カラダから、はじまる。

佐倉 蘭

文字の大きさ
上 下
36 / 67
Last Secret

しおりを挟む

   あの日以来、七海は田中の住む新宿の公務員宿舎に入り浸りになり、赤坂見附のマンションへはほとんど帰ってこなくなった。

   父の機嫌がすこぶる悪い——

『このままだと「外聞の悪いこと」になりかねないわね』

   ぼそりとつぶやいた母は、即「行動」を起こした。一応世間からはお嬢さま学校と呼ばれている女子校の教頭という職務上、我が子の「授かりデキ婚」は避けたいようだ。

   田中と七海がお見合いをしたホテルの宴会部に教え子が勤務していて、問い合わせると六月に入っていたバンケットルームの予約が、ちょうどキャンセルされたところだったと言う。母はすぐに押さえた。

   そして、「お嬢さんをください」という「儀式」のために、うちにやってきた田中に、
『勝手なことして、ごめんなさいねぇ』
と、母はわざとらしく言ったそうだが、
『ありがとうございます。助かりました』
と、田中はニヤリと笑ったそうだ。

   ひさしぶりに顔を見た七海の左手薬指には、ティ◯ァニーのリボンリング婚約指輪が光り輝いていたらしい。

   こうして——田中と七海の結婚式の日取りが決まった。

   先日、お仲人をお願いした金融庁の証券取引等監視委員会の委員長ご夫妻と両家が揃った席で、結納が取り交わされた。
   その後、先に入籍だけでも済ませてきちんとしておきたい、という田中の要望で婚姻届が提出された。

   ようやく、安心したのか、それとも諦めがついたのか——父の機嫌が治った。


゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚


   そして、今日が彼らの結婚式の日だ。

   我が国を代表する一流の老舗ホテルの教会チャペルでの結婚式が終わり、これからバンケットルームへ移動して披露宴である。
   新郎新婦田中と七海とわたしたち親族はその合間に、記念の写真撮影となっている。


   その場所へと赴きながら、わたしは先刻さっきまでのチャペルでの挙式を思い起こしていた。

   もともと、多忙な仕事ゆえに七海と顔を合わす機会は激減していたから、彼女がほとんど家にいなくても、わたしにとっては違和感はなかった。

   それとも、もしかしたら精神こころの負担をできるだけ軽くするために、脳内麻薬でも分泌されているのであろうか?

   すでに彼らは婚姻届を出して新しい戸籍に入った正真正銘の「夫婦」だというにもかかわらず、わたしにはまるで実感がなく、頭の中はまるで霞がかかったような感じで毎日を過ごしていた。


   だが、田中の手によって、結婚指輪であるティ◯ァニーのクラシック ミルグレインが、七海の左手薬指にすーっとはめられていったそのとき、突然、脳内が鮮明になり、わたしは「覚醒」した。

   とたんに——ぎりりっ、と胸に鋭い痛みが走る。

   知らず識らずのうちに盛り上がっていた涙が耐えきれず、つぅーっと頬を伝っていくのがわかった。
   わたしは黒の 2.55パーティバッグから、真っ白なハンカチを取り出してそっと拭った。

——あぁ、ほんとうに……田中は七海と結婚してしまったんだ。


   写真撮影の際、七海の左手薬指には婚約指輪のリボンリングと結婚指輪クラシック ミルグレインが重ね付けされていた。
   田中の左手薬指にも、先刻さっき七海によってはめられた同じクラシック ミルグレインが収まっている。

   レースをふんだんに使ったベルラインの純白のウェディングドレスに身を包み、しあわせいっぱいの笑顔で、左手薬指の指輪以上に光り輝く七海。

   その姿を見ていると、思わずにはいられない。

   どうして、あの場所にいるのが……
   どうして、彼の隣にいるのが……

——わたしではないのだろう?

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

足りない言葉、あふれる想い〜地味子とエリート営業マンの恋愛リポグラム〜

石河 翠
現代文学
同じ会社に勤める地味子とエリート営業マン。 接点のないはずの二人が、ある出来事をきっかけに一気に近づいて……。両片思いのじれじれ恋物語。 もちろんハッピーエンドです。 リポグラムと呼ばれる特定の文字を入れない手法を用いた、いわゆる文字遊びの作品です。 タイトルのカギカッコ部分が、使用不可の文字です。濁音、半濁音がある場合には、それも使用不可です。 (例;「『とな』ー切れ」の場合には、「と」「ど」「な」が使用不可) すべての漢字にルビを振っております。本当に特定の文字が使われていないか、探してみてください。 「『あい』を失った女」(https://www.alphapolis.co.jp/novel/572212123/802162130)内に掲載していた、「『とな』ー切れ」「『めも』を捨てる」「『らり』ーの終わり」に加え、新たに三話を書き下ろし、一つの作品として投稿し直しました。文字遊びがお好きな方、「『あい』を失った女」もぜひどうぞ。 ※こちらは、小説家になろうにも投稿しております。 ※扉絵は管澤捻様に描いて頂きました。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

後宮の棘

香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。 ☆完結しました☆ スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。 第13回ファンタジー大賞特別賞受賞! ありがとうございました!!

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

『恋しくて! - I miss you. 』

設樂理沙
ライト文芸
信頼していた夫が不倫、妻は苦しみながらも再構築の道を探るが・・。 ❧イラストはAI生成画像自作 メモ--2022.11.23~24---☑済み

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

処理中です...