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なに、俺に色仕掛けしてくれるの?
しおりを挟む東宮の貴賓室には既に、雲嵐ともう一人、筋肉隆々の武官服を着た男性が居た。
汪磊飛(おうらいひ)という武官で、太子警護を担う六率府の将軍だと名乗られたが、香月は武官の官制に詳しくなく、とりあえずすごい人ということしかわからない。ピンと来ていない香月の肩を面白そうに笑いながら叩いてきたので、かなり豪快な人だと認識した。
貴賓室の椅子に座らされ、四人の官人に見つめられながらまるで尋問の様に昨晩の話を吐かされる。答えながら、改めて香月はここにいる四人の身分をおさらいした。
先程挨拶をした六率府将軍、汪磊飛。
後宮の全ての管理を担う後宮管理長、朱芳馨。
皇太子の影の者、つまり隠密である雲嵐。
そして香月の目の前で尋問を取り仕切っているのが、皇太子の教育係・太子少傅であり、史上最年少で科挙を突破した異才の宦官、劉俊熙。
なかなかどうして、こんなことになってしまったのだろうか。平穏な生活とは程遠い人々に囲まれ、香月の人生も大きく変化してしまっている気がする。
「なるほど、つまりまとめるとこういう事だな」
ひとしきり聞き出しを終え、俊熙が指を折りながら香月の話をまとめる。
「一、毒を盛った宮女は桔梗殿の許可証を持って後宮を出て行った。二、紫丁香は太燿様を引き込む材料として昨晩拉致された。三、呉香月は誘拐犯である姜子豪、高洪宇の頼みを聞くという条件で無事に解放された。四、姜子豪が何故太燿様を引き込みたいかは不明」
「はい、仰る通りです」
俊熙のまとめは的確で、流石頭の良い人は凄いなあと香月は間抜けにもそう感心した。しかし実際にそうやってまとめられてしまうと、客観的に見てよくもまぁ無謀な事をしたもんだと自分に呆れる。
「ねぇ、その姜子豪?ってヤツがさ、太燿サマ暗殺に関わってるとかじゃないの?」
「いえそれは無いかと思います」
「なんでそんな即答なのさ」
「えっと…そう言われると根拠は何も無いんですけど…昔馴染みの勘、と言いますか」
「はァ~?そんなの信用出来なくない?」
雲嵐の疑いはもっともだ。
香月も根拠は示せないから、ここからどう太燿と子豪を引き合わせれば良いのかわからない。
「香月、ちょっと聞きたいんだけど」
やり取りを聞いていた芳馨が口を挟む。
全員がそちらを向くと、芳馨は香月の表情を確かめながら、ゆっくりと言葉を発する。
「姜家って、アナタの因縁の家じゃないの? 長男の秀英とは婚約破棄してるわよね?」
「……」
調査されたのだからもちろん知られているとはわかっていた。わかっていたが、こうして言葉にして明らかにされると、もう割り切っていたとしても色々思い出されて苦しいものがある。
「もしかして秀英よりも子豪の方が仲が良かった、……とか?」
「いいえ、そんな事はありません」
「あらそう?それにしては、随分と姜子豪の肩持つのねと思って。ただ解放されたいだけで言いなりになったのなら、さっきみたいな物言いはしないものね」
鋭い指摘に、香月はぐ、と喉を詰まらせる。
芳馨の見透かそうとする目も怖いが、俊熙の方から刺さってくる視線も怖い。
「それは…色々ありましたけど、幼い頃から近くで育ってきたせいか、嘘を言っているかどうかくらいはわかるんです。それに…二十年近く関わって、情も少なからずあるんだと思います」
「…その判断が殿下を危険に晒すかもしれないとしても?」
「……それは……」
根拠の無い確信は、他人に信じさせるのが難しい。こんな状況に陥ったことがないため、香月はどう話せばいいかわからない。とにかくあったこと、思ったことをそのまま伝えるしかない。
「本当は、殿下を色仕掛けで落とせって言われたんです」
「何それ面白い話してるね?」
香月が今朝の出来事を話そうとした時、ちょうどそこに太燿が現れた。変な所を聞かれてしまって香月は慌てる。
「た、太燿さま!」
「殿下、なぜこちらに」
俊熙が問うと、太燿はへらっと笑う。
「香月ちゃんが見つかったって言うから、飛んできちゃったよ」
そして香月の方を見ると、
「おかえり~」
と呑気な声でそう言われた。
「た、ただいま戻りました…?」
陽気な雰囲気に飲まれて、香月も少し緊張がほどける。こういう、その場の空気を太燿色に染めてしまう影響力は、持って生まれた天性のものなのだろう。
「殿下」
「いいじゃん、面白そうな話してたし俺にも聞かせてよ」
にこりと笑いながら俊熙が座る長椅子の端に座る。
「なに、俺に色仕掛けしてくれるの?」
楽しそうな太燿に、香月は急いで否定する。
「違います、そう言われたけれど、無理だなと思って方針を変えたという話です!」
「え~無理じゃないと思うけどなぁ~香月ちゃん可愛いしなぁ」
「なっ」
「殿下、今はそういう話をしている場合ではないでしょう」
太燿のお世辞に香月が少し頬を赤らめた所で、俊熙が容赦なく話をぶった斬った。
「で、呉香月。続きを」
「はっはい、」
香月は冷えた手のひらで頬を包むと、続けて自分の考えを話す。
「私は本物の手解き役という訳では無いですし、太燿さまも色仕掛けなんかでお考えを曲げられるような方では無いと思ったので、とにかく『引き合わせる』ことだけを約束して解放してもらいました」
