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きみは運命の人
§ 1 ③
しおりを挟む同じ「やや」という名で、「弥々」や「耶々」はいたとしても「稍」はまずいないだろう。
智史が知る限り、この世で「稍」はたった一人だけだ。
すぐに、経歴をチェックした。
生年月日も、風の噂で聞いていた出身校の関西にある女子大も、すべて彼の知る「稍」と同じだった。
だが、しかし……
——あいつの名字は『麻生』やったのに。まさか……結婚したんか?
残念ながら、家族構成のデータはなかった。
お互い、今年三十五歳になるのだ。結婚して子どもの一人や二人いるのは、なにもおかしいことではない。
智史は未だ独身で、この先も「結婚」なんて、さらさらする気はなかったが。
「ど、どうした?智史……今にも人をぶっ殺しそうな顔してるぞ」
和哉は驚愕の目で見た。まるで、某反社会団体に属するヒットマンのようだと思った。
この従弟は、たとえ身内に対しても、滅多に感情を表に出さないというのに……
しかし、智史はなにも言わず、手にしたタブレットでしばらくタップやらフリックやらスワイプやらを繰り返していた。
そして、やっと和哉に差し出す。
「ここにおるやないですか。……おれの『望む人材』が」
「え?そうやったか?」という感じで、和哉が返ってきたタブレットを覗き込んだ。
【八木 梢】
「……あ、あかんわ。こいつは」
見たとたん、和哉は即座に言った。
「ほら、ここ見ろ。この四月一日から営業部の事務サポートに配属が決まっとる。前職が大手の証券会社の『営業事務課勤務』やからな」
「そこをなんとかするのが『魚住課長』の力でしょう?」
智史は和哉を横目で、じろり、と睨んだ。
「それに相手が営業部であれば、『それなら「伝家の宝刀」を封印する』とでも言って脅せばいいんですよ」
「魚住課長の最敬礼」は、まったく卑屈さが感じられない。いや、むしろ、威厳さえ感じさせるほど美しかった。
だから、営業部のだれかがお偉いさんにしくじったとき、和哉が駆り出されて代わりに頭を下げさせられる。
「伝家の宝刀」と呼ばれるのは、客先でそれをやれば、挽回どころか『ただの取引先』が一気に『上得意先』に変わるためだ。
それは管理職になってからも変わらない。いや、むしろ付加価値が増した。
「……いや……せやけどな……あの営業部長には、大阪支社の頃に世話になってるしなぁ……」
入社後、大阪支社に配属となった際に、直属の上司として魚住を鍛え上げてくれた「恩師」だった。
「……そういえば」
智史はふと思い出したかのように訊く。
「四月末の会社の創立パーティには、美咲さんも来られるんですよね?」
(株)ステーショナリーネットは、この四月で創業二十周年を迎える。
明治から続く老舗の文具メーカーである萬年堂の子会社として、文具に特化した通信販売からスタートしたこの会社は、その後いち早くインターネットでの販売方法を確立し、今ではネット通販ではこの国有数のシェアを誇るまでに成長した。
わが国を代表する老舗ホテルに社内外の者を招き、記念パーティが開かれるまでになったのだ。
「ほな……仕方ないですね。そのときにでも『あのこと』を美咲さんに……」
「ま、待てっ。智史、早まるな!」
和哉が堪らず制した。
「『あのこと』というのが何なのか、さっぱりわからへんが、とにかく美咲には言うな!」
「ほんなら、お願いしますよ?」
智史は、口の端をかすかに上げて微笑んだ。ほくそ笑んだ、と言った方が正しいが。
「……わかった」
和哉は渋々、承諾した。
「その代わり、智史、パーティでは美咲と一言もしゃべるなよっ!おれらが従兄弟同士ってことを知ってるのは、社長と人事部長くらいしか……あ、あとはおれと同期の人事課長くらいしかおらへんねんからなっ!パーティでは、絶対に美咲とは他人のフリしろよっ!わかったなっ⁉︎」
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