Pino(短編集)

當宮秀樹

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12老人の涙

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12老人の涙

 札幌の街が一望できる藻岩山にあるホスピス。 
医者の手を離れた患者が余生を穏やかに過ごす為だけに存在する施設。 
今ひとりの中年男性が少ない余生を過ごすために選んだ施設。

早朝、介護士の相木が部屋を訪れた。

「西村さん、おはようございます。体調はどうですか? トイレは行かれました? 体温を測りますね」

かるい黄疸症状のある西村の顔が微笑んだ「おはよう相木ちゃん。 
うん今日はなんだか調子がいいよ、久々にいい夢視たから」

「そうですかそれは良かったですね、で・どんな夢でした? 聞かせていただいてもいいですか?」

西村は窓から見える下の街並みを眺め呟くように「うん、俺って若い頃はやんちゃばっかりの半端者だったんだ」

「へ~、そうなんだ。 西村さんヤンキーだったんですか?」

「大きな悪事する勇気もねえただの中途半端な大バカ者さあ……アハハ」

体温計を差し出し「で? どんな夢でした?」

「母親がデパートでラーメンをご馳走してくれる夢なんだ」

「え? ラ・ラーメンですか?」

「そう、たかがラーメン。 なんの飾り気もないどこにでも普通にある醤油味のラーメン。 
でも、俺にとってはこの世での安らぎの味なんだ。 デパートの大衆食堂のただの普通のラーメンが……

母親は無言なんだけど『いつもすまないねぇ…… あんな父さんと一緒になったばっかりに、
母さんが悪いんだごめんな……』子供ながらに俺にはそう聞こえるんだ」

「安らぎの味ですか?」

「そう、俺の父親はろくすぽ働かねえ、昼間っから家で酒飲んで酔っぱらっているような、グータラ男の
見本のようなおやじでよ。 母親ばかり働らかせ思うようにいかないとすぐに機嫌が悪くなるバカ男よ。

それだけじゃねえ、俺は父親から虐待されてたんだ。 

身体中いつもアザだらけよ。 

顔は殴らねえから友達や先生達は知らねんだ。 
あの酔っぱらい親父なりに殴り方をちゃんと考えてるよ。 
殴られた時は決まって母親の働くデパートの大衆食堂に逃げ込んだよ。 
そんな俺の顔を見て察した母親は黙って、ラーメンを俺の前に置いてくれたんだ。 
逃げ込んだ時はいつも、いつも。

中学校に入ってから俺も素行が悪くなりはじめ、一応高校に進学したが中途退学して
家を飛び出し、札幌で大工の見習いをしながら暴走族に入ったんだ。 
何度も警察の世話になったよ。 その頃知り合った彼女と結婚してすぐに父親になった。

俺は、てめえの父親みたいには絶対ならねえと、心に決めてたんだけどな子供が小学校に入った頃、
勤めていた工務店を喧嘩して辞めたんだ。 
どういうわけかそれから家で酒を飲んで暴れるようになっちまった。 
気がついたら一番嫌いなあの親父と同じことを、俺の息子にしてたんだ。 
この世で一番嫌いで軽蔑するあのオヤジと…… この俺が一緒だったんだ」

西村の目から幾筋もの涙が頬を伝わって落ちた。

「そうですか……」

「俺も、最期は遺体の引き取り手がないただのオヤジで終わりそうだ」

「そんな寂しいこと言わないでください」

「悪いね、朝から嫌な話し聞かせてしまって、すまない」

「いえ、わたしが思い出させたみたいでかえってすみません」

「それはそうと、この施設に来てひとつ気がついたことがあるんだけど聞いていいかい?」

「なんでしょう? わたしで分かることでしたら」

「ここに来て二月経つけど、何十名もの患者さんがここに入所するよね。
そういう人がさっ最初は険しい顔してたり、また魂が抜けたような人だったりっていう
印象なんだけど、それがひと月も経たないうちにみんな穏やかな、
良い顔っていうか優しそうな仏さんのような顔にも見えるんだけど……
俺の気のせいかな? 相木ちゃんどう思う?」

「よく見てますね、そうなんです。 そのとおりなんです。 
わたしも途中で気がついて先輩に同じこと聞いたことありました。 
この現象はここだけのことではなく、このような施設や死刑宣告された
服役中の方にみられる現象みたいです」

「死が近くにある人ってことかい?」

「その先輩いわく、死の宣告された方は三つの大きな壁に直面するようです。

一の壁、
余命を宣告された人は、とにかく絶望とい谷に落ちるようです。 人間のいちばんの問題は死。 
その死を突きつけられると、今まで培った全てが音を立てて崩れ落ちるようです。 
ひとことで言うと『絶望』の意識状態。

二の壁、
一の壁を乗り越えた頃から、助かろうとする意識に変わるみたいです。 
良いといわれる薬・医者・病院などとにかく模索して実行する。 
でも、それもかなわぬと知る時が来ます。 死以外の道はないと悟ります。

三の壁、
二の壁を越えた辺りから自分には死しかないと悟り穏やかな気持ちで受け入れます。 
死の超越です。 そうなると恐れや迷いといった心が動揺することがなくなります。 
逆にお見舞いに来た人を慰めるくらいの心のゆとりまでみせて見舞客の涙をそそります。

このような死までの心理状態の壁を『三つの大きな壁』と表現してるようです」

西村は「やはりそうかい……」呟いた。

それから数日後西村が「相木ちゃん頼みがあるんだが」

「はい、なんでしょう?」

「おれさ、はやく元気になってさ、ラーメン食いてぇ…… ただの素朴なラーメンを……」

「分かりました。この相木がご馳走させていただきます。 チャーシューと玉子はどうしますか?」

西村は「チャーシューはいらねえ、シナチクと海苔一枚あればそれでいいや…… 
できれば塩むすびひとつ……約束だよ」

「任せてください」相木は力一杯の笑みを浮かべた。

そして最期の時が来た。

「母さん、このラーメンとっても美味しいよ、ありがとう! 
僕、父さんのことなんとも思ってないからね気にしないでね……」

それが西村最後の言葉に……  
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