遠い昔からの物語

佐倉 蘭

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第一部「初めて」

第六話

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「……力抜いてくれんか。そがぁに力まれちゃぁ、奥まで入っていかんけぇ」
   間宮中尉がうめいた。

   うちは、ぎゅっとつむっていた目を開けた。

「ほいで、えらぁつえぇ力で押し戻されるんじゃが……わりゃぁまだ、わしのことがいびせぇか」
   中尉が、うちの目を覗き込んで心配そうに訊く。

「いいえぇ……うちゃぁもう、あんたぁのこと、いびせぇないけぇ」
   うちは、中尉の目をしっかり見てそう応えた。必死だった。

   中尉はそんなうちを愛おしげにぎゅっと抱きしめ、うちの頬に自分の頬を摺り寄せた。
   それから、ふと思いついたように中尉が云った。

「……息を、ふこう吸うてみてくれんかのう」

   うちは、なことじゃの、と思ったが、云われたとおりに息を吸った。

「もっとじゃ」
   中尉が云う。うちはさらに息を吸った。

「もっとじゃ」
   中尉がまだ云う。うちはもう限界まで息を吸っていた。

   もうこれ以上は無理じゃ、と思った、その瞬間——

「よしっ、今だ……息を吐けッ」
   中尉の号令が響いた。

   うちはせきを切ったように、息を吐き出す。

   すっかり息を吐き出した直後——突然、強烈な痛みが走った。

「・・・はぅうっ・・・くうぅっ」
    あまりの激痛に思わず身をよじらせる。根元まで深く突き刺さったのだ。

   中尉がゆっくりと腰を動かし始めた。とたんに、うちの脳天めがけて、きりで突かれたようにしる。
   うちは歯を喰いしばって、その痛みに堪えた。

「・・・うくぅ・・・ぅうっ・・・ぁあっ・・・はあぅっ・・・」

   中尉の汗でびっしょりになった背中へ回したうちの手が、爪を立てる。

「……えっとぅ……焦らされとるけぇ……わしゃぁ、もう限界じゃ……わりゃぁ、えらかろうが……ちいっとの……辛抱してくれや」

   荒い息でそう云ったあと、中尉の腰の動きがこれまでとは打って変わって速くなった。

「・・・あっ、はっ、うっ・・・ぅんっ、ぁんっ、ぁああぁっ・・・」

   しるどころではない。これまでとは比べものにならないほどにがる。
   中尉の背中にまわした手がほどけ、蒲団の上に落ちた。

   うちは敷布を力の限り握りしめたり、首を左右に振ったり、背をけ反らせたりして、なんとかこの激痛を逃がす方策を探ったが、無駄だった。

   中尉の腰の動きがさらに速くなり、汗がしたたり落ちる。うちの痛みもさらに増す。
   うちは苦痛に歪んだ顔で、いつの間にかうなり声をあげていた。


   男と女のまぐわいは、もっと気持ちのえぇもんじゃろうと想像しとった。

——夫婦になる云うんは、こがぁににがるもんなんじゃろか。

   きっと、自分がおなごとして、どっかに欠陥があるけぇ、こがぁににがるんじゃと思うた。

   見上げた中尉の顔は、苦しげで、鬼のように険しい形相をしとる。
   ただにがるばかりのうちを、怒っとるんじゃ。こんとなおなごじゃぁ、愛想あいそ尽かれるじゃろう。

——婚約も取り消しになるかもしれん……

   そう思うと、涙があふれてきよった。


   そのとき、初めて気づいた。

——うちゃぁ、こがぁにも中尉のことを好いとったんじゃ。

   ほいじゃのに、うちは自分の気持ちに目を向けようともせんで、中尉を拒むような態度しかしてこんかった。
   思えば中尉はいつも、うちに優しゅう接してくれようとしてたというんに……

   うちは、あふれ出る涙をこらえることができんかった。


「……廣子」

   不意に、中尉が耳元で、うちの名を初めて呼んだ。呼び捨てじゃった。

   うちは今まで、身内以外からそんなふうに呼ばれたことがなかった。
   そして、そこには身内にはない、甘い響きがあった。

   流れ出る涙が止まり、うちの心が一気にとろける。

   突然、中尉がまるで全身の力が抜け落ちたかのように、うちの上へ覆いかぶさってきた。
   うちは訳がわからんかったけど、中尉の大きな身体からだをしっかり受け止め、抱きしめた。

   あれだけしってにがりよってたまらんかった痛みが、嘘のように退いていく。

   代わりに、そこに温かいものが注ぎ込まれているのを感じた。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
*はしる ー 電気が走ったような鋭い痛み
*えっと ー とても・たくさん
*えらい ー つらい・たいへん
*にがる ー 耐えがたい重い痛み
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