片恋SS~鎌田公一編~

葉野りるは

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回想01

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 俺の卒業した幸倉第一中学は、小学校ふたつをひとつにまとめた学校で、入学したてのころは知っている顔が半数もいなかった。
 彼女は「知らない顔」に含まれた。つまり、俺とは違う小学校の出身。
 そんな彼女を俺がどうやって知ったかというのなら、ひとえに「噂で」だ。
 入学当初は誰が格好いいだの誰がかわいいだの、とその手の噂で大盛り上がり。その中でも彼女の噂は群を抜いていた。とにかくかわいいということで。
 顔見たさに彼女のクラスを訪れる人間が後を絶たなかったという。
 俺は噂に乗じて彼女を見に行くことはなかったけど、廊下で初めて見かけたときには思わず赤面してしまった。それくらいにかわいかったんだ。
 もともと色素が薄いのか、陽を浴びたことがないんじゃないか、と思うほど白く透明感のある肌で、腰まであるロングストレートの髪は墨を水に溶いたような色。
 髪が風にたなびく姿は映画のワンシーンのようだった。
 けど、クラスが違えば話すこともない。こっちが彼女を知っていても、彼女が俺を知ることは皆無。
 そんな状態で俺と彼女は出逢うことになる。とても申し訳ない形で。
 まず、場所がよろしくなかった。なんと言ってもトイレ前だ。そのうえ、俺が使ったばかりのハンカチを拾わせてしまった。
 個人的に濡れた布は触りたくない。ただでさえ衛生上よろしくないものを、さらに衛生上よろしくない場所で落とし拾わせてしまったのだ。
「あの……これ、落としましたよ」
 振り返ったら彼女がいてびっくりした。使ったばかりのハンカチが、彼女の両手によって差し出されていたことにも驚いた。
 咄嗟に反応できなかった俺は、無言でまじまじと彼女を見つめてしまったわけだけど、それが居心地悪かったのか、
「すみません……。あなたが落としたように見えたのだけど……もしかして人違いでしたか? それでしたら、事務室に届けます……」
 とても控え目に言葉を添えられ、俺ははじかれたように返事をしたっけ……。
「ごめんっ、反応遅れて。それ、俺の。ごめん、ありがとう」
 片言だらけの対応。でも、それが精一杯だった。
「よかった……」
 言われた直後、俺は固まった。どんなに固まっていても、視線は彼女に釘付け。失礼極まりないくらい不躾にガン見していた。
 申し訳なさ全開の表情だったそれが、ハンカチを受け取りお礼を口にしたら、花が綻んだかのような笑顔になったのだ。
 お世辞抜きに、かわいいと言われていることを納得できたし、とてもキレイな笑顔だと思った。
 大口開けて廊下でバカ笑いしているそこらの女子とは大違い。人類とか女子とかそんな言葉で同じ生物にまとめたくない。もういっそのこと女神様と形容してもいいくらいだった。
 俺は、彼女の笑顔を見た瞬間に「恋」に落ちたのかもしれない。
 これが俺と彼女の出逢い。
 彼女は覚えているだろうか――

 入学してしばらくは彼女の噂で持ちきりだった。
 何部に入っただの、何委員会に入っただの。それこそ、何かあるたびに噂となって情報が回ってきた。
 彼女は部員が少ないことで有名な読書部に入り、図書委員になった。
 噂から情報を得た自分も図書委員に立候補したわけだけど、同じことを考えた人間は多く、結局同じ委員会になることは適わなかった。
 四月が終わるころ、彼女を取り巻く噂が少しずつ変化を見せた。
 女子の噂はたいてい女子から広まるわけだけど、彼女の場合は少し違った。
 彼女と同じクラスになった男子や彼女目当てで図書委員になった男子から広まった噂はこんなもの。
「無視する」「高飛車」「無愛想」――
 俺は一度しか彼女と話したことがないけれど、そんな印象は抱かなかった。ましてや、トレイ前で落としたハンカチを拾ってくれるような子だ。人違いかも、と思えばすぐに引き下がる。相手が困らないように気を遣って。
 そんな子が人を無視するということが信じられなかったし、どうしてそう言われてしまうのかが理解できなかった。
 けれど、噂は噂。止めることはできないし、しだいに尾ひれがついてエスカレートしていった。
 そういうの、全部耳には入っていたけど、クラスメイトでも知り合いでもない俺にできることは何もなかったよね。
 これって逃げ口上……?
 ……そうだ、きっと逃げていただけなんだ。
 俺は、彼女のそんな状況を傍観していたひとりに過ぎない。

 三年になってようやく彼女と同じクラスになることができた。でも、その頃には彼女を取り巻く環境は大分様変わりをしていた。
「無視する」「高飛車」「無愛想」という噂は、「男子が苦手らしい」という内容に少しだけ改められていた。その反面、女子からの攻撃が半端ないことになっていた。
「攻撃」っていうと大袈裟すぎる気もするけれど、まさにそんな感じだったんだ。
 日常的な嫌がらせは数えられないほど――
 学校に登校してきたら彼女の机に花瓶が置いてあった。花瓶といっても飲み物の瓶にそこらへんで摘んだであろう雑草が突っ込んであるだけの粗末なもの。
 まるで亡くなったクラスメイトの机に花を、的なもの。実際には花瓶じゃないしちゃんとした花でもないから、単なる悪質な嫌がらせなんだけど。
 ほかにも机に落書きがしてあったり、黒板に悪口が書かれていたり、その手の類が尽きなかった。
 だけど、彼女はそれらに動じない。動じないというよりは、きっと一、二年で慣れてしまったのだろう。彼女はただ黙々と対処する。
 教科書や上履き、体操服がなくなることも多々あったけど、彼女はそれを担任に話すこともしなかった。
 彼女は、いつもひとりだった。
 あの大きな瞳には何が映っているんだろう……。
 とてもキレイだと思った笑顔を見ることなく月日が過ぎ、一学期が終わるころには「何も見ていないのかもしれない」と悟った。

