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変身ヒーローと異世界の魔物
正義を決める心
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はやる気持ちを抑えて、俺が向かったのは馬車屋。
『彰。どうするつもりですか?』
「決まってるだろう。ヨミは悪い魔物じゃない。討伐なんかさせない」
『ちょっと待ってください。あの魔物を救うことに一体何の意味があるというのです』
「意味?」
改めてAIに問われて、俺は走るのをやめた。
……そうだ。
意味なんてない。ヨミは魔物だったじゃないか。
魔物の世界は弱肉強食だから、倒されたならその魔物が弱かっただけで誰かにその責任を押しつけたりなんかしない。
ヨミがそう言っていたんだ。
討伐されたなら、それはヨミが弱かったってだけで、俺には関係ないじゃないか。
……本当に、それでいいのか?
『彰のするべきことは、一刻も早く未来さんを見つけて元の世界へ戻ることではないのですか?』
「ヨミは俺とエリーネをオークデーモンから救ってくれたんだぞ。それこそヨミにとって意味のあることだと言えるか?」
ヨミは人を助けた。
そこに意味なんてなかったはずだ。
自分だけが生き残ればいいなら、俺たちのことなんて無視して縄張りで生活していればよかったのに。
それは、俺だって同じだった。
俺はネムスギアでデモンと戦った。
そこに意味を見出すなら、それは未来と殺されてしまった未来の父のためだった。
でも、だからといって目の前でデモンに襲われている人を助けたことに意味がなかったと言うつもりはない。
あの時助けた命には、きっと生きているだけで意味があったんだ。
例えそれが国の思惑や大衆に流されてしまうような小さな命だったとしても。
『確かに、ヨミという魔物には義理があると言えます。しかし、よく考えてください。ギルドに討伐依頼が出されていると言うことは――』
「何か悪いことをしたって言うのか? あのヨミが? 俺たちを助けたことは本性を隠すための偽装だったとでも」
『感情的にならないでください。私が言いたいのは不確かな話ではなく、もっと具体的な問題です。すでに他の冒険者が討伐に向かっていると言うことは、彰はネムスギアを使って人間と戦うつもりなのですか?』
その問いかけには即答できなかった。
考えていなかったが、確かにその通りだ。
ヨミを助けると言うことは、ヨミを討伐しようとする人間と衝突することになる。
相手は仕事として魔物を討伐することを正しいことだと考えている。
ヨミが人を襲わない良い魔物だと説得して応じるとはとても思えない。
戦いは避けられないだろう。
ネムスギアで、この世界の冒険者と戦うのか?
ネムスギアはデモンを倒すために開発されたものだ。
それを人類に向けるなんて考えたくなかった。
だから、俺は――今この世界に居るんじゃないのか。
――本当に、そう思うか?
誰、だ。
――俺は、お前だ。
――重要なことを忘れている。ネムスギアを開発したのは人類を守るためなんかじゃない。大切な人を守るためだ。
――俺は最初からそのためにデモンと戦ったんじゃないか。
――ネムスギアに人の心を模したAIが組み込まれているのは、正義も悪も表裏一体だからだ。究極的には機械に正しいと判断することも悪いと判断することもできないんだ。
――人間の行いは全てがその人間のエゴによる。
――だったら、俺は俺の思う通りに行動すればいい。
――信じるのは己の心だ。
――そして、己の心に従って行動したこと全てを受け入れていくしかない。
重いな。
――それが、正義を守るヒーローなんだろう。
「……俺は、ヨミを助けたい。それが今の俺の心だ」
『人間と戦うことになっても、ですか?』
「人間じゃなくても、戦わなくて問題が解決できるならそうするが、戦わなければならないなら、誰であろうと俺の心は変わらない」
『……今の彰にとっては、デモンが相手でも話し合いが通じるなら戦わないということですか』
「話の通じる相手ならな」
『そして、例え人間でも話し合いが通じないならば、ネムスギアの使用も躊躇わない』
「そういうことになるな。お前はどうする? ネムスギアの起動を阻止するのか?」
『いえ、ネムスギアの起動コードの認証に必要なのは彰の心と覚悟です。それがある彰の変身を機械的に止めることはできません』
「人間にネムスギアを向けることに否定的だったんじゃないのか?」
『私は彰の心と覚悟を知りたかっただけです。それがなければ、そもそも人間を前にして変身できませんから』
……さっきの声は、AIの声だったのか?
