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困った訪問者6
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「ふぎゃ……ふぎゃ……」
盛大に泣きわめいていたシェリンの声が段々と小さくなってきた。ここまでくれば、後は穏やかな寝息に変わるまで見守るだけだ。エイミはふぅと小さく息を吐いた。
(ジーク様、なんだか様子がおかしかったけど、どうしたのかな)
仕事上のトラブルでも発生したのだろうか。それとも、ゾーイがなにか失礼なことを? だが、年下の若者になにか言われたくらいでジークが機嫌を損ねるとも思えなかった。
自分がなにか怒らせるような言動をしてしまっただろうか。
あれこれ考えてみても、これと思い当たるものはなかった。
(明日の午後には出発だから、今夜は一緒にいたかったのになぁ)
堤防工事の期間中、ジークは城には戻ってこれない。今夜を逃せば、しばらくは二人でゆっくり過ごすこともできない。
三つ子の眠る部屋と夫婦の寝室は続き部屋になっている。エイミは三人がよく眠っているのを確認してから、奥の夫婦の寝室へ下がった。
少しだけ待ってみようか。
そう思い、エイミは眠らずにジークが戻るのを待っていた。だが、壁掛け時計の鐘が12時を告げても、彼は現れない。
ふわぁと、三回目の欠伸を噛み殺したところで、エイミは諦めてベッドに入り、目を閉じた。
(やっぱりお仕事でなにかあったのかな)
ジークのことを案じてはいたが、エイミも今日は早起きで働きずめだった。身体はすっかり疲れ切っていて、すぐに深い眠りが訪れた。
ガチャガチャという物音で、エイミははっと目を覚ました。一瞬、もう朝なのかと思ったけれど、すぐにそうではないと気がつく。バルコニーに面したガラス扉の向こうは、まだ夜の闇に包まれていた。
(変な音を聞いたような気がしたけれど、夢かしらね)
エイミは完全に目が覚めてしまう前に、もう一度眠りにつこうとした。が、淡い月明りに照らされたバルコニーで人影のようなものが動いたのを見つけてしまった。
エイミはベッドから抜け出し、おそるおそるバルコニーに近づいていく。
「……ジーク様?」
そんなわけないと思いつつも、愛する夫の名を呼んでみる。
(もしかして泥棒とか? だとしたら、私ひとりで近づいたら危ないんじゃ……)
すっかり目が覚め、エイミの思考回路が正常に戻ったところで、バルコニーの人影が大きく揺れた。
「ひいっ……」
悲鳴をあげそうになったが、
寸前でそれを飲み込んだ。窓にはりつく人影に見覚えがあったからだ。そして、彼はいかにも、こういう突拍子もないことをしでかしそうだった。
「もしかして、ゾーイなの?」
よくよく目をこらして見れば、間違いない。夜中に突然、バルコニーに現れたのはゾーイだった。
エイミは呆れて大きくため息をつくと、窓を少しだけ開けた。大きく開いて彼を招き入れるつもりはない。
誰にも見つからないうちに早く帰れという言葉を伝えようとしただけだ。
「ゾーイ! なにを思いついたのか知らないけど、早く部屋に戻ってよ」
ゾーイを含む堤防工事のために集まった領民達には、きちんと部屋をあてがっているはずだ。
「いや、もう村に帰るんだ。こんな気味の悪い城に用はない。ただし、エイミも一緒だ」
やっと見つけた大切な居場所を気味の悪い城呼ばわりされたことにも腹が立つが、それ以上に最後の台詞はさっぱり意味がわからない。ゾーイとはとことん話が通じないようだ。
「なぜ私が帰るの? 今はここが私の家なのに」
村には二度と帰りたくない。とまでは言わないが、ここでの生活のほうがエイミにとってはずっとずっと幸せだった。なんといっても、こんな自分を好きだと言って大切にしてくれるジークがいるのだ。
「無理やりこんなところに連れてこられたんだろう。 俺と帰ろう。そして、結婚して幸せに暮らすんだ!」
エイミは絶句した。
ゾーイは頭をどうかしてしまったんだろうか。つい先程、ジークと結婚したのだと話したばかりなのに。彼の耳はなんのためについているのか。
「いいから急げ! 今なら誰にも見つからずに城を出られる」
ゾーイは少しだけ開いていた窓を大きく開け放つと、ぐいとエイミの腕を引いた。
薄い夜着姿のエイミに秋の冷たい夜風が容赦なく吹きつける。
「さ、寒っ」
思わず顔をしかめたエイミにはまったく頓着せず、ゾーイはどこかうきうきしたような口調で言う。
「ほら、俺が支えててやるから下に降りよう」
ゾーイの視線の先にはバルコニーから垂らされた頑丈なロープが一本。どうやら彼はこれを命綱に壁を登ってきたらしい。
昼間の旅装のままのゾーイはなんとかなっても、夜着姿のエイミがロープを頼りに下に降りるなんて到底無理だろう。だが、ゾーイはそういったことには思慮が及ばない性質だった。
「えーっと」
どこからつっこんだらいいのか、エイミは言葉が出てこなかった。
そのとき、ふたりの後ろから、ゴホンゴホンというややわざとらしい咳払いが聞こえてきた。ふたり揃って、部屋の奥を振り向く。
