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幕間2
半身への敬愛を
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悲しい。ものすごく悲しい。
分身のような存在が、もうこの世にいないなんて、信じたくない。
これからどうすれば良いのだ。ここまでふたりでやってきたのに。
アランは中庭のベンチで悲しみに暮れていた。マソリーノと一緒に病院に行きたいと言ったのに、目立つから駄目だと兄ヴィルフレドに止められてしまった。
自分の指にケガをしたって、こんなに痛くはなかった。今は、全身が引き裂かれそうに痛い。
「アラン様」
うなだれていると、頭上から女の声がした。アランは見上げる気力も無く、その声を無視する。瞑っていた目をうっすら開けると、視界にスニーカーのつま先が入ってきた。
「アラン様、夕方は冷えてきます、お戻りになった方が…」
うるさい女だ、誰だろう。基本的にこの家の女は、家族であれ使用人であれこんな風にアランに声を掛けてくる者なんていないのだが。
少しだけ気になって、気だるげな首を起こす。傾きかけた日が照らしたのは、亜麻色の髪をした若い女だった。見たことは…あるような、ないような。
「誰だ、お前」
「リアナと申します、ただの花屋です。庭園のご様子を、と思ったらアラン様がいらっしゃったので、つい…。申し訳ございません」
なんだ、花屋か。「パルトネル」のミーハーなファンだろうか、見上げて損した。
アランはため息をつくと、再び頭を垂れた。今は、女と話している気分じゃない。
「…あの、風邪、ひきますよ」
なおも女はアランに話しかけてくる。うるさくてかなわない。
「…うるさいなぁ。俺がどうなろうが、お前に関係ないだろ」
とてつもなく、痛くて苦しい。その苦しさを、消化できもしないのに無理やり嚥下しているのだ。いっそ俺も連れて行ってくれよ、マソリーノ。
一度はひいていた涙が、またじわりと瞳を濡らす。スニーカーの先が滲む。
「…っ」
嗚咽が漏れた。ひとりにして欲しいのに、なおもまだ佇む女に怒りが湧いてくる。
「…どっか、いけよ…!」
そう、絞り出すと、肩から頭にかけてを温かい何かが覆った。
…ブランケットだと認識するのに、少し時間がかかった。
「…オルガさんから、です。お寒いでしょうからと」
女が言った。オルガといえば住み込みのメイドだが、普段そんなに話もしたことがない女の名前が出たことに、少し驚いて涙がひっこんだ。
「…あと、これを」
リアナとかいう花屋は、アランの膝上に小さなブーケを置いた。これは…キク?
「マソリーノ様へ、敬愛の意味を込めてお送りしたかったんです」
キクはイタリアでは死者に贈る花だ。
「花言葉は『高潔』『愛情』、愛に満ちた人生に敬愛と、これからの心の安寧を願う気持ちを込めて」
紅色と黄色のキクが白のリボンで束ねられていた。耳に入ってきた花屋の言葉を咀嚼してみたが、ただただマソリーノがいなくなってしまったという事実を思い知らされるだけな気がした。
かけられたブランケットが思った以上に暖かくて、自分の身体が夕暮れの空気に冷え切ってしまっていたのだと気付く。暖かくて、また涙が出た。「愛に満ちた人生」という言葉が少しずつじんわりと心に入ってきて、アランはゆっくりと顔を上げた。
リアナという花屋はとても整った顔立ちの女だった。
「…部屋に、戻る」
何と言っていいかわからずそれだけを呟いた。リアナは少し微笑んで頷くと、何も言わずに庭園の方へ去って行った。その背中を何とはなしに見送る。
「アランさん、ここにいらっしゃったのですね」
ぼーっと女が去った方を見ていたもんだから、突然の呼びかけに肩が揺れた。
「…なんだ、探偵か」
「せめてローレンと、お呼びください」
そこに居たのはノア・ローレンだった。ベンチに座ったままのアランを、相変わらずの長身で見下ろしてくる。
「そこでオルガさんが心配そうに窓の外を窺っていまして、訊ねればあなたがいらっしゃると言うから」
「オルガが?」
「ええ、今はもう仕事に戻りましたけど」
先程の花屋も、オルガがアランを心配していたという風なことを言っていたが…。アランにはそれが不思議でたまらなかった。ブランケットの裾をつまんでその感触を確かめてみる。濃いブルーの手触りの良い布だった。
「そんなブランケットじゃ、さすがに夜は越せませんよ、お部屋でゆっくり休まれた方が」
と、途中でローレンが言葉を切った。
「?」
見上げてみると彼の視線はアランの膝のあたりに注がれていて、釣られてアランも目線を落とす。そこにはリアナが置いていった小さなキクのブーケがあった。
「それ…」
「あぁ、これか?たったさっき、リアナとか言う花屋が置いていったんだ」
「リアナ、と名乗ったんですね」
「え、あ、あぁ、そうだが?」
「どんな女でしたか?」
ローレンはまるで最重要事項でも訊くみたいに、顎に手を当てアランを覗き込むように顔を近づけてきた。
何が問いたいのか、真意がわからないままにアランは思ったことを口にする。
「どんなって…、マソリーノに敬愛を向けてくれたんだから、悪い人間ではないのだろうな、というくらいしか…」
「そうでなく、口調とか性格とか」
アランの答えに納得いかないのか、リアナについての質問を畳みかけるように次々と投げてきた。その度にアランは戸惑いながらも答える。
こんなにもあの花屋について聞くということは、もしやあの女が容疑者なのだろうか?