それにしては、何か感じが違ったような気がしたが……。
でも、言っている意味は同じなんだよな。
いや、もう考えてる場合じゃないか。
俺は再び馬車屋へ向かって走り出した。
馬車屋の駐車場には3台馬車があった。
あの御者がいればいいんだが……。
「お兄さん。どこかへ運んで欲しいなら、安くしておきますよ」
揉み手で話しかけてきた御者は見たことのない奴だった。
俺はそいつを無視して奥へ行く。
すると、見覚えのある馬車の前で御者が馬の手入れをしているのを見かけた。
「よかった。まだこの町にいたんだな」
「へ? 兄さんは、ジョサイヤの旦那の……」
「あんたに仕事を頼みたい。番犬の森まで連れて行って欲しいんだ」
「はい? え? あの、王都にお連れしたのは昨日でしたよね。どうしてまた?」
「急ぎの用事ができた。できれば、3日で連れて行って欲しい」
御者は馬の毛並みを整えていたブラシを落として口をパクパクさせた。
「おい、こっちは急いでいるんだ。早く出発してくれないか。金ならあるだけくれてやる」
「ちょっ、ちょっと待ってください! クリームヒルトの町から王都に来るまで何日かかったのかもう忘れちまったわけじゃありませんよね。それを3日で戻れって、私には無理ですよ」
「やってみなければわからないだろう。もう街道の魔物とか気にしなくていいんだし、休まず走らせれば――」
言いながら自分でも無茶な要求してるなと思った。
でも、他に手段が思いつかない。
車とかバイクとか電車があるならそれを使いたいところだ。
『変身すれば身体能力は劇的に変化しますが、あの距離を変身したまま走って行くとなると……体力的に変身を維持できなるかも知れませんね』
「変身には体力も必要なのか?」
『当たり前です。ネムスギアはナノマシンと彰の体の細胞で形成されているのですから。どちらかのエネルギーが失われれば、当然維持できなくなりますよ』
それじゃダメだ。
相手は少なくとも中級冒険者だ。
話し合いで解決できればいいが、戦うとなったら変身できないのは不利だろう。
「兄さん。確か、乗り物酔いしなかったよな」
御者が腕組みをしながら険しい顔をしている。
「それは、あんたがよく知っているだろう」
あの悪路でも俺が酔わなかったのは見てるんだから。
「……一つ、方法がないわけじゃない」
「え?」
「何か他に乗り物があるのか?」
「いやあ、そうじゃないんだ。ちょっと待っててくれるか」
そう言って御者は馬車屋の中へ入っていった。
馬車屋の建物の中って何があるんだ?
そう思って近くにいた別の御者に聞いたら、馬車屋の中には馬車を借りるための受付と御者の休憩所兼待合室があるらしい。
ってことは、そもそもあっちに行かないと馬車は借りられなかったのか。
御者は程なくして若い女性を連れてきた。
長い金髪はウェーブがかかっていて優雅に揺れている。
垂れ目で優しげな瞳が愛らしい。
引き締まったスタイルとのコントラストが美しかった。
……受付嬢だろうか。
でも、あの御者は方法があると言わなかったか?
「待たせたな。この子はまだ御者になって半年の新人なんだが、スピードだけなら王都……いや、国内一だ」
「よろしくお願いしますぅ。ディルカ=エッタネラと言います」
そう言って微笑みながら握手を求めてきた。
おっとりとした雰囲気で話し方までゆっくりだ。
急いでいるって言うのに、こっちまで気持ちが引きずられそうになる。
本当に大丈夫なのか?
