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お堅そうな官吏サマも隅に置けない
しおりを挟む「おお、やっと来たか」
「…おい姜子豪、これはどういう了見だ?」
指定の青楼に着くと芸妓見習いが子豪の部屋まで一行を案内してくれたが、その部屋には子豪と二人の男と、それらを取り囲むように数人の妓女がひしめいていた。
既に何杯か酒を呑んでいたようで、部屋の中は陽気な雰囲気である。
「私達は重要な話し合いをしにここへ呼ばれた筈なんだが」
「ああ、オレだってそのつもりだぞ?」
「…なら妓女たちにはご退席願うのが普通ではないか?」
「なんでェ、こいつらは夏蕾イチの青楼妓女だぞ? 口だってカタい」
「いやそうかもしれないが」
「それに、青楼に来たんだから女がいない方が不自然だろォが」
俊熙が言い募るが、子豪は意にも介さない。
やがて俊熙は何を言っても無駄だと思ったのか、ため息を吐いてから太燿を促した。
「殿下、上座へ」
子豪の少し離れた向かいに太燿、その横に俊熙が座す。磊飛も座敷に向かって行ったので香月がどうしようかと入口で戸惑っていると、子豪がようやくその姿に気がついた。
「おあ?香月?」
驚いた様子で名を呼ばれる。
「…何よ」
「お前マジか、凄いな!流石、呉の化粧師」
部屋の入り口に立ち尽くしていた香月を、子豪が手招きする。
「香月、こっち来い、オレの横に来い」
ちょうど空いていた右隣を叩いて指示してくるが、その命令に従う義理は今の香月にはない。
「香月ちゃん、こっち。磊飛の横に座って」
香月が子豪をじとりと睨んでいると、この場の一番尊い方から指示があってほっとする。かしこまりました、と磊飛の横へ向かうと、子豪からはあからさまな舌打ちが聞こえた。
「オレの意見が採用されたんなら、香月はオレの横に座らせンのが定石だろ?」
子豪は意味不明理論を翳してきている。確かに冗談混じりに提案したのは子豪だが、しかしここへの帯同は別の必要性があったからこそであって、決して子豪を楽しませる為にこの格好をしている訳ではない。
「おい香月、だいぶ気合い入ってンな? そんな露出高ぇ支度、今までした事なかったじゃねェか」
「…当たり前でしょ、妓女を支度する側だったんだから」
思わず子豪に反論してしまう。
「やっぱ喋ると香月だな」
「…」
明らかに落胆した声音に反駁する気も無くなったので、香月は睨みだけを返しておいた。
「申し訳ないけど、少しだけ妓女のみなさんには席を外して貰えるかな?」
太燿はやわらかく人好きのする笑顔で、お酌をしようと近づいてきた妓女たちを制する。視線で楼主に合図すると、すぐに女たちはその部屋をはけていった。
「おいおいおい…何のためにここに来たのかわかんねェだろ」
「大事な話をするためだろう」
少し不機嫌になった子豪に、俊熙がぴしゃりと言い放つ。
「…ったく、官吏サマはおカタいねェ」
「堅いとかではなく、これから話す内容に妓女は不必要だろう」
「オイオイ、それでも本当に男かァ?……あ、もしやお前、不能か?」
機嫌が悪くなるといつもこんな風に人を煽る癖のある子豪であるが、それにしても下世話で失礼な物言いだ。
アンタがそんな言い様していいお方じゃない、と香月が口を挟もうとすると、俊熙が予想外に冷静に反論を返した。
「別に女には困っていない、余計な話はするな」
「えっ」
思わず香月は間抜け声を漏らす。
女には困っていない?
えっ、そうなの?
いや、まぁ確かにその正体は第一皇太子なんだからきっとこれまで多くの女性と出会いもあっただろうし、それに見目も良くて後宮宮女たちにも意外と人気だったりするから官吏時代もそういった事があったとしておかしくないとは思うけど、そんな、女の影なんて見えなかったのに、そんなに…?