そう思い至るが、そんな女には見えなかったので疑惑はとりあえず置いておく。
何故か花屋を詮索するローレンに、これで解決に繋げてくれれば良いのだが、とアランは小さく思った。
悲しい。ものすごく悲しい。
分身のような存在が、もうこの世にいないなんて、信じたくない。
これからどうすれば良いのだ。ここまでふたりでやってきたのに。
アランは中庭のベンチで悲しみに暮れていた。マソリーノと一緒に病院に行きたいと言ったのに、目立つから駄目だと兄ヴィルフレドに止められてしまった。
自分の指にケガをしたって、こんなに痛くはなかった。今は、全身が引き裂かれそうに痛い。
「アラン様」
うなだれていると、頭上から女の声がした。アランは見上げる気力も無く、その声を無視する。瞑っていた目をうっすら開けると、視界にスニーカーのつま先が入ってきた。
「アラン様、夕方は冷えてきます、お戻りになった方が…」
うるさい女だ、誰だろう。基本的にこの家の女は、家族であれ使用人であれこんな風にアランに声を掛けてくる者なんていないのだが。
少しだけ気になって、気だるげな首を起こす。傾きかけた日が照らしたのは、亜麻色の髪をした若い女だった。見たことは…あるような、ないような。
「誰だ、お前」
「リアナと申します、ただの花屋です。庭園のご様子を、と思ったらアラン様がいらっしゃったので、つい…。申し訳ございません」
なんだ、花屋か。「パルトネル」のミーハーなファンだろうか、見上げて損した。
アランはため息をつくと、再び頭を垂れた。今は、女と話している気分じゃない。
「…あの、風邪、ひきますよ」
なおも女はアランに話しかけてくる。うるさくてかなわない。
「…うるさいなぁ。俺がどうなろうが、お前に関係ないだろ」
とてつもなく、痛くて苦しい。その苦しさを、消化できもしないのに無理やり嚥下しているのだ。いっそ俺も連れて行ってくれよ、マソリーノ。
一度はひいていた涙が、またじわりと瞳を濡らす。スニーカーの先が滲む。
「…っ」
嗚咽が漏れた。ひとりにして欲しいのに、なおもまだ佇む女に怒りが湧いてくる。
「…どっか、いけよ…!」
そう、絞り出すと、肩から頭にかけてを温かい何かが覆った。
…ブランケットだと認識するのに、少し時間がかかった。
「…オルガさんから、です。お寒いでしょうからと」
女が言った。オルガといえば住み込みのメイドだが、普段そんなに話もしたことがない女の名前が出たことに、少し驚いて涙がひっこんだ。
「…あと、これを」
リアナとかいう花屋は、アランの膝上に小さなブーケを置いた。これは…キク?
「マソリーノ様へ、敬愛の意味を込めてお送りしたかったんです」
キクはイタリアでは死者に贈る花だ。
「花言葉は『高潔』『愛情』、愛に満ちた人生に敬愛と、これからの心の安寧を願う気持ちを込めて」
紅色と黄色のキクが白のリボンで束ねられていた。耳に入ってきた花屋の言葉を咀嚼してみたが、ただただマソリーノがいなくなってしまったという事実を思い知らされるだけな気がした。
かけられたブランケットが思った以上に暖かくて、自分の身体が夕暮れの空気に冷え切ってしまっていたのだと気付く。暖かくて、また涙が出た。「愛に満ちた人生」という言葉が少しずつじんわりと心に入ってきて、アランはゆっくりと顔を上げた。
リアナという花屋はとても整った顔立ちの女だった。
「…部屋に、戻る」
何と言っていいかわからずそれだけを呟いた。リアナは少し微笑んで頷くと、何も言わずに庭園の方へ去って行った。その背中を何とはなしに見送る。
「アランさん、ここにいらっしゃったのですね」
ぼーっと女が去った方を見ていたもんだから、突然の呼びかけに肩が揺れた。
「…なんだ、探偵か」
「せめてローレンと、お呼びください」
そこに居たのはノア・ローレンだった。ベンチに座ったままのアランを、相変わらずの長身で見下ろしてくる。
「そこでオルガさんが心配そうに窓の外を窺っていまして、訊ねればあなたがいらっしゃると言うから」
「オルガが?」
「ええ、今はもう仕事に戻りましたけど」
先程の花屋も、オルガがアランを心配していたという風なことを言っていたが…。アランにはそれが不思議でたまらなかった。ブランケットの裾をつまんでその感触を確かめてみる。濃いブルーの手触りの良い布だった。
「そんなブランケットじゃ、さすがに夜は越せませんよ、お部屋でゆっくり休まれた方が」
と、途中でローレンが言葉を切った。
「?」
見上げてみると彼の視線はアランの膝のあたりに注がれていて、釣られてアランも目線を落とす。そこにはリアナが置いていった小さなキクのブーケがあった。
「それ…」
「あぁ、これか?たったさっき、リアナとか言う花屋が置いていったんだ」
「リアナ、と名乗ったんですね」
「え、あ、あぁ、そうだが?」
「どんな女でしたか?」
ローレンはまるで最重要事項でも訊くみたいに、顎に手を当てアランを覗き込むように顔を近づけてきた。
何が問いたいのか、真意がわからないままにアランは思ったことを口にする。
「どんなって…、マソリーノに敬愛を向けてくれたんだから、悪い人間ではないのだろうな、というくらいしか…」
「そうでなく、口調とか性格とか」
アランの答えに納得いかないのか、リアナについての質問を畳みかけるように次々と投げてきた。その度にアランは戸惑いながらも答える。
こんなにもあの花屋について聞くということは、もしやあの女が容疑者なのだろうか?
そう思い至るが、そんな女には見えなかったので疑惑はとりあえず置いておく。
何故か花屋を詮索するローレンに、これで解決に繋げてくれれば良いのだが、とアランは小さく思った。
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