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第三部「いつか」
第二話
しおりを挟む玄関先には、国防色の国民服を着て、足にゲートルをしっかりと巻きつけた、二十歳くらいの青年が立っていた。
「……間宮 廣子さんはおられますか」
奥の部屋から姿を現した、白いブラウスに絣のもんぺ姿のわたしに、その人は帽子を取りながら尋ねた。
従姉を訪ねてきたみたいだが、見たことのない顔に、わたしが訝しげな顔をしたら、
「僕は、廣子さんの夫の間宮 義彦の弟で、寬仁と申します」
と、慌てて云った。
「召集令状が来て、来月、予備学生として陸軍の部隊へ入営することになったので、お義姉さんにご報告に参りました」
今度はわたしが慌てる番だった。
これからお国のために兵隊さんになろうという人に対して、立ったまま応対していたわたしは、
「廣子の従妹で、佐伯 安藝子と申します。東京から疎開してきたばかりで、こちらの様子がわかりませんもので、失礼致しました」
そう云いながら、もんぺの膝を折ってすぐさま床の上に正座し、
「この度は、御出征おめでとうございます。武運長久、お祈り申し上げます」
と、手をついて頭を下げた。
下の従姉である廣子は、女学校を卒業してすぐに、見合いした海軍大尉と結婚した。今のわたしと同じ歳のときのことである。
まもなく日米開戦となり、辣腕の海軍パイロットだった大尉は、ある海戦で名誉の戦死を遂げた。詳細は軍事機密に触れるので定かではないが、出撃した軍艦が沈没したという話だ。
そして、一階級特進して少佐となり、靖国神社に祀られ「軍神」となった。
だが、海の上で死んだ者には遺骨はない。
母艦の方の私室に遺されていた、軍人の心構えとして用意していた遺書と万年筆などの身の回り品、そして廣子の写真だけが還ってきたそうだ。
まだ二十歳に満たない若さで夫を喪ったにもかかわらず、廣子はお葬式で涙一つこぼさなかったらしい。
その毅然とした態度に、
「廣子は覚悟しとったんだろう。でなければ、あんな振る舞いはとてもできん。あれこそ、軍人の妻だと思ったよ」
参列したうちの父も感心しきっていた。
——これから先は、家事の手が空いた昼間、廣子の母である伯母がわたしに語ってくれた話である。
廣子のお腹の中には、亡き夫の忘れ形見がいた。
海軍士官の仲間内では、慣例として、戦死者の家族に対しては手厚い援助をするそうだ。
病で妻に先立たれたある海軍士官が、廣子と再婚して生まれてくる子どもも一緒に引き受けたい、と云ってきた。
それを聞いた嫁ぎ先の家は、再婚するなら子どもを置いていくように告げた。
元より再婚する気などなかった廣子は、その話をきっぱり断った。
しかしその後、今度は婚家が、亡くなった夫の弟と一緒になるよう勧めてきた。
生まれてくる子どもにとっては叔父に当たるから、きっと本当の親のように育てられるだろうということで、戦争未亡人の身の振り方としてはよくある話だ。
廣子より四つほども年若い義弟は、東京の府立高等工業専門学校に入ったばかりのまだ学生だった。
躊躇する廣子を尻目に、彼の卒業を待って祝言を挙げる運びとなった。
ところが、数々の心労が祟ってしまったのか、廣子はお腹の子を流産してしまった。
風邪一つ滅多にひかない人が、めっきり体力が落ちて臥しがちになり、とうとう実家に戻って養生することとなった。
当然、義弟との再婚話も御破算となった。
婚家は、廣子がこの先別の人と再婚しやすいようにと、入れたままの籍を抜くことを勧めたが、廣子は頑として拒んだそうだ。
だから、従姉の名は、佐伯 廣子ではなく間宮 廣子だ。
——今でも、海軍士官 間宮 義彦少佐の妻である。
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