「ディルカと言ったか、あんたなら番犬の森まで3日でいけるのか?」
「そうですねぇ。さすがに馬車を使うとなると、3日では難しいかも知れませんねぇ」
「おいおい、話が違うじゃ――」
「兄さん。急いでるんだよな。なら、馬車はいらないだろ」
「は? どういう意味だ」
「ディルカの操る馬に二人乗りで行けばいい」
「あ、それなら簡単ですぅ。それじゃあ、私のお馬さんを連れてきますね」
そう言って、ディルカは馬小屋へと向かってしまった。
「本当に、大丈夫なのか?」
「兄さん。私は兄さんの体が丈夫だと見てあの子を紹介したんだ。……死ぬなよ」
「おい、小声でボソッとつぶやいた言葉はどういう意味だ?」
「おい! 何グズグズしてんだ!? さっさと乗りな!」
俺と御者の間に割り込んできたのは毛並みが赤く図体の大きな馬。
他の馬よりも一回りは大きいんじゃないか。
っていうか、上に乗ってるのはディルカ……だよな。
ウェーブのかかった金髪を頭の後ろで縛っているが、それ以外の部分がさっきまでの姿と一致しない。
「ディルカは腕はいいんだが、手綱を握るとちょっと性格がきつくなるんだ。早く乗らないと馬に蹴られますぜ」
ちょっときつくなるってレベルじゃないと思うんだが。
俺は言われるがままに馬に飛び乗った。
「そんじゃあ飛ばすよ。あたしの腰をしっかり抱きしめてな! それから、走ってるときに口を開くんじゃないよ! 舌を噛むからね!」
女性の体を後ろから抱きしめることに戸惑いを覚えたが、勢いに押されて言われたとおりにした。
ちょっと睨んでるし。
「行くよ! レッドウィング!」
ディルカがかけ声をかけると、いなないた。きっと馬の名前なんだろう。
そして、次の瞬間――馬は空を駆けた――。
いや、実際には空を飛んだわけじゃない。
ジャンプしただけなんだろうが、そう表現するしかないくらい高かったんだ。
ディルカの乗馬技術と彼女の馬、レッドウィングは確かに速かった。
それだけじゃない。
スタミナも底知らず。
一度も休まずに3日後にはクリームヒルトの町に戻っていた。
俺は崩れ落ちるように馬から下りた。
「どうでしたかぁ?」
ディルカは何事もなかったかのように優雅に馬から下りてそう微笑んだ。
ただ――走っているときにチラリと見たが髪を振り乱して馬を操っていたからか、美しい金髪はボサボサで、頭の上で蛇が踊っているかのようだった。
「……か、金はいくらだ?」
「えーと、金貨1枚でいいですぅ」
「あ、あの距離を走ってきて……それだけでいいのか?」
「楽しかったので。ねぇ、レッドウィング」
ディルカが馬を撫でると満足そうに顔を寄せていた。
「あ、もし王都に行くならまたのご利用を。次のお客さんが付くまではこの町の馬車屋で待機してますから」
「あ、ああ……」
ディルカに馬車を操らせたらどうなるのか、あまり想像はしたくなかった。
『……足腰が震えていますよ。休んでから行きますか?』
「いや、そんなことをしてる場合じゃないだろ」
AIに促されて俺は顔を引き締めた。
すぐに番犬の森に行けば、まだヨミは見つかっていないかも知れない。
俺はふらつきそうになる足でそのまま番犬の森へと向かった。
番犬の森に向かう道を見て、俺は焦りを覚えた。
あの時はほとんど足跡なんてなかった。
あれから約10日。
この道を踏み荒らす足跡は、冒険者たちのものだろうか。
そういえば、ヨミを討伐する依頼って、一人の冒険者が請け負ったわけじゃなかったのか?
焦っていたからすぐにギルドを飛び出したけど、ジェシカからよく話を聞いておくべきだった。
「さて、問題はここからだ」
番犬の森の入り口。ちょうどヨミと別れた辺りまで来て立ち止まった。
この辺りを縄張りにしてるって言っていたが、魔物に住所なんてものはないだろうし、それに今は冒険者たちに追われている身だ。
ヨミ自身がそれを認識できているかどうかは別として。
どうやって探すか。
『ヨミという魔物のデータは登録してあります。センサーを使えばある程度の場所は特定できるかと』
「さすがだ」
『この辺りにはいないようですね。ですが、人の熱を感知しました。北東方向、森の奥の方に向かっているようです』
「よし! 追いかけるぞ!」
迷ったとはいえ、1日歩き回った森だ。
ある程度は歩きやすい道がわかる。
それでも大きな木が邪魔してなかなか進まないことにイライラした。
『あ、センサーに引っかかりました。もう少し東寄りです。ですが……反応が弱々しい』
「きゃああああああ!!」
AIの案内を破るような声が森の中に響いた。
俺は枝を薙ぎ倒して、声のする方へ駆けだした。
爆発音が聞こえる。
「や、やめてください……私は……」
木々の向こう。
ヨミの姿が俺の目に入った。
蜘蛛の体から生えていた足が半分程なくなっている。
人間の体の部分も左腕がだらりと下がっていて、肩のところから血を出していた。
俺は走りながら心が熱くなるのを感じた。
「――変身――」
『彰。どうするつもりですか?』
「決まってるだろう。ヨミは悪い魔物じゃない。討伐なんかさせない」
『ちょっと待ってください。あの魔物を救うことに一体何の意味があるというのです』
「意味?」
改めてAIに問われて、俺は走るのをやめた。
……そうだ。
意味なんてない。ヨミは魔物だったじゃないか。
魔物の世界は弱肉強食だから、倒されたならその魔物が弱かっただけで誰かにその責任を押しつけたりなんかしない。
ヨミがそう言っていたんだ。
討伐されたなら、それはヨミが弱かったってだけで、俺には関係ないじゃないか。
……本当に、それでいいのか?
