宿屋マリリン亭の日常

天地海

文字の大きさ
上 下
11 / 19
大掃除の日:金

第1話

しおりを挟む
 今朝はいつもより玄関の掃除が早く終わってしまった。
 起きた時間が早かったからではない。
 不慣れとはいえ、二人がかりだったので必然だったのだ。
 それに、アンリエッタは要領もよく、教えたことがすぐにできるし、覚えも良い。
 これなら明日以降は一人で玄関の掃除を任せても、こなせるだろう。
「けんど、参っただな。朝食までだいぶ時間が余っちまっただ」
 かといって、自分たちの食事のために寝ているマリリンやコックのジョニーさんを起こすのも気が引ける。
 途方に暮れていたら、アンリエッタがサラの隣りに来て言った。
「……あの、サラさん。昨日言ってましたよね。自分の住むところが魔物に襲われてなくなってしまったって……」
「ああ、んだよ。わだすが生きてんのはきっど、運がよがったからでねーの?」
 なくなってしまったのは家だけではない。
 両親も、そして集落そのものさえ……。
「どうして、そんなに笑っていられるんですか? 悲しくはないんですか?」
 なんだか、アンリエッタの方がよほど当事者であるかのように気持ちをぶつけてきた。
 応えないわけにはいかない。
「……悲しくねーっつったら、嘘になるべな。でんも、なくなっぢまったもんをいつまでも嘆いても仕方ねえ。わだすは今生きていて、命の尊さを知っでっから、精一杯楽しく生きなぎゃもったいねー。ただ、それだけなんよ」
「…………強いんですね……」
「あははっ、んなことねーべ。ただ、脳天気なだけだで」
「いいえ、きっとそれが強いってことだと思います」
 アンリエッタはそう言って空を仰いだ。
「……私も、サラさんのように強くなりたい……」
 ポツリと、願いのような言葉を零して。
「んなら、まずは腹ごしらえしねーとな。そろそろマリリンだちが起きてくるでな」
「……はいっ」
 少しだけ考えるような仕草をしてから、力強く頷いた。
 集めておいた掃除道具を持って、サラとアンリエッタはマリリン亭の中へ戻った。
「今日は週に一度の大掃除の日だでな。ちゃんと朝飯くってねーと大変だっぺ」

