光のもとで2

葉野りるは

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March

好きな人の卒業式 Side 翠葉 04話

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 食堂の次に向かったのは図書棟。
 ここはどうしたって外せない場所だ。
 指紋認証をパスして中へ入ると、いつもと変わらない空間が、妙に愛おしく感じた。
 私たちは無言でカウンターを目指し、カウンター内部の操作をして窓を開ける。
 まだ肌寒い季節とはいえ、やっぱり外の空気が入ってくるほうが気持ちがいい。
 窓際に向かったツカサを一枚撮ると、振り返ったツカサが少し呆れたように笑った。
「次は? どんなシチュエーションが望みなの?」
 交換条件ありきとはいえ、本当に写真撮らせてくれるんだなぁ、と思いながら、私はファイル片手に仕事しているところ、などと注文をつける。
 ツカサは短く「了解」と口にして、書架へ向かった。そして、おもむろにファイルを手に取り、それを眺める素振りをしてくれる。
 私はすぐさまカメラの設定を変えて写真を撮った。
「あとは?」
 あと――
「……別に写真を撮りたいわけじゃないのだけど、隣の仕事部屋に行きたいな」
 以前秋斗さんがいた部屋は、内装が変わることなく生徒会へと開け放たれている。もちろん、その奥にある部屋の鍵はよりセキュリティの高いものへと変更されたけれど。
「高校に入学した日、ここで会ったんだよね」
「あぁ……」
「そんな遠くない過去に思えるのに、もう二年も前のことなのね」
「あの日は――」
「お互い印象最悪だったよね?」
「互いに印象は最悪だったな」
 同じ内容の言葉にふたり顔を見合わせ笑みを零す。
「まさか、御園生さんが溺愛してる妹を好きになるとは思いもしなかった」
「私も。こんなに意地悪な人を好きになるだなんて思いもしなかった」
「お互い様だな」
 お互い様かもしれない。でもね、違うのよ? 本当は優しい人だと知ったから好きになったの。自分に厳しくて、他人にも厳しくて、それでもとても誠実な人だと知ったから好きになったのだ。
 今、ツカサのどこが好きかとたずねられたら、「ここ」と一言で答えることはできないだろう。でも、「どうして好きになったのか」という質問になら即答できる。きっかけは好みど真ん中の顔だったかもしれない。でも、好きになった理由は自分にも他人にも厳しく誠実な人だったから。
 そして今なら、私の初恋はツカサだったということも断言できる。でもそれは、もう少し黙っていようかな……。

 図書棟を出た私たちは、ツカサの提案で芝生広場へ立ち寄った。
「ここ、私が好きな場所……」
 それはリスの石造に囲まれたベンチ。
「最初、ここの何が好きなのかまったく理解できなかった」
 ……「最初」ということは、今は理由がわかったということだろうか。
 そっとツカサの顔をうかがい見ると、ツカサは腕時計を見てカウントダウンを始める。「三、二、一」と言ったあと、パシュ――と辺りから水音が聞こえ始めた。
 それはスプリンクラーが作動した音。今まで芝生に隠れていた金属性の円柱が持ち上がり、くるくると回って水を撒き散らしていた。
「これじゃない?」
 まるで悪巧みが成功したみたいな顔でたずねられ、思わず笑みが漏れる。
「正解! スプリンクラーの水がキラキラ光っているのとか、水の放物線や水を浴びた芝生がきれいで、見てて飽きないの」
 ツカサは「やっぱり」と言った顔で、スプリンクラーから放たれる水に視線を戻した。
 それは五分ほどで終わってしまったけれど、最後に一緒に見られたことがなんだかとても嬉しかった。
「あと思い入れのある場所と言ったら――梅香苑のベンチくらい?」
 梅香苑のベンチ……?
「あ……」
「翠がやっと素直になった場所」
 意地悪く笑みを深められ、恥ずかしさに顔を背ける。
「ば、梅香苑は高等部の敷地内ってわけじゃないし、これからも行けるから――いい……」
 小さな声で断ると、
「じゃ、そろそろマンションへ帰ろう。さすがに胃が空腹を訴えてる」
 時計を見れば一時半を回っていた。
「学食で食べていく?」
 顔を覗き込みたずねると、
「いや、マンションに戻ってコンシェルジュにオーダーする。じゃないと、翠が食べられないだろ」
「……ありがとう」