「ジーク様! いつのまに!」
盛大に泣きわめいていたシェリンの声が段々と小さくなってきた。ここまでくれば、後は穏やかな寝息に変わるまで見守るだけだ。エイミはふぅと小さく息を吐いた。
(ジーク様、なんだか様子がおかしかったけど、どうしたのかな)
仕事上のトラブルでも発生したのだろうか。それとも、ゾーイがなにか失礼なことを? だが、年下の若者になにか言われたくらいでジークが機嫌を損ねるとも思えなかった。
自分がなにか怒らせるような言動をしてしまっただろうか。
あれこれ考えてみても、これと思い当たるものはなかった。
(明日の午後には出発だから、今夜は一緒にいたかったのになぁ)
堤防工事の期間中、ジークは城には戻ってこれない。今夜を逃せば、しばらくは二人でゆっくり過ごすこともできない。
三つ子の眠る部屋と夫婦の寝室は続き部屋になっている。エイミは三人がよく眠っているのを確認してから、奥の夫婦の寝室へ下がった。
少しだけ待ってみようか。
そう思い、エイミは眠らずにジークが戻るのを待っていた。だが、壁掛け時計の鐘が12時を告げても、彼は現れない。
ふわぁと、三回目の欠伸を噛み殺したところで、エイミは諦めてベッドに入り、目を閉じた。
(やっぱりお仕事でなにかあったのかな)
ジークのことを案じてはいたが、エイミも今日は早起きで働きずめだった。身体はすっかり疲れ切っていて、すぐに深い眠りが訪れた。
ガチャガチャという物音で、エイミははっと目を覚ました。一瞬、もう朝なのかと思ったけれど、すぐにそうではないと気がつく。バルコニーに面したガラス扉の向こうは、まだ夜の闇に包まれていた。
(変な音を聞いたような気がしたけれど、夢かしらね)
エイミは完全に目が覚めてしまう前に、もう一度眠りにつこうとした。が、淡い月明りに照らされたバルコニーで人影のようなものが動いたのを見つけてしまった。
エイミはベッドから抜け出し、おそるおそるバルコニーに近づいていく。
「……ジーク様?」
そんなわけないと思いつつも、愛する夫の名を呼んでみる。
(もしかして泥棒とか? だとしたら、私ひとりで近づいたら危ないんじゃ……)
すっかり目が覚め、エイミの思考回路が正常に戻ったところで、バルコニーの人影が大きく揺れた。
「ひいっ……」
悲鳴をあげそうになったが、
寸前でそれを飲み込んだ。窓にはりつく人影に見覚えがあったからだ。そして、彼はいかにも、こういう突拍子もないことをしでかしそうだった。
「もしかして、ゾーイなの?」
よくよく目をこらして見れば、間違いない。夜中に突然、バルコニーに現れたのはゾーイだった。
エイミは呆れて大きくため息をつくと、窓を少しだけ開けた。大きく開いて彼を招き入れるつもりはない。
誰にも見つからないうちに早く帰れという言葉を伝えようとしただけだ。
「ゾーイ! なにを思いついたのか知らないけど、早く部屋に戻ってよ」
ゾーイを含む堤防工事のために集まった領民達には、きちんと部屋をあてがっているはずだ。
「いや、もう村に帰るんだ。こんな気味の悪い城に用はない。ただし、エイミも一緒だ」
やっと見つけた大切な居場所を気味の悪い城呼ばわりされたことにも腹が立つが、それ以上に最後の台詞はさっぱり意味がわからない。ゾーイとはとことん話が通じないようだ。
「なぜ私が帰るの? 今はここが私の家なのに」
村には二度と帰りたくない。とまでは言わないが、ここでの生活のほうがエイミにとってはずっとずっと幸せだった。なんといっても、こんな自分を好きだと言って大切にしてくれるジークがいるのだ。
「無理やりこんなところに連れてこられたんだろう。 俺と帰ろう。そして、結婚して幸せに暮らすんだ!」
エイミは絶句した。
ゾーイは頭をどうかしてしまったんだろうか。つい先程、ジークと結婚したのだと話したばかりなのに。彼の耳はなんのためについているのか。
「いいから急げ! 今なら誰にも見つからずに城を出られる」
ゾーイは少しだけ開いていた窓を大きく開け放つと、ぐいとエイミの腕を引いた。
薄い夜着姿のエイミに秋の冷たい夜風が容赦なく吹きつける。
「さ、寒っ」
思わず顔をしかめたエイミにはまったく頓着せず、ゾーイはどこかうきうきしたような口調で言う。
「ほら、俺が支えててやるから下に降りよう」
ゾーイの視線の先にはバルコニーから垂らされた頑丈なロープが一本。どうやら彼はこれを命綱に壁を登ってきたらしい。
昼間の旅装のままのゾーイはなんとかなっても、夜着姿のエイミがロープを頼りに下に降りるなんて到底無理だろう。だが、ゾーイはそういったことには思慮が及ばない性質だった。
「えーっと」
どこからつっこんだらいいのか、エイミは言葉が出てこなかった。
そのとき、ふたりの後ろから、ゴホンゴホンというややわざとらしい咳払いが聞こえてきた。ふたり揃って、部屋の奥を振り向く。
「ジーク様! いつのまに!」
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