遠い昔からの物語

佐倉 蘭

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第四部「その日の朝」

第一話

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   その日の朝、間宮まみや 廣子ひろこはいつもとは違う八丁堀の停留場から、廣電でんしゃに乗って職場へ向かっていた。

   昨夜は、戦死した夫の弟が出征するにあたっての壮行会があり、実家からひさしぶりに婚家に戻った。
   東京の府立工業専門学校に進んだ義弟であるが、今まで猶予されていた彼らのような理科系の者にまでも、時勢は臨時召集令状赤紙を送ってきた。

   多くは語らないが、つい最近東京から疎開してきた従妹いとこの様子を見ていても、今この国はかなり緊迫を極めているようだ。


   廣子は路面チンチン電車から見える街の景色を、窓を通して見た。
   今のところ、生まれ育ったこの街は、ほぼ「無傷」である。

   お城の地下に陸軍の大本営が設置され、軍都として名高いこの街には、幸いなことにまだこれといった空襲の被害はない。
   海軍の軍港のある隣町の呉などは、尋常ならぬほどのB29やグラマンの攻撃にさらされているというのに。

——海軍より陸軍の方がまもりが固いんじゃろか。

   廣子はわが故郷ふるさとを護ってくれているというにもかかわらず、おもしろくなかった。
   日米開戦してまもなく名誉の戦死を遂げた夫が海軍航空隊の搭乗員パイロットだったからだ。

——「パイロット」なんて、憎っくき鬼畜米英が遣いよる敵性語じゃけど。

   一応、廣子が代用教員を務める国民学校ではお国の手前、
「絶対につこうたらいけん。むやみやたらに遣うて憲兵さんにでも見つかったら、二度とうちに帰れんよ」
と子どもたちにはさとしているが、実際はそんなことで憲兵に引っ張られた人を見たことはない。

   それに、大人だって、つい口をついて出ているものだ。
   たとえば、鬱屈した戦時の中で、子どもから年寄りまでもがささやかな楽しみにしている「ラヂオ」を、敵性語だからといって言い換えている人が、果たしてこの国にいるのだろうか。

   廣子は亡き夫との婚約中、同僚の海軍士官たちに「わしのエンゲじゃ」と言って紹介されていたことを思い出した。
   海軍での「婚約者」という言葉は、英語の「engage」に由来するのだ。

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