 桜並木を歩きながら思う。
 互いに制服を着てこの道を歩くことはもうないのだな、と。
 そう思えば、また寂しさに涙が滲むわけで……。
 それに気づいたツカサが、
「制服はもう着られないけど、だからと言ってこの道をふたりで歩けないわけじゃない。なんでもかんでも悲観するな」
「うん……」
「……今日の翠は幼稚園児みたいだな」
「え……?」
「幼稚舎でよく見かけた。母親と離れたくないって泣く園児」
 まさかそんな例えをされるとは思ってもみなくて、思わずむっとしてしまう。
 でも確かに、離れたくないと泣いている自分は幼稚園児と変わらないのかもしれなくて、何を言い返すこともできなかった。その代わりに、つないでいる手に力をこめる。少しでも痛みを感じてもらおうとして。けれど、同じくらいの強さで握り返されたらなんだか嬉しくなってしまって、返り討ちにあった気分だった。
「そもそも、寂しがる必要なんてないだろ。十五日には正式に婚約するし、これから一年は藤倉に
――マンションにいるわけだから」
「えっ? 藤山のおうちじゃないの?」
「藤山の方が大学には近いけど、マンションからなら翠と一緒に通学することだって可能だ。むしろ、毎朝会えて、今まで以上に頻繁に会えるんじゃない?」
「でもそれじゃ、真白さんが寂しがらない?」
「子どもはいつか巣立つものだし、それが一年早いか遅いかの話で大した問題じゃない。それに、大学の帰りに実家へ寄れば、夕飯は一緒に食べられる」
 私は想定外の提示をされたことが嬉しくて、両手でツカサの左腕に抱きついた。
「単純」
 ツカサが口端を上げて笑う。
「単純じゃないものっ」
「単純だろ? こんなことで喜ぶなんて」
「こんなことじゃないものっ」
「はいはい。……今夜、じーさんちで卒業祝いするんだけど、そのとき、翠との婚約の話をしてくる」
「……元おじい様、反対なさるかしら?」
「しないだろ? 翠のことはえらく気に入っているし、正式に報告していないだけで、すでに耳には入ってると思う。それでも何も言ってこない」
「でも、海斗くんが飛鳥ちゃんと婚約したいって言ったときには、高校を卒業するまでは待つように言われたみたいよ?」
「それ、俺はクリアしてるし」
 つまり、高校を卒業したから、ということ……?
「……私が高校生でも問題ないの?」
「年齢的には俺と同じ十八だろ?」
「あ、なるほど……」
「翠が春休みに入ったら、じーさんに婚約の報告をしに行こう」
「っ……うん!」
 なんだか不思議だ。さっきまではあんなに寂しくて寂しくて仕方がなかったのに、手をつないで未来を提示されただけで、こんなにも穏やかな気持ちになれるなんて。
 やっぱりツカサはすごいな……。魔法使いみたい。
 たくさんの不安を解消された私は、大好きな横顔を見ながら麗らかな昼下がりをのんびりと歩き、いつもの坂道を上り始めた。

 マンションに着くと、
「昼、一緒に食べるつもりでいたけど、もしかしてゲストルームで誰か待ってたりする?」
「ううん。今日はみんなお仕事だから、帰ったらひとりでお昼の予定だった」
「なら、一緒に食べよう」
「うん」
 エントランスでランチのオーダーをしてエレベーターへ向かうと、
「一度着替えに戻る?」
 たずねられて少し悩んだ。
「私が着替えに帰ったら、ツカサも着替えちゃう……?」
「翠が着替えるなら着替えるけど」
「……じゃ、このまま行く」
「……なんでそこまで制服にこだわる?」
 こだわる理由――
 たぶん、特別大きな理由があるわけじゃない。ただ、今日で見納めかと思うと、途端に特別なものに思えてくるだけ……。
 それを正直に話すと、「やっぱ単純だな」と結論付けられてしまった。
「そういえば、さっきボタンがどうのって朝陽が言ってたけど、あれ、なんだったの?」
 ジンクスを知らないツカサに笑みが漏れる。
「卒業式におけるジンクスなのだけど、由来、知りたい? いくつかあるのだけど、全部話す?」
「できれば」
 少し意外だな、と思いながら、ひとつひとつ説明していく。
「制服のボタンの一番上は自分、二番目が一番大切な人、三番目は友人、四番目は家族。で、その人の一番大切な人になりたい、っていう意味で第二ボタンをもらう慣わしがあるの。反対に、男子から『自分の大切な人になってください』っていう告白的な意味合いで渡すこともあるみたい。それから、心臓に一番近いボタンが第二ボタンだから、心を得るっていう意味で第二ボタンをもらいたがる女の子がいるの」 
「ふーん……」
 知りたいと言ったくせに、実に興味なさそうだ。
 ここまで関心を示してもらえないと、「第二ボタンが欲しい」という言葉は呑み込まざるを得ない。
 少し残念に思っていると、
「それ、女子バージョンのジンクスはないの?」
「え……?」
「ブレザーの高校ならともかく、セーラー服やうちの女子の制服だとそのジンクスは男子にしか通用しないだろ? だから、女子バージョンはないのかと思って」
 あぁ、そういう意味……。
「女子にもないわけじゃないよ。ブレザーの高校だとボタンじゃなくて首もとのリボンやネクタイがボタンの代わりになるの。で、うちの制服だとこれ」
 私は自分の首元にあるボルドーのリボンを指差した。
「へぇ……じゃ、何? 俺が第二ボタンを翠にあげたら、俺は来年翠のリボンがもらえるわけ?」
「えっ!? くれるのっ?」
「……欲しいんじゃなかったの?」
「欲しいっ!」
 集る勢いで食いつくと、
「そんな必死にならなくても翠なら別にかまわない」
「嬉しいっ!」
 そんな話をしているうちにエレベーターは十階に着いていた。
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