『彰のするべきことは、一刻も早く未来さんを見つけて元の世界へ戻ることではないのですか?』
「ヨミは俺とエリーネをオークデーモンから救ってくれたんだぞ。それこそヨミにとって意味のあることだと言えるか?」
ヨミは人を助けた。
そこに意味なんてなかったはずだ。
自分だけが生き残ればいいなら、俺たちのことなんて無視して縄張りで生活していればよかったのに。
それは、俺だって同じだった。
俺はネムスギアでデモンと戦った。
そこに意味を見出すなら、それは未来と殺されてしまった未来の父のためだった。
でも、だからといって目の前でデモンに襲われている人を助けたことに意味がなかったと言うつもりはない。
あの時助けた命には、きっと生きているだけで意味があったんだ。
例えそれが国の思惑や大衆に流されてしまうような小さな命だったとしても。
『確かに、ヨミという魔物には義理があると言えます。しかし、よく考えてください。ギルドに討伐依頼が出されていると言うことは――』
「何か悪いことをしたって言うのか? あのヨミが? 俺たちを助けたことは本性を隠すための偽装だったとでも」
『感情的にならないでください。私が言いたいのは不確かな話ではなく、もっと具体的な問題です。すでに他の冒険者が討伐に向かっていると言うことは、彰はネムスギアを使って人間と戦うつもりなのですか?』
その問いかけには即答できなかった。
考えていなかったが、確かにその通りだ。
ヨミを助けると言うことは、ヨミを討伐しようとする人間と衝突することになる。
相手は仕事として魔物を討伐することを正しいことだと考えている。
ヨミが人を襲わない良い魔物だと説得して応じるとはとても思えない。
戦いは避けられないだろう。
ネムスギアで、この世界の冒険者と戦うのか?
ネムスギアはデモンを倒すために開発されたものだ。
それを人類に向けるなんて考えたくなかった。
だから、俺は――今この世界に居るんじゃないのか。
――本当に、そう思うか?
誰、だ。
――俺は、お前だ。
――重要なことを忘れている。ネムスギアを開発したのは人類を守るためなんかじゃない。大切な人を守るためだ。
――俺は最初からそのためにデモンと戦ったんじゃないか。
――ネムスギアに人の心を模したAIが組み込まれているのは、正義も悪も表裏一体だからだ。究極的には機械に正しいと判断することも悪いと判断することもできないんだ。
――人間の行いは全てがその人間のエゴによる。
――だったら、俺は俺の思う通りに行動すればいい。
――信じるのは己の心だ。
――そして、己の心に従って行動したこと全てを受け入れていくしかない。
重いな。
――それが、正義を守るヒーローなんだろう。
「……俺は、ヨミを助けたい。それが今の俺の心だ」
『人間と戦うことになっても、ですか?』
「人間じゃなくても、戦わなくて問題が解決できるならそうするが、戦わなければならないなら、誰であろうと俺の心は変わらない」
『……今の彰にとっては、デモンが相手でも話し合いが通じるなら戦わないということですか』
「話の通じる相手ならな」
『そして、例え人間でも話し合いが通じないならば、ネムスギアの使用も躊躇わない』
「そういうことになるな。お前はどうする? ネムスギアの起動を阻止するのか?」
『いえ、ネムスギアの起動コードの認証に必要なのは彰の心と覚悟です。それがある彰の変身を機械的に止めることはできません』
「人間にネムスギアを向けることに否定的だったんじゃないのか?」
『私は彰の心と覚悟を知りたかっただけです。それがなければ、そもそも人間を前にして変身できませんから』
……さっきの声は、AIの声だったのか?
