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March
害虫認定→害虫駆除 Side 司 02話
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本を読み始めて十分ほどすると背後でドアの開く音がした。
翠がピアノを弾くのをやめると同時、そちらに視線を向ける。と、
「なんだよこれ……。部屋っていうかホールじゃんか!」
見たことのない男がオーバーリアクションで入ってきた。
これが芸大で再会したという男なのだろう。
第一印象は声がでかくてうるさそうな男。
実に近づきたくない類の人間だ。
鎌田を受け入れられた理由のひとつに「物静かで穏やかな人間だったから」があるとしたら、これは受け入れられない類の人間ではないだろうか。
その男は部屋に入って数歩で仙波さんに捕獲され、洗面台へ連行された。
視線をピアノ前の翠に移そうとしたそのとき、翠が小走りでやってきた。
「走るな」
「ほんの三、四メートルだもの」
距離は関係ない、と何度言わせたら気が済むんだか……。
テーブルに置かれたカップを口へ運び、現在手洗いうがいを強要させられている人物のことをたずねることにした。
「あれ、うるさい?」
「……ツカサ、それはどうかと思うの」
翠が珍しくもものすごく呆れた顔をしたから、
「いや、なんか海斗臭がしたから」
「あー……確かに。ちょっとノリとか話し方とか似てるかも?」
やっぱり……。
途端に面倒臭いという思いが増す。
できれば関わりたくない。でも、翠が関わる人間なら、どんな人間なのかくらいは確認しておきたい。
もっと言うなら、翠に好意を寄せているのかそうでないのかくらいの判断はしておきたいところ。
さっきこの部屋に入ってきたとき、翠を視界に入れたあの男は妙に嬉しそうな顔をしていた。
それが再会の喜びによるものなのか、恋愛的な意味が含まれるのか。
取り越し苦労で済めばいいけど、なんとなく後者である気がして気が抜けない。
手洗いうがいを済ませたふたりがソファまで来ると、
「司くん、こんばんは。こちら、倉敷芸術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻の倉敷慧くん。芸大祭に御園生さんを呼んだとき、ふたりを引き合わせたんです。どうやら、僕が紹介するまでもなく、小学生のころに出逢っていたようですが」
それはつまり、仙波さんが間に入らなければ再会にはいたらなかったわけで、何余計なことをしてくれたんだ、と思わなくもない。
仙波さんに促された倉敷という男は、挨拶にはふさわしくない表情で「倉敷慧」と名前だけを口にした。
仙波さんの紹介内容が気に食わなかったというわけではないのだろう。この突き刺さるような視線の意味は、考えるまでもなく「敵対心」や「対抗心」。
しかし、そんなことをまるで察知できない翠は、
「慧くん、どこか具合でも悪いの?」
などと声をかける。
それに吹き出したのは仙波さんだった。
「え? 先生どうし――」
「いえ、なんでもありません。慧くん、仏頂面が過ぎますよ」
仙波さんはクスクスと笑いながら注意を促す。すると倉敷は、
「うっせ」
ほんのりと頬を染め、おもむろに視線を逸らした。
……害虫決定。
俺は即座に立ち上がり、普段使わない表情筋をフル稼働させる。
両方の口角を引き上げ、
「翠の婚約者の藤宮司です」
にこりと笑みを添えて見せる。と、倉敷は一瞬にして視線を戻した。
どうも、害虫さん。自分、動物は好きだけど昆虫はあまり好きじゃないし、害虫は徹底して排除する性質なんで、どうぞ今後の参考になさってください。
笑みを貼り付けたまま視線を交わすと、横からも視線を感じてそちらに視線を移す。と、翠が不安そうに俺を見上げていた。
あぁ、翠に「フィアンセです」って紹介させるつもりだったっけ……。でも、もう自分で言っちゃったし……。この場合、翠に対するペナルティーは発生するのかしないのか。
ひとまず笑みでも向けておけば、翠が勝手に勘違いしてくれるだろう。
そう思ってにこりと笑みを深めると、翠はブルブルと身を震わせ、竦み上がってしまった。
そんな視線のやり取りを邪魔したのは仙波さんの声だった。
「お付き合いなさってるというお話は以前うかがいましたが、本当は婚約者? それとも、婚約したのは最近の話ですか?」
さぁ、どうする?