 朝食の後、酒場ホールにルームメイドたちが全員集められた。
 いつになく真剣な眼差しでマリリンがサラたちを見回す。
「今日がどういう日か、あんたたちはわかってるんでしょうね?」
 試すようにアンリエッタ以外に目配せをする。
「当たり前よ。明日からの週末に備えて、できうる限りの準備をする」
 メイドたちのリーダーを自負するリータ先輩が自信たっぷりに答えた。
「――そうっ!」
 手を腰に当てて、マリリンは踏ん反り返った。
 体が大きいからそれだけでかなり迫力がある。
 アンリエッタは堪らず初めてマリリンを見た時のようにサラの腕にしがみついて隠れてしまった。
「今週は予約も入っているのよ! つまり、今週の収支を左右する週末といっていいわ!! 最高のおもてなしをするためには、最高の準備が必要不可欠!! 張り切っていくわよっ!!」
『はいっ!』
 ルームメイドたちの声が重なる。
「それじゃあ、今日の仕事を割り振るわね! まずリータとレイナ!」
『はいっ!』
 リータ先輩とレイナ先輩が軍人のように揃って一歩前に出た。
「あんたたちはジョニーと一緒に明日出す料理の仕込みをお願いするわっ!!」
『はいっ!!』
 さっき、軍隊のように、と思ったけど……。
 ようにではなくて、まさに軍隊の軍令そのものだ。
 マリリンの容姿が女将というより国軍の隊長でもやっていた方が似合っているので、まさにその雰囲気が出ている。
「それから、サラとアンリエッタ! あんたたちは各部屋の大掃除をお願いするわっ!! 塵一つ、埃一つでも残したら許さないわよっ!!」
「はいっ!!」
 返事をするだけでも気合いが入るってもの。
 でも、アンリエッタには少し厳しかったかな。
「は、はい……!」
 涙目になりながら、アンリエッタは一応返事はできた。
「ねぇ、どうでもいいけど、私のチェックアウトすませてくれないかしら?」
 全員の気合いが入ったところで、それを腰砕けにさせるような気怠い声でベローナさんが言った。
「……あのねえ、少しは場の空気を読みなさいよっ。まったく……」
 ぶつくさ言いながらもマリリンは宿屋の受付カウンターへ向かった。
「あ、そんじゃ荷馬車はわだすが用意すっから」
 若干掃除が遅れてしまうが仕方がない。
 言いながら、倉庫の鍵を投げてくるのを待っていたら、
「いいわ、サラ。ベローナの相手はあたしがするから、あんたたちは仕事に取りかかって頂戴」
「あ、はい」
 サラたちメイドが忙しいのはマリリンが一番わかっているから配慮してくれたのだろう。
 こういう時は素直に甘えさせてもらう。
 すでにリータ先輩とレイナ先輩の姿はない。
 キッチンで仕事を始めているのだ。
「ほんじゃ、まずは掃除道具を持ってくっか」
「……あ、はい」
 アンリエッタの肩を叩くと、ようやく気持ちが落ち着いたのか、さっきまでの泣き顔はどこかへ行ってしまった。
 裏庭から掃除道具を一式持ってくる。
 今までの掃除では使わなかったような小さなモップやバケツも。
 酒場ホールへ戻ると、すでに受付のところにはベローナさんもマリリンもいなかった。
 さっきまでの熱気はどこへやら。
 閑散とした空気が漂っていた。
 ……それだけじゃないような……。
「はぁ……」
「ありゃ? どーしたん?」
 どんよりとした空気をアンリエッタが出していた。
「大掃除なのに、私とサラさんしかいないんだと思ったら、少し不安になっただけです」
 まあ、そう思うのも無理はないだろう。
 本当はサラ一人でも十分なのだが、それはいずれわかることだ。
 言葉で説明するより、実際に見せた方が話は早いし。
「心配すんなや。とにかく、椅子とテーブルを運んじまうべ」
「……はい」
 普段の掃除だと、椅子やテーブルは動かさない。
 モップだって軽く掛ける程度だ。
 だから今日は掃除のスタートからしていつもと違う。
 まずは酒場ホールの東側を掃除するために、テーブルと椅子を西側に寄せる。
 椅子はともかく、大型のテーブルは一人では動かせない。
「アンリエッタ、そっちの端を持ってくんねか?」
「はい」
「重がったら、言っでな」
「……大丈夫です。これくらいなら」
 さっきまで不安そうな表情をさせていたのに、仕事が始まると真剣になれる。
 根が真面目なのだろう。アンリエッタのいいところだ。
 テーブルや椅子が片付くと、酒場ホールはだいたい半分くらいの広さになる。
 ただ、その半分のスペースには今、何も置かれていないから狭くは感じない。
「サラさん、次は何をすれば……?」
 言いながらアンリエッタはほうきとちりとりの準備をしようとしていた。
「あ、今日はまだそれは使わねんだ」
「そうなんですか?」
「ああ、まんずはこれからだ」
 言って、サラは先が横に長いブラシのようなモップを持った。
 これで広くなったスペースのゴミや埃を一気に集める。
「……あれ? でも、サラさん。そのモップ一つしかありませんよ」
「ん? そりゃ、二つも必要ねーかんな」
「……それじゃあ、私はどうしたら……?」
「アンリエッタはそっちのテーブルがある方で休んでてくんろ」
 訝しげな表情で首をかしげつつ、アンリエッタは言われた通りにした。
「――さ、よーぐ見でな。これがわだすの本気だで!!」
 モップを両手に持ち、構える。
 目に力を込めて、キッとホールの東側を見据える。
 サラの瞳に映るのは床に落ちているホコリとゴミだけ。
 そして、一気にモップを走らせる。
 サラの瞳に捉えられたホコリやゴミたちは、まるでサラと踊るかのように、モップに絡み取られていく。
 ダンッと音を立ててホールの端にモップが突き立てられる。
 そこにはホールの東側に落ちていたホコリやゴミがまとめられていた。
 サラは幼い頃小さな集落で自給自足の生活をしていた。
 両親は食事のために猟師や畑仕事をしていたので、自然と家事はサラがやるようになっていた。
 料理は母が得意だったので、掃除や洗濯を進んでやるようにした。
 そのお陰か、いつしかサラは効率のいい掃除を身につけていったのだ。
 これくらいの広さの部屋なら、二往復するだけで片づく。
 むしろ、誰もいない方が効率がいいのだ。
「……す、すごいです……」
「そりゃどーも。アンリエッタ、ほうきとちりとりいーかんな?」
「あ、はい!」
 アンリエッタは少し興奮気味に、ほうきとちりとりを持ってきた。
「私、あんなの見たことありませんでした。まるで、サラさんがモップを使ってホコリやゴミと舞い踊っているみたいで……見とれている間にモップがけが終わっていました」
「そんりゃ言い過ぎだっぺ」
 いつもの朗らかな目で笑った。
 ほうきとちりとりで集められたホコリやゴミを掃きとる。
「さ、次は水拭きだなや」
「サラさん。いえ、師匠。水拭き用のモップはこちらに用意してあります」
「アンリエッタ、師匠ってわだすのことかや?」
「はいっ!」
 なんか、余計なものを見せてしまったのかも。
 サラを見るアンリエッタの目の輝きが違う。
「わだすは師匠なんて呼ばれるような人間じゃねーんだけんども……。ま、とにかく水拭きしちまうべ」
「師匠、私はやっぱりお邪魔にならないように、ここにいた方がいいですか?」
 アンリエッタはさっきと同じ場所に立っていた。
 ……ただ、さっきと違うのはまるで舞台を見る観客のように身を乗り出している。
「……んだな。そこで大人しくしてくんねか」
「はいっ」
 さっきと同じように水拭き用のモップを構える。
 再び目つきは鋭くなり、床を睨みつける。
 サラは大きく息を吐き出して――ホールの東側を駆け抜けた。
 まるでホールの中に新しく床板を貼り付けているかのごとく、サラが通った後の床はキラキラ輝いていた。
 酒場ホールは掃除が終わった東側だけ、新築のよう。
 アンリエッタはただただ驚いて声も出せていなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

