだけ待ってね」
「わかった」
 二階で着替えを済ませて下りてくると、俺はハナに声をかけた。が、反応は薄い。
 ソファから下りる気がないどころか、顔をこちらに向けるのも億劫なほどに機嫌が悪いらしい。
 心当たりならひとつある。
 帰ってきたとき、母さんには声をかけたがハナには声をかけなかった――それのみ。
「はいはい、ただいまただいま」
 言いながらハナを抱っこする。と、多少機嫌が直ったらしく、ペロリ、と口元を舐められた。
「ハナ、そこに座ってこっち向いて静止」
 毛足が長いラグの上に座らせ、俺は携帯で写真を撮る。
 携帯が音を発したタイミングでハナが俺に寄ってきた。俺の膝に上がりこんでは携帯のディスプレイを覗き見る。まるで、写り具合を確かめるように。
 写り映えは上々。
「いいんじゃない?」
 その一言はハナの癇に障ったらしく、ツンと澄ました様子でキッチンへ行ってしまった。相変わらず感情の起伏が激しい犬である。

 夕飯はボンゴレとサラダ。ランチョンマットの上に置かれたそれらも写真に撮る。
「あら、夕飯の写真なんて撮ってどうするの?」
「……近況報告用」
「え? 近況報告用?」
「深く考えなくていいから」
 ハナの写真と夕飯の写真があれば話題はふたつになる。しかし、このふたつをどう掘り下げたらいいものか……。
「……母さんの近況報告って何がある?」
「え?」
「近況報告」
「……近況報告、ねぇ……。お庭のお花、カランコエとクレマチス、沈丁花が咲いたわ。玄関に沈丁花をいけたのだけど、香り、どうだった?」
「いい香りだった」
「あとは……先日届いたネモフィラを植えたの。青くてかわいいお花よ。……お昼ご飯にはスコーンを焼いて生ハムを入れたサラダを一緒に食べたわ。夕方前にハナとお散歩に出て、庵でお父様とコーヒーを飲んで帰ってきたの。……近況報告を訊かれても、このくらいしか……。でも、どうして?」
 母さんの質問には答えられそうになく、
「ただ訊いてみただけ」
 そのあとは黙々と夕飯を食べ、早々に二階へ上がった。


 ――「用はない、かな? いつもお互いの近況報告みたいな感じだし……」。
 翠の言葉を反芻するからこそ、その近況報告とやらを考えている。
「……俺の近況報告って?」
 市場の動向チェックに株価チャート――いや、これは自分の近況報告にはなり得ない。自分の近況報告……。
 とくにこれといって取りざたすものがない。ハナに纏わるものなら書ける気がしなくはないが……。
 俺はパソコンの電源を入れ、メモ帳を起動させた。
 思いつくままにハナのプロフィールから性格、嗜好、行動パターンを書き出していく。季節は春と秋が好きで、夏の暑さと冬の寒さが大の苦手であること。ヒエラルキーの頂点には母さんがいること。一日の大半を寝て過ごし、父さんの書斎がお気に入りであること。
 あれこれ書き足していくと、それなりの分量になった。それらを簡潔にまとめ見やすくする。
「……こんなところか?」
 今までこれほど内容の詰まったメールをしたことはない。
 これに夕飯の写真とハナの写真を添えて――
 ふと先の母さんの言葉を思い出し、玄関にあった沈丁花の写真を撮りに下りた。下りたついでにボンゴレのレシピノートも借りてくる。
 ハナの写真にはハナのプロフィールを。夕飯の写真にはレシピを。沈丁花の写真には、香りの感想。これだけ書いてあれば十分だろう。
 俺はメール画面を起動し、翠宛てにそれらを送った。直後、
「司、お風呂にお湯が入ったわ」
 母さんが部屋にやってきた。
「母さん、レシピ帳ありがとう」
 ノートを手渡すと、
「どういたしまして。……あら、それなぁに?」
 母さんが覗き込んだのは、メールの下書きに使ったメモ帳だった。
「……ハナの生態? ……というよりは、ハナの取り扱い説明書かしら?」
 言われて気づく。メモ帳に書かれているそれらはハナのプロフィールであり、ハナの取り扱い説明書でしかない。続けて書かれているのは単なる料理のレシピだ。
 唯一、自身の感想を伴うものがあるとすれば、沈丁花の香りに関することのみ。
「……母さん、一通メールを出したら風呂に入る」
 俺は母さんを部屋から追い出し、すぐに翠へメールを送った。
「一通前のメールは読まずに削除して」という件名の、本文が空のメールを――
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