それにしては、何か感じが違ったような気がしたが……。
でも、言っている意味は同じなんだよな。
いや、もう考えてる場合じゃないか。
俺は再び馬車屋へ向かって走り出した。
馬車屋の駐車場には3台馬車があった。
あの御者がいればいいんだが……。
「お兄さん。どこかへ運んで欲しいなら、安くしておきますよ」
揉み手で話しかけてきた御者は見たことのない奴だった。
俺はそいつを無視して奥へ行く。
すると、見覚えのある馬車の前で御者が馬の手入れをしているのを見かけた。
「よかった。まだこの町にいたんだな」
「へ? 兄さんは、ジョサイヤの旦那の……」
「あんたに仕事を頼みたい。番犬の森まで連れて行って欲しいんだ」
「はい? え? あの、王都にお連れしたのは昨日でしたよね。どうしてまた?」
「急ぎの用事ができた。できれば、3日で連れて行って欲しい」
御者は馬の毛並みを整えていたブラシを落として口をパクパクさせた。
「おい、こっちは急いでいるんだ。早く出発してくれないか。金ならあるだけくれてやる」
「ちょっ、ちょっと待ってください! クリームヒルトの町から王都に来るまで何日かかったのかもう忘れちまったわけじゃありませんよね。それを3日で戻れって、私には無理ですよ」
「やってみなければわからないだろう。もう街道の魔物とか気にしなくていいんだし、休まず走らせれば――」
言いながら自分でも無茶な要求してるなと思った。
でも、他に手段が思いつかない。
車とかバイクとか電車があるならそれを使いたいところだ。
『変身すれば身体能力は劇的に変化しますが、あの距離を変身したまま走って行くとなると……体力的に変身を維持できなるかも知れませんね』
「変身には体力も必要なのか?」
『当たり前です。ネムスギアはナノマシンと彰の体の細胞で形成されているのですから。どちらかのエネルギーが失われれば、当然維持できなくなりますよ』
それじゃダメだ。
相手は少なくとも中級冒険者だ。
話し合いで解決できればいいが、戦うとなったら変身できないのは不利だろう。
「兄さん。確か、乗り物酔いしなかったよな」
御者が腕組みをしながら険しい顔をしている。
「それは、あんたがよく知っているだろう」
あの悪路でも俺が酔わなかったのは見てるんだから。
「……一つ、方法がないわけじゃない」
「え?」
「何か他に乗り物があるのか?」
「いやあ、そうじゃないんだ。ちょっと待っててくれるか」
そう言って御者は馬車屋の中へ入っていった。
馬車屋の建物の中って何があるんだ?
そう思って近くにいた別の御者に聞いたら、馬車屋の中には馬車を借りるための受付と御者の休憩所兼待合室があるらしい。
ってことは、そもそもあっちに行かないと馬車は借りられなかったのか。
御者は程なくして若い女性を連れてきた。
長い金髪はウェーブがかかっていて優雅に揺れている。
垂れ目で優しげな瞳が愛らしい。
引き締まったスタイルとのコントラストが美しかった。
……受付嬢だろうか。
でも、あの御者は方法があると言わなかったか?
「待たせたな。この子はまだ御者になって半年の新人なんだが、スピードだけなら王都……いや、国内一だ」
「よろしくお願いしますぅ。ディルカ=エッタネラと言います」
そう言って微笑みながら握手を求めてきた。
おっとりとした雰囲気で話し方までゆっくりだ。
急いでいるって言うのに、こっちまで気持ちが引きずられそうになる。
本当に大丈夫なのか?