残酷なこの世界線で。

天ノ月 アコ
ファンタジー
これは、とある世界線で覇を争った戦いが勃発していた頃の物語。兵長アリス率いるプロデスト軍は最も力のある軍として君臨していた。それもその筈。プロデスト軍は、秘密兵器を所持しているのだから。悪天使――漆黒の天使の輪と羽が特徴。一切の感情を持たず、アリスの命令で動く戦いのための道具。感情が無いので、常に冷静に戦うことができる。勿論彼女らには慈悲がなく、アリスに「殺せ」と命じられれば、持ち前の戦闘力で敵を殺す。そんな悪天使を変える方法はただ一つ。彼女らに感情を教え、天使に変化させることだ。変化した悪天使は一切の戦闘力を失う代わりに人を回復させる力を手に入れる。そして、悪天使を保護し天使に変化させる活動を行う組織があった。それが、悪天使保護団だ。これは、残酷な世界線に生まれた悲しい運命にある彼らの物語である。 初投稿です。これは、私が中学生の時に書いた小説をリメイクしたものです。覚束無い点があるかと思いますがご理解願います。

千年恋唄

月川ふ黒ウ
ファンタジー
人と鬼が和解して千年の月日が流れた。 妖魔の討伐を行う家に生まれた高校生剣士桜狩千彰は、ある日女郎蜘蛛の妖から熱烈な求婚を受ける。 しかしその場に現れた人型の妖鏨牙の襲撃により、一同は這々の体で逃げ出す。 闘いの中で千彰が感じた、鏨牙の奇妙な縁の正体とは。そして鋏臈からの求婚を千彰は受けるのか。 すべては千彰の切っ先の向こうに。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

噂好きのローレッタ

水谷繭
恋愛
公爵令嬢リディアの婚約者は、レフィオル王国の第一王子アデルバート殿下だ。しかし、彼はリディアに冷たく、最近は小動物のように愛らしい男爵令嬢フィオナのほうばかり気にかけている。 ついには殿下とフィオナがつき合っているのではないかという噂まで耳にしたリディアは、婚約解消を申し出ることに。しかし、アデルバートは全く納得していないようで……。 ※二部以降雰囲気が変わるので、ご注意ください。少し後味悪いかもしれません(主人公はハピエンです) ※小説家になろうにも掲載しています ◆表紙画像はGirly Dropさんからお借りしました (旧題:婚約者は愛らしい男爵令嬢さんのほうがお好きなようなので、婚約解消を申し出てみました)

(完)なにも死ぬことないでしょう?

青空一夏
恋愛
ジュリエットはイリスィオス・ケビン公爵に一目惚れされて子爵家から嫁いできた美しい娘。イリスィオスは初めこそ優しかったものの、二人の愛人を離れに住まわせるようになった。 悩むジュリエットは悲しみのあまり湖に身を投げて死のうとしたが死にきれず昏睡状態になる。前世を昏睡状態で思い出したジュリエットは自分が日本という国で生きていたことを思い出す。還暦手前まで生きた記憶が不意に蘇ったのだ。 若い頃はいろいろな趣味を持ち、男性からもモテた彼女の名は真理。結婚もし子供も産み、いろいろな経験もしてきた真理は知っている。 『亭主、元気で留守がいい』ということを。 だったらこの状況って超ラッキーだわ♪ イケてるおばさん真理(外見は20代前半のジュリエット)がくりひろげるはちゃめちゃコメディー。 ゆるふわ設定ご都合主義。気分転換にどうぞ。初めはシリアス?ですが、途中からコメディーになります。中世ヨーロッパ風ですが和のテイストも混じり合う異世界。 昭和の懐かしい世界が広がります。懐かしい言葉あり。解説付き。

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

処理中です...