太燿とそれを取り囲む四人に、訥々と真実だけを話す。
「根拠が無いことを何度も言ってしまいますが、子豪は殿下の暗殺なんて思ってもみなかったようでした。なので、太燿さまや俊熙さまであれば、子豪の話が如何様なものでも、必ず正しい判断をしてくださるだろうと思って……」
ここまで話すと、俊熙から大きなため息が漏れた。それを受けて太燿も苦笑を零す。
「なるほどね、ある意味信頼されてるってことかな」
「んまぁそれにしたって軽率なのには変わりないけどね~」
「つか、どっちにしろ俺がいらァ殿下にゃ指一本も触れされねぇけどな」
磊飛が豪快にガハハと笑って、雲嵐がうるさいと耳を塞いでいる。
香月がちらりと俊熙を見ると、顎に手をあて何か思案しているようだった。
「あの、俊熙さま」
「…ん?」
「子豪は、この計画には秀英さんは関係ないと言っていました。それに今は冬胡国に出向いている、とも」
「……冬胡か」
「姜家の邸は、二年前のそれとは比べ物にならない程大きくなっていました。もしかすると冬胡国と何か…」
「ああ、その辺りは少し情報あるわよ」
芳馨が横から口を挟んでくる。
「香月の身辺調査ついでに、姜家のこともちょーっと探ってみたわ。冬胡の豪族とここ数年関わりがあるみたいね。それから一気に利益を拡大してたわ。お陰で今では夏蕾国に無くてはならない大商家よ」
「……そうか…、そこと繋がってくるのか」
芳馨の情報に、俊熙も何か思い当たることがあるようだ。
「じゃあ冬胡国との貿易の事で殿下を引き込みたいってこと?」
「いや、姜子豪は姜秀英とは関係がないと言っていたんだろう?つまり、『姜商家』の総意ではないと」
「はい。憶測ですけど、とても急いでいたのでもしかすると秀英さんがいない間に何かを進めておきたいのかもしれません」
「急いだ上でのこの拉致なら、確かに事前調査も怠った杜撰な作戦にも納得いかなくもないわね」
「全く、反太燿サマ派の調査も途中だってのに、また新たな案件出てきちゃうなんてさ~」
「あ、そういやァ、さっき親父から報告受けたんだがよ」
会話の途中で、磊飛が新たな情報と言わんばかりに手を叩いた。それが余りに大きな音で、香月の肩がびくりと揺れる。
「っさいなぁ~!耳割れる!図体デカいんだから配慮しなよ」
「ああん?何だとこのヒョロっ子が」
この二人は仲が悪いのだろうか、言い合いが始まるが、それを俊熙が冷静に押しとどめた。
「喧嘩は他所でやれ。磊飛、汪大将軍は何と?」
「ああ、郭の野郎が冬胡に遣い送ってるって話だ」
「えっマジ?」
「あら本当に繋がっちゃったのね?」
「……」
話の展開が掴めず香月がキョロキョロしていると、斜め向かいの太燿が笑いながら説明してくれる。
「郭ってのは、六率府のもう一人の将軍ね。で、一応俺らは、郭将軍が反第二皇子派の主格なんじゃないかって睨んでたんだよ」
「な、なるほど…もしかして磊飛さまのお父様が、六率府の大将軍、てことですか」
「そうそう。六率府は俺の警護役なんだけど、有難いことに大将軍と将軍の汪親子がいるお陰で抑止力になってたんだよね。能力的には必要な人材だからさ、郭も」
「なる、ほど」
如何せん香月は武官の知識が乏しすぎて、情報を頭の中で整理するのに必死だ。
「で、ここに来て不穏分子の郭が、冬胡と関係を持ってきた、と」
ようやく香月の中で点と点が繋がった。
太燿殿下暗殺の問題と、大商家姜家の次男坊・子豪による紫丁香拉致の問題が、両方『冬胡国』という鍵を抱えている。
冬胡国は長らく夏蕾国と敵対し、現在は冷戦状態にある存在だ。
「きなくせぇよなァ」
何が面白いのか、磊飛がガハハと笑う。
「どちらにしろ、姜子豪から情報を得る必要がありそうだな」
「そうねぇ。そう考えると、この拉致騒ぎも運命だったのかしらね」
全員から視線を送られて、香月は苦笑いをするしかない。
「呉香月」
「は、はい」
「姜子豪との取り次ぎを頼む。殿下と私と磊飛で、極秘に面会をしよう」
「!かしこまりました」
子豪とは、妃宛に定期的に贈り物を持参する商人を通じて、連絡をとることになっていた。
幸い明日が、その商人が参内する日だった筈だ。
「面会方法は今日中に連絡するから、呉香月は桔梗殿に戻ってくれ」
「…!いいんですか!」
結局何のお咎めもなく、桔梗殿へ――梦瑶妃のもとへ――帰れるらしい。
「じゃあワタシが連れてくわね」
「ああ、頼んだ芳馨」
俊熙はそう言うと、すぐに太燿たちの方へ向き直り、細かい計画を立てはじめた。
「行くわよ」
芳馨に言われ貴賓室を出る。
緊張していて忘れていたが、無事に後宮へ戻ってこれたのだ。俊熙の姿をうっかり思い返して、いやいやそんな場合ではないと首を振る。
ふぅと息を吐くと、芳馨が真面目な声で問いかけてきた。
「香月、聞いてもいいかしら」
「え、はい、何でしょう」
改まって何だろうと構えると、出てきたのは思わぬ質問だった。
「三年前、何があったの」
「……」
何処まで知られているかわからないが、芳馨の調査能力は高いようだ。
「お姐さんに教えてみなさい」
「……お姐さん……?」
思わず疑問符を付けると、振り返った芳馨の無言の笑顔に圧倒された。
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