「ディルカと言ったか、あんたなら番犬の森まで3日でいけるのか?」
「そうですねぇ。さすがに馬車を使うとなると、3日では難しいかも知れませんねぇ」
「おいおい、話が違うじゃ――」
「兄さん。急いでるんだよな。なら、馬車はいらないだろ」
「は? どういう意味だ」
「ディルカの操る馬に二人乗りで行けばいい」
「あ、それなら簡単ですぅ。それじゃあ、私のお馬さんを連れてきますね」
そう言って、ディルカは馬小屋へと向かってしまった。
「本当に、大丈夫なのか?」
「兄さん。私は兄さんの体が丈夫だと見てあの子を紹介したんだ。……死ぬなよ」
「おい、小声でボソッとつぶやいた言葉はどういう意味だ?」
「おい! 何グズグズしてんだ!? さっさと乗りな!」
俺と御者の間に割り込んできたのは毛並みが赤く図体の大きな馬。
他の馬よりも一回りは大きいんじゃないか。
っていうか、上に乗ってるのはディルカ……だよな。
ウェーブのかかった金髪を頭の後ろで縛っているが、それ以外の部分がさっきまでの姿と一致しない。
「ディルカは腕はいいんだが、手綱を握るとちょっと性格がきつくなるんだ。早く乗らないと馬に蹴られますぜ」
ちょっときつくなるってレベルじゃないと思うんだが。
俺は言われるがままに馬に飛び乗った。
「そんじゃあ飛ばすよ。あたしの腰をしっかり抱きしめてな! それから、走ってるときに口を開くんじゃないよ! 舌を噛むからね!」
女性の体を後ろから抱きしめることに戸惑いを覚えたが、勢いに押されて言われたとおりにした。
ちょっと睨んでるし。
「行くよ! レッドウィング!」
ディルカがかけ声をかけると、いなないた。きっと馬の名前なんだろう。
そして、次の瞬間――馬は空を駆けた――。
いや、実際には空を飛んだわけじゃない。
ジャンプしただけなんだろうが、そう表現するしかないくらい高かったんだ。
ディルカの乗馬技術と彼女の馬、レッドウィングは確かに速かった。
それだけじゃない。
スタミナも底知らず。
一度も休まずに3日後にはクリームヒルトの町に戻っていた。
俺は崩れ落ちるように馬から下りた。
「どうでしたかぁ?」
ディルカは何事もなかったかのように優雅に馬から下りてそう微笑んだ。
ただ――走っているときにチラリと見たが髪を振り乱して馬を操っていたからか、美しい金髪はボサボサで、頭の上で蛇が踊っているかのようだった。
「……か、金はいくらだ?」
「えーと、金貨1枚でいいですぅ」
「あ、あの距離を走ってきて……それだけでいいのか?」
「楽しかったので。ねぇ、レッドウィング」
ディルカが馬を撫でると満足そうに顔を寄せていた。
「あ、もし王都に行くならまたのご利用を。次のお客さんが付くまではこの町の馬車屋で待機してますから」
「あ、ああ……」
ディルカに馬車を操らせたらどうなるのか、あまり想像はしたくなかった。
『……足腰が震えていますよ。休んでから行きますか?』
「いや、そんなことをしてる場合じゃないだろ」
AIに促されて俺は顔を引き締めた。
すぐに番犬の森に行けば、まだヨミは見つかっていないかも知れない。
俺はふらつきそうになる足でそのまま番犬の森へと向かった。
番犬の森に向かう道を見て、俺は焦りを覚えた。
あの時はほとんど足跡なんてなかった。
あれから約10日。
この道を踏み荒らす足跡は、冒険者たちのものだろうか。
そういえば、ヨミを討伐する依頼って、一人の冒険者が請け負ったわけじゃなかったのか?
焦っていたからすぐにギルドを飛び出したけど、ジェシカからよく話を聞いておくべきだった。
「さて、問題はここからだ」
番犬の森の入り口。ちょうどヨミと別れた辺りまで来て立ち止まった。
この辺りを縄張りにしてるって言っていたが、魔物に住所なんてものはないだろうし、それに今は冒険者たちに追われている身だ。
ヨミ自身がそれを認識できているかどうかは別として。
どうやって探すか。
『ヨミという魔物のデータは登録してあります。センサーを使えばある程度の場所は特定できるかと』
「さすがだ」
『この辺りにはいないようですね。ですが、人の熱を感知しました。北東方向、森の奥の方に向かっているようです』
「よし! 追いかけるぞ!」
迷ったとはいえ、1日歩き回った森だ。
ある程度は歩きやすい道がわかる。
それでも大きな木が邪魔してなかなか進まないことにイライラした。
『あ、センサーに引っかかりました。もう少し東寄りです。ですが……反応が弱々しい』
「きゃああああああ!!」
AIの案内を破るような声が森の中に響いた。
俺は枝を薙ぎ倒して、声のする方へ駆けだした。
爆発音が聞こえる。
「や、やめてください……私は……」
木々の向こう。
ヨミの姿が俺の目に入った。
蜘蛛の体から生えていた足が半分程なくなっている。
人間の体の部分も左腕がだらりと下がっていて、肩のところから血を出していた。
俺は走りながら心が熱くなるのを感じた。
「――変身――」
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※前半と後半はストーリーの雰囲気が変わります。
表紙は「かんたん表紙メーカー2」にて作成いたしました。
❇❇❇❇❇❇❇❇❇
2024年10月追記
お読みいただき、ありがとうございます。
こちらの作品は完結しておりますが、10月20日より「番外編 バストリー・アルマンの事情」を追加投稿致しますので、一旦、表記が連載中になります。ご了承ください。
1ページの文字数は少な目です。
約4500文字程度の番外編です。
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