遠い昔からの物語

佐倉 蘭

文字の大きさ
上 下
35 / 46
第三部「いつか」

第十七話

しおりを挟む

——早く外に出ないと、防空壕へ逃げ込まないと、命が危ない……

   頭でいくらそう思っていても、一歩も踏み出せないどころか、身を起こすことすらできなかった。

——どうしよう……このままでは……わたし……本当に……本当に……死んでしまう……

   そう思えば思うほど、私は土間の上で、どんどん小さくうずくまっていった。
   けたたましく鳴り響くサイレンの音が、意気地なしのわたしを、容赦なく責め立てた。

——情けなくて、情けなくて、もう……こんなわたしなら、このまま死んだ方がいい。


゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚


   どのくらい、そうしていただろう。わたしは、いつの間にか意識を失っていた。

   不意に、ドンドンドンッと、外から、勝手口の戸を激しく叩く音がして、正気に戻った。

「……安藝あきちゃん、安藝ちゃんっ、そこにいるんだろっ」
   それと共に、大きな怒鳴り声も聞こえてきた。
「早く、ここを開けてくれっ」

——彼の声だった。

   わたしは、身を伸ばして勝手口の戸のかんぬきを抜いた。

   と同時に戸がガラッと開き、彼が転がるように中へ入ってきた。
   土間にへたり込んだ彼は、ものすごい形相をし、肩で荒々しい息をしていた。

   けたたましく鳴り響く空襲警報のサイレンの中、彼は八丁堀の自宅から、路面電車で三駅ほどあるここまで、命懸けで走ってきたのだった。

「……ごめんなさい……わたしの所為せいで……」
   わたしは、彼のもとへ這うようにして寄った。

「……まったくじゃっ」
   彼は吐き捨てるように云った。

「じゃけぇ、わしがあれだけ、うちに来い、と云うたじゃろうがっ」
   彼が怒りに満ちた表情で、声を荒げて怒鳴った。

   わたしは、そう云われるとなにも云えず、ただ目を伏せるしかなかった。

   すると、彼はわたしの腕を掴み、自分の胸元へ引き寄せた。そして、力いっぱい、わたしを抱きしめた。

「……無事で……よかった……」

   心の底から搾り出すような声だった。

   わたしはその腕の中で、彼を見上げた。彼も、自分の腕の中のわたしを見つめた。
   わたしたちは互いに吸い寄せられるように、唇と唇を合わせた。

   わたしにとっては——初めてのくちづけだった。

   たとえこの人が、わたしの中に廣ちゃんの面影を見ていたとしても……
   たとえ、わたしを廣ちゃんの身代わりとして、こんなふうにしているのだとしても……
   たとえ、本当に好きなのが、わたしではなく、廣ちゃんであったとしても……

——それでも、いい。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地~ 家族愛の三国志大河

墨笑
歴史・時代
『家族愛と人の心』『個性と社会性』をテーマにした三国志の大河小説です。 三国志を知らない方も楽しんでいただけるよう意識して書きました。 全体の文量はかなり多いのですが、半分以上は様々な人物を中心にした短編・中編の集まりです。 本編がちょっと長いので、お試しで読まれる方は後ろの方の短編・中編から読んでいただいても良いと思います。 おすすめは『小覇王の暗殺者(ep.216)』『呂布の娘の嫁入り噺(ep.239)』『段煨(ep.285)』あたりです。 本編では蜀において諸葛亮孔明に次ぐ官職を務めた許靖という人物を取り上げています。 戦乱に翻弄され、中国各地を放浪する波乱万丈の人生を送りました。 歴史ものとはいえ軽めに書いていますので、歴史が苦手、三国志を知らないという方でもぜひお気軽にお読みください。 ※人名が分かりづらくなるのを避けるため、アザナは一切使わないことにしました。ご了承ください。 ※切りのいい時には完結設定になっていますが、三国志小説の執筆は私のライフワークです。生きている限り話を追加し続けていくつもりですので、ブックマークしておいていただけると幸いです。

居候同心

紫紺
歴史・時代
臨時廻り同心風見壮真は実家の離れで訳あって居候中。 本日も頭の上がらない、母屋の主、筆頭与力である父親から呼び出された。 実は腕も立ち有能な同心である壮真は、通常の臨時とは違い、重要な案件を上からの密命で動く任務に就いている。 この日もまた、父親からもたらされた案件に、情報屋兼相棒の翔一郎と解決に乗り出した。 ※完結しました。

鬼が啼く刻

白鷺雨月
歴史・時代
時は終戦直後の日本。渡辺学中尉は戦犯として囚われていた。 彼を救うため、アン・モンゴメリーは占領軍からの依頼をうけろこととなる。 依頼とは不審死を遂げたアメリカ軍将校の不審死の理由を探ることであった。

聲は琵琶の音の如く〜川路利良仄聞手記〜

歴史・時代
日本警察の父・川路利良が描き夢見た黎明とは。 下級武士から身を立てた川路利良の半生を、側で見つめた親友が残した手記をなぞり描く、時代小説(フィクションです)。 薩摩の志士達、そして現代に受け継がれる〝生魂(いっだましい)〟に触れてみられませんか?

戦艦タナガーin太平洋

みにみ
歴史・時代
コンベース港でメビウス1率いる ISAF部隊に撃破され沈んだタナガー だがクルーたちが目を覚ますと そこは1942年の柱島泊地!?!?

毛利隆元 ~総領の甚六~

秋山風介
歴史・時代
えー、名将・毛利元就の目下の悩みは、イマイチしまりのない長男・隆元クンでございました──。 父や弟へのコンプレックスにまみれた男が、いかにして自分の才覚を知り、毛利家の命運をかけた『厳島の戦い』を主導するに至ったのかを描く意欲作。 史実を捨てたり拾ったりしながら、なるべくポップに書いておりますので、歴史苦手だなーって方も読んでいただけると嬉しいです。

処理中です...