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大序
久喜萬字屋の場〈壱〉
しおりを挟む暮れ六つ、夕闇迫る刻がやってきた。
廓の玄関先にずらりと並んだ芸者衆が、一斉に手にしたお三味を掻き鳴らす。
下足番が、紐の付いた下足札を漁師が網を投げるが如く、ばらりと空へ放つ。
それを合図に、客寄せの男衆が勢いよく表におん出て、往来に向かって大声を張り上げる。
通りに面した張見世では、廻り部屋の女郎たちが長煙管を片手に座し、大籬で仕切られた向こうから、今宵ひとときの「 娼方」を求めて吟味する男たちへ向けて、艶を帯びた流し目を送っている。
吉原は久喜萬字屋の「夜」が始まった。
゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚
周囲を高い塀で囲まれた吉原は、すぐ外がお歯黒どぶだ。
その名のとおり真っ黒な汚水が淀むその溝は、遊女や女郎たちが吉原の外へ逃げ出さないようにするために設けられたもので、幅が五間(約九メートル)もある。
客は、猪牙舟に乗って大川(隅田川)から山谷堀に入ってきて、見返り柳の岸辺で舟を降り、お歯黒どぶが流れる跳ね橋を渡って大門から入ってくる。
巡らされた塀が唯一途切れた其処が、たった一つの出入り口だ。
朱色に彩られた二本の柱に黒い屋根を乗せた鏑木門の大門を潜ると、右手には遊女や女郎たちを見張る四郎兵衛会所、左手には御公儀に仕える同心や岡っ引きが詰める面番所がある。
其処からまっすぐに突っきる大通りを、仲之町と云う。
一番初めの辻の右手が江戸町一丁目、左手に伏見町と江戸町二丁目があり、この辺りの二階家で大名御殿のごとき店構えが「大見世」だ。いわゆる「呼出(花魁)」はこの大見世にしかおらず、しかもたったの数人である。
二番目の辻の右手が揚屋町、左手が角町で、二階家だが少し格の落ちる「中見世」だ。ゆえに、この見世では「呼出」を置くことが認められず、その下の「昼三」が最上位である。
三番目の辻の右手が京町一丁目、左手が京町二丁目で、一番格下の「小見世」や「切見世」が犇くように軒を連ねている。
「大見世」や「中見世」でなにかやらかして売っ払われてしまった者や、年季が開けたにもかかわらず負い目が残っている者、御公儀の御赦し以外で春を売ったために揚代(料金)の取れぬ「奴女郎」に罰せられた者などが縋りつく、どん底の見世だ。
江戸町二丁目に廓を構える久喜萬字屋は、大見世だ。よって、大籬が赦されている。
籬とは、表通りに面した一階の、女郎たちが客引きのためにずらりと並ぶ「張見世」にある目隠しの格子のことである。
大籬の大見世は全面が格子になっていて中の女郎の顔がわかりづらいが、中籬の中見世は右上の四分の一が空いているため其処から覗けば見える。さらに小籬の小見世などになると、上半分の格子がすっかりなくなるから見放題だ。
格が落ちる見世になるほど、女郎たちの顔が丸見えになり、品のない下卑た見世となる寸法だが、実は買う客の方にとってはしかと「見えた」方がしくじりが防げて好都合でもある。
さりとて、流石に格の高い見世になればなるほど、いい女が集まってくるのが世の常だ。
もっとも、呼出や昼三などの「遊女」は張見世には座らない。さような客引きなどをせずとも馴染みの客がきっちりついているからである。
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