遠い昔からの物語

佐倉 蘭

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第三部「いつか」

第十四話

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   彼は毎日来るようになった。

   そして、わたしの弱さを知って以来、ぐっと砕けた口調になり、わたしの目をしっかり捉えて話すようになった。

   でも、彼に見つめられるたびに、わたしは自分の中の、廣子に似た部分をあぶり出されているような気がした。

   だから、どうしても、彼に対して素直に心を開くことができなかった。つい、ぶっきらぼうな、木で鼻をくくったような物云いになってしまっていた。

   だけど彼は、弱さを知られたわたしが照れ隠しのために、そのような振る舞いをしていると思っているようだった。


「……きみは、やっぱり壮行会に来る気ないのかい」
   彼は今日も訊いてきた。

——あなたの好きな廣ちゃんが行くのだから、わたしがわざわざ行かなくてもいいでしょう。

   私は知らん振りをして、手元の本を読み進めた。川端康成の「浅草紅団」だった。

   谷崎潤一郎の「痴人の愛」の主人公・ナオミとはまた違う、妖しい魅力を持った弓子ゆみこという少女を中心に描かれていて、彼が前に勧めてくれただけあって、さすがにおもしろい。
   そして、生まれ育った東京の、まだ戦争が始まる前の、浅草の界隈が描かれているのが、なんとも懐かしかった。

「うちの両親にきみのことを話したらさ、『気にせんで遠慮のう来たらえぇ』って云ってたんだぜ」

——どうして、わたしの話なんか、ご両親にするのかしら。

「非常時なんですから、家を空けるわけには行きませんの。なにかあったときに、隣組にも迷惑がかかるかもしれなくてよ」
   本から顔を上げず、わたしはきっぱりと云った。

「おふくろも、きみに『一度、うてみたい』って云ってたんだけどなぁ」
「どうして」
   わたしは、本から目を上げて訊ねた。

——なぜ、彼のお母さんがわたしに会いたいのだろう。

「それは……」
   彼は突然、口ごもった。


「……ただいま戻りましたけぇ……おや、今日も寬仁ともひとさん来とるん」
   そのとき、勝手口から伯母の声がした。帰ってきたのだ。

   わたしは急いで「浅草紅団」を目の前の本棚へ押し込んだ。「花のワルツ」なら、こんなことはしなくてよいのだが。

「……安藝あきちゃん」
   勝手口へ行こうとしたわたしを彼が呼び止めた。

   名前で呼ばれたのは、初めてだった。身体からだがカッと熱くなった。

「僕のために……弾除けのお守りを作ってくれないか」

   ただ名前を呼ばれただけなのに、身体の火照ほてりが顔にも伝わりそうだった。それを見られたくて、思わず俯いた。

「きみが作った、弾除けのお守りがほしいんだ」
   無言のままでいるわたしに、彼がもう一度云った。

   お守りなら、慰問袋を縫う要領で作れるだろう。それに、出征兵士に渡すものとして、縁起も良かった。

「……よくってよ」
   わたしはようやく、俯いたまま、消え入るような声で応じた。頬が、燃えるように熱かった。

「作ってくれるんだな。……ありがとう」
   彼の声にはどこか、ホッとしたような気配があった。

   伯母と入れ替わるようにして、彼は今日も一冊だけの本を持ち、帰って行った。

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