そんな視線を翠へ投げると、翠は仙波さんからの質問にいっぱいいっぱいになりつつも、慌てて口を開いた。
「あああああのっ、実は、ツカサの卒業を機に婚約したんですっ」
必死すぎる翠にこみ上げる笑いを懸命に堪えていると、視界から倉敷がフレームアウトした。
なんとなしに視線をずらすと、前方の男は頭を抱えてしゃがみこんでいた。
つまり、そのくらいの打撃は与えられたと思っていいだろうか。
「慧くん大丈夫っ!? やっぱり具合悪いっ!? 何か飲み物持ってきてもらうっ!? それともソファに横になるっ!?」
好きな女に全力で見当違いな心配されてるとか、本当気の毒なやつ……。
どうやって翠を回収しようか考えていると、心配している翠の前に仙波さんが割り込んだ。
「御園生さん、大丈夫ですよ。虫の居所が悪いだけですから。ね、慧くん?」
あぁ、この人は倉敷の気持ちを知ってるうえで、翠に気づかせようとしている人間か?
面倒な人間がひとり増えたな……。
でも、ご愁傷様。
これは腐っても翠なわけで、そんな匂わせるような言い方をしたところで気づくわけがない。翠の鈍感は筋金入りなのだから。
仙波さんは時刻を確認すると、倉敷に向かって話し出した。
「僕たちはこれからレッスンなので、おとなしく座っていられるならこの場にいてもかまいませんが、静かにできないのなら、今すぐこの部屋から出てくださいね」
と。
倉敷は、コクコクと頷き、俺から一番離れた場所へ腰掛けた。
仙波さんと翠がピアノへ移動しようとすると、途端に倉敷が両手を使ってジェスチャーを始める。
それに気づいた翠は、
「あっ、スコアっ!? これっ!」
と、先ほどのスコアを手渡しピアノの前に収まった。しかしまだ、倉敷の様子を気にしているようだ。
そんな翠の意識をレッスンへ向けようとしたのか、仙波さんが声をかけると、
「え? あ、はい……先生、本当に慧くん大丈夫でしょうか?」
「大丈夫ですよ。今、御園生さんがちょうどいい餌――いえ、精神安定剤を与えてくれましたからね」
今の絶対、「餌」のほうが本音だろう?
その一言で鬼畜認定したわけだけど、さらに鬼畜っぽい言葉が追加された。
「それより、これからレッスンですよ? ほかのことなど考えようものなら今日のレッスンは中止にしますので、そのつもりで」
翠、意外と変な人間にピアノを習ってたんだな。
それが、仙波さんに対する第二印象だった。
翠がピアノを弾くのをやめると同時、そちらに視線を向ける。と、
「なんだよこれ……。部屋っていうかホールじゃんか!」
見たことのない男がオーバーリアクションで入ってきた。
これが芸大で再会したという男なのだろう。
第一印象は声がでかくてうるさそうな男。
実に近づきたくない類の人間だ。
鎌田を受け入れられた理由のひとつに「物静かで穏やかな人間だったから」があるとしたら、これは受け入れられない類の人間ではないだろうか。
その男は部屋に入って数歩で仙波さんに捕獲され、洗面台へ連行された。
視線をピアノ前の翠に移そうとしたそのとき、翠が小走りでやってきた。
「走るな」
「ほんの三、四メートルだもの」
距離は関係ない、と何度言わせたら気が済むんだか……。
テーブルに置かれたカップを口へ運び、現在手洗いうがいを強要させられている人物のことをたずねることにした。
「あれ、うるさい?」
「……ツカサ、それはどうかと思うの」
翠が珍しくもものすごく呆れた顔をしたから、
「いや、なんか海斗臭がしたから」
「あー……確かに。ちょっとノリとか話し方とか似てるかも?」
やっぱり……。
途端に面倒臭いという思いが増す。
できれば関わりたくない。でも、翠が関わる人間なら、どんな人間なのかくらいは確認しておきたい。
もっと言うなら、翠に好意を寄せているのかそうでないのかくらいの判断はしておきたいところ。
さっきこの部屋に入ってきたとき、翠を視界に入れたあの男は妙に嬉しそうな顔をしていた。
それが再会の喜びによるものなのか、恋愛的な意味が含まれるのか。
取り越し苦労で済めばいいけど、なんとなく後者である気がして気が抜けない。
手洗いうがいを済ませたふたりがソファまで来ると、
「司くん、こんばんは。こちら、倉敷芸術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻の倉敷慧くん。芸大祭に御園生さんを呼んだとき、ふたりを引き合わせたんです。どうやら、僕が紹介するまでもなく、小学生のころに出逢っていたようですが」
