遠い昔からの物語

佐倉 蘭

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第二部「さくら、さくら」

第六話

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   そのとき、ふすまの向こうで物音がした。話し声もする。

   おれは嫌な予感がしたので上体を起こし、廣子のブラウスの胸元をパッと戻して、立ち上がった。そして、乱れた自分の白縞の前をすばやく整えた直後、豪快に襖が開いた。

   白いランニングシャツとズボンに着替えた神谷が、どかどかと入ってきた。

「……四人で、花札やろうや。『こいこい』でも『株』でも、どっちゃでもええで」
   手の中の花札をヒラヒラさせながら云った神谷の後ろには、奴の彼女が両腕を組んで立っていた。

   廣子は背を向け、慌ててブラウスのボタンを止めていた。突然のことで動揺しているのだろう。肩が震えていた。

「貴様、他人ひとの部屋に声も掛けんといきなり入ってくんなや。いつも云うとるじゃろうが」
   わしが怒りのあまり吐き捨てるように云うと、神谷がわしの腕を取って脇へ引っ張って行き、
「頼むさかい、おれとあいつを二人っきりにせんといてくれ。なんや知らんけど、おれが朝飯のとき、おまえのエンゲの乳ばっか見とうったって難癖つけて、えらい怒っとうねん」
   片手で拝みながら、声を殺して云った。

   そんなくだらない理由のために、これからだっていうところで邪魔をされたわしは心底腹が立ち、奴に取られた腕を振り払って睨みつけた。

   多分、敵機を目の前にしてもこんなふうには睨みつけられないだろう。


「こいこい」の結果は、神谷の薫子エンゲの一人勝ちだった。
   生真面目な廣子がいる手前、金を賭けてなくて本当によかった。

   先の大戦景気で急成長した神戸の貿易商の一人娘である薫子ゆきこは、別に金が入ってこなくても「勝てた」ことだけで大満足し、さっきまでの仏頂面は鳴りを潜め、華やかな笑顔が戻ってきた。
   逆に、実家は播磨の大地主だが五人兄弟の末っ子で三男坊の神谷は、別に自分が勝ったわけでもないのに、金を賭けてなかったことを歯ぎしりして口惜しがった。

   すっかり上機嫌になった薫子は、中食ちゅうじきのときも廣子にいろいろと話しかけ、廣子もそれに応じてよく笑っていた。

   その後、旅館周辺を散策するから一緒に行かないか、と誘われたが、同じ機に乗る一心同体の相棒とは云え、休暇まで足並みを揃える義理はない。

   わしはこの貴重な三日間の賜暇ほうかを、廣子と二人きりで過ごしたいのだ。
   ほかの連中が帰省するのにわしは帰らず、廣子の父に偽りを書いてまでここに呼んだのは、そのためだ。

   神谷までもが帰省せずに薫子を呼ぶ、と云ったのは想定外だったが……


   中食をとった神谷の部屋から戻ると、蒲団が一組敷かれていた。中食の後は午睡をとるため、仲居に用意させていた。

   わしは廣子の肩を抱き寄せ、
「……昼前の続きをやるけぇのう」
と、耳元でささやいた。

   廣子がびくっとしてわしを見上げる。
「……ほいじゃけぇ、また……だれか、入って来るかも……しれんけぇ……」
   涙声になっていた。神谷のあの「来訪」には、よっぽど気が動転したのだろう。

「奴はさっき、旅館を出たばかりじゃけぇ、しばらくは帰ってんじゃろう。それに、あんとな奴が見ても気にせんでえぇぞ」
   廣子の頬をやさしく撫でながら云った。

   わしは神谷を心底憎んだ。同じ機でなければ、敵機よりも先に撃ち落としてやるところだ。

「そんとなこと云うても……」
   廣子は目を伏せた。

「男が可愛いがっちゃる云うとるんじゃ。……つべこべ云うなや」

   まだなにか云いたそうな廣子のくちびるを、わしの唇で強引に塞いだ。

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