 男女間での会話があまりない中学だったため、同じクラスでもなかなか話す機会はなく――
 そんな中、彼女と掃除場所が一緒になることが多かった俺は、勇気を振り絞って訊いたことがある。
 核心的なことは言葉にはせず、「大丈夫?」とだけ。
 彼女の瞳が揺れた。何も映していない瞳が揺れ、その瞳に自分が映っていた。
「あり、がとう。でも、大丈夫だから気にしないでね」
 彼女も核心的なことは何も話さず、控え目に笑みを添えて口を閉ざした。
 もしかしたら話せるかもしれない。もしかしたら、彼女の声を聞けるかもしれない。そう思ってもう一歩踏み込んでみた。
「担任に相談してみない?」
 提案すると、彼女は困った顔をした。
「気持ちだけ、ありがとう。……私、大ごとにはしたくないの。家に連絡されたらお父さんやお母さんに心配かけちゃうから……。だから、ごめんね。……それから、ありがとう」
 そうして、また瞳がグレーに戻る。
 暗に、「担任には言わない。これ以上この話はしないで」と言われた気がした。
 家に連絡をされたくないのは、家族に心配をかけたくないからだったんだろうか。自分の状況を知られたくなかったんだろうか。
 それとも、大ごとになってクラスでの立場がより悪くなることを避けたかったんだろうか。
 本当はどっちだったんだろう。どっちも、だったのかな……。

 数少ない彼女の情報。彼女は身体が弱い。学校で倒れることも少なくないし、一週間続けて休むことも珍しくはなかった。
 クラスメイトは、「登校拒否じゃねーの?」などと口にしていたけれど、間違いなく彼女は身体が弱かったと思う。
 でも、俺はたまたま彼女が薬を飲んでるところを何度か目撃していたからそう思えただけかもしれない。彼女はそういうのを人に見られないようにしている節があったから……。
 貧血を起した彼女に保健室へ行くように勧めたこともあった。けれど、彼女は真っ青な顔で保健室に行くことを拒んだ。その姿はまるで保健室自体を拒んでいるような何かが感じられた。
 少し前にも同じように感じたことがある。いじめのことを担任に話さないか、と言ったときだ。
 なんかさ――先生を全然あてにしていない、信じてないのかな、って俺の直感が訴えた。

 一学期二学期三学期――時間が経つに連れ、彼女を取り巻く噂はエスカレートをしていった。我慢ならなくなって口を挟もうとしたとき、彼女の射るような視線に牽制された。どこまでも表沙汰にされたくはないようだった。
 そんなある日、性教育と称した合同集会が体育館で行われた。
 毎回思う。こんな集会あって意味のないようなものだ、と。
 あまりにも中途半端すぎる性教育なうえに、中学生という「性」に興味津々な生徒を御することもできない教師陣がやる「指導」は、茶化され、騒がれ、収拾されないままに終わる。
 話を聞く姿勢の生徒は微々たるもので、騒ぐ生徒をしっかり注意できる教師もいない中、コンドームが配られたらどうなるのかはわかりそうなものだが、それでも行われる。――本当に無意味。
 呆れた思いで、上から目線でそんなふうに思っていた俺はいったい何様だったのかな。
 その無意味な性教育の餌食に彼女がなったとき、俺は爆発した。
 回収されたはずのコンドームが、集会が終わって体育館から教室戻ってくると彼女の机に置かれていた。すぐに察しはついた。クラスの男子のいたずらだ、と――
 彼女は出席番号順に並ぶと、列の最後尾に並ぶことになる。コンドームは前から順に物渡しレースのように流れていき、終着点の彼女はそれをほかの誰に回すこともできず、先生が回収するまで持っていることになった。
 ただそれだけだったんだ。なのに、彼女がコンドームを持っているだけで「汚いもの」扱いをされ始めた。その矢先、教室の机にコンドームが置かれているとなると、さすがの彼女も耐えられなかったのだろう。
 運動ができないという噂があり、体育の時間は常にレポートをしている彼女が教室を飛び出し全速力で廊下を駆けて行く。
「なんだ、走れるんじゃん」 なんて言葉をキャッチしつつ、俺は後先考えずに彼女を追った。
 性質の悪い噂やいじめ。それらに淡々と対応していた彼女だけど、きっとバロメーターを振り切ってしまったのだ。
 一目で彼女が傷ついたのか見て取れた。
 やっと彼女の顔に表情が反映されたというのに、それがこんなやるせない状況だなんてあんまりだ。あんまりにもひどすぎる――
 俺は、何を思うより早く、彼女のあとを追いかけた。
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