大江戸シンデレラ

佐倉 蘭

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三段目

玉ノ緒の場〈陸〉

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   舞ひつるの心の臓が、早鐘のごとく打つ。

——なにゆえ、若さまと玉ノ緒が、かようなところに二人きりで……

   目の前がさぁーっと暗くなり、足元が心許こころもとなくなって、その場に倒れ込みそうになる。


   そうこうしているうちに、兵馬の顔が中に引っ込んだ。玉ノ緒を追って、境内へと入って行ったようだ。

   わずか二けん(約三・六三メートル)先の仕舞屋の陰に、見知った舞ひつるが潜んでいるなど、つゆほども思いよらぬことであろう。
   
   舞ひつるは、波立つ胸の内をなんとかなだめると、仕舞屋の隙間から表に出た。

   それから、下駄が立てそうになる音を殺しつつ、そーっと鳥居の前まで歩み寄る。
   恐る恐る鳥居の内側を覗くと、もう其処そこにはだれもいなかった。

——もしかして、御堂に入りなんしたか。

   舞ひつるもまた境内に入ると、音が出る玉砂利の参道を避けて地道を通り、小堂の脇まで歩みを進めた。

   黄八丈の裾をからげ、ゆっくりとしゃがむ。鎮めたはずの心の臓が、また早鐘を打ち始めていた。

   下駄を履いていては身体からだかしいでしまいそうになるため、なるべくそっと小堂の壁の杉板に手をついて上体を安定させる。あとは足指に力を込め、しっかりと踏ん張った。

   そして、杉板一枚を隔てた向こう側を窺う。思ったとおり、人のいる気配がする。

   舞ひつるにとって、我が身の気配を消すのはお手の物だった。幼き頃より、姉女郎が閨で客と睦み合っているすぐ隣の部屋で、息を殺してしんに就くのが日常茶飯であったがゆえだ。

   さりとて、玉ノ緒はともかくとして、兵馬は武家の男である。
   当然、幼い頃より剣術などの武道に通じている。ほんのいささかでも物音を立てれば、気づかれるに違いない。

   舞ひつるは、いつにも増して気配を殺した。


゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚


「……若さま」

   小堂の中から、声を抑えたおなごの声がした。たがうことなく、玉ノ緒の声だった。

此度こたび……身請けされることになりんした」

   しばらく沈黙が続いた。

「……何処いずこに身請けされるんでぃ」

   押し殺した男の声が聞こえてきた。こちらも、違うことなき兵馬のものだった。

「淡路屋さんでありんす」

「淡路屋ってぇと、主人あるじ内儀かみさん一筋ってもっぱらの噂だから……息子の方か」

   玉ノ緒は肯いたようだ。

「淡路屋さんは、旦那さんも若旦那もいお方でなんし。お内儀さんは若い頃、久喜萬字屋うちの見世にいなんして、旦那さんに落籍かれなんしたお方でありんす。……そないなお家に見初められたわっちは、みなから果報者と云われとりんす」

「だったら……よかったじゃねぇか」

「わっちには……見世から云われなんしたことにそむくことなぞ、できなでなんしゆえ……」

   玉ノ緒は涙声になっていた。

「されども……どれだけ若旦那が、わっちに優しゅうしておくんなんしても……」

   弱々しく、か細い声だ。

「わっちの心には……やっぱり……どうしても……若さまのことが……」


——玉ノ緒の「想い人」は、淡路屋の若旦那ではのうて……若さまでなんしたか。

   玉ノ緒がお師匠の染丸の前で、あないに泣いていたのは、実は兵馬を想ってのことであったというのを、舞ひつるは今初めて知った。

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