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Chapter 4

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「あなた、片付けが終わったから……こっちに来て」
 妻は、すでにダイニングチェアに座っていた。
「おまえの方こそ、こっちに来いよ」
 おれは、面倒だな、という顔をつくって、今座っているヴィンテージ風のダークブラウンのカウチソファに、妻を促そうとした。

 これからおまえがなにを言おうと、思いっきり抱きしめて、この柔らかいカーフスキンのソファに沈め、おまえが目論もくろむなにもかもを、有耶無耶うやむやにしてやる。
 あんなホストみたいな名前の(たぶん)歳下の男なんか、速攻で忘れさせてやる。

 ……だが、妻は首を振った。
「あなたがこっちに来て……お願い」

 おれは渋々、ソファから立ち上がった。


 リビングの家具類は、北欧家具専門のセレクトショップ「Maja」で求めた、妻の好きなフレ◯リシアで揃えてある。妻に教えてもらうまで知らなかったが、デンマーク製の家具の椅子はセクシーなまでのカーブで、座り心地のフィット感が抜群だ。

 おれは四人掛けの真っ白なダイニングテーブルの、妻の隣の真っ黒な椅子に座ろうとした。すると「前に座って」と阻止される。

 対面での話というのは「対決姿勢」を示す。
 ——紗香……おまえ、営業のプロのおれと……ガチで話をするつもりか?

 おれは仕方なく、真正面の椅子を引く。先刻さっきまでの柔らかいカウチソファとはまるで違う、硬い材質のスタッキングチェアだ。どかっ、と座って、持て余しそうなくらい長い脚をひらりと組む。(自分で言うのもなんだが、本当のことだから仕方ない)

 残念ながら息子には抜かされたが、おれの身長は一七七センチだ。さすがに威圧感を感じて畏れをなしたのか、一五六センチの妻はごくっと唾を飲んだ。
 ——ほら、言わんこっちゃない。
 おれは腕組みをして、妻の顔をぐっと見た。

「おまえの言うとおり、座ったぞ。おれは今日は酒も一滴も吞まず、素面シラフだ。さぁ……言いたいことがあるなら、言ってみろ」
 会社での「東証一部上場企業を支える、専務取締役の顔」で言ってやった。

「だ…大地が大学を卒業して、あさひ証券に就職したでしょう?」
 妻の声は上擦うわずって、震えていた。
「今までは、家族のためにと思って、やってきたけど……」
 だが、その瞳はまっすぐにおれを見ていた。

「これからは……家族のためじゃなく、あたし……自分のために生きたいの」

 どこかで聞いた言葉だな。今年の流行語大賞か?

「それで、あたし……」

 だから、おれと離婚したいというのか?おれと別れて、あの歳下のホスト(推定)と、一緒になりたいというのか⁉︎

 ——冗談じゃねえっ‼︎

「わかった。……話は、それだけだな?」
 おれはダイニングテーブルに両手をついて、椅子から立ち上がった。

「ちょ…ちょっと、待って……あのね……」
 妻はまだなにか言いたそうだったが、遮った。

 絶対に、聞きたくないからだ。おまえの口から「離婚したい」なんて言葉を——

「悪いが、明日のゴルフコンペ、朝早いんだ。……支度したら、寝るから」

 おれはそう言って、ウォーキングクローゼット代わりにしている部屋に向かうために、リビングを出た。


 ゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜


 夜中にハッ、と目が覚めた。あわてて、隣を見る。

 ……妻がいた。

 ホッ、と息をつく。
  ——だが、このマンションには、このベッドしかないからな。

 タツノオトシゴのように丸まって、彼女は穏やかな寝息を立てている。
 ——まさか、妻が歳下のホスト(推定)と浮気しているかもしれない、とは思いもよらなかった。

 豊かで柔らかな髪を、そっと撫でる。
 ——なぁ、いつの間に、おれから心が離れた?

 ゆっくりと、顔を近づけ、頬にキスをする。
  ——だからって、歳下のホスト(推定)なんかに、引っかかるなよ。

 また、ゆっくりと顔を近づけて、今度はくちびるを重ねる。
 ——なのに、なぜ昨日、おれに抱かれた?

 彼女はいったん眠りについたら、子どものように朝まで起きない。だから、また、彼女のくちびるに自分のくちびるを重ねる。
 ——まさか、あれが「最後」のつもりだったのか?

 自分でもせつなげな目で、妻を見つめているのがわかる。放ったらかしにして、なにも気づかなかった。
 ——ちょっと、安心し過ぎたな。ちょっと、おまえに甘え過ぎたよ。


「……紗香」

 妻の名を、声にならないつぶやきで呼ぶ。狂おしいまでの後悔が、じわじわと……おれの心の底から込み上げてくる。

 ——紗香、おれはまだこんなに、おまえのことが好きだったんだな。

 お互いの左手の薬指には、二十年以上も前に揃えた、プラチナのシンプルな指輪が収まっている。真珠の養殖で世界的に有名な、日本のジュエリーブランドのものだ。
 なにをされてもぐっすり眠る紗香の左手をとり、 その薬指の指輪に、ちゅっ、とくちづける。

 おれはまだ、これほどまでに、おまえのこと……

 ——愛してたんだな。

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