それはつまり、仙波さんが間に入らなければ再会にはいたらなかったわけで、何余計なことをしてくれたんだ、と思わなくもない。
仙波さんに促された倉敷という男は、挨拶にはふさわしくない表情で「倉敷慧」と名前だけを口にした。
仙波さんの紹介内容が気に食わなかったというわけではないのだろう。この突き刺さるような視線の意味は、考えるまでもなく「敵対心」や「対抗心」。
しかし、そんなことをまるで察知できない翠は、
「慧くん、どこか具合でも悪いの?」
などと声をかける。
それに吹き出したのは仙波さんだった。
「え? 先生どうし――」
「いえ、なんでもありません。慧くん、仏頂面が過ぎますよ」
仙波さんはクスクスと笑いながら注意を促す。すると倉敷は、
「うっせ」
ほんのりと頬を染め、おもむろに視線を逸らした。
……害虫決定。
俺は即座に立ち上がり、普段使わない表情筋をフル稼働させる。
両方の口角を引き上げ、
「翠の婚約者の藤宮司です」
にこりと笑みを添えて見せる。と、倉敷は一瞬にして視線を戻した。
どうも、害虫さん。自分、動物は好きだけど昆虫はあまり好きじゃないし、害虫は徹底して排除する性質なんで、どうぞ今後の参考になさってください。
笑みを貼り付けたまま視線を交わすと、横からも視線を感じてそちらに視線を移す。と、翠が不安そうに俺を見上げていた。
あぁ、翠に「フィアンセです」って紹介させるつもりだったっけ……。でも、もう自分で言っちゃったし……。この場合、翠に対するペナルティーは発生するのかしないのか。
ひとまず笑みでも向けておけば、翠が勝手に勘違いしてくれるだろう。
そう思ってにこりと笑みを深めると、翠はブルブルと身を震わせ、竦み上がってしまった。
そんな視線のやり取りを邪魔したのは仙波さんの声だった。
「お付き合いなさってるというお話は以前うかがいましたが、本当は婚約者? それとも、婚約したのは最近の話ですか?」
さぁ、どうする?
そんな視線を翠へ投げると、翠は仙波さんからの質問にいっぱいいっぱいになりつつも、慌てて口を開いた。
「あああああのっ、実は、ツカサの卒業を機に婚約したんですっ」
必死すぎる翠にこみ上げる笑いを懸命に堪えていると、視界から倉敷がフレームアウトした。
なんとなしに視線をずらすと、前方の男は頭を抱えてしゃがみこんでいた。
つまり、そのくらいの打撃は与えられたと思っていいだろうか。
「慧くん大丈夫っ!? やっぱり具合悪いっ!? 何か飲み物持ってきてもらうっ!? それともソファに横になるっ!?」
好きな女に全力で見当違いな心配されてるとか、本当気の毒なやつ……。
どうやって翠を回収しようか考えていると、心配している翠の前に仙波さんが割り込んだ。
「御園生さん、大丈夫ですよ。虫の居所が悪いだけですから。ね、慧くん?」
あぁ、この人は倉敷の気持ちを知ってるうえで、翠に気づかせようとしている人間か?
面倒な人間がひとり増えたな……。
でも、ご愁傷様。
これは腐っても翠なわけで、そんな匂わせるような言い方をしたところで気づくわけがない。翠の鈍感は筋金入りなのだから。
仙波さんは時刻を確認すると、倉敷に向かって話し出した。
「僕たちはこれからレッスンなので、おとなしく座っていられるならこの場にいてもかまいませんが、静かにできないのなら、今すぐこの部屋から出てくださいね」
と。
倉敷は、コクコクと頷き、俺から一番離れた場所へ腰掛けた。
仙波さんと翠がピアノへ移動しようとすると、途端に倉敷が両手を使ってジェスチャーを始める。
それに気づいた翠は、
「あっ、スコアっ!? これっ!」
と、先ほどのスコアを手渡しピアノの前に収まった。しかしまだ、倉敷の様子を気にしているようだ。
そんな翠の意識をレッスンへ向けようとしたのか、仙波さんが声をかけると、
「え? あ、はい……先生、本当に慧くん大丈夫でしょうか?」
「大丈夫ですよ。今、御園生さんがちょうどいい餌――いえ、精神安定剤を与えてくれましたからね」
今の絶対、「餌」のほうが本音だろう?
その一言で鬼畜認定したわけだけど、さらに鬼畜っぽい言葉が追加された。
「それより、これからレッスンですよ? ほかのことなど考えようものなら今日のレッスンは中止にしますので、そのつもりで」
翠、意外と変な人間にピアノを習ってたんだな。
それが、仙波さんに対する第二印象だった。
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