香月がグルグルと思考していると、同じようにその言葉に違和を感じた面々からの突っ込みが入る。
「ふぅん、選り取りみどり、みたいな?」
「…ん?いや、違うぞ? おい何だその目は」
「へェ~お堅そうな官吏サマも隅に置けねェんだな」
「マジかよ俊熙、いつの間に!お前やるなぁ!」
「いや、違う、語弊があった。今は女が必要無いという意味で」
「『今は』? てことは前はさぞかし…」
「だから違う!」
どうやらうっかり意図と違う台詞を吐いてしまっただけらしいが、周りに散々突っ込まれて俊熙は少しタジタジになっている。
「……おい呉香月、なんだその目は」
思わずジト目で見てしまっていたのがバレた。
「私は今、太燿様をお守りして国を良い方へ導くことで手一杯なんだ、他意は無い!」
ムキになるとそれだけ怪しく見えてしまうのだが、しかしおそらく言っていることは本当なのだろうから香月はひっそり胸を撫で下ろす。他の面々も俊熙の言をただからかいたいだけだったようで、その話はすぐに収束した。
「とにかく、姜秀英の話だ。姜子豪、まずこちらの質問に答えて貰おう」
「ハイハイ、わかりましたよ官吏サマ」
そして気を取り直して、本題についての情報共有が始まった。
「まず、姜秀英の話に入る前に解決しておきたい案件がある。『紫丁香』の拉致についてだ」
初っ端から香月の話題が出てびくりとする。子豪もその話が来るとは思っていなかったようで、杯を傾けていた手を止めた。
「その話蒸し返すことと、兄貴のことと何か関係あンのか? あらァオレの監督不行届っつっただろ」
「いや、大いに関係はある。お前らの組織の構成をまずは紐解いておかないと、敵か味方かの判別が出来なくなる」
俊熙は袖から書類の束を取り出すと、何かを確認し始めた。
「あの日東宮に出入りした姜商家の者は三名いた筈だ。入宮帳簿にあった名前を調べたが、梁豪宇(りょうごうう)と孟繰流(もうそうる)は身元が確かだった。梁は姜の執務役だな?」
「ああ。孟は豪宇の雑務なんかを引き受けてる孟家の三男だ」
梁豪宇はすなわち高浩宇であり香月の従兄だ。孟家と言えば新しめの商家だったとなんとなく香月も記憶しているが、孟…どこかで聞いたような。
「香月も会ってンだろ? 離れの見張りさせてたからな」
「…あ!」
思い出した、子豪と豪宇に頭の上がらない様子だった男。薬品を染み込ませた白い布を香月の口に当てたり、うっかり香月が情報を引き出そうと煽ってしまったせいで襲ってきたりした、あの。
あの時のことを思い出して、香月は思わず身体をかき抱いた。あの下卑た笑いは思い出すだけで気持ち悪い。
「…おい、何かあったのか? 香月」
その様子を目敏く見つけた俊熙がそう聞いてきた。何かあったというか、私の方が煽っちゃったんですすみません。
「ああ~、そいや豪宇から聞いたぜ。孟のヤツ、お前に襲いかかったらしいなァ」
「なんだと?」
こらバラすんじゃない子豪。何でそうなったかと言えば香月が唆してしまったからに他ならないので出来れば詳しく話したくないのだこちらは。
「ちょっと香月ちゃん大丈夫だったの?」
太燿は身を乗り出して心配してくれる。香月はこれ以上話が広がらないよう、必死で言い募った。
「大丈夫です、全然! ちょっと身体を押されただけで、すぐに豪宇が来ましたし!」
そんなことはいいから早く話を戻してください!
目で俊熙に訴えかけると、しばらく視線を合わせて観察されたあと、ふいと逸らされた。
今のは多分、ちゃんと心配してくれて、そして大丈夫だと理解した行動だった。それがわかって香月の心は擽ったくなる。なんだかんだ身内に優しいのだからズルい。
それに。
さっき、『香月』と、呼んだ。
いつもは『呉香月』なのに。
少しだけ俊熙の内側に入れた気がして、香月はニヤける頬を両手でこっそりと隠した。
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