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第三部「いつか」
第十七話
しおりを挟む——早く外に出ないと、防空壕へ逃げ込まないと、命が危ない……
頭でいくらそう思っていても、一歩も踏み出せないどころか、身を起こすことすらできなかった。
——どうしよう……このままでは……わたし……本当に……本当に……死んでしまう……
そう思えば思うほど、私は土間の上で、どんどん小さくうずくまっていった。
けたたましく鳴り響くサイレンの音が、意気地なしのわたしを、容赦なく責め立てた。
——情けなくて、情けなくて、もう……こんなわたしなら、このまま死んだ方がいい。
゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚
どのくらい、そうしていただろう。わたしは、いつの間にか意識を失っていた。
不意に、ドンドンドンッと、外から、勝手口の戸を激しく叩く音がして、正気に戻った。
「……安藝ちゃん、安藝ちゃんっ、そこにいるんだろっ」
それと共に、大きな怒鳴り声も聞こえてきた。
「早く、ここを開けてくれっ」
——彼の声だった。
わたしは、身を伸ばして勝手口の戸の閂を抜いた。
と同時に戸がガラッと開き、彼が転がるように中へ入ってきた。
土間にへたり込んだ彼は、ものすごい形相をし、肩で荒々しい息をしていた。
けたたましく鳴り響く空襲警報のサイレンの中、彼は八丁堀の自宅から、路面電車で三駅ほどあるここまで、命懸けで走ってきたのだった。
「……ごめんなさい……わたしの所為で……」
わたしは、彼の許へ這うようにして寄った。
「……まったくじゃっ」
彼は吐き捨てるように云った。
「じゃけぇ、わしがあれだけ、うちに来い、と云うたじゃろうがっ」
彼が怒りに満ちた表情で、声を荒げて怒鳴った。
わたしは、そう云われるとなにも云えず、ただ目を伏せるしかなかった。
すると、彼はわたしの腕を掴み、自分の胸元へ引き寄せた。そして、力いっぱい、わたしを抱きしめた。
「……無事で……よかった……」
心の底から搾り出すような声だった。
わたしはその腕の中で、彼を見上げた。彼も、自分の腕の中のわたしを見つめた。
わたしたちは互いに吸い寄せられるように、唇と唇を合わせた。
わたしにとっては——初めてのくちづけだった。
たとえこの人が、わたしの中に廣ちゃんの面影を見ていたとしても……
たとえ、わたしを廣ちゃんの身代わりとして、こんなふうにしているのだとしても……
たとえ、本当に好きなのが、わたしではなく、廣ちゃんであったとしても……
